幕間 ハンニバル視点(82~93話)
「此度の大敗の責は全て儂にございます。どうぞこの首、お刎ねください」
ダラスの戦い
あの戦場から這う這うの体で逃げ帰り、そのまま大王陛下の御前に参上した。
生き恥を晒したのはこの首で責任を取るため。
余人に責を押し付けることなどまかりならん。
死ぬために、生き延びたのだ。
だが、
「ハンニバル将軍を指揮官に任じたのは私です。陛下、裁くのなら私を」
エキドナ大将軍がそれを許さない。
いつもなら彼女の進言を二つ返事で了承する陛下
だが寵愛する彼女を裁けるはずもなく、ただただ困惑するばかり。
互いが自分こそ裁かれるべきと譲らない。
その均衡を崩したのは一人の男の言葉だった。
「責任の所在をはっきりさせることも重要ですが、今は危急の時。まずは我が国が一丸となり、リク・ルゥルゥに立ち向かおうではございませんか」
閣議の間に響く声の主
官僚政界最大派閥の首魁
カルタゴ州州知事、ドルバル
かつてエキドナ大将軍によって連邦中央から追放された男
「なぜ貴様がここにいる…!」
怒気を露わにする大将軍などどこ吹く風
ドルバルは実に涼しい顔をしている。
「大将軍、今議論すべきはそこではございますまい?」
「詭弁を…」
「この国難に、一致団結して立ち向かう!この私の意見に反対の方はいらっしゃいますか!?」
誰も返事をしない。
言葉を遮られた大将軍すら何も言えなかった。
「反対の方はいらっしゃらないようですね。では陛下、僭越ながらこのドルバルの愚見をお聞きください」
ドルバルの意見は単純だった。
今まで連邦の政治は軍に偏りすぎていた。
その結果、先王陛下の時代まで存在していた軍と官の均衡が崩れ、国力が弱体化していた。
再び軍と官の均衡を取り戻すことで、ルゥルゥに対抗できる。
要は官僚閥、つまりは自身の捲土重来だ。
国家を一つにするなどという美辞麗句で実に白々しい。
だがドルバルの言葉はそこで終わらなかった。
「私にひと月いただきたく。その間で証明してご覧に入れましょう。我がカルタゴ州がダラスの戦いの勢いをかって襲い来るルゥルゥ軍を止めることをお約束いたします」
先の決戦で大勝し、勢いづいたルゥルゥ軍
連邦領になだれ込むやつらを止める?
本気で言っているのか?
誰もがそう思う中、ドルバルは不敵な笑みを浮かべたままだった。
そして陛下は首を縦にふられる。
聖断は下った。
誰も、ドルバルを止めることはできなくなった。
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「素晴らしいわ、ドルバル!!」
これほど嬉々とした陛下の声はどれほどぶりだろう。
それも当然。
ドルバルは約束を果たしたのだ。
国境を守る西方と南方の方面軍
そしてダラスの戦いで散り散りになった中央軍と東方方面軍
これら連邦正規軍の力を一切使わず、民兵の力のみでルゥルゥ軍を押しとどめることに成功したのだ。
…民衆同士の対立を煽り、剣と槍で無理やり戦わせることで。
唾棄すべき行為。
だが結果だけを見れば比類なき大手柄。
ダラスの大敗後ということもあり、表面だけの情報で国全体が沸き上がっている。
中でも陛下の喜びはひとしおだった。
これでダラスの敗戦の責任問題も吹き飛んだ。
寵臣であるエキドナ大将軍が罪を問われることもなく、連邦の未来は明るい。
そうお考えになられたのだ。
ドルバルの思惑通りに。
陛下の信頼を勝ち得たドルバルによって、かつて追放された官界の大物が中央政界に舞い戻ってきた。
ドルバルの権勢は大将軍に匹敵、いや上回るまでとなる。
軍と官の均衡などとんでもない。
今までの復讐とばかりに徹底的なまでの軍の排除が開始された。
不利な戦線には積極的に軍が投入される。
すでに予見されていた敗北が確定しただけなのに、全ての責が軍に押し付けられる。
優秀な将軍たちが次々と失脚していく。
どうせ後方で罰せられるならと前線へと志願する者が激増した。
こうして優秀な将兵の命が、浪費されるように失われていった。
ドルバルの鬼畜のごとき戦略はとうの昔に限界を迎えていた。
あれはドルバルだから実現せしめたのであり、国全体で行うには無理がありすぎた。
各地で民心は離反し、各都市はルゥルゥへと喜んで門を開いている。
だが、大王陛下には正しい情報は一切届いていないのだろう。
今日もまた一人直言した者が処刑された。
陛下の周りにいる軍人はもはやエキドナ大将軍のみ。
だがもはや発言権は封じられ、身辺警護同然の扱い。
そして儂は、お目見えする資格さえ失っていた。
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「ハミル」
「な、なんでしょうか将軍!?」
もはや将軍でもなんでもないただの老いぼれ。
にもかかわらずハミルはいまだ身の回りの世話をしてくれる。
「一つお願いがあるのだが、頼まれてくれるかね?」
「もちろんです!」
願いとは手紙を出すこと。
南方国境沿いの街に住む妻と娘への手紙。
なけなしの金と共に、ハミルへとそって手渡す。
「では、頼んだよ」
「はい!行ってまいります!」
ハミルの背中を見送ったのと入れ違いに、大勢の人々が集まってきた。
「将軍、では」
「うむ。参ろうか」
ハミルに伝えたことは嘘ではない。
あれは家族への手紙と金。
だが、ハミルへの手紙も入っていた。
もはや儂の事など忘れ、自分の人生を歩んでほしいということが書かれてある。
その支度金として、わずかばかりではあるが包んである。
どうか幸せになって欲しいと、思いを込めて。
死ぬのは、老兵だけで十分だ。
すでに形勢は決した。
連邦内において軍はもはや飼い殺しに等しい。
騎士の誇りは失われ、弓矢のごとく浪費される存在へと堕ちた。
ルゥルゥとの戦も今から逆転など不可能だ。
軍は戦えず民心は離れ、いまだ崩壊してないのが奇跡だろう。
ヒュドラ連邦の歴史の幕が閉じるのは目と鼻の先だ。
だが、それを認められるかどうかは話が別だ。
この人生を捧げた祖国が滅びるのを、易々と受け入れることなどできはしない。
受け入れるぐらいなら、死んだ方がマシだ。
同じ志の者たちへと秘密裏に声をかけた。
どれだけ集まるかと疑問だったが、存外大勢が集まってきた。
声をかけた全員が、集まってくれたのだ。
「将軍、壮観ですな」
「こんなに集まってくれるとは、予想外であったよ」
「老人ばかりですがね!」
「熟しきった老兵の恐ろしさ、ルゥルゥ軍に見せつけてやろうではないか」
「ええ!楽しみですな!!」
これから死ぬために旅立つ同志たち
にもかかわらず、誰も彼もが笑っていた。
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ルゥルゥの補給路を襲っていく。
すでに連邦領の併合を開始しているルゥルゥにとって本国との補給路を寸断されてもそこまで痛くはない。
だが、こうも回数を重ねられると無視はできない。
それに何より
「ハンニバルだー!!」
「ハンニバルが出たぞー!!」
この老いぼれの名が役に立ってくれる。
ルゥルゥ軍の兵士どもへの刷り込みは完了した。
やつらにとって補給路を襲う連邦軍はすなわちハンニバル隊。
生き残りの兵たちがちゃんと噂を広めてくれたらしい。
わざわざ殲滅せずにいたかいがあったというものだ。
戦闘らしい戦闘もなく戦いは瞬く間に終わった。
ルゥルゥ軍は逃げ去り、焼け落ちた陣地だけが残っている。
我らの快勝だ。
現在ルゥルゥ軍にこうも連戦連勝できてるのは我らぐらいではないだろうか。
思わず苦笑する。
勝たねばならないときに負け、このような小さな戦いでしか勝てないとは。
連邦軍の支柱が聞いて呆れるな。
「将軍、勝ったというのに残念そうですね?」
「局地戦でも勝っても、な」
「確かに。ですが、我らの狙いはまもなく成就するでしょう?」
「うむ」
皆の顔を見渡す。
最初のころより数は減り、見なくなった顔も幾人もいる。
だがその表情から闘志はいささかたりとも抜け落ちてはいない。
「皆、今までよく働いてくれた。ありがとう」
心からの礼。
皆の顔に笑顔が浮かび、軽口も飛び出す。
本当にいい部隊だ。
彼らと共に戦えたことを誇りに思う。
だからこそ
「ここで、この隊を解散する」
皆まで道連れにするつもりはなかった。
突然の宣言に場が混乱する。
先ほどまでとは一変し、皆つかみかかってくる勢いで迫ってきた。
「もしや自分だけ死ぬおつもりで!?」
「我らを置いて行かれるおつもりか!?」
「死ぬときは一緒だと誓ったはず!」
「死に場所は自分で決めさせていただきたい!!」
だがこちらとて折れるわけにはいかない。
たとえリク・ルゥルゥを討とうとも、連邦の命脈が尽きる未来は変わらないだろう。
そして次は魔族との決戦が待っている。
連邦の未来のために戦うことはもうできない
だが人類の未来のために戦ってほしい
そう言って、頭を下げて頼み込んだ。
皆受け入れてくれはしなかった。
だが、理解はしてくれた。
そして、儂の想いを尊重してくれたのだ。
「ありがとう」
それが、彼らと最期に交わした言葉だった。
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瓦礫の中に身を潜めることしばし。
ついに、リク・ルゥルゥがやってきた。
やつならば来ると、確信していた。
前線で身を晒し、進んで兵士たちと交わるその豪胆さ
これこそ英雄王と呼ばれる所以か
この豪胆さの一部でも大王陛下が持っていればと考え、頭を振って打ち消す。
今さら考えても詮無いことだ。
我らの忠心が届かなかった、届けることができなかった。
我らが不徳の至り、それだけだ。
そんなことを考えている間にずいぶんと近くに寄ってきた。
どう見てもただの男だが、この外見に騙された者がどれほどいるのだろう。
恐れ入る。
儂は決して貴様を侮らぬ。
ゆえに、この決死の間合いで決めさせてもらおう。
剣を抜きながら瓦礫から飛び出す。
周囲にいた兵士数名を袈裟斬りにした。
血しぶきは派手だが、殺しはせぬ。
せいぜい手当されて自軍の足を引っ張ってもらおうか。
さすが王を守る精兵達。
何が起こったかは理解できていない。
にもかかわらず体は反応し、剣を抜こうとしている。
だが次の瞬間にはその手は斬り落とされる。
反撃など、許しはしない。
反撃されるほど、落ちぶれてはいない。
一軍を相手にできるような力は持っていない。
だが、かつて”対人最強”と呼ばれたこの身。
一対一であれば大将軍にもまだ負けはせぬ。
この首落としたければ、ジェンガ・ジェンガでも連れてくることだ。
やつがいない今、この場で儂を阻める者などいはしない。
それなりの手練れもいるようだが、問題ではない。
身をもって主を守ろうとする心意気や良し。
誠意をもってお相手しよう。
誠心誠意をもって、討ち取ろう。
「英雄王、お命頂戴」
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英雄王の視線
目にもとまらぬと言われた我が動きを追い続けている。
すべて見切っているのではとすら思わせる。
戦闘開始から一歩も動かないのも作戦か。
その奥深さ、計り知れない。
だが、もはや我が剣の間合いの内。
この剣が届くのならば 魔王すら斬り捨てて見せよう
そして放った渾身の一撃
それを止めたのは剣でも魔法でもなく
たった一言の言葉だった
「俺たちの、仲間にならないか?」
いったい何が起きたのか理解できなかった。
目の前の男が何を言ったのか、意味はわかるが頭が追い付かない。
そして自分がなぜ手を止めたのかも、わからなかった。
もしや罠か
背中から兵士どもが襲ってくるのか
だがその考えも英雄王自身の言葉で否定される。
「総員、戦闘停止!!」
こちらが動きを止めたから自分達も止めると。
とても首に剣を突き付けられた男の言葉とは思えなかった。
漆黒の瞳はまるで深淵のごとし
見つめるだけで吸い込まれていくように感じてしまった。
外見で騙されるなどとんでもない。
目の前の男は、疑うことなく希代の英雄。
見抜けなかった己が、未熟だったのだ。
恐怖に支配されそうな心を必死に奮い立たせる。
立場上、こっちが圧倒的に有利なのだと自分に言い聞かせる。
圧倒的に不利な目の前の男が自分を勧誘することに怒りすら覚え、返答する。
だがその怒りは、万倍にもなって返ってきた。
「敵を見誤ってんじゃねえ!!」
面と向かって叱られたことなど、何年ぶりだろう。
いや、何十年ぶりかもしれない。
幼いころは、いろんな人に叱られた。
怒られながら勉強し、たくさんの知恵や力を身に着けてきた。
だが、失敗をしたら問答無用で殺されるような主に仕えた。
気づいたら、誰にも叱られないような立場になってしまっていた。
間違ったことをしても逆に気を使われるような地位についてしまったのだ。
気を使って使われて、上辺だけの関係をずっと続けてきた。
そうやって、命を長らえてきた。
そして死を覚悟したこの戦いで
必ず討ち取ると誓った相手に
心から心配され
面と向かって叱られてしまった。
涙は出ていない。
だが、自分がまるで子供のように泣いていることを自覚した。
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剣を鞘へと納める。
もはや彼の王は剣などに目もくれず、こちらを見つめてくる。
その瞳に促されるかのごとく、英雄王の前に跪く。
数多の戦場をともに駆け抜け、魂と同義である剣を差し出した。
「我が剣、英雄王陛下に捧げます」
英雄王の手によって剣の腹が首に当てられる。
まるで雷を受けたような衝撃だった。
今この瞬間、自分は一度死んで生まれ変わった。
何の根拠もなく、そう確信した。
「今ここに、かつて連邦大将軍であったハンニバル・トニトルスは死んだ」
自分の考えが主と相違なかったことに安堵する。
いや正しく言おう。
心から、歓喜した。
「もはや何者でもないハンニバル 一人の男として問いたい。俺と共に、大魔王と戦ってくれるか?」
答えは決まっている。
震える手で剣を受け取り、緊張して乾ききった口から何とか声を絞り出す。
「この命尽きるまで、貴方様の剣となることを誓いましょう」
そして沸き上がる大歓声
連邦軍の支柱と呼ばれた男は死に、一人の老人が英雄王へと下った。
かつての仲間を、祖国を裏切ることになろうと、悔いはない
全人類のために戦えるという未来に、心が打ち震える
これが、英雄王
これが、リク・ルゥルゥ
解放王を超えるのは、彼しかいない
ハンニバル視点の話でした。
幕間ではなく本編というのも考えたのですが、結局連邦の裏話的な話になるからハンニバル視点で書いてみました。
色々たいへんなことになってますが、皆さん健康第一で過ごしてください。
トイレットペーパーとかがなくなるのは、本当に勘弁してほしいですね。。。




