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FILE01:ボーイ・ミーツ・ガール1

第一話 ボーイ・ミーツ・ガール




 東京郊外にある多摩村霊園。

 日付はとうの昔に変わり、今の季節なら日の出まで三時間ほどだ。

 多摩村霊園に入ってすぐにある杉の巨木の近くで、龍宮正司は待ち合わせ相手を待っていた。

 とくにいじってあるわけでもない短い髪の毛。背丈は平均より少し高めで、体型も多少は筋肉質ではあるものの平均並だ。いたってどこにでもいそうな、そんな普通の少年だ。

 彼は虫の集まる外灯の明かりを頼りに腕時計と睨めっこをしていた。

「遅いな」

 彼の口調には苛立ちの影が見え隠れしていた。待ち合わせ相手が現れないということよりも、墓場という環境的な要因によるものが大きいのだろう。

「キャッ!」

 ふいに響いた悲鳴。次の瞬間には何かが地面に転落した音。

 突然のことに正司は身を強張らせたが、すぐにそれが待ち合わせ相手のものだと気が付いた。

 砂利道を駆ける音はすぐに消え、ゆっくりと踏みしめる音になり、それも消えると一人の少女――椎名真姫が正司の前に立っていた。

 肩よりも少し下で切り揃えられた黒髪。端整な顔立ち。それを薄化粧が更に良い具合に装飾していた。リップが塗られた薄桃色の魅惑の唇は、外灯の光に晒されて艶やかな輝きを放っている。

 服装はロングのTシャツに膝下まであるスカート。これが正司の知るいつもの彼女の服装だった。スカートがミニスカートになったりということはあっても、彼女は制服でも私服でも、たとえ猛暑であろうとも絶対に長袖を着用していた。そこが普通の人とは違っていた。彼女なりのポリシーなのか、それともわけがあるのかは彼には分からなかったが、いわゆる変わった子だった。それでも美少女であることに変わりはなく、男子の間では人気がある。

「おまたせ!」

 漆黒の夜空の下に真姫の声が響いた。午前三時すぎにして、彼女の声は元気そのものだった。だが、体は満身創痍といった感じで服には砂埃が付着し、右手で腰をさすっている。

 理由は聞くまでもなかった。

「仮にも女の子なんだから、もっとスマートな入り方ってもんがあるんじゃないか?」

 真姫の状態を上から下まで走査し終えてから正司は言った。

 目も当てられない、という大袈裟なものでもないが、もう少し上手いやり方があったのではないかと彼は思った。

「だって、柵が思った以上に高かったんだもん。それにこのスカートは長くてひっかかっちゃうし。困ったものだよね」

 全ては予想以上に高かった柵と長すぎるスカートのせいで、自分は何も悪くないと言わんばかりの口調だ。

「もっと頭使って、裏門のほうから回るとかさ。あっちのほうが柵は低いだろ」

「そんなことしてたら約束の時間に間に合わなくなっちゃうじゃん」

「ていうか、既に間に合ってないし」

「どれどれ……」

 真姫は正司の腕を掴み、腕時計を覗き込んだ。

「なーんだ、たったの二〇分じゃん。正司は小さい男だねえ」

 真姫の口調はとても悪びれている人間のそれではない。

 正司は彼女のそんな性格を熟知しているため、あまり気にしないように努める。

「午前三時過ぎに、墓場で一人ポツンと待たされる俺の身にもなってくれよな」

 たかが二〇分。されど二〇分。

 普段の正司ならば、その程度の遅刻についてうるさく咎めるようなことはないだろう。それも真姫の遅刻癖についてもはや彼は諦観の域に達しているのだ。だが、今日だけは事情が違った。ここは墓場で今の時刻は午前三時なのだ。そんな場所に一人で長々と居続けられるわけがない。それは幽霊など信じない巨漢のプロレスラーだろうと、例外ではないに違いない。正司はどちらかと言えば幽霊を信じる立場の人間なのだ。

「……ははーん」

 意味ありげな口調と意味深な目で真姫は正司を見つめた。その意味深な目には人を小馬鹿にした色が浮かんでいる。

「……なんだよ?」

 含みのある彼女の言い方に対して訝しげな視線を送りつけた。

 真姫は正司の訝しげな視線など意に介するような素振りも見せず、なめらかな動きで彼のすぐ目の前まで進み出ると、頭一つ低い位置から上目遣いで彼の顔を覗き込んだ。

「なっ――」

 二の句が繋げられない。鼓動が早くなる。顔が熱い。

 すぐ目の前に真姫の顔があり、気恥ずかしくて目のやり場に困った。だが、金縛りにかかったかのように、視線はすぐそこにある真姫の顔から外れなかった。

 眼前に迫る彼女の顔を前にして正司は思った。

 キスをする直前みたいだ。

 彼はキスなど経験したことはなかったが。

「もしかして……」

 真姫はグッと背伸びし、二人の顔は急接近した。両者の鼻先の間は数センチもない。

 本気でキスを連想させる彼女の動きに彼は頭がくらくらした。

 背伸びをした反動で揺れた彼女の麗しき黒髪からいい匂いが漂ってきた。その匂いは正司の鼻腔を優しくくすぐり、そして電光石火の如く脳天へと一直線に駆け抜けた。

 午前三時にも関わらず、正司の眠気は一気に消し飛んだ。それは彼からしてみれば、世界中のどの眠気覚ましガム製造会社をも凌駕するほどの効能だ。

 正司の中では彼女の肩を抱くべきか否か逡巡していた。

「私を待ってる間、ビビッてた?」

「……へ!?」

「どうなのよ。ビビッてたんでしょ!?」

 正司の気が抜けたのは言うまでもない。

 意識しないでやってたのか……?

 思春期男子の淡い期待が見事に崩れ去った瞬間だった。

 キスして誤爆しなくてよかったと思う反面、それはそれで悲しいものがあった。もしも意識しないでやっているのだとしたら、彼は男として見られていないのも同然なのだ。

「可愛いねえ、正司ちゃんは」

 彼が何も言えないでいると、彼女は無言を肯定と受け取ったのだろう。そう言って可笑しそうに彼女は笑うと、正司の二、三歩先に立った。

「さて――」

 真姫は右腕を勢いよく天に突き上げた。

「肝試しに出発!」

 その行動と快活な声は暗くて不気味な墓場の雰囲気とは正反対のもので、真姫の周りにだけ光が降り注いでいるかのようだった。




 いつになく明るい月光に照らされた墓石たちが整然と立ち並ぶその光景は圧巻で、おのずと正司の中に畏怖の念を植え付けた。

 歩を進める度に懐中電灯の光輪が揺れ動く。

 光に照らされた墓石が怪しく光る。

 吹き抜ける一陣の風が轟々と木々を揺らし、数多の木の葉が擦れ合って不気味なメロディーを奏でていた。乾いたそのメロディーはひどく精神状態を不安にさせた。

 正司の手を真姫の手が握った。彼女の手は小さくて、でも柔らかくて温かい手だ。

「怖いのか?」

 伸びそうになる鼻の下に注意しつつ、彼は茶化すように彼女に尋ねた。

 今の彼は幸せの絶頂にいた。今なら死んでも悔いはない、と思えるほどに。

「ば、バカ! そんなんじゃないわよ。正司が怖くないようにと思って、手を握ってあげてるのよ!」

 そっぽを向いてそう弁解する真姫の頬に、パッと紅葉が散らされたかのごとく赤く染められているのが、月光に照らされてぼんやりと確認できた。その横顔は思わず息を呑んでしまいそうになるほど美しく、それでいて蒼白い月光のせいかどこか儚さを含んでいた。儚さ故に美しい、といったとこだろう。

「そーかい、そりゃどうも」

「何よ、そのバカにした言い方は!? 正司だって怖いくせに!」

「う、うるせえな!」

 正司は今の自分の発言を後悔した。これでは図星だと明らかに分かってしまう。

「大丈夫だよ。正司は私が守ってあげるから」

 真姫はまるで自分に言い聞かせるかのように小声で、それでいながら力強く呟いた。その呟きからは彼女の何やら固い決意が垣間見えた。

 だが、そんなことを気にする間もなく正司はいつもの軽口を叩く。

「ビビッてる奴に言われても、説得力に欠けるというか……」

「なっ――」

 真姫の顔がさらに紅潮した。

「ビビッてなんかないもん!」

「嘘つけ」

「う、嘘じゃないんだから!」

 そう言いつつも彼女の視線は明後日の方角に泳いでいる。正司は何も言わず彼女の手を握った。

 そして二人は夜道を歩き出した。




 山の天気は変わりやすい、という言葉が俗にあるが、山裾にあたるこの多摩村霊園も例外ではないのだろう。山の方から出張ってきた分厚い雲によって、月が覆い隠されてしまった。

 月光が消えて辺り一面は暗闇に呑まれ、とうとう明かりは二人の懐中電灯だけになってしまった。更に悪いことに霧が発生したようだ。懐中電灯の光に水滴が反射している。

 時間の経過と共に霧はどんどん濃くなっていき、今では視界が数メートル手前までしか確保できないような濃霧になっていた。足下に注意しないと転んでしまいそうだ。薄ぼんやりとしたシルエットで墓石たちが脇を通り過ぎていく。

 深夜の墓地。視界を奪う濃霧。正司の背中を冷たい汗が伝う。彼の恐怖のキャパシティは限界に近づいていた。

 隣を歩く真姫はさきほどから黙りこくったまま歩いていた。とても今の彼女に対して『怖いのか?』などと尋ねる余裕はなかった。彼は一刻も早くこの墓地を抜け出したい気持ちで一杯だった。どんどん足早になる。

 二人は無言のまま歩き続けた。

 正司の心の中には、となりにいる真姫に話しかけたいという気持ちと、話しかけたくないという二つの気持ちが存在していた。彼女に話しかけて返事が返ってくれば、正司は一人じゃないという精神的に楽になる。だが、彼女に話しかけてしまうことで、姿形の見えない得体の知れないやつらに、自らの居場所をバラすことになるかもしれない。彼自身その得体の知れないやつというのが、どういうものなのか分かっていなかったし、上手く言葉で表現することも出来なかった。だが、とにかくしゃべってはいけない、という気持ちが渦巻いていたのだ。

 夏にしては冷ややかな風が吹き抜け、一層大きく聞こえる樹木の不気味なさえずり。木々たちの声は不気味で、風の唸り声と混ざり溶け合い坩堝と化し、どこかファンタジックな異世界へ紛れこんでしまったかのような錯覚を植えつけた。

 彼は走り出したい衝動に駆られたが、どうにか理性でそれを押さえつけた。無闇にこの濃霧の中を走り出せば、道に迷う危険性があった。そして、走り出した途端に許容限界ギリギリまで注がれた恐怖が一気に氾濫してしまいそうな気がした。

「ねえ、正司。あの光って何だと思う? ちょうちんみたいだけど……」

 久しく聞いた真姫の声色には恐怖の音階が帯びている。

 無理もないことだと正司は思った。彼も彼女の手前でなければ逃げ出していたに違いないのだから。

 濃霧の奥で薄ぼんやりと煌く淡いオレンジ色の球体を見た瞬間、正司は猛然と走り出していた。

 恥も外聞もなく、ただひたすら墓石の間を駆けた。どうにか悲鳴は漏らさずに済んだ。




 日頃の運動不足ととばしすぎ、そして恐怖によって三分経たずして正司の心臓は悲鳴を上げた。これ以上走ることを拒絶した心臓をなだめるため、彼は立ち止まって膝に手をあて、口から肺へ酸素を必死に送り込む。

「アレって、どう見ても、火の玉だろ……!」

 正司は肩で大きく息をしながら、隣にいるはずの真姫に言った。

「なにが、ちょうちんだよ」

 体内で暴れまわっていた心臓もだいぶ落ち着いてきた。

「真姫……?」

 あれだけ走って息遣いの一つも聞こえない。それどころか、となりに彼女がいるかどうかすら怪しくなってきた。

 真姫からの返答はない。そのときになって右手がやけに軽いことに気付いた。嫌な予感が彼の中を駆ける。恐る恐る自分の右手を見て、彼は予感が当たっていたことを知った。さきほどまで握っていたはずの彼女の左手がないのだ。

 どうやら真姫とはぐれてしまったらしい。





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