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幕間 魔王トルストイ

 その魔王は、最も古い魔王の一人。

 多くの部下を従え、広大な領地に君臨していた。


 彼の領地に生を受ける。

 それは、人にとって最も幸福な出来事であった。


 彼は他者に興味がなかった。

 魔族にも、人にも。


 ゆえに彼の前で人も魔族も等しく同じ価値であり

 奴隷となることも

 弄ばれることも

 戯れで殺されることもなかった。


 ただ人として生きることができる。

 それだけで、当時他の地域で生きていた人間とは比べ物にならいほどの幸せだったのだ。


 そんな穏やかな彼の領地にも、時には波風が立つ。

 多くの場合、それは彼の地位、魔王の椅子を狙う挑戦者達によって引き起こされた。

 若く力を持った魔族が、彼に成り代わるべく襲って来るのだ。


 だが最強最古の魔王の一角を占める彼にとって、それはさざ波のようなものだった。

「挑んだ相手が悪かったな」

 そう言いながら挑戦者にトドメを刺していく。

 それが、常だった。


 ただこの日の相手は、勝手が違った。

 彼ですら手こずる力の持ち主。

 最初に侮ったのが運の尽き。

 倒せはしたものの、深手を負ってしまった。


 致命傷ではない。

 しかし放っておけば命に関わる傷。


 今襲われれば確実に負ける。

 生まれて初めての死と隣り合わせの感覚。


 ただの茂みの音にすら敏感に反応してしまい、ついに自分の運命もここまでかと思ったその時


「怪我、されてるんですか?」


 現れたのは、人間の娘だった。


 魔力として吸収すれば、少しは足しになるだろうか。

 だが反撃されれば、今の自分ならこんな人の娘にすら負けるかもしれない。

 どうしようか決める間も無く、娘に間を詰められてしまった。


「これで自分の命運も尽きたか?」

 一瞬そう思ったが、そんなことはない。

 娘は治療を始めたのだ。


 魔王である自分には怪我の手当てなどあまり意味はない。

 それにむしろ


「今の私なら、お前にも殺せるぞ。殺して力を吸収すれば、次はお前が魔王になれる」


 人間に魔王の魔力を受け入れられるかはわからないが。

 魔族ならば当然すること、知ってることだ。

 この娘がそれを知らないためにこちらを治療してるのなら、教えてやらねばならない気がした。

 自分の寿命を縮めるかもしれないのに。

 我ながらおかしな話だと思うが。


 自分なら間違いなくトドメを刺して吸収する。

 当然のことだ。

 他者も皆同じだろう。


 彼が己の考えが間違いだと気づくのに、時間はいらなかった。

 娘は彼の言葉など耳に届かないように、一心不乱に治療を続けたのだ。


 自分の血で汚れながら満足げに笑う娘に問いかけた。


「何故、助けるのだ?」


 それは、彼の常識ではありえないこと。

 だが娘はそれを全否定する。


「傷ついた人を助けるのは、当然でしょう?」


 彼には理解できない理屈だった。

 だが自分の親とも呼べる人が望んだのは、こういう考えだったのかもしれない。


 魔王は娘から魔力を少し吸い取り傷を癒す。

 決して娘を傷つけないよう

 最小限で、細心の注意を払いながら


「行くぞ」

「へ?」


 そして娘を自らの居城に連れ帰る。

 娘は少々抵抗したが、彼には問題ない。

 だって彼は魔王なのだから。

 人間を超越した存在に、ただの娘の抵抗など意味はなかった。


 そして娘の親を含めた周囲の許諾など必要ない。

 彼は魔王なのだから。

 ここは彼の領地。

 彼の意のままにならないものなど存在しない。

 彼の無関心という名の慈悲の下、自分たちは生きながらえている。

 誰もがそれを、理解しているのだ。


 彼の部下である魔族達も当然主人の挙動を容認する。

 それが魔王という存在。

 部下達の生殺与奪の権も握った絶対権力者。

 その意思に反するなど、ありえないのだ。


 魔王は娘を抱いた。

 今まで星の数ほど戯れに抱いてきた人間や魔族の娘達。


 それに比べ、一番美しいわけではない。

 彼はもっともっと美しい女を抱いてきた。


 一番肉体的魅力に優れているわけではない。

 そもそもこの娘の体つきは彼の好みよりも貧相だ。


 夜伽の技術などないに等しい。

 娘は生娘だった。

 これほど女に気を使いながら抱くのは、彼にとって初めての経験だった。


 だが、彼は今までで一番満たされていた。

 言いようのない幸福感が彼を包んでいた。


 そして何度も繰り返すうち、娘は身籠った。


 それは、あり得ないことだった。

 魔族と人の子は過去に例がある。

 弱い魔族が人の間に子を成すことはあった。

 しかしそれが魔王となると話は違う。


 魔王の子ともなれば、生まれながらに膨大な魔力を擁する。

 そんな赤子を宿すにはその魔力を受け入れられる器が必要だ。

 ゆえに魔王が子を成すとき、母体は例外なく強力な魔族となる。


 人などでは、ありえない。

 にもかかわらず、そのあり得ざることが起きた。


 彼は生まれて初めて狼狽した。

 自分の子の魔力に母体が耐えきれないという可能性

 それはつまりこの娘が死ぬということ

 この娘を失ってしまうということ


 その可能性に、恐怖したのだ。


 そんな彼を娘は優しく諭す。


「大丈夫。私とあなたの子ですよ?きっととても優しい子です。私をいじめるようなこと、あなたを泣かすようなこと、絶対にしませんよ」


 そこには何の根拠もなかった。

 だが彼はそれを信じてみようと思った。


 そして奇跡は連続する。

 出産は、母子ともに無事だった。

 子は男。

 彼の子に相応しい魔力を擁する、未来の魔王の誕生だった。


 親子三人の生活が始まった。

 彼は相変わらず他人には無関心だった。

 だが娘が口を挟むことで、彼の統治はより慈悲深くなる。

 それが領地を発展させ、さらなる繁栄に導いた。


 息子はそんな二人を見て育つ。

 人にも魔族にも同じように接する。

 父親のように両者を平等に扱い

 母親のように両者に敬意をもって。


 そんな幸せな生活が続いた。

 だが、それもすぐに終わりを迎える。


 娘の寿命が尽きる時が、きたのだ。


「私の命を分け与えよう。共に永遠を生きよう」

 彼がそんなふうに人に懇願するのはこれが初めてだった。

 だが、彼女は首を振る。

 困った顔で、老いても変わらぬ優しい笑みを浮かべながら。


 彼の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。

 これも彼にとっては初めてだった。

 自分に涙が流れることを、彼はこのとき初めて知ったのだ。


「泣かないで。愛しいあなた」


 彼のことを優しく抱きしめながら


「私は人間のままで死にたいの。あなたが愛してくれた、人間の私のままで」


 彼女の精一杯の抱擁は、かつてとは比べ物にならないほど弱々しかった。

 それでも、その想いは痛いほど彼に伝わってくる。


「これが私の最後のわがまま。泣かせてしまってごめんなさい。愛してくれて、ありがとう」


 それが彼女の、最期の言葉だった。


 彼は泣いた。

 泣いて泣いて、泣き尽くした。


 彼の泣き声がやんだとき、彼の命の灯火も消えていた。

 不死である魔王が何故死んだのかは誰にもわからない。

 だが彼が死んだという事実に変わりはなく、次代の魔王が就任する。


 その魔王は、彼と娘の一人息子。

 名を、トルストイ


 人にも魔族にも平等に、敬意をもって接する魔王

 人呼んで、魔人貴人


 魔人貴人、トルストイ



 ---



 トルストイの領地は魔界でも例外的に発展している。

 魔界にも関わらず人が住んでおり、魔族とともに繁栄を謳歌していた。


 その領地に大魔王が攻め込んできた時、彼は迷わず降伏した。

 結果的にそれが彼自身と彼の領民を守ることになるのだが、それはただの結果論だ。

 彼にとって争いとは勝つために行うもの。

 今回の大魔王は話を聞く限り自分では勝てない。

 それがわかっているなら、彼には戦う理由がなかったのだ。


 だが大魔王は猜疑心が強かった。

 彼の従順さには裏があると考え、無理難題から雑用まで様々なことを押し付けてきた。


 彼はそれら全てに答えた。

 人間界への使いっ走りも二つ返事で了解した。

 古馴染みのアズラットが付き添ってくれたが、あの程度下級魔族でも十分だったろう。


 魔王が行くならば、人間の国程度一つや二つは滅ぼさねばならない。


 だが、彼が自主的にそれを行うことはない。

 進言することもない。


 何故なら、それは彼の規範から外れた行為だから。


 幼き日

 両親と過ごした幸せな日々


 自分の長い生涯の中では瞬きほどの短い期間

 だが、彼の中で最も光り輝いていた時代


 記憶の中にしかいない愛する二人

 あの二人の行動を、考えを、ただなぞる

 そうすれば、今も二人が傍にいてくれる気がするから

 三人で生活しているように思えるから


 だから、彼はそのように生きる。

 そのように行動する。


 自分の意思ではなく、彼が思い描く理想に従い動く男。

 それが、魔人貴人トルストイ


 彼の慈悲深さも礼節も、彼自身のものにはあらず。

 そうあれかしという、彼の理想を体現しているだけなのだ。



 しかし今、例外が起きた。


「アズラット、手を貸しますよ」


 彼は礼節を重んじるが、こと戦いにおいては卑怯卑劣と言われることも厭わない。

 それは強さこそが正義であり、弱ければ殺される魔界に住む者として当然だ。


 もし彼がそのルールに従えば、アズラットは見捨てるべきだった。

 アズラットを見捨て、彼と相対するエキドナも無視し、その背後にいる人間達を襲うべきだった。


 機関銃というものを操る娘

 すでに戦闘不能になっている老人

 それを支える娘

 その周囲の兵士たち


 彼ら彼女らを先に始末した方が、よっぽど理にかなっている。


 だが、彼はそれをしなかった。

 彼の中の何かが、それを良しとしなかった。


「私自身の性格が、そうなってきてるんでしょうか?」

 そんなことを考えるが、それ以上思考を巡らす余裕はない。


 解放王、柊伊弦。

 相手にとって不足はなし。


「正々堂々、戦わせていただきましょうか」


 正々堂々とは、まったく魔王らしくはない

 だが、実に自分らしい


 この感覚、()()()()()


 そんなことを独り言ち、大地を蹴る。


 自分の理想とは違う。

 だが、己の選んだ戦いへと身を投じるために。

ブクマに評価、ありがとうございます!

毎日更新を頑張っておりますので、まだの方で面白いと感じられましたらぜひお願いいたします!

励みになります!


今回はちょっと毛色が違うので、あれですが…。

別途構成し直して短編で投稿したくなるような内容ですね。。。

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