幕間 辺境の村娘視点
一番古い記憶は、優しいおばあさんの笑顔だ。
「つらかっただろうねえ。でも、もう大丈夫。ゆっくり寝てれば、元気になるさ」
しわくちゃな顔
笑顔でしわがより一層深くなる
その笑顔がとても優しくて暖かくて、病気なんて嘘だったかのようにぐっすり寝られた。
だからそのおばあさんが殺されたと聞いた時は、とてもとても悲しくつらかった。
父さんが敵討ちの軍に入ると聞いた時は、一も二もなく賛成した。
私は子供だから何もできなかったけれど
今も鮮明に覚えている。
父さんに肩車されて見た、あの勇姿
偽王を討ち、新たな時代の始まりを高らかに宣言するあの御方
おばあさんの意思を継ぐ、伝説の後継者
いや、新たなる伝説の体現者
神話を紡ぐ存在
英雄王、リク・ルゥルゥ陛下
あの日誓ったのだ。
この御方に、一生ついていくと。
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「だ、だめ…」
机に突っ伏す。
学院の学科試験の自己採点。
今回も全然だめだった。
とてもあの御方のお側で仕えられるような点数ではない。
「エスナだったら、宮廷は無理でも地方だったら十分な地位につけると思うよ?」
「…ケアルはいいわよね。学院始まって以来の俊才!史上最年少の教授!なーんて言われててさ。で、なんだっけ?そのペンだっけ?あの御方から直々にもらったんだっけ?」
目の前にいるのは幼馴染のケアル。
隣村に住んでいて、今は同じ都に住む腐れ縁だ。
だがこの男、見かけどおりの優男ではない。
今言ったとおり、この学院では知らぬものなどいない存在だ。
この前など宮廷に行き、そこで英雄王陛下にお会いしたのだ!
そのときのことは100回以上聞かされた。
半分は私がせがんで話させたのだが、残りは自分から聞かせてきたのだ。
同じようなものである。
「うらやましいうらやましいうらやましいうらやましい…」
「ま、まあ、上にあがる道は文官だけじゃないしさ。試験はだめでも、やりようはあるんじゃない?」
こちらの呪詛のような声に聞こえないふりをかまし、そんなことを言う。
「他にって、何よ?」
「えっと、例えば、その、武官、とか?」
武官
ようは軍人だ。
「この私が、貧弱で剣なんてふりまわすぐらいしかできない私が、どうやって軍人になれっていうの?」
「えっと、えっと、例えば、ジェンガ兄に頼む、とか?」
ジェンガ兄
ケアルの村の自警団団長
村一番、いや辺境一の力持ち
私も腕にぶら下がって遊んでもらったことがある。
老若男女、誰にでも好かれる好青年
しかしてその実体は…
「元帥閣下に、そんなこと頼めと?「昔遊んでもらってたエスナです!英雄王陛下の側仕えになりたいので、口利きしていただけませんか?」って?」
「ない、よね…」
「ありえないに決まってんでしょ」
ルゥルゥ国元帥、ジェンガ・ジェンガ様
いまや人類統一軍の頂点に立たれる方だ。
たかが学院のいち生徒がお目通りを願うことすら難しい。
「元帥本人は無理でも、軍の幹部ならなんとか…」
「え、本当?」
「そ、それは、うん。俺だって一応教授だし、それに、近衛には父さんがいるし」
近衛といえば英雄王陛下の側近部隊。
そこに配属されればお側仕えも同然では?
でも
「無理でしょ。近衛っていったら精鋭中の精鋭。それこそ口利きなんてありえないでしょ。ってか、それ言ったらうちの父さんだって近衛だし」
「だよね…」
近衛は精鋭中の精鋭
今入隊できるのは文武両道を極めた世界中の逸材ばかり
だが、当初は違った。
信頼性が重視され、決起初期からの者たちが大半を占めていた。
今では彼ら元辺境出身の村人が幹部で、各地の逸材がその下につくというチグハグな環境になっている。
が、意外とうまくいっているらしい。
「私もトトカ様みたいに美人で頭も良くて強かったらなあ…」
近衛にして英雄王陛下の最側近の一人、トトカ・タント様
彼女は近衛の古株だが、今受け直して文句なしに入隊できるだろう。
自分が彼女に対抗できるところなど、どこにあるのだろう?
己の慎ましい胸を見ながらおもわず嘆息してしまう。
「まあ、今は無理でもいつかきっと機会がくるよ。ね?」
「だといいけどさあ…」
昔なじみの根拠のない励ましを聞きながら、今日一番のため息をつく。
そんな日は、いつ来るのだろうか?
意外と、早く来た。
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「これが、銃…」
あのときの試験は難しかったらしく、私の点数でもそれなりに上位だったらしい。
その結果、都は無理だったが第二の都市であるベガスで働くことができるようになった。
ベガス領主、オウラン・ベガス様の側近だ。
性別を問わず蠱惑されてしまう不思議な魅力。
トトカ様とは違った意味で、同じ女だとは思えない。
ある朝、彼女に声をかけていただいた。
「エスナ。ちょっとあちきと一緒に来なよ」
そして向かったのは闘技場。
そこで私は出会ったのだ。
新しい兵器
銃と
それは革命だった。
重い剣を振り回す必要はなく、ただ引き金を引くだけ。
気の遠くなるような鍛錬も、選ばれしものだけがもつ才能も
そこには必要がなかった。
私みたいな女でも
剣や戦いと無縁の人生を送ってきた者でも
皆が兵士になれる、革命的な武器だった。
私はそのままオウラン様に新設される銃部隊へ入隊したいと願い出た。
少し諭されたが、私は聞く耳を持たなかった。
これこそ絶好の機会だと
私が英雄王陛下のお側仕えになれる最後の機会だと疑うこともしなかったのだ。
そして私は希望通りに入隊し、配属された。
新設部隊のため新しく決めることは多く、学院で学んだ私の知識はそれに役立つことができた。
自分の望む道へ進み、周囲の期待通りの結果を出す。
これがとても幸せで、得も言われぬ幸福感に満ちていた。
そんな高揚した私にとって、魔界への転移など全く怖くはなかった。
むしろ開戦前の陛下の演説
それを間近で見られたことで、より一層興奮は高まった。
もうすぐだ。
もうすぐ、もっと近づくことができる。
陛下からお声をかけていただける。
心配する幼馴染の言葉など忘れ去り、私はただただ自分の夢想する未来へと駆け抜けていた。
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魔界
それは魔族の世界のことを指す。
だが、別の世界というわけではない。
同じ大陸の、北半分。
魔法を使って異次元に行く必要はなく、その気になれば歩いて行ける場所だ。
なぜわざわざ人間界と魔界などという言い方をするのか、昔からわからなかった。
そして魔界に来た直後もわからなかった。
たしかに寒い。
だが、我慢できないほどではない。
植物の種類が違う。
だが、人間界の亜種といった程度。
人食い植物が跋扈してるようなわけではない。
魔物が多い。
だが、今の私たちには怖くはない。
銃の一斉掃射は魔物すら打ち倒す。
もはや戦争は騎士だけのものではないと、確信した。
だが、ついに私は理解した。
ここが魔界と呼ばれる理由を。
我々が住むせいかとは、別の世界だということを。
「「ぎゃああああああああああああああ!!!!!」」
「「助けてくれえええええええええ!!!!」」
「「死にたくないいいいいいいいいいいい!!!!!」」
魔物の軍勢をたやすく打ち払ってきた我らルゥルゥ軍、人類軍
それが、ただただ蹂躙されていく
攻撃を受けているわけではない
そこには何の暴力も存在していない
それは、ただそこにいるだけ
ただ、歩いているだけ
ただそれだけで、命を刈り取る存在
鍛え抜かれた騎士も
歴戦の強者も
新米兵士も
全て平等に、一瞬ですりつぶす、化け物
銃が革命?
これがあれば私も戦える?
誰がそんな世迷い言を?
両手に後生大事に抱えている黒い棒を見る。
胸に食い込むほど強く抱きしめているそれ
ついさっきまでこの上なく心強かったそれ
今は、ただのオモチャにしか見えなかった。
私は、完全に理解した。
このような化け物がいる世界
こんな世界が、我々が住む世界と地続きのはずがないと
魔界
それは、我々人類が住む場所とは相容れない世界
ゆえに、魔界
魔が闊歩する世界
化け物の足が上がる。
厚い雲で覆われつつも、弱い光を届けてくれていた太陽
それが完全にふさがれ、まるで夜の闇のような暗黒に包まれる。
さきほど叫んでいた人々も、同じような光景を見たのだろうか。
声すら出ない私よりも、彼ら彼女らの方がよっぽど立派ではないか。
化け物の足の裏は、まるで深淵のように黒かった。
この深淵に飲み込まれるのだと理解しつつ
思い出すのは、記憶の片隅にあった幼馴染の言葉だった。
「エスナ、どうか無事で帰ってきて。帰ってきたら、君に言いたいことがあるんだ」
いったい何を言うつもりだったんだろう?
死の間際にそんな悠長なことを考えながら
私の意識は、暗転する。
はずだった。
目の前が真っ赤に染まり、
赤い飛沫が頭から降ってくる。
それが化け物の血だと理解すると同時、一つの背中が目に飛び込んできた。
それは、幼き日に何度も追いかけた背中。
追いつけば遊んでくれるからと、皆と必死で追った大きな背中。
本来なら追いつけるはずなどなかったのに
自分たちと遊んでくれていたのだと気づいたのはいつだっただろうか?
あの頃より私はずいぶん大きくなった。
「よくも好き勝手やってくれたじゃねえか、デカブツ!!」
なのにこの背中は、もっともっと大きくなっている。
「今度は、俺が相手をしてやる!!」
大きな大きな化け物に、たった一人で立ち向かうその勇姿
勝てるはずがないのに、勝てるかもしれないと思ってしまう。
この人なら、勝ってくれるんじゃないかと信じさせてくれる。
「ジェンガ兄!」
幼い頃の呼び方。
元帥になんて口の聞き方をとわかってはいるが、止められなかった。
でも、この人は
「エスナか!?大きくなって、何よりだ!兄ちゃんが来たからには、もう怖くねえぞ!」
私のことを、覚えててくれた。
そのことに、涙が止まらない。
「ケアルは元気してるか!?都に戻ったら、昔のメンツでまた会おうや!」
ケアルのことも、他のみんなのことも、忘れてなどいなかった。
「だから、まずは!」
化け物へと向き直り、剣を構える。
「魔王狩り、さっさと済ませようじゃねえか!!」
蟻が竜に立ち向かうような光景にもかかわらず
その姿は、不思議なほど頼りがいがあった。




