幕間 ハンニバル視点(81話)
慢心
傲り、驕傲、自惚れ、高慢、思い上がり、驕り高ぶり
そんなもの、己から一番縁遠いものだった。
それで自滅していった多くの者たちを見てきた。
凡人であることを自覚するゆえ、将軍などと祭り上げられても決して驕ることはなかった。
自らの力量をわきまえ、敵を侮らず、慎重に慎重に重ねてきた。
ゆえに勝てた。
勝ち続けることができた。
なのに…!!
「り、竜騎兵、壊滅しました!!」
虎の子の竜騎兵
確かに彼らは連邦軍最強だ。
だが、なぜ敵がそれ以上だと考えなかった?
「タキダ騎士団、そのまま本軍に突撃して来ます!」
東方が平和だったから?
中央が血みどろの激戦だったから?
そんなもの、なんの理由にもなりはしないのに!!
「と、止められません!」
やつらはこの数百年、遊んでいたわけではなかった。
いつか来るべき決戦のため
いつ来るかも知れない敵のため
ただひたすらに牙をといでいたのだ。
「防衛陣、全て突破されました!」
その決戦が今。
その敵が我ら。
数百年の悲願は今日結実した。
「逃亡兵が続出しています!
戦線を維持できません!」
これが、リク・ルゥルゥ
百戦百勝の智将、その真髄。
「ふぅーーーー」
大きく息を吐く。
もはや勝敗は決まった。
ならばすることは一つ。
「全軍に告げる」
決して大きくはない声。
だが聞きもらす者は誰もおらず、さっきまでの喧騒が嘘のように本陣は静まり返る。
「総員、西へ」
この言葉で誰もが察した。
そして責める者も抗言する者もいない。
誰もが理解していたこと
だが口には出来なかったこと
それを言えるのは、自分しかいない。
「この戦、儂らの負けじゃ」
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「負け戦とは、つらいものじゃな」
誰にも聞こえないよう独りごちる。
戦場に立つこと五十余年
幾百、幾千の戦を全て勝利してきた。
最初の敗北がこの天下分け目の決戦とは、失笑するしかない。
西側に築いた強固な防衛陣地。
これが逃げるときは邪魔にしかならない。
戦場という混乱の中で撤退命令を隅々まで行き届かせ、実行させる。
しかもこの膨大な兵全てに。
気が遠くなるようだ。
だがやらなければならない。
それが己の努め。
常勝将軍と煽てられ、盛大に高転びした無能が唯一できること。
は一人でも多くの兵を逃し、次の戦いに一人でも多くの兵士を参加させるのだ。
そう、次の戦い。
確かにこの戦いで我らは敗北した。
だがこれが連邦そのものの敗北につながるわけではない。
連邦は、我が偉大なる祖国は健在だ。
なればこそ、次の戦いに備えねばならない。
ルゥルゥ軍、いやリク・ルゥルゥの恐ろしさを肌身で学んだ兵士を一人でも多く生き延びさせる。
連邦軍全てに周知させる。
そして、次こそは勝利する。
そのための布石。
これは敗戦処理であると同時に次の戦の準備であるのだ。
自己嫌悪に押し潰されそうになる気持ちを何とか奮い立たせ、全軍へ檄を飛ばす。
西へ走れ
一人でも多く生き延びよ
この戦いの真実を伝えるのだ
リク・ルゥルゥの強大さ、余すとこなく持ち帰るのだ
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檄により折れた兵士たちの心を少しは支えることができた。
これで何とか逃げる気力が湧いてくる。
生き延びようと思えてくる。
そこに撤退作戦を伝え、実行させた。
もはや考えるのも億劫な兵達が動けるよう、事細かに書いた作戦書。
この二つが揃って、ようやく撤退が始まった。
「さて、あとは殿軍か…」
敵も馬鹿ではない。
いや、むしろこの敵は上等にすぎる。
こちらの意図など全て把握し、それを上回ってくる。
そんな恐るべき敵から逃げるには、常道な作戦では到底不可能。
ならば…
「将軍、馬の準備ができました」
ハミルの声で思考が中断した。
馬の準備をしてくれるとはありがたいと思ったが、どうもこちらの意図とは真逆のようだ。
「早くお逃げください
将軍がいなくては、せっかくの撤退も無意味となります」
このような大敗の原因たる老いぼれを未だに評価してくれているらしい。
なんと優しい子なのだろうか。
大将軍といいハミルといい、人生の最後に良き若者に出会えた。
嬉しさと同時に申し訳なさでいっぱいになる。
そんな優しさを受ける資格など、ないのだから。
「ハミル、それは無用じゃよ」
「将軍…?」
訳がわからないという顔。
そんなことを言われるとは思ってもいなかった顔。
優しい子だ。
だが、軍人としては優しすぎか。
「決死隊を志願させよ
儂が陣頭に立ち、打って出る」
「なっ!?」
いかに殿軍をしようと、ルゥルゥの大軍を押し止められるわけもなし。
ならば突撃し、敵の喉笛に噛み付くまで。
しかし敵はあのリク・ルゥルゥだ。
決死隊と早々に見切って、相手にはすまい。
迂回して我軍本体を狙われては意味がない。
そこでようやくこの爺が役に立つ。
腐ってもヒュドラ連邦東方侵攻軍総司令
元大将軍にして全大王の右腕と呼ばれた男
ハンニバル・トニトルス
この首をとれば第一級の手柄となること疑いようなし。
どれほど無視しろと命令されても、雑兵共は殺到するだろう。
これでやつらの戦線をかき乱される。
いつかこの耄碌した首が奪われようと、そこからもう一計。
この首を取り合っての仲間割れ。同士討ち。
敵将を討ち取った英雄が味方殺しとは、何たる皮肉か。
さぞや混乱し、こちらの撤退を手助けしてくれるだろう。
敗戦の将は死に、味方は逃げられ、敵は混乱する。
これぞ一石三鳥よ。
なのに、ハミルは納得がいかないという。
「将軍、殿軍ならば私がやります!
どうか、どうかお逃げください!!」
何度説明しようと首を横に振り、ついには掴みかからん勢いで迫ってきた。
しかも自分が代わりに死ぬという。
冗談ではない。
なぜこの老いぼれのために未来ある若者の命を奪わねばならんのか。
「ただの一戦の敗北がなんだというのですか!」
「その一戦が、天下分け目の決戦じゃ」
「戦いはこれで終わりではございません!」
「そう。ゆえに誰かが責任をとらねばならぬ」
「ですが…」
「その責任は、将である儂にしかとれぬ」
「…!」
何か言いたい。
だが反論されるから何も言えない。
そんな姿をこれ以上見るのは忍びない。
決死隊の志願がもう終わっていることは周りの表情からわかっている。
さて、行くとしようか。
「その理屈で言えば、責任はあなたを任命した私にあります」
突然響いた凛とした声。
「陛下の御前にて沙汰を仰ぎましょう
そのためにも、あなたは生きて帰らねばなりません」
「エキドナ…
いや、エキドナ大将軍…」
思わず呼び直すハミル。
かつて机を並べた相手。
当時は呼び捨てしあった相手だが、今は立場が違う。
「久しぶり、ハミル
そしてあなたも死ぬ必要はない」
「え…?」
「殿軍は私が一人でやる
あなた達は全員逃げなさい」
ヒュドラ連邦大将軍、エキドナ・カーン
連邦最強の戦士が、そこにいた。
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「此度の敗戦の席、大将軍がお受けになるのはさすがに論理が飛躍しすぎかと」
「では貴方が負うというのですか?将軍」
「如何にもにございます。全責任は儂にありますゆえ、儂一人で負いまする」
「それではなおのこと貴方は生き延びてもらわなくてはいけませんね」
「は…?」
「あなたがここで死んでは陛下の御前で、陛下のお怒りを受ける者がいなくなります。それこそハミルが受けることになるやもしれません」
「それは…」
「それは貴方も本意ではないでしょう?だから、貴方は生き延びねばならないのです」
「はっ…!」
言われてみればそのとおりだ。
どうやらずいぶんと頭に血が登っていたらしい。
こんなことを教わるまで気づかないとは…。
もはやただの耄碌爺ではないか。
「では大将軍、儂は撤退の指揮を」
「任せます
では私は出陣しますので、本国で会いましょう」
そう言って颯爽と去っていく。
これから数万の敵と対峙するというのに、そんな素振りは一切見せず。
そして間もなく聞こえてくるのは阿鼻叫喚。
勝ち戦と侮っていた敵が地獄に叩き落された声。
これがエキドナ・カーン。
軍を率いては数多の国々を滅ぼす名将。
そして単騎で一軍を殲滅せしめる最強の戦士。
確かに儂は今日負けた。
連邦軍は敗北した。
だが、連邦はまだ負けていない。
我らが大将軍は負けはしない。
「大将軍がつくった時間、一瞬たりとも無駄にはできん!」
リク・ルゥルゥよ
「全軍、撤退じゃ!」
戦いは、これからよ…。
ネットにつながるという幸せを噛み締めております。
今回はハンニバル視点でダラスの戦い後半でした。
作戦指揮も抜群ですが、戦ってもかなり強いハンニバルです。




