幕間 二人の側近
今回は前半後半で視点が異なります。
「いったい何なのよこれは!!!」
怒号と共に机の上の物が宙を舞う。
文鎮や硯のような小さくて重いものも例外ではなく、それらは全てこの部屋にいる彼女以外の人物、つまり私に向かって投げつけられていた。
頭以外の全身にも大なり小なり物がぶつかってきたが、的としやすいのであろう、たいていは私の顔面めがけて投げつけられる。
文鎮が額にあたる。
ゴン!という鈍い音と衝撃の後、少しだけ血が流れる。
書類棚が私の目の前に落ちる。
重くて私まで届かなかったようだ。
書類の束が顔面にぶつかった。
承認印を頂きたかったが、それどころではなくなってしまった。
血がついた書類は作り直しだな。
顔面に突き刺さるように万年筆が飛んでくる。
さすがにこれは掴み取った。
ついに机の上から物がなくなったようで、何も飛んでこなくなった。
辺り構わず暴れまわり、今肩で息をする眼の前の人物。
彼女こそ人類最大最強の国家たる我らヒュドラ連邦が主、クレス・ヒュドラ大王陛下その人である。
陛下が私に当たり散らすのは特に珍しいことではないが、今日は一段と激しい。
そしてその理由はわかっている。
「あああああああ!何なのよ何なのよ!私の頭の中に響くこの声は何なのよ!!」
陛下の心をかき乱すのは私の頭の中にも響くこの声。
「我こそは神話を終わらせる者」
おそらく魔法だろう、我らの理解を超える力が働いている。
魔法王について言及しており、本人ではない。
ではいったい何者なのかと考えていると、自ら名乗った。
「我が名は、リク・ルゥルゥ」
ルゥルゥ国国王リク・ルゥルゥ!
それは、今世界で最も注目を集める男の名。
我ら連邦の世界統一を阻む仇敵。
「エキドナ、これはいったいどういうことなの!?なんであの男が出てくるの!」
「申し訳ございません、陛下。この浅学非才な身にはわかりかねる事態でございます」
「ふざけてるの!?あなたにわからなければわかる人間なんていやしないでしょう!」
陛下の私に対する評価が著しく高いことを聞かされ、場違いとわかっていても嬉しく感じてしまう自分がいる。
「わかることは二つ。今リク王が魔法王とともにいること。そして二人が手を組み、現在魔王軍と対峙していること。以上にございます」
「あの男…。私達の東方征服の邪魔をするだけでなく、今度は西方まで邪魔しようっていうの!?どこからともなくポッと出てきたどこの馬の骨かもわからない分際のくせに…。いったい何なのよあいつ!!」
東方の大国イヅル。
あの国の混乱に乗じ我々は東方に軍を進める予定であった。
しかしイヅルはルゥルゥへと生まれ変わり、瞬く間に東方諸国を勢力下に治めた。
各個撃破ならば容易かったが、一丸となった東方を攻め落とすのは容易ではない。
我々の東方制覇は断念を余儀なくされ、いつでもできた南方の併合へと方針転換せざるを得なくなったのだ。
そして今度は西方。
魔王が魔法国に攻め入る準備をするという情報が得られた。
魔法王の力を持ってすれば魔軍を撃退することは可能であろうが、そのとき魔法王は大半の力を失っているか、おそらくすでにこの世にいない。
ならばその混乱に乗じて魔法国の影響下にある西方諸国を一気に併呑しようと、西方に軍を集結させていたのだ。
しかしこのリク王の話を聞く限り、やつは己一人で魔軍を撃退するらしい。
ならば魔法国、そして魔法王は無傷である。
魔法王が健在な限り西方は落ちない。
東方に続き西方までもが、リク王一人によって阻まれたのだ。
「エキドナ、いやよ。私怖い。リクは私達の頭の中にも干渉してくるような力を持っているの?そして魔軍を一人で倒すような男なの?私達は、あの男に勝てないの?」
すがりつき、涙目で私を見上げてくる陛下を優しく抱きとめる。
「陛下、ご安心ください。もしこの魔法が声を届けるだけでなく精神干渉まで行えるものならば、やつはイヅルの反乱で戦争を行うまでもなく勝利することができました。それは当然この魔軍の戦いでも。つまりこの魔法にそれだけの力はないのです。不安に感じられる必要はございません」
「そうなの?でも魔軍に対抗できる力は…」
「それも問題ないでしょう。やつは様々な策を弄してイヅルの反乱を勝利に導きました。”トロイの木馬”なる作戦が代表的です。しかしやつが普段からそれほどの力を奮うことができるならば、そのような策など不必要でした。おそらく力を使うには何らかの条件が必要なのです。今回魔軍撃退で力を使えばしばらくは猶予もございましょう」
陛下の顔がどんどん明るくなる。
これらは全て予想にすぎない。
そんな私の口からでまかせを、彼女は全面的に信用してくださる。
だから私は続きを言う。
彼女を喜ばせるために、彼女が望む言葉を口にする。
「それまでに、我々が勝利すれば良いのです」
今度こそ陛下の顔が輝いた。
私を力強く抱きしめ、私の胸に顔を押し付けてくる。
「そうよねそうよね!勝てばいいのよ!エキドナ、すぐに全軍を西から東に移動させて。全軍でルゥルゥを攻めるの!南方諸国からも、人が空っぽになるぐらい動員してね!」
まるでおもちゃの兵団を動かすように簡単に指示が下る。
しかし彼女は大王であり、これは勅命だ。
これらは全て現実となる。
「西方の守りが手薄となりますが…」
「だから、南方の人間を使うのでしょう?」
何を当然なことを聞くのか?という感じで返された。
なるほど。つまり人の壁で西方を守れということか。
「早く準備してエキドナ!早くルゥルゥを、あのリクという男をこの世から消し去って!」
無邪気で可愛らしい笑顔。
この方は大王として生まれなければいったいどのような少女となっていたのだろうか。
大王となっても、このエキドナ・カーンが部下にいなければただの王で終わっていたのだろうか。
いや、そもそも私がきちんとお諌めしていれば偉大な王となられていたのだろうか。
しかし、そんな未来はありえない。
「エキドナ、あなただけが頼りなの。あなただけが私を守ってくれる。今回もよろしくね?」
陛下、私の愛しい御方。
あなたが望まれるのなら私はどんなことでもいたしましょう。
あなたが喜んでくださるのなら私は世界をも敵にいたしましょう。
そこに身分の違いがあろうとも、私は貴方を愛しております。
そして
「エキドナ、貴女とても強いのに体は女らしいのね。いつも男装ばかりだけど、今度はもっと可愛らしい格好してみない?」
例えそれが禁断の愛であろうとも
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「で、こいつは俺より強いのか?」
ここは魔界最北、つまり大陸最北端の地。
大魔王宮殿の大広間は外の極寒に負けないほど冷え切っていた。
「おい!誰かなんとか言ったらどうだ?」
大広間には大勢の魔族がいる。
しかし口を開く者は誰もいない。
機嫌の悪い大魔王の前で言葉を発することは死に直結すると誰もが理解しているのだ。
「お前ら、俺の質問の意味がわからねーとか言わねえだろうな?」
もちろんわかっている。
先程まで我々の頭の中に声を響かせていた張本人、リク・ルゥルゥなる者が己よりも強いかと問うているのだ。
あの者が行った攻撃は二回。
二回目は人間界側の大陸を割ったらしい。
ワーズワースはずいぶんと衝撃を受けたようだが、一回目に比べれば可愛いものだ。
問題は一回目の攻撃、それは文字通り大陸を割った。
大陸を横断する人間界と魔界の境目、その西側はもはや地続きではない。
たった一人の男の手によって、永遠に分断されたのだ。
これでワーズワースを殲滅するための軍団の派遣は中止となった。
人間界に攻め入る時、侵攻箇所として最も適当であった西方砂漠地帯は永遠に使用不可となったわけだ。
それだけの影響を大陸に与えながら、我々の被害がゼロというのはいったいどういうことだったのか…。
考えるべきことは多々あるが、まずは大魔王の問いに答えなければ。
不用意な回答は死を招くが、このまま黙っていても殺される。
すでに周りから「早く答えてくれ」という視線が私に集まっている。
まったく、私とていつ殺されるかわからないというのに…。
「恐れながら申し上げます」
私の言葉で周囲がほっと一息つくのがわかる。
そして大魔王は「またお前か」と不機嫌そうだ。
私とて本意ではないので許してほしい。
「我らにとって大魔王陛下は遥か雲の上の御方。そしてこのリク・ルゥルゥなる者は、その大魔王様が自らに匹敵すると考えた者。地面を這う虫けらが魔族の力を推し計ることなどできないのと同じように、どうして我らが大魔王様の御力を比較すること叶いましょうか?」
「…別に俺はそんなこと考えてねーよ」
「これは失礼仕りました。しかし結論は変わりません。我らにとって大魔王様は自らの理解を超える力をお持ちの御方。比較することなどできようもない御方。大魔王様こそ我ら全魔族の主にございます」
「まあ、そうだな!」
少し機嫌を直してくれたようだ。
場の空気が少しだけ穏やかになる。
しかしそれは一瞬だった。
「そんな偉大な俺様を、あいつは”恐るるに足らぬ”とかぬかしてたよな?」
大魔王の怒りが質量を持つように我らにのしかかる。
力の弱い者はバタバタと倒れていく。
まずい。止めなければ。
「大魔王様」
大魔王が私に意識を向けたことで、他の者は開放された。
逆に一点集中となって私は息をするのもつらい状況だが、話を続けなければ私も皆も殺されてしまう。
全身全霊でもって言葉を絞り出す。
「彼奴めは、大魔王様を、知り、ませぬ」
「知らない?」
毒気が抜かれた声。
うまく意識をそらすことができたようだ。
「い、いかにもでございます。彼奴は大魔王様を知らない、ゆえにあのような言葉が出てきたのでございましょう」
本当は知っているのかもしれない。
しかし今は真実などどうでもいい。
大魔王が納得すればそれでいいのだ。
「ワーズワースを見て、その力量から大魔王様のお力を想像したのでございましょう。ワーズワースごときが何人いようと大魔王様と比較するなどおこがましいですが、そうと知らぬものから見ればやつは十分な強者。やつを容易く倒せる力をもつ自分なら大魔王様を倒せると、やつは勘違いしたのです」
「なるほどな。俺もなめられたもんだぜ」
偉大すぎるゆえに誤解を招いた、この言い方が大魔王は気に入ったらしい。
今度こそ機嫌を直してくれたようだ。
「じゃあ、あいつに教えてやらねーとな。俺がどれだけ強いかを」
その目に炎が宿る。
「俺が魔界を統一するから、あいつが人間界を統一して雌雄を決するんだっけか?おもしれえ。この喧嘩、買ってやろうじゃねえか」
大魔王の顔が闘志と歓喜に満ちている。
おそらくは初めて出会った好敵手。
この世界で唯一大魔王に匹敵しうる存在との戦いに、心が踊っているのだろう。
「おい、アイスキュロス」
「ははっ」
「今までみたいに殲滅戦ばかりする必要はねえ。これからは大魔王らしく、王者にふさわしい戦いで魔界を統一しろ。さっさとな」
「お任せください。詳細は私が決めてよろしいでしょうか?」
「ああ。細かいところはお前に決めさせてやる。ありがたく思え」
「恐悦至極に存じます」
リク・ルゥルゥの王者たる姿を見て、負けられないと考えたか。
しかし詳細は思い浮かばないため私に一任してきたと見える。
まあ、こちらとしてはそのほうがやりやすい。
せいぜい頑張らせてもらおう。
初代大魔王様の時代から幾星霜、思えば遠くまで来たものだ。
すでにあの頃の生き残りは我ら二人だけ。
早く死ぬのはどちらかと笑っていたが、まさか異なる主に仕える日が来るとは思わなかったよ。
どちらの主が真に大魔王にふさわしいのか、我々も勝負しようじゃないか。
「全ては大魔王様の御心のままに」
なあ、ワーズワース
側近から見た大王と大魔王でした。大王の見た目はお姫様お姫様したのをイメージしています。
以上で第三章は幕間を含めて完結となります。
次回からは次章が始まりますので、よろしくお願いします。




