121話 山脈
「魔軍が、万里の長城を乗り越えました」
淡々とした報告。
誰もが努めて冷静になろうとしている。
わかっていたことだ。
このように転移して攻めれば、人間界の防壁は手薄になることは。
大魔王を倒すのに最も効率的で効果的な手段は、人類にとって諸刃の剣。
それでも選ばざるを得なかった。
これだけが、勝利への唯一の道だと信じて。
「そうか」
だから俺も冷静に返す。
予想されていたこと、こちらの予測通りのこと
ただそれが起きただけなのだから。
魔軍に蹂躙される町や村、人々のことが一瞬頭をよぎるが振り払う。
可能な限り避難はさせた。
故郷を焼き払われる人々はいるだろうが、人的被害は最小限で済むはずだ。
しかし、人的被害とは
人を数で表す表現
そのうち人的資源とも言い出して、兵士を数で数えるようになるのだろうか?
いつから俺はそんなに偉くなったのだろうか
まったく、覚えがない
「我軍の進行は、順調そのものです」
覚えはなくとも、偉くなったのは現実だ。
現実を受け入れ、やりきるしかない。
順調という言葉に、多くの命が失われている背景を理解した上で
「そうか」
俺は再び、冷静に返事をする。
この戦いに勝つために。
全ての戦いを、過去のものとするために。
---
実際、進軍は順調だった。
馬路倉の魔法で切り拓かれた道
カルサの天候魔法で吹雪をおさえ、そこを一気に突き進む。
魔物の大半は人間界を攻めるために南へ行っている
この予想は大当たりで、抵抗は驚くほど小さかった。
散発的な魔物の襲来はあったが、全て瞬く間に撃退できている。
そろそろ頭のまわる魔族が残存を取りまとめ組織的に抵抗してくる頃合いだろう。
だが多勢に無勢
こちらの優勢が覆ることはない
それより気にすべきは
「魔軍は、全て人間界に攻め入ったのか?」
魔軍の動向。
人間では踏破に時間を要する魔界であろうと、魔軍にとっては自分の庭
我々では想像もつかない速度で移動するだろう。
「いえ、大半は引き返したようです。人間界に攻め入ったのは一部のみ。…一部といえど、かつて西方を焦土と化した魔物とほぼ同数ですが」
喜べばいいのか悲しめばいいのかわからない
魔軍が人間界に攻め入れば攻め入るほどこちらの勝率は増す
だが、逆に人間界の被害は倍増するだろう
一部だけが人間界に攻め入った
被害は想定よりも少なくてすむかもしれない
だが、こちらの勝率は下がるだろう
いろんな想いを秘めながら、一言だけ口にする
「そうか」
それしか言えないのだろうかと思えないほど、この言葉ばかり使っている。
だが、実際それしか言いようもないのだから仕方ない。
歯を食いしばり、今進んでるこの一歩が勝利への一歩など信じて
俺はただその三文字を口にするのだ。
「お館様」
ボードが現れた。
幕僚たちとこの大軍団の一挙一投足を全て管理している頭脳がわざわざここに。
ただ事ではないと、それだけで理解する。
「魔王か?」
今一番警戒すべきこと
それは大魔王と魔王だ。
ボードが自ら来るとなると、こいつらに関わること以外ありえない
「ご明察どおりです。人間界に攻め入っている魔軍には三人の魔王の姿がありません。総大将であるアイスキュロスを除く、全員です」
魔界軍師、アイスキュロス
創生の時代から生きると言われる、最古参の魔王の一人
本能で生きる魔物すら軍として指揮しうる、埒外の軍師
「アイスキュロスは人間界を攻め入り、他の魔王が我々の進軍を阻むように動いているようです。こちらに向かう魔軍、先頭にはトルストイ。最後尾にはアズラットがいます」
かつて俺を襲った二人の魔王
ウェルキンとハイロ、人間の中では上位に位置する二人をものともしなかった化け物たち
一人でも十分なのに、二人とは…
いや、待てよ。
姿を消したのは、三人の魔王では?
ボードは、それを言いに来た?
「そして三人目、魔王ガリバー」
俺に直に報告しなければならないほどの緊急度で
「やつが、現れました」
なぜ、嫌な予感というのは当たるのか
魔の山脈、ガリバー
地上最大の化け物
「その二つ名の如く、我らの行く手に立ちふさがっています」




