107話 安藤陸
会場には戻らなかった。
逃げるように自室へと帰っていった。
廊下で何回か声をかけられる。
でも、何も反応しなかった。
反応、できなかった。
着替えもせずにベッドに倒れこむ。
そういえば風呂にも入っていない。
歯も磨いていない。
明日起きたら間違いなくアルカに怒られるな。
普段ならそう思うと体が勝手に動くが、今日はそんな余裕はなかった。
伝説の中の伝説
人類を魔族のくびきより救い出した真の英雄、解放王
まだ生存していることには驚かされた。
女性だったことにもびっくりだ。
だがそんなこと、英雄王と呼ばれたことに比べれば、些細なものだ。
どれほどすごい人なのだろう
どれほど桁違いの英雄なのだろう
色々と想像をめぐらせ、少し憧れてすらいた存在
勘違いで成り上がった俺とは違う、真の実力者
今この時代に生きていれば、俺を導いてくれたのではないだろうか
そんな風にすら考えていた
だが現実は正反対だった。
彼女にすら敗北を確信させる大魔王。
救いを求められたのは俺の方だった。
この世界の人類繁栄の礎を築き上げ、あらゆる王族の祖たる存在
そんな神のごとき人物に、跪かれてしまったのだ。
この世界を、人類の未来を、俺に託すと。
それは、俺が受け止めるには大きすぎるものだった。
何もしたくない。
考えることすら、億劫だ。
何度も繰り返してきた問いが、再び頭によぎる。
なぜなのか
なぜ俺なのか、と
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何も特別な力などもってはいない。
何か特別な力を与えられることもなかった。
他の転移者たちとは、皮肉なまでに対照的に。
馬路倉
彼女は元々魔法の才能があったらしい。
自他ともに認める世界最強の魔法使いとしての魔力。
そして神より与えられた一振りの杖。
これらによって彼女は魔法王に昇りつめ、三百年にわたり西方の覇者として君臨していた。
エキドナ・カーン
多対一を可能にする強大な戦闘力
持って生まれた才能か神に与えられた力かはわからない。
だが事実として、彼女は剣も魔法も自在に使いこなす。
己の間合いであれば達人たちをも圧倒し、死地を乗り越えたのだ。
カイト・タチバナ
村長や柊とともに先代の大魔王を倒した男。
戦闘の天才であり、未来視同然の戦術眼を持っていたという。
神から与えられたのは、己の命と引き換えに敵を滅する自己犠牲の力。
才能と神の力を惜しまず使い、愛する人とその世界を救った。
柊伊弦
もはや語るまでもない大英雄、解放王
人類史上初めて大魔王を滅したその実力は折り紙付き。
才能も神の力も持ち合わせ、更にもう一度神に願いをかなえられた。
永遠の命を手に入れ、悠久の間人類を守り続ける人の守護者。
誰も彼もが桁違いだ。
柊や馬路倉と共に旅をした転移者たちもみんな一騎当千だったのだろう。
この世界では、転移者は誰もが皆超越した力を持っている。
ただ一人、俺を除いて。
何も力をもたない一般人
何の才能もないただの人
超人揃いの転移者の中で、ある意味唯一の”特別”な存在。
たった一人の例外。
何も特別でないことが特別であるという矛盾。
ただ何よりおかしいのは、そんな俺が王であるということ。
村長の居候から村の先生に
それがなぜか反乱軍の指導者へと
反乱の成就は隠居どころから王へと至る階段だった
一国の王ですら身に余るというのに、それだけにはとどまらない
東方の覇者から東西の覇者へ
南方も仲間に引き込み、東西南の指導者となった
そしてついには人類全ての国家を併呑し、全人類の王へと昇りつめる。
”英雄王”などという過剰な呼び名は、いまや人類統一王の称号となった。
何もせず、ただ周りに流されてきていただけだというのに。
皆の提案に対してただ首を縦に振り、ただ仕事を人に振ってきただけ。
自分では何もせず、何も成し遂げてこなかった。
こんな自分がなぜ王なのか
なぜこんな尊崇の念を集めてしまうのか
なぜ、人類の命運を一身に背負ってしまっているのか
全く理解できない。
だから夢想した。
伝説の英雄ならば俺を救ってくれるのではないかと。
だが、その英雄ですら俺に膝をつく。
俺に人類の未来を託すと。
そして俺は、わからなくなってしまったのだ。
いったいどうすればいいのかと。
人類最高の英雄ですらできないこと
誰も成し遂げたことがなく、誰にも成し得ないこと
そんなことを求められても、俺にどうしろというのだ
これから始まる大魔王との決戦
人類と魔族が総力をあげてぶつかりあう最終戦争
負けた方は滅び去り、勝った方がこの大陸の支配者となる
有史以来、この世界が始まってからずっと続いてきた人と魔の決着がつく
その片方の指導者が俺になるなど、何の冗談だ
俺に人の未来を託すなんて、いったい何を考えているのか
俺の双肩に人類の未来がかかってるなんて、どうか悪い夢であってほしい
だが、全ては現実だ
現実に押しつぶされそうになり、
立ち直ろうとしてさらに現実を見せつけられ、
もはや俺は、考えることも嫌になってしまったのだ。
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気づいたら深夜になっていた。
遠くに聞こえていたパーティーの音ももう聞こえない。
後片付けも終わり、皆寝静まったころだろうか。
ふと一つの考えが頭をよぎる。
今なら、誰にも知られず城を出られるのではないだろうか、と。
「でも、どこに逃げる?」
当り前のことを口に出す。
これから大陸全土が戦場になるかもというのに、どこに逃げるというのか。
それこそただの一般人の俺では生き残ることすら困難だろう。
命惜しさに城に留まるのか?
そんな情けないことして命を長らえたいのか?
どこまで生き汚いのだろうとため息がでる。
戦士として命懸けで襲い掛かってきたハンニバルの勇姿とは対照的だ。
だが、これが俺なのだ。
英雄王、リク・ルゥルゥではない。
安藤陸という男の姿なのだ。
もう一度深いため息をつく。
誰にも聞かれていないだろうと思ったそのため息
「ずいぶん大きなため息ね」
心臓が止まるかと思うほど驚かされた。
声の方に振り向くと、そこには一つの影がある。
暗闇の中でも銀に輝くその姿は見間違えるはずもない
「カルサ…」
この世界で得られた最も大事なもの
俺のたった一人の妹が、そこに立っている
どこまで聞かれたのだろうか
どこまで知られてしまったのだろうか
カルサにまで失望されたらどうしよう
そんな恐怖感にさいなまれる中、カルサが口を開く。
「兄様、一緒に逃げようか?」
その表情は、ただただ優しさに満ちていた
今週末も色々あったのですが、なんとか更新できました。
お待たせして申し訳ありません。
私の体調は問題ないのですが、梅雨で体調崩さないよう気を付けます。




