幕間 ボード視点(71~77話)
涙が止まらなかった。
数百年にもわたる西と南の対立
過去から現在、そして未来へと
永遠に続くかと思われた怨讐の連鎖
その全てを一身に受け止めるその姿
血みどろになりながら立ち上がるその勇姿
前へと、明日へと、突き進むその背中を見て
ただただ、涙が止まらなかった。
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あれから三日が経った。
お館様は未だ臥せられたまま。
宮殿内では不安な雰囲気が日毎に増している。
お見舞いに伺いたいが、状況がそれを許さない。
連邦が大混乱に陥ったまたとない好機。
一秒たりとも無駄にすることはできない。
東西南の同盟は成った。
だがそれはいまだ器だけ。
中身を込めねばなければ意味はない。
無論、その器を作り上げただけでも史上初の快挙だ。
お館様でしかなし得なかった偉業である。
しかしそのお館様は今この場におられない。
お館様の頭の中だけに存在した、東西南の構想は知る由もない。
ゆえに、私がやらねばならぬのだ。
東西南の同盟という器に中身を入れるという大業を。
お館様のお考えを想像するなどおこがましいにも程があるが…
ここでそれを放棄してはこの偉業そのものが無に帰してしまう。
だから私は必死で働いた。
文字通り寝る間も惜しんで動き続けた。
そして改めて気付かされた。
己の無力さに。
お館様の偉大さに。
幾度も幾度も迷いが生まれた。
悩んで悩んで、それでも答えが出せないことがあった。
こんなとき、普段ならお館様に相談することができた。
お館様はいつだろうと、私に道を示してくださった。
一歩を踏み出せないとき、背中を押してくださった。
「ボード、お前の信じる道を行くんだ」
心に迷いがあるとき、それを断ち切ってくださった。
「ボード、お前がしたいようにすればいいんだよ」
有象無象の妨害があったとき、自らが盾となって守ってくださった。
「ボード、反対意見は全て俺に言わせるように
お前は気にせずがんばってくれ」
どんなときでも、最後は私を信じてくださった。
「ボード、全て任せた」
己がどれほどお館様に救われていたのか、嫌というほど実感する。
何がお館様の片腕か。
支えていたのではなく支えられていたのだ。
だからこそ、ここで奮い立たねばならぬ。
お館様のご不在の今、ここを乗り切ることこそ我が使命。
ほぼ不眠不休で過ごしてきたが、倒れてなどなるものか。
気力を振り絞って机にかじりつく。
机の上に積まれた書類の束。
廊下に列をなす来客。
決断すべきこと、指示すべきとは山とある。
気を抜く暇など一瞬たりとも存在しない。
次の来客が入ってきた。
だが予定とは全く違ったその人物。
そこに立っているのは絶世の美女。
アルカ様
カルサ様の実姉。
それはつまりお館様の家族にも等しい存在。
そのようなお立場にも関わらず民に寄り添い、世界最高峰とも言われる治癒魔法のお力を惜しげもなく振るわれるお優しいお方。
外見も相まって女神のごとく慕われている。
いったい何事か。
お館様につきっきりで看病されているはずでは。
するともしや…
「リクさんが目を覚まされました」
体に稲妻が走る。
取るものも取りあえず部屋を飛び出す。
形振り構わず廊下を走る姿に皆が振り向くがかまうものか。
お館様が目覚められたのだ。
これ以上に優先すべきことなどありはしない!
「ボード、賊である」
いつの間にかミサゴ様が並走していた。
曰く、賊が宮殿内に侵入した。
曰く、その賊は城門も城壁も易易とすり抜けた。
曰く、近衛による十重二十重の警備も全て掻い潜った。
曰く、お館様の部屋へ一直線に向かっている。
曰く、死傷者は0。
事実だとすればとてつもない賊だ。
連邦が放った暗殺者
大魔王配下の魔王
聖王国の聖騎士
様々な可能性が頭をよぎるが、おそらくどれも違うだろう。
お館様の部屋を正確に知る者などこの世で十もいない。
その中でこんなことができる男は…。
「ジェンガ、ただいま戻りました!!!」
賊の自己紹介が聞こえてきた。
ミサゴ様も予想通りだったのだろう、苦笑いを浮かべている。
「あの、馬鹿…!!」
言いたいことは山程あった。
こいつの不在の間どれだけ苦労したか、文句を言ってやりたかった。
だがジェンガが報告を始めると
何も言うことなどできなくなってしまった。
その内容は、まるで英雄譚だった。
一人の男が万の軍勢を撃退した物語。
不可能を可能にした奇跡の物語。
そのお伽噺のような話を、皆一言も発さず聞いていた。
「ジェンガ、お前…」
二の句が継げない。
あまりに驚きすぎて何を言えばいいのかわからない。
だがそれより驚いたのは、お館様の言葉だった。
「ジェンガ、俺は驚かないよ
だって俺は、お前にとって一万倍程度の敵なんてなんともないって、信じてたから」
主従を超えた何かが、そこにはあった。
全幅の信頼。
そしてそれに応えられる実力。
この二人の関係を、二人の間にある何かを。
羨望の眼差しで見つめることしか私にはできなかった。
その後の報告は淡々と進んだ。
全てはお館様の意図通りであり、問題などあるはずはなかった。
私の対応にも問題はなかったと、少しだけ、安心した。
「全て任せる、と言いたいところだが…」
来るべき連邦との決戦。
その号令を私に任せていただこうというそのお考え事態が、天にも昇るように嬉しかった。
だが
「皆、お館様の御下知を待っております」
それは私の仕事ではない。
それができるのはこの世でただ一人。
「皆を大広間に集めてくれ
俺もすぐ向かう」
「ははっ!」
お館様、お一人のみ。
各国の首脳陣を大広間へ集合させるよう手配する。
丁重に、それでいて緊急に。
それらが完了して一息ついて目を瞑る。
次に開けると、眼の前にはパトリがいた。
手には毛布を持っている。
「もしかして、私は寝ていましたか?」
「は、はい。お声がけしても全く気づかれなくて…」
「それで、毛布を?」
「お風邪でもひいたらと思ったのですが…
間に合わず、申し訳ありません」
バツが悪そうな顔をしている。
何も悪くないのに、逆に申し訳ない。
謝ったら謝ったでさらに恐縮させそうなので黙っていよう。
それにしても、さっきまではあれほど気を張っていたというのに…
「宮殿内の雰囲気は、どうですか?」
パトリの表情が一瞬で変わる。
その顔で全ては察せた。
「劇的です!
もう不安そうな顔をしている者はおりません!
先を争うように皆大広間に集まっております!」
「それは良かった」
そうだろうとも。
お館様が目覚められたのだから。
自分の手のひらを見つめる。
寝れたと言っても一瞬だけ。
だが不思議と力が湧いてくる。
全身に活力がみなぎっている。
なぜか?
もちろんそんなことはわかりきっている。
「ではパトリ、私達も向かいましょう
大広間へ、いえ…」
理由は、ただ一つ。
「お館様の元へ」
「はい!」
大広間は人で溢れかえっていた。
ここにこれほどの人が集まったのは史上初
もしくは建国以来ではなかろうか。
一人の一人の会話の声は小さくても、これだけの数が合わさればうるさいほどだ。
そして聞こえてくるのは全てお館様の噂話。
皆今か今かとお館様の登場を待っている。
だが、なかなかお館様はお姿を現されない。
ざわめきは次第に疑問へと変わっていく。
そして一人、また一人と気づき出す。
主を待つにふさわしい態度というものを。
大広間から人の声が消えた。
全員が直立不動の体勢をとる。
それこそ、下僕が主を迎える態度。
ここにいるのは誰もが母国を代表する人々。
民から崇められてきた者たちばかり。
だが、今は違う。
ここでは彼らが崇める立場なのだ。
己の主を。
我らが盟主を。
迎える者たちの準備が整ったと同時
お館様が大広間へ足を踏み入れられた。
万雷の拍手で出迎える。
それを一顧だにせず玉座を向かい、一瞬だけ手を置かれた。
人類の救世主、解放王。
その解放王が座っていた玉座。
いまや英雄王とまで呼ばれるあの御方は、この玉座を見て何を思われているのだろうか。
我ら凡百には知る由もない。
しかしその並々ならぬ気配を察し、拍手が止んだ。
緊張で広間全体が張り詰める。
この場で唯一自由なのはお館様のみ。
我らに目を向け、皆を睥睨する。
そして一瞬だけ間を置き
「待たせたな、諸君」
お館様の、お出ましだ。
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お館様による反撃開始宣言。
まさに国家総動員で準備が始まった。
時間にしてほんのわずかのあの時間で、知らしめた。
何の事前打ち合わせもなかったはずなのに、見せつけた。
生ける伝説である魔法王。
己がそれすらも上回る存在であることを。
あれを見て、あれを聞いて、驚かない人間はこの大陸にはいはしまい。
お館様の伝説を眉唾として思っていた者たちも、今は誰もが己の浅はかさを恥じて一心不乱に動いている。
お館様のやることなすこと、どれもこれも規格外だ。
もはや感嘆するしかない。
おかげで私の仕事もずいぶんとやりやすくなった。
今は東西南の頭脳を集め、来るべき決戦の戦略を練っている。
ついさっきまでは東以外の人々を動かすのはずいぶん苦労した。
だが今はそれが嘘だったかのように順調だ。
むしろ各国が自国が誇る俊才を送りつけるため、選別に苦労をしている。
それもこれも皆お館様のおかげ。
皆の心を一つにし、皆に道を示してくださった。
あれこそ指導者の理想の姿。
尊崇の念しか出てこない。
話し合いは順調で、作戦の概要は完成した。
あとは細かい内容をつめていくだけ。
するとそのとき、ゆっくりと扉が開いた。
また新しい推薦者かと思って見ると、なんとそこには
「リク様!」
「お館様!?」
お館様が立っていらっしゃった。
ジェンガと私以外の全員が最敬礼で出迎える。
ここまで至近距離でお会いするのは初めてという者ばかり。
皆緊張で震え上がっている。
「リク様、ご心配ありがとうございます!
最新状況をご説明させていただきますね!!」
何か話さねば
いやそもそもどちらに向けて
そんなことを考えている間にジェンガが説明を始めてしまった。
「この馬鹿!」と止める間もなかった。
慌てて私もその輪に加わる。
そして気づいた。
皆の緊張が少し解けていることに。
作戦の説明ということでそちらに注意が向いているらしい。
なるほど。
将はときに怯えた兵士たちを奮い立たせることも必要となる。
さすが、我が国の元帥だ。
「東西南が三方からこのように攻め入ります
本陣はここで、戦場全体を俯瞰可能です」
「各軍の連携は、それぞれの伝令兵に任せます
判別可能なように共通の鎧を検討しております」
説明の間、お館様はまるで心ここにあらずといった感じであった。
当然だろう。
我らの作戦などお館様の頭脳に有る数多ある作戦の一つにすぎない。
より優れた作戦、より効率的な作戦案を五万とお持ちなのだ。
「以上が、本作戦の概要となります!
なにかご意見等、お願いいたします!!」
説明が終わり、少しの間。
今お館様の頭の中ではこの作戦をとった場合起こりうるあらゆる可能性を想定されている。
その結果、我らの作戦が及第点か否か。
判決が下される。
「よくできた作戦じゃないか」
作戦室が安堵で満たされる。
思わずへたり込みそうになると同時に、心の中で拳を握り込んだ。
及第点はとれた。
しかし、まだだ。
お館様がこれだけで終わるはずがない。
現に私とジェンガの様子を少し伺っていた。
これで満足してはいまいかと観察されていた。
追加の一言を待つ。
一瞬のはずなのにまるで永遠のように長い。
「ただ、な」
きたっ!
「我らはあくまで連合軍
各国との連携にはよく注意するように」
連携。
その言葉を心に深く刻み込んだ。
そして続く激励の言葉。
皆感動したのだろう。
喉がはちきれんばかりの声で返事をしている。
「あとは任せた」
そう言い残し、風のように去っていくお館様。
その背中を見て思わず出てきた涙を拭い去る。
見られてはいないかと周りを確認するも、それどころではなかったようだ。
「あれが、英雄王陛下…」
「なんと言えばいいのか、存在感というか、覇気とでも言うべきか…」
「形容しがたいとはこのことだ
同じ人とは思えん」
「うむ。俺など思わず息ができんくなったわ」
「それでは貴様、死ぬところだったわけか?」
「冗談ではなく危ないとこだったぞ
連邦との戦の前に死んでは、死んでも死にきれん」
「全くだ!」
「「「わははははははは!!」」」
さっきまでの緊張感が嘘のようだ。
そしてさっきまではギクシャクしていた南と西の者たちが共に笑い合っている。
「さすが、お館様だ…」
あの一瞬で壁を取り去ってしまった。
まるで、魔法のように。
そして
「俺たちはどこかで見て見ぬふりをしていたのかもしれんな」
ジェンガが苦笑いしている。
何かについては考えるまでもない。
東西南の連携のことだ。
「ああ。伝令兵を各軍に任せるのは中止にしよう」
連携の要である伝令。
各国、各軍の誇りを守るためと考え自主性の尊重を考えていた。
だが、それで敗北しては本末転倒だ。
「伝令兵はお館様の直轄、近衛に一任させる
これでいいな?」
「もちろん。ミサゴ様へは私から伝えよう」
「助かる
ミサゴ様にはどうも頭が上がらず、お願いしづらくてな…」
「お前は昔から、本当にミサゴ様に弱いな」
幼いミサゴ様に振り回されていた姿が昨日のように思い出される。
思えばあれから全てが変わってしまった。
なのにまた再び集うことができた。
それも全て
「リク様のおかげって顔だな?」
ニヤニヤと笑いながら顔を覗き込まれていた。
思わず顔を触って確かめる。
「…顔に出ていたか?」
「お前が顔に出るようなたまか?
長い付き合いだ。なんとなくだよ」
「なるほど…」
やはり、頼りになる男だ。
お館様が信頼するに足る男だ。
決戦の日は近い。
負ければ滅亡という運命の日が。
だが、今の私には焦りも迷いも何もない。
むしろ希望と期待に胸が膨らんでいる。
それはもちろん、お館様がいるから。
お館様がいる。
それだけで何と安心することか。
何と心強いことだろうか。
いつか支えるため、いつか追いつくため
きっといつか、この手がその背中に届くことを信じて
私は今日も励む。
全ては、お館様のために。
先週は更新できず申し訳ありませんでした。
全く時間がとれず、私の力不足で書ききることができませんでした。
楽しみにしていただいた皆様、本当にすみません。
こんな状況でしたがブクマ数も減らず評価も減らず、待ち続けていただきありがとうございます。
今回は本編ではなく幕間でしたが、楽しんでいただければ幸いです。
久々のボード視点で、リクが心から頼りにしているボードから見たリクの姿でした。
 




