幕間 魔法王視点
その先輩と特に仲が良かったというわけではない。
単にその先輩が新入部員のまとめ役だったから接点があっただけだ。
まとめ役といっても別に人望があるからとか頼りになるからというわけではない。
人が好いから面倒な仕事を押し付けられてしまっていたのだ。
安藤先輩とは、そういう人だった。
あの日、私はたまたま委員会の仕事で遅くなってしまった。
部活終了時間は過ぎているのに、教室から見える弓道場の窓からは明かりがこぼれている。いつもなら無視するであろうそれが、その日の私は何故か気になってしまった。そしてそのまま弓道場に足を運んでいたのである。
弓道場には安藤先輩が一人だけいた。
たった一人で的の張替えを行っている。
弓道の的は紙で出来ているため、練習でも当たれば当然穴が開く。修繕しなければボロボロのままなのできれいな状態を保つには手間暇がかかる。うちの部の的はいつもきれいだと思っていたら、先輩が管理されていたのだ。
「馬路倉じゃないか。今日は部活休みじゃなかったのか?」
私に気づいた先輩は手伝いもしない後輩を責めもせず、何の気なしにそんなことを言う。
「弓道部に明かりがついてたのが気になって…。先輩はいつも一人でこれをされてたんですか?」
私の話を聞いてるのかいないのか、先輩はシワひとつなく丁寧に的の紙を張り替えている。
そして一つを完成させると、私の方に振り向いた。
「誰もやらないからな。だったら、俺がやるしかないだろ?」
そして自慢げに的を私の方に見せてくる。
「綺麗な的だろ?この方がきっと、みんな気持ちよく練習できるさ」
私はそのときようやく気づいた。
この先輩は誰かに強制されたわけたわけでもなければ、頼まれたわけでもない。
ただそれが正しいと思っているから、それがみんなのためになるから、だから自分の時間を犠牲にしてでもこんなことをやっているんだと。
きっと自分たちの世話も押し付けられたわけではないのだろう。
自ら進んで、私達のためにとやってくれていたのだ。
私は弓道場の中に入り、端にカバンを置いて先輩の隣に座った。
驚く先輩の顔がちょっと面白い。
私みたいな人間でも、この先輩を驚かせることができるのだ。
「私も手伝います。やり方、教えてください」
「あ、ああ」
的張りはなかなか難しかった、
だけど、ちょっとだけ楽しかった。
こうして私はほんの少しだけ、先輩と一緒に時間を過ごした。
そしてこれが、私の元の世界の最後の記憶だ。
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異世界転移。
何が起こったかはわからなかった。
ただあまりに神々しい存在を前に、私はただひれ伏すしかできなかった。
直視できない存在、力を計り知ることもできない存在。
まさにあれこそが”神”なのだ。
その存在、女神様は私に色々おっしゃってくださった。
要点は四つ。
一つ目は私に類まれなる魔法の才能があったから呼ばれたこと。
二つ目はこの世界で生きるために何か欲しいものがないかということ。
三つ目はこの世界の魔法使いは虐げられているので救ってあげて欲しいということ。
そして最後の四つ目、これは最後別れ際におっしゃられた。
「この世界を、正しい方向に導いて」
そして私はこちらの世界に旅立ってきたのだ。
その後は、色々あった。
本当に、色々あった。
最初の村。村人との交流と魔法の勉強。楽しかった日々。
魔法使い狩りによる村の滅亡。親しかった人たちの死。
魔法使い開放のための闘争。国家をも相手にする戦いの日々。
大魔王の出現と勇者たちとの共同戦線。
大魔王を倒した英雄としての名声。
その名声を十全に活用した魔法国建国。
魔法使いの力と有用性を世に知らしめ、地位向上に励む日々。
気づいたらあっという間に六百年も過ぎていた。
魔法国は世界中の魔法使いの憧れの国となった。
昔は逃げ場所のような国だったが、今では向上心のある若者が集まる場所となったのだ。
だが今でも迫害される魔法使いは、残念ながらいる。
だけど今の私には人間界で強い魔力を持った赤ん坊が生まれればどこにいようとすぐわかる。その子が順調に育てばよし、もしも何か異変があればすぐに助けに行く、そんなことができるようになった。
もちろん異世界転移者が来てもすぐわかる。
異世界転移が行われるような空間の歪が生まれれば、例え寝ていても気づかざるを得ない。
十数年前、大陸の東の果てでとても強い魔力をもった子が生まれたのを感じた。
もしかしたら私よりも強い魔力かもしれない。こんな子は六百年生きてて初めてだ。
その後も問題なく育っているようでとても微笑ましい。
その子の成長が楽しみだと笑っていると、エドちゃんが嬉しそうに私を見て笑っている。
「陛下、何か良いことがございましたか?」
喜んでる私を見て嬉しくなったらしい。
いつまでも私にべったりだ。
「エドちゃんと同じ、とても才能のある子が生まれたの」
あ、苦笑いをしている。
ずっとちゃん付けしてたらからやめ時がわからないんだよね。
「しかし私とは違って、幸せな家庭で生まれた子なのですね?」
それを聞いて私は少し肩を落とす。
「あああ失礼いたしました陛下。私は幸せにございます。陛下に育てていただき、私はこの上なく幸せにございます」
私の落ち込みように気づいたエドちゃん、慌てて慰めてくれる。
優しい子に育ってくれたね。
「うん。ありがとう、エドちゃん」
私が笑いかけるとホッとして、でもちゃん付けに苦笑いだ。
たくましく、元気に育ってくれてありがとう。
そんな平和な日々を過ごし、さらに十数年が過ぎた。
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夜中に私は飛び起きた。
「空間転移…!」
強大な時空の歪。
私がこの世界に来てからの最大規模。
今回の転移者は、それほどの存在ということだ。
今までの最大記録は前回の大魔王を倒した橘くん。
彼は魔力はなかったがその超人的な剣の才能で大魔王を討ち果たした。
彼以上の存在が、この世界に現れる。
それが吉と出るか凶と出るか…。
「陛下!」
宮廷魔術師筆頭となったエドが私の部屋に飛び入ってくる。
私に対する無礼を忌み嫌う彼がそこまでするほどの事態なのだ。
「空間転移が観測されました。そして、それと同時に強大な魔力反応を検知。場所は大陸最北端、魔界です!」
「魔界…」
転移者はまず女神様のもとに導かれる。
そして次に女神様自らがその者を、”その人物があるべき場所”へと転移される。
今までは人間界に転移し、人を導く者、人を助ける者となった。
しかし今回の転移者が魔界へ来たとなると…。
「魔界の生物は全て魔力を糧として生きる者たち。そして魔王たちはその魔力の供給源。誰もが尋常ではない魔力を持っております。それこそ、陛下に匹敵するほどの」
今回の転移者は、魔界がふさわしい存在だったということ。
「しかし現在、魔力計測室の者たちは全員、魔界からは一人の魔力しか感じられないと言っております!魔王たちなど歯牙にもかけぬ存在が現れたと、そう言っているのです!!」
魔界にふさわしい存在とは何者か。
それは魔界の生物の糧、すなわち魔力を大量に持ち、彼らの上に君臨するもの。
「大魔王が、現れたということですね」
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現在、人間界は群雄割拠の戦国時代だ。
史上唯一人間界を制覇したイヅルは滅亡寸前。
天下に号令をかけられる存在はおらず、どの国も戦争に明け暮れている。
唯一魔界と対峙し得る力を持つのは聖王国、連邦、魔法国の三カ国のみ。
しかし聖王国は人間界の争いなど意に介さず、ただ己一国のみで魔界と戦い抜くだろう。例えそれが滅びへの道だとしても。
連邦は疲弊した小国の併合に忙しい。聖王国が自分たちに兵を向けないのをいいことに、自らが肥え太るためだけに侵略を続けている。
ならば、私と魔法国が戦うしかない。
誰もやらないならば、私たちがやるしかない。
先輩の、あの言葉を思い出せ。
「誰もやらないからな。だったら、俺がやるしかないだろ?」
六百年、この言葉と共に歩んできた。
次の六百年も、そのように歩むのだと思っていた。
しかし私に、”次”はなさそうだ。
時間があったので一気に書き上げました。
この話の冒頭が55話に来る構想がありました。しかし別視点はやはり幕間でまとめた方がいいと思って現状の形となっております。
地味にリクの元の世界での描写は初ですね。
おそらくこれが今年最後の更新になるかと思います。年明けは早くて四日頃になってしまうかと…。
皆様、どうか良いお年を。




