チートスレイヤー -交差-
この話は短編『チートスレイヤー』のシリーズになっています。
残酷な描写があります。
苦手な方は読まない事をお勧めします。
月明かりが照らす夜道を二人は走っていた。
一人は黒髪の少年。
軽装の革鎧を着た彼は、その右手に一振りの剣を持ち、左手には少女の手を握っていた。
引かれるままに走る少女。
彼女の髪は赤茶色で、その髪の合間からは猫のような耳が突き出ていた。
尻からは髪と同じ色の尻尾が生えている。
彼女はこの世界における、獣人と呼ばれる生き物だった。
二人は、キール国のカダ村という所から逃げてきた。
カダ村はある存在に支配されており、少年は少女の両親から乞われて彼女を村の外へ連れ出したのだ。
本来なら、その支配者を殺す事こそが少年の目的であった。
しかし、その支配者の力は少年の手に負える物ではなかった。
だから、少女一人を連れ出すだけで精一杯だったのだ。
少女の表情は長い距離を走り続けた苦しさと不安、そして恐怖をない混ぜにしたような物だった。
少年の方は頑なな無表情であるが、心なしか焦っているようにも見えた。
そんな折、少年は振り返る。
飛来する物があった。
それは背に羽根を生やした人型の獣……。
肌は黒く、目に瞳孔は無い。
頭髪はなく角が生え、嘴がある。
魔物の一種だろう。
そしてそれは恐らく、二人に対する追っ手だ。
「少し離れていろ」
「え?」
少年は少女から手を放すと剣を握り直し、飛来するそれに挑んだ。
飛来する魔物は、少年に敵意を見て取るとそちらに向かってくる。
「グアーーー!」
魔物が吠え、襲い掛かってくる。
それに対し、少年は握りこんだ何かに魔法で火を着け、投げつけた。
投げつけた物が、魔物の目前で爆発する。
魔物はバランスを崩し、少年の前に墜落した。
飛行する勢いのまま、地面を転がる。
少年の足元に転がった魔物の頭は爆発で半壊していた。
しかしそれでも魔物は絶命には到らず、低く唸って敵意を見せる。
「傷口が再生し始めている……。たいした生命力だな」
少年は呟くと、魔物の首に剣を突き入れた。
剣の一撃を受けると、魔物は断末魔の叫びを上げて動かなくなった。
少年の剣には、死の神デルギーネの加護がかけられている。
生物であるなら、どのような物でも死に至らしめるという加護だ。
これにつけられた傷は急速に生気を奪われ、癒しの神クルメルトを奉じる教会で回復の儀式を受けぬ限り治らない。
「なかなかやるじゃないか。そいつを殺すなんて」
不意に、嘲笑うような声が告げた。
声を聞くと、少年はすぐさま顔を上げた。
少女を背中へ庇いつつ、剣を構えた。
キッと向けた眼差しの先に、黒いローブ姿の男がふわりと降り立つ。
その姿を見ると、少女は竦み上がった。
「あ……あ……」
男は彼女にとって恐怖の象徴。
恐怖そのものであった。
その恐ろしい男の顔……。
生物なら当然存在するであろう物が、そこにはなかった。
あるのは白い頭蓋骨。
しゃれこうべが笑っていた。
表情を形作るための肉のない顔で、それは笑っていた。
それが、カダ村を恐怖で包む支配者の姿だった。
「その魔物のレベルは23……いや、22だったかな? まぁどちらにしても、この世界の人間に太刀打ちできるものではない。君は、召喚者だな」
召喚者。
それはこの世界に、日本という異世界より召喚された者の総称である。
召喚者は神の加護を受けてこの世界へ召喚されるため、常人とは違う強大な力を持っていた。
「逃げろ……」
少年は、少女に告げる。
「え?」
「ここは食い止める。だから、走れ。遠くへ逃げるんだ」
「でも……」
「いいから行け。死にたくないだろう?」
少女は少し逡巡し、「ごめんなさい」と謝って走り出した。
追っ手であるしゃれこうべに、彼女を追う素振りは無い。
少年はそれを不審に思った。
「彼女を追わない事が不思議かい? それは彼女よりもっといい獲物が目の前にいるからさ。私の手下は、さぞ良い経験値になった事だろう?」
経験値……。
その言葉は、彼が召喚者である事を裏付けていた。
いや、見た目からして転生者と言った方がいいかもしれない。
それも、一番厄介な神の加護を受けていると見て間違いない。
その加護を与えるのは偽神マンデルコア。
万物を欺く権能を持つ神。
そんなマンデルコアの与える加護は、世界を欺く能力。
チートである。
世界の理を欺く事で、実際の身体能力にパラメータ補正をかける加護だ。
パラメータは経験値を得てレベルアップする事で上昇し、レベルアップ時に取得できるポイントによって能力を補助するスキルを得る事ができる。
レベルアップを重ねるまではそれほど脅威ではないが、高レベルに育ったチート能力者は一国の軍隊ですら傷一つ付けられないほどの強さを有する。
目の前の転生者がどれだけレベルを蓄えているかはわからないが……。
配下の魔物を育てる余力がある事を思えば、高位レベルである事は間違いない。
少年の剣を握る手に力が入る。
たとえこの転生者が自分より強くとも、少年は逃げようと思わなかった。
ここで逃げれば、逃した少女に追いつかれるかもしれない。
この世界の人間が不幸になる事。
それだけは、許容できなかった。
果たして、デルギーネの加護は死者に通用するのか……。
デルギーネの加護を受ける転生者には効かないと聞くが、マンデルコアの加護を受ける転生者には効くのか……。
どちらであっても、退く事はないが。
しかし戦意を剥き出しにする少年に対して、支配者は言葉を続けた。
「知っているか? レベルアップできない者でも、何かの命を奪えばその身に経験値が蓄積されるんだ。そんな者をレベルアップ可能な者が殺せば、蓄積された経験値を得る事ができる」
喋り続ける支配者に、少年は爆弾を投げつける。
支配者に直撃した爆弾が爆発し、噴煙が残る。
身に纏わりつく噴煙を散らしながら、支配者がゆっくりと少年へ歩み寄った。
その姿は爆弾を当てられる前と寸分も違いがない。
ダメージがない事を確認すると、少年は顔を顰めた。
「君はどれだけ殺してきた? 君はとても強そうだ。その身には、多くの経験値が納められている事だろうね。私はもっと強くなりたいから、君の中にあるそれが欲しい」
支配者は微笑しながら少年へ近付いていく。
少年はそんな支配者に斬りかかった。
斬りつけたそれは、像を霧散させる。
幻影魔法による分身であった。
支配者は、少年の背後に姿を現す。
「ああ、やっぱりだ。不動くん。君の中には、とても大きな経験値の塊があるよ」
少年は自分の名を言い当てられ、彼が鑑定スキルを取得している事に気付いた。
距離を取り、魔法を使う。
白い霧を発生させる目晦ましの魔法だ。
辺りを白い霧が包む。
「君のような人間がもっと多く私の前に現れてくれるなら、レベルアップももっと簡単なのに……。ただね、そういった強い人間はそうそういないのだよ」
白い霧の中、喋り続ける支配者の胸元から剣の切っ先が突き出した。
少年が、背後から剣を突きこんだのである。
「そういう時、どうするのがレベルアップに一番効率的な方法だと思う?」
しかし、支配者は何事もないかのように喋り続けた。
よく見ると、剣を刺したはずの背中には黒い空間が開いていた。
異空間を開く魔法……いや、スキルかもしれない。
「正解は、経験値を養殖する事だよ」
支配者は続ける。
養殖という何の変哲もない言葉。
しかし少年は、その支配者が口にするその言葉に禍々しさを覚えた。
同時に、開かれた空間が閉じる。
空間によって分断された少年の剣は、閉じ切るのと同時にぽっきりと折れた。
「そもそもこの経験というのはね、感情が生み出すものなのさ。何かを体験して、何を感じたか……。感情の揺れ動きこそが、経験値を生むんだ。つまり、これがどういう事かわかるかい?」
言いながら、支配者は振り返る。
それと同時に、風の魔法で白い霧を散らした。
再び、夜の道を月明かりが照らす。
「ただの村人が相手でも、強い感情を与えて経験を積ませれば、それなりに多くの経験値を蓄えさせる事ができるという事なんだよ」
そのためか……。
そのために、カダ村を支配しているのか……。
この転生者は、牧畜を育てるようにして村人に経験値を蓄えさせ、それを屠殺しているという事だ。
「画期的だろ?」
楽しげに訊ねる支配者。
その言葉に、少年は強い怒りを覚えた。
腰のポーチから一つのアンプルを取り出す。
躊躇う事無く、針を首に刺した。
アンプルの中身は竜の血という、強い副作用を持つ増強剤だった。
「この方法で、私はもっと強くなる。この世界の誰よりも……」
「強くなってどうするつもりだ?」
感情を押し殺した低い声で、少年は訊ねた。
「やっと言葉に応じてくれたね。そんな事、決まっているじゃないか」
そこまで言うと、支配者は声色を変えた。
まるで別人のように荒々しく、激しい口調で答える。
「勝者になるためさ! 強くなって他の召喚者もぶっ殺して! 最強の存在になるんだ! 前の世界にいた時のような、惨めな敗者じゃなくな! そしていつか、あの世界へ行く術を見つけてやる! 俺を虐げてきたあの世界にこの手で復讐してやるんだ!」
少年は黙ってその言葉を受け止め、支配者を睨み付けた。
少年の目は、竜の血の効果で濃い赤に染まっていた。
「僕も同じだ。僕も、召喚者を殺すために強さを磨いたんだ。お前のような、この世界の人間を不幸にする召喚者を……!」
少年は、折れた剣を構える。
「それは奇遇だ。同郷の人間と話せた事は楽しかったよ。では、さようなら」
先ほどの激昂が嘘のように、穏やかな口調で支配者は告げた。
そして、少年はそんな支配者へ向けて、跳びかかった。
キール国の王都。
カダ村から逃げた少女、ルミルはそこにいた。
獣人の証である獣の耳と尻尾を隠すため、全身を覆う黒いローブ姿で通りを歩いていた。
このキールにおいて、獣人は嫌悪の対象だった。
獣人だと知られる事は避けたかったのだ。
カダ村から逃げた彼女は、自分の足が動く限りに走り続けた。
体力の限界を超えても、恐怖に追い立てられて彼女は倒れて動けなくなるまで走った。
意識を失って、目覚めた彼女は自分の身がまだ無事である事に気付いて安堵した。
自分は、あの支配者の手の届かない場所まで来る事ができたのだ。
逃亡の成功を確信した彼女は、そこで歩みを止めなかった。
歩み続ける彼女の脳裏に浮かぶのは……。
私を逃してくれた少年。
両親。
村のみんな。
彼らのためにも、一人逃げ出す事のできた私がなんとかしなくてはならない。
村を救ってくれる人間を探そう。
それが私の使命だ。
そう思った。
そうして彼女が向かった場所は、キールの王都である。
王都は人の集まる場所。
無論そこには、召喚者も集まる。
召喚者は超常の恐ろしい存在だ。
しかし、誰もがカダ村の支配者のような暴君では無いはずだ。
自分を逃そうとしてくれた彼もまた、召喚者だった。
今までカダ村の支配者以外に召喚者を知らなかった彼女ではあるが、あの少年の存在を知ったからこそ良い召喚者がいるかもしれないという希望を持てた。
そのわずかな希望に縋り、それまで村から出た事のなかった彼女は一ヶ月かけて王都へと辿り着いた。
彼女が最初に手がかりとしたのは、自分を逃してくれた少年の所属する組織だ。
どういう経緯でカダへ来たのかは知らないが、彼は暗殺ギルドの依頼で村の支配者を殺しに来たのだと言った。
なら、その暗殺ギルドを見つければあの少年のような、力になってくれる召喚者がいるかもしれない。
そう思って、王都を探し回った。
だが、彼女に暗殺ギルドを探し当てる事はできなかった。
居を構える場所はおろか、その名を聞いても誰も知らなかった。
王都に来れば暗殺ギルドは見つかると思ったが、ここにはそんなものないのかもしれない。
あの少年はもっと遠い場所から来たのかもしれない。
彼女は暗殺ギルドの捜索を諦め、直接頼りになりそうな人間を探す事にした。
しかし、それも彼女の正体が邪魔をする。
強そうな人間、その何人かに声をかけた。
話を聞いてくれそうな人はいたが、彼女が獣人である事を知るとそれまで向けてくれていた好意が嘘のように険悪なものに変わる。
その時に向けられる侮蔑の眼差しは、彼女の心を深く傷付けた。
あの不動という少年が示してくれた希望。
だが、その希望も尽きようとしていた。
誰も、獣人の村がどうなろうと気にかけない。
このまま、助けてくれる人間を見つける事なんてできない気がした。
それでも、諦めるわけにはいかない。
今でも、村では苦しみ続ける人々がいるのだから。
そして、彼女はついに初めて召喚者と巡り会えた。
彼らは、二人組の召喚者だった。
一人は身の丈を超える大剣を背に負う男。
もう一人は、左右の腰に短剣を佩いた男だった。
そこは、料理の屋台が並ぶ通りだった。
その道を歩いていると屋台の席に着いた二人の話し声が聞こえてきて、その口振りから二人が召喚者である事がわかったのだ。
ルミルはようやく見つけた召喚者に、一も二もなく飛びついた。
日本語で話しかける。
カダ村の住人は、支配者の意向によって幼い頃から日本語を覚えさせられるのだ。
「村を助けて欲しいだって?」
話を聞いた大剣の男が訊ね返した。
「はい。私達の村は、非道な召喚者に支配されています。その支配から、私達を助けてください。お願いします!」
自分の境遇を話し、助けを請う。
「ふぅん。どうする?」
大剣の男は相棒のもう一人へ訊ねる。
短剣の男は、その言葉を受けて少女を眺めた。
視線が、彼女の顔やローブでは隠しきれない胸の丸みをなぞる。
「いいと思うぜ」
その言葉に、ルミルは安堵する。
しかし、まだ伝えなければならない事がある。
それを思うと身が竦む。
「あのそれで、実は私……」
そこまで口にすると、少女は頭に被ったフードを外した。
「獣人か……。初めて見たな」
大剣の男が小さく驚いた。
少女は緊張する。
また、獣人である事を理由に断わられるのではないか、と。
「可愛らしいな」
「ファンタジーっぽい」
けれど、二人の反応は思っていたような物ではなかった。
獣人だからなんだ? という様子だった。
思ってもみない反応に、ルミルは戸惑いすら覚えた。
「いいぜ。お前の依頼、受けてやるよ」
「本当ですか!」
ルミルは喜びをあらわにする。
ようやく、希望をつかめた気がした。
「それで、お前はそれに見合うだけの何を差し出せる?」
「はい。村に帰れば、いくらか貯えがあります。足りなければ、食料もありますし――」
「いや、前払いがいいなぁ。あるかどうかわからない報酬で、動きたくない」
「え……」
彼らがどれだけの物を要求するかはわからないが。
どちらにしろ、今の彼女にはほとんど払える賃金がない。
でも、やっと掴んだ希望だ。
ここで手放すわけにはいかない。
どうすればいいのか……。
「持ち合わせがないって言うなら、別の物でもいいぜ」
「ほ、本当ですか?」
「ああ、お前の身体……いや、お前の人生でどうだ?」
召喚者の言葉に、ルミルは思考が止まる。
どういう意図でそう言ったのか、理解できなかった。
「それは……どういう……」
どうにか口を開き、その意味を訊ねる。
「俺達の奴隷になれって言ってるんだ」
その申し出に、ルミルは身体を強張らせた。
自分が奴隷になる事……。
それが、依頼を請ける条件……。
ルミルは、その申し出に恐ろしさを覚えた。
誰かに支配されて生きる事の恐ろしさを彼女はよく知っている。
ここで彼らの奴隷になってしまえば、自分はどうなるのだろう?
村のみんなを助けられても、自分だけは囚われたまま……。
自分だけは、何かに支配され続ける事となる。
それは辛い人生かもしれない。
でも、それでみんなを助けられるなら……。
そう思うと、決心がついた。
「わかりました。私を差し上げます。だから、村のみんなを助けてください」
ルミルは恐怖心を押し殺し、覚悟を決めて答えた。
彼女の悲壮な決意を聞くと、二人の召喚者は笑みを浮かべて顔を見合わせた。
「へへ、じゃあ早速……」
「ちょっと待てよ」
言いながら、近くの席に座っていた一人の人物が立ち上がった。
その人物は、がたいの良い長身の男性だった。
黒い髪と顔立ちを見るに、恐らく彼も召喚者だろう。
「人の弱みに付け込んで、えらい暴利をふっかけるじゃねぇか」
その男は言うと、二人の召喚者を睨みつけた。
「何だお前? 盗み聞きか?」
「こんな所で話してれば、盗み聞きも何もねぇだろうよ」
「何か文句があるのかよ?」
「ああ。気に入らねぇんだよ、お前ら」
二人の召喚者は席を立つ。
「あの……」
思いがけない展開に、所在なさげにしていたルミルが声を上げる。
「お前はそこでじっとしてな」
そんな彼女に、長身の男は言う。
ルミルは、その言葉に従う事にした。
「表に出ろよ」
「おう」
三人の召喚者は、揃って外に出た。
「お前が何の能力を持っているか知らないが、俺達には勝てないぜ」
言ってから、召喚者の一人が身の丈を超える大剣を軽々と片手で持ち、構えた。
常人にできる事ではない。
恐らく、召喚者としての能力による怪力だろう。
「ああ。これでも何人か、召喚者とも戦ってきているからな。その全員に勝ってきたんだ」
もう一人の召喚者も、二振りの短剣を両手に構える。
「自信があるんだな」
言うと、長身の召喚者は荷物を手放して地面に置いた。
右手を差し出し、くいくいと手招きする。
「いいぜ。その自信の元が俺に通用するか、試してみな」
「ふっ、後悔するなよ?」
短剣の召喚者が言い、能力を発動させた。
彼の姿がその場から消える。
彼の能力は『加速』である。
目にも留まらぬ速さとはよく言うが、まさしく彼はそれを体現した能力の持ち主だった。
動体視力などの感覚から身体能力まで、彼の全てが常人の域を離れた速さへと高められる。
そういう能力だ。
その速さは光速に近い。
そんな速さで迫られれば、常人であろうと召喚者であろうとその姿を捉える事はほぼ不可能である。
しかも、彼の手にする短剣は鍛冶の神エンデリアの加護を与えられた召喚者の作。
攻撃力パラメータの高い物である。
相手の知覚できぬ速度で近付き、通り抜け様に首を切りつける。
その単純な戦略だけで、彼はどんな相手でも殺す事ができた。
彼の能力を知らぬ相手は、何があったのかすらわからぬまま成す術もなく命を落としてきたのである。
少なくとも今までは……。
さぁ、終わりだ。
加速を使い、長身の男へ迫る短剣の召喚者。
手にある短剣が、長身の男の首へ伸びる。
が、短剣の刃が首の皮を撫でる前に、短剣の召喚者の顔面に拳がめり込んだ。
渾身の力で振りぬかれた右ストレートが、顔面にめり込んだ後も力を失わず伸びる。
顔の肉を潰しながら突き進むそれに、短剣の召喚者は意識を手放さざるを得なかった。
短剣の召喚者の顔が拳の威力で上を向き、足が地面から離れる。
その場で後頭部を叩きつけられるようにして、仰向けに倒れた。
「な、に……」
その光景を見ていた大剣の召喚者は、驚きを口にする。
何が起こったのか。
彼には不可解でならなかった。
彼の相方である短剣の召喚者は、自分の能力で加速し相手へ近付いた。
そのはずだ。
なのに、何故かそれを相手の目前で解除した。
彼の姿が消えたかと思えばすぐにその姿が相手の前に現れ、そして次の瞬間には殴り倒されていた。
どういう事だ?
何故、あいつは能力を途中で解いて近付いたんだ?
侮っていたのか?
いや、小心者のあいつがそんな事をするとは思えない。
どんな弱そうな相手でも、能力に頼る男だった。
なら何故?
これは、奴の能力なのか?
「まぁいい」
口にして、大剣の召喚者は剣を構えた。
彼はマンデルコアの加護者である。
チート能力を持っている。
彼は筋力増強スキルを取得する事によって、レベルアップ時に増える筋力関係のパラメータを底上げしていた。
デメリットとして、知力など魔法関係のパラメータに下方修正がかかってしまうが……。
スキルの効果で、低レベルながら攻撃と防御のパラメータはすでにカンスト近くまで上がっていた。
力だけならば、高レベルチート能力者であろうと渡り合えるだけのパラメータがあった。
身の丈を超えた大剣を軽々と扱えるのも、そのパラメータ補正があってこそだ。
「どちらにしろ、こいつにかかりゃ真っ二つだ」
大剣の召喚者はそう言って笑う。
しかし、長身の男は特に焦った様子もなく言葉を返す。
「お前にそれができるとは思えねぇなぁ」
「あん?」
そのやり取りがあった次の瞬間、大剣の召喚者の身体が傾いだ。
「あ、れ?」
彼の持つ腕が、大剣の重みに耐え切れなくなって地面に振り下ろされた。
地面に刃がめり込む。
「な、何だ? 急に重くなりやがった。くそっ!」
何とか持ち上げようと悪戦苦闘するが、彼が再び大剣を持ち上げる事はできなかった。
そして、その顔を拳が突き抜ける。
長身の男が放った拳に、悲鳴を上げる暇もなく意識を刈り取られた。
まさに、あっという間の出来事だった。
常人では勝つ事のできない存在である召喚者。
その二名があっさりと負けたのである。
召喚者同士の戦いを見ていた者達は、その凄まじい光景に言葉を失っていた。
「勘定、ここに置いていくぞ」
「へ、へい」
長身の男は、屋台の店主に食事の代金を渡すとルミルの元へ歩み寄る。
「あいつらはやめとけ。人として真っ当じゃねえじ、勝てるとも思えない」
「は、はい」
ルミルは、そう告げる周防を見上げた。
その体は小さく震えていた。
それは恐れからのものではない。
希望を見つけた、喜びからだ。
あんな強そうな召喚者をたった一人で、しかも一切苦戦した様子もなく……。
この人だ。
この人なら、村を救ってくれるかもしれない。
その思いが、喜びが、彼女の身を震わせていた。
「あ、あの!」
ルミルは声を上げて長身の男に身を寄せ、その服の裾を掴んだ。
逃したくなかった。
彼しかいない、そう思った。
「名前を……お名前を教えてください!」
訊ねると、男は答えた。
「俺か? 俺は、周防だ」
「ありがとう、ございます。私の頼みを聞いてくれて」
街道を歩きながら、ルミルは隣を歩く周防に礼を言った。
ルミルの村を助けて欲しいという願いに、周防は快く了承した。
そして今は、村へ向かう最中だった。
「急ぎの旅じゃない。むしろ、いろいろな場所に行った方が俺の目的には適う。だから、都合が良かったんだ。それに……」
言いかけて、周防は言葉を止める。
ある人物の事を思い出した。
今では、顔を思い出せない。
制服に身を固めた後姿だけが記憶にある、一人の男の事……。
「それに?」
訊ねるルミルに、周防は間を置いて答えた。
「お前の話を聞く限り、俺の能力でどうにかできそうな相手なんでな」
「能力……」
ルミルは、王都での出来事を思い出した。
二人の召喚者と周防が戦った時の事だ。
いや、戦闘にすらならなかったように思える。
召喚者の二人は力を発揮する事ができず、あっさりと周防に倒された。
あの時に何があったのか、ルミルにはわからなかった。
あれが周防の能力だというのだろうか……。
「どんな能力なんですか?」
「……ありえない物を消す能力だ」
「ありえない物?」
「正確には、俺達が前にいた世界に存在しない物をこの世界でも存在しないようにできる。という所か」
「はぁ……」
周防の説明をいまいち理解できず、ルミルは気のない返事をした。
「そうだな。たとえば、俺の世界には獣人がいなかった。だから、獣人にこの能力を使えば――」
「あ、もしかして能力をかけられたら私、消えちゃうんですか?」
周防の言おうとする事を察してルミルは訊ね返した。
少しだけ周防から距離を取る。
「いや、そうはならないだろう。一度、俺の服の裾を掴んだな? あの時、お前は俺の領域の中に入った」
周防の能力は、自分を中心に領域を張り、その中でのみ発動する。
オンオフはできず、極限まで小さくする事しかできない。
身体の中にまで縮小する事はできるが、それは身体の表面までである。
その状態で触れれば、触れた物に能力は作用する。
ただ、用心のため常に余裕を持って領域は張り続けており、その領域の中にルミルは入り込んだ事があるのだ。
周防はその時、彼女がどうなったのか確認している。
「お前の存在が消える事はないが……」
周防は言いながら、実際に領域を広げてルミルを範囲に入れた。
「獣人であるお前はいなくなる」
周防はルミルの頭を指した。
ルミルは不思議に思いながら、自分の頭を撫でる。
「あれ? 耳がない!」
「尻尾もな」
「ほんとだ!」
自分の尻に触れて尻尾が無い事を確認すると、ルミルは軽くパニックに陥った。
「落ち着け。領域の外に出れば戻る」
周防は領域を小さくする。
すると、頭と尻を触れていたルミルの手に、耳と尻尾の感触が触れた。
「ほらな」
「はぁ、よかった……」
耳と尻尾が戻ってきて、ルミルは安心した。
しかし、獣人というのは人間なんだな。
と周防と感心する。
場合によっては、猫になるんじゃないかとも思っていたが、どうやらベースは人間の方らしい。
ルミルの場合は、人間に猫の特徴が混ざっているという事なんだろう。
「この能力なら、お前の村を支配する奴もなんとかできるだろうさ」
「はい。お願いします」
ルミルの話によれば、例の支配者は魔法を主体に戦うようだ。
現実……前の世界では魔法など存在しない。
魔法を主体に戦う者なら、完封する事もできるだろう。
だが、一つ懸念があるとするならば……。
行ってみないと、どうなるかわからないか。
周防はそう思いなおした。
村に程近い森の中。
夜になり、二人は焚き火を囲んで野営をしていた。
「もうすぐ、ですね」
焚き火を眺めながら、ルミルは呟く。
その声は緊張のためか固い。
周防ならば、あの支配者を倒せるだろう。
そう思うが、長年あの村で暮し、染み付いた恐怖は容易く拭い去れるものではない。
あの存在に対する恐怖は、本能に近い部分へ刻まれている。
あれに支配されてから、村には死と恐怖が渦巻き続けていた。
支配者は、多くの村人を殺し続けてきた。
しかし、手当たり次第に殺すというわけでもない。
どういう基準なのか、支配者は殺す者を吟味して殺していた。
子供を増やす事を推奨した。
あえて、独身の男女を娶わせる事もある。
支配者は、村人が絶えさせる事はしなかった。
さながら、あえて犠牲者を増やすかのように……。
さながら、牧畜を育てるように……。
支配者は村人の生死を管理していた。
ルミルには三人の兄弟がいたが、その誰もが殺されてしまっている。
それも皆、家族の目の前で弄り殺された。
恐怖と屈辱を煽るように、その苦痛を見る者へ示すように凄惨に……。
ルミルは、たった一人残った子供だった。
彼女だけが、残された。
そして、もしかしたらもう一家で生き残ったたった一人の人間なのかもしれなかった。
支配者が、子供を逃した両親を放置するとは思えない。
考えないようにしてきたが、恐らく両親はもう……。
ルミルは、目尻に涙を溜めた。
支配者。
奴の考えている事はわからない。
でも、村人達の命を定期的に奪う事にも、きっと意味があるのだろう。
ルミルが支配者に対して抱く恐怖は死によるものだけでなく、得体の知れないものに対するものでもある。
自分の理解の範疇を超え、だからその存在が何を求めているかわからない。
何を目的としているかわからない存在は、次の瞬間には何をするのか予測できないから恐ろしい。
一瞬後には、自分を無造作に殺そうとするかもしれない。
自分では創造できないような、もっと酷い苦痛を与えられるかもしれない。
そんな恐怖に、彼女は苛まれていた。
「怖いか?」
「……はい。あなたを信頼していないわけじゃないんです。でも……」
「怖いものは怖い。無理に押し留めようとする方が辛いぞ」
「そうですね」
ルミルは、地面に横たわった。
眠ってやり過ごしてしまおう。
そう思った。
明日になれば、結果が出る。
夜が明ければ、村に辿り着く。
それを思えば恐ろしく、眠気が遠ざかる。
「大丈夫だ。俺が何とかしてやる。ゆっくりと休め」
周防の声が聞こえる。
その声を聞くと、彼女は少しずつ眠気を覚えるようになった。
心も体も疲れている。
だから、少しでも安心できれば眠気に抗えなくなった。
寝息が聞こえる。
「眠ったか」
周防は、自分も休もうとする。
その時である。
焚き火。
その炎の揺らめきが、不自然に止まった。
同時に、今まで聞こえていた周囲の音が消える。
まるで、時間その物が止まったかのように……。
「またか……」
周防は、時折こういう体験をしていた。
きっとこの世界のどこかには時間を止める能力の奴がいるのだろう。
だが、周防にその能力は効かない。
だから、彼もまた止まった時間の中でも影響を受ける事がない。
領域を広げると、炎の揺らめきが戻った。
しかし、その領域外では風に揺られ、不自然に形の変わった枝葉がそのまま止まっている。
「俺みたいに局所的なものじゃなく、世界全てにまで効果を発揮する能力もあるんだな」
そんな呟きを漏らすと、周囲の音が再び戻ってきた。
時間が動き出したのだろう。
強力な能力だ。
素直にそう思う。
周防の能力は、対召喚者に特化した能力である。
この世界の人間、それも本職の戦士が相手だと周防では太刀打ちできない。
たとえ相手が召喚者だったとしても、体術に秀でた者が相手なら同じ事である。
周防が力を発揮できるのは、魔法使いか能力に頼った相手だけなのだ。
それに比べて、時間を止めるなんてものはなんて応用力が高いのだろうか。
相手を選ばなくてもいい能力だ。
「寝るか……」
周防は今度こそ、地面に寝転んだ。
カダ村。
その日は、朝早くから広場に村の住人達が集められていた。
広場の中央には支配者と、村に住むある一家の者達がいる。
それをぐるりと輪を描くようにして他の家の住人達が眺めていた。
皆、好きでそれを眺めているわけではない。
この村の支配者から、そうするよう通達があったからである。
輪を作る住民達をさらに囲い、まばらに配置された魔物達。
様々な姿を持つ異形の者達が、彼らを監視していた。
逆らう者があれば、それをいち早く捕らえるためである。
捕らえられた者は、今広場の中央で行なわれている惨劇の次の犠牲者となる事だろう。
そう思えば、彼らは従う事しかできなかった。
広場の中央からは、ゴリゴリという何かを削る音と人の押し殺した悲鳴が聞こえてくる。
ゴリゴリという音の出所は、一家の一人娘が握る鋸だった。
血に塗れた手で、一心に切り落とそうとするそれは人の腕だ。
その腕の持ち主は、木の椅子に座らされ、手足を錠で拘束されていた。
彼は、娘の父親だった。
父親には両足がなかった。
錠から先が無く、傷口からポタポタと血が滴り落ちている。
そんな時、末娘は血の滑りで鋸を取り落とした。
鋸が地面に転がる。
末娘はそれをきっかけに、地面へ蹲った。
「もう、嫌だ……。もう、やりたくないよ……」
そう、嗚咽混じりの呟きを漏らす。
「おや、ここで終わるつもりかね? だったら、君の負けという事になるな」
少女に、支配者が告げる。
骨の体にローブを着込んだ転生者である。
彼は骨の指を絡めて、ゆったりと豪華な椅子に座っている。
「となれば、残念ながら君の命をもらう事になる」
「うう……そんな……」
「そういうルールだ。このゲームは」
これはゲームだった。
少女と支配者の前には、それぞれ少女の両親が椅子に拘束されていた。
少女の前には父親が、支配者の前には母親が拘束されている。
二人は交互にサイコロを振る。
その出目には数ではなく、身体の一部が描かれていた。
その出た目の部位を互いの目の前にいる人物から切り取っていく。
先に、目の前にいる人物を殺してしまった方の負けというルールである。
少女はこのゲームに、自分の命を賭けていた。
この家族は、その日処分されようとしていた。
獣人は基本的に多産である。
しかし、この家の夫婦は一人の子供しか成す事ができなかった。
それは支配者の目的に反する事だ。
彼はより多くの経験値を得るために、多くの子供を成せる獣人を養殖する事にした。
だから生産率の低い固体は、間引くべきだろうと考えたのだ。
その一人の子供がある程度の経験を積んだと判断した支配者は、処分のついでに経験値の収穫を行なおうと思ったのである。
その一環として、彼は子供の命を賭けてゲームをする事にした。
それがこのゲームだ。
このゲームで少女が勝てば、彼女の命は助ける。
そう言うと、両親はこのゲームに進んで望んだ。
そして、少女は今ゲームの放棄によって負けようとしていた。
彼女には絶望しかなかった。
このゲームの決着がつく時、それは両親のどちらかが死ぬという事だ。
ゲームに勝っても負けても、大事なものを失う事に違いはないのだ。
「待……て……」
息も絶え絶えに、父親が声を出す。
「やるんだ……」
涙を流し続ける娘に、父親は言った。
父親は、娘を助けたい一心だった。
そのためなら、自分の体が痛みに苛まれようと耐えるつもりだった。
「でも……」
「いいからやれ!」
父親は強く怒鳴りつける。
娘は泣く泣く、鋸を手に取った。
再び、父親の腕を鋸で引く。
ゴリゴリという音、そして娘の気を削がぬように押し殺した悲鳴。
やがて、最後の骨片が切り落とされる。
「はぁ……はぁ……」
その作業を終えた少女の顔は、憔悴しきっている。
しかし、彼女への責め苦はそれで終わらない。
「うむ。やっと終わったか。では君がサイコロを振る番だな」
次は、少女がサイコロを振る番。
その出た目で体を失うのは、母親だった。
自分がその身体を切るわけではない。
切るのは支配者だ。
それでも、自分の一投で母親の身を傷付ける事には違いなかった。
サイコロを手に取る。
しかし、その手が震えた。
サイコロを手放す事に、躊躇いを覚える。
「いいから……投げなさい……」
母親が言う。
母親は、右手を失っていた。
それ以外は無傷である。
サイコロには、一つだけ何も描かれていない目がある。
その目か、もう失った部位の目が出れば、どこも失わずに済むのだ。
運よく少女は、自分の出目で母親の被害を抑える事ができていた。
だから、今度もそうなってほしい。
少女はぐずりと鼻を一つすすり、サイコロを落とした。
母親を傷付けなくて済むよう、願いながら。
転がったサイコロが、出目を出す。
「あ……」
少女は言葉を失った。
出目は、頭だった。
少女は母親を見る。
そんな少女に、母親は微笑を浮かべた。
「いいのよ……。いいの……」
そう言うのと同時に、光の線が母親の首を通り過ぎた。
少し間を置いて、母親の頭がコロリと転がり落ちた。
支配者が、魔法で首を落としたのである。
「君の逆転勝ちだな。おめでとう」
悲しみで放心した少女を支配者は祝福する。
少女とは対照的に、その口調はとても明るく楽しげだった。
骨の手をかちゃかちゃと叩き合わせ、拍手する。
「あ……あ……、お母さん……」
母親が死んだ。
自分の出した出目のせいで。
彼女はすがるように視線をさ迷わせる。
幼い心に背負うには、その責任はあまりにも重かった。
彼女は父親へ目を向ける。
父親はうな垂れていた。
「お、父……さん」
呼びかけに、父親は答えなかった。
「どうやら、血を流しすぎたようだ。もう、死んでいるよ」
「そんな……」
少女は泣き崩れた。
その少女の姿を見て、支配者は笑う。
感情が動けば、経験値はさらに増える。
だからこそ、彼はこの残酷なゲームを用いて経験値の収穫を行ったのである。
少女に、支配者は言葉をかける。
「両親が自分のせいで死んだなんて。いい経験をしたなぁ……。これからもきっといい経験ができるぞ。何せ、お前はこれから一人で生きていかなくてはならないからな。経験しなくちゃいけない事はたくさんある」
支配者はしゃがみ込み、少女の頭を撫でた。
「お前は長く生かしてやろう。結婚し、子供を何人か産むまで。その時に、両親と同じようにしてやろう。それまでせいぜい、経験を貯める事だ。……そうだ。どうせなら、私の元で暮らすか? これもいい経験になると思うぞ」
楽しげに話す支配者に、少女は何も反応しなかった。
「これ以上は壊れてしまうな。まぁ壊れても、治してやればいいだけだが」
たとえ狂ってしまっても、支配者には魔法で治す事ができた。
だから、相手が幼い精神であっても容赦する事はなかった。
「さぁ、住民達よ。片付けを手伝ってやれ。せいぜい、慰めてやるといいさ」
心の優しさもまた経験になる。
希望と絶望、両極となるそれらを行き来させる事。
感情の大きな起伏は良質な経験となるのだ。
支配者の命令で、顛末を見ていた村人達はゆっくりと動き出した。
犠牲となった一家の元へ集まり始める。
そんな中、広場へ走り入る者達があった。
周防とルミルである。
二人は今、村へ到着したのだ。
その足音に気付き、支配者は彼らを見た。
周防は、広場の中央を見る。
椅子に座った二人の人間。
そしてその前で泣き崩れる一人の少女。
その凄惨たる有様に、周防は表情を険しくする。
「何だ、これは?」
「ゲーム、です。恐らく」
「ゲームだと?」
「サイコロの出た目で、互いに一人の人間の部位を切り落とし合い……。先に殺してしまった方が負け……。あいつが、時折催す余興です」
「余興、だと……?」
周防は、再度広場を見る。
何があったのかを知り、その結果を目の当たりにすれば周防の心には哀れさを強い怒りが湧きあがってきた。
余興のために、人の命を弄ぶだと……?
ふざけるなよ……!
「どうやら、心配する必要は無さそうだな」
周防は小さく呟くと、支配者へ向けて歩き出した。
「何だお前は?」
「喋るんじゃねぇ……」
「何?」
周防の有無を言わせぬ言葉に、支配者は不機嫌そうな声を出した。
その顔に肉があれば、その表情は声相応の不快さを表していただろう。
「言葉を交わす必要もねぇ。そんな物がなくたって、お前が生きていちゃいけない人間だって事は十分に解かる」
周防の言葉に、支配者は小さく笑う。
「なら構わないだろう。生憎、見ての通り最初から死んでいるものでね」
言って、支配者は手で合図を出した。
周囲にいた魔物の一体が、周防へ向けて飛来した。
「グエーーッ!」
鳴き声を上げ、周防へ襲い掛かった。
が、周防はそれを殴って迎撃した。
その瞬間、殴られた魔物が一瞬にして消え去った。
何も残さず、触れられた部分から順に空気へ溶け込むように……。
それは周防の能力によるものだった。
魔物は、支配者が生み出したものだ。
元となる生命体もなく、現実に存在するものでもない。
だから、跡形もなく消えたのである。
周防はまるで何事もなかったかのように、歩み続ける。
「何っ……」
その光景に、支配者は軽い驚きを見せた。
何だ、今のは……。
見た所、あの男はこの世界の人間では無い。
召喚者だとすれば、スキルか。
だがどんなスキルだ……。
殴りつけて相手を消滅させたように見えたが、空間系のスキルか?
わからない。
今は、まだ……。
もっと情報が必要だ。
召喚者は、次々に手下の魔物達を周防へけしかけた。
無数の異形が周防へと殺到する。
それに対し、周防は領域を広げる。
その範囲内に入った魔物達は、領域に納められるのと同時に消え去った。
何だと?
触れた相手にだけ作用するんじゃないのか?
あの能力の効果範囲は、思った以上に広いのかもしれない。
だが、これ以上近付かなければ……。
支配者は、魔法の火球を周防へ放つ。
巨大な火球は、着弾すればこの村一つを軽く吹き飛ばすほどの威力があった。
「死ね!」
村を犠牲にする事になるが、支配者の胸中は目の前の召喚者に秘められた未知への不安でいっぱいになっていた。
その不安を消し去りたい思いで一杯だった。
が、火球は周防に着弾する前に、始めからそこに何もなかったかのように掻き消えた。
魔法も効かない、だと?
支配者の不安が、それまで以上に肥大する。
その間にも、周防は支配者へ向けて歩みを止めていなかった。
何だこいつは……。
やばいっ!
その段になり、支配者は目の前の召喚者が思っていた以上に危険な存在であると理解した。
支配者は焦りを覚え、踵を返した。
飛行の魔法を自分にかけ、その場を飛び去ろうとする。
身体が浮き上がり、逃げる方向へ身体を傾ける。
しかし、まさに飛び去ろうとした瞬間、彼の身体は地面へと落ちた。
「がっ、な、何だ? 何故、飛べない? それに……」
支配者は立とうとする。
しかし、足が思うように動かなくなっていた。
上手く立てず、その場で転んでしまう。
周防が急速に広げた領域に、支配者の足先が触れたのである。
その瞬間、支配者の足は足ではなくただの骨に変わり、発動した魔法も解けた。
「お前か……お前が何かしたのか! 何だ? お前の能力は、何だ!?」
何もおかしな事は無い。
むしろおかしなのは、魔法だの魔物だの……動く死者だの、現実ではありえないものの方だ。
周防は胸中で呟き、支配者へとゆっくり近付いていく。
その歩みに、淀みは無い。
そして、彼の心には覚悟があった。
ルミルの願いを聞くにあたって、周防が懸念していた事は自分に人を殺せるかという部分だった。
どんなに非道な人間でも、実際に手を下すとなれば竦んでしまうかもしれない。
そう思っていた。
だが、その心配は無さそうだった。
自分の手を汚すか汚さないか、こいつはそんな好き嫌いで生かすべき奴じゃない。
ここで、殺さなくちゃならない奴だ。
近寄ってくる周防の表情。
そこには確かな殺気が宿っていた。
その表情を見ると、支配者は先ほどの魔物達を思い出した。
自分も、あの能力で消されてしまう。
消す……。
あの能力がどんなものであれ、死をもたらすものに違いない。
「やめろ! 来るな!」
支配者は今までの振る舞いを投げ捨て、怯えた声を上げた。
動かない足を引き摺って、腕だけで這って逃げようとする。
その行く先に、周防の足が踏みつけられた。
支配者は、恐る恐る仰向けになる。
視線を巡らせた。
そこには、自分を見下ろす周防の姿があった。
「嫌だ! 俺はこんな所で、死にたく――」
周防から離れようとしつつ、支配者は喚く。
それを遮るように、周防が言葉を発する。
「お前に殺された奴らも、そう思っていただろうさ。それに、殺すわけじゃない」
「へ?」
周防の言葉に、支配者は小さな安堵を覚えた。
が、続く言葉がそれを打ち消す。
「お前はもう、死んでいるんだろう? なら、消えるだけだ」
「やめ――」
次の瞬間、人の形を保っていた支配者の身体が繋がりを失って、ただの骨に変わっていた。
カラカラと骨同士がぶつかる音が、静けさの中に響いた。
支配者は、死者として本来あるべき姿になったのである。
「やった……」
静かに、周防と支配者の動向を見守っていた村人達。
息を呑み、静けさに満たされた広場に第一声が上がる。
声を発したのは、ルミルだった。
「倒した!」
その声が響き渡ると、他の村人達にもその言葉の意味を次第に理解していく。
「倒した?」
「あいつを?」
「もう、あいつはいないのか?」
「もう、怖い思いをしなくていいの?」
最初、彼らの声には懐疑的な物の多かった。
しかしそれが次第に、歓喜の色を含んだ物へ変わっていく。
「やった!」
「俺達は自由だ!」
「助かったんだ!」
「もう家族を殺されなくて済むんだ!」
「うおおおおおっ!」
歓声のあがる中、ルミルは周防に近付いた。
「ありがとうございます。あなたのおかげで、この村は救われました。助かったんです」
「助かった……?」
周防は言葉を返し、視線をルミルから移した。
その先には……。
広場の有様。
変わり果てた家族。
悲しみに暮れ、泣き続ける少女。
「くそ……」
それらを見ると、周防は苦々しい表情で悪態を吐いた。
助けられたとは、思えねぇ……。
苦々しい気分を吐き捨てるように、周防は心の中で呟いた。
周防がカダ村を開放して、数ヶ月。
彼は、カダから遠く離れた場所にいた。
そこはキール国から、二つの国を過ぎた先にあるバクス国。
その王都だった。
カダ村に目的の手がかりがない事を確認した周防は、すぐに村を離れて放浪の旅を続けていた。
王都に着いたばかりの周防は、商人達が露店を並べる通りを歩いていた。
「すごく、賑やかですね」
「そうだな」
声をかけられ、周防は答える。
声の主は、ルミルだった。
バクスの国へ向かう旅程では、いろいろな事があった。
目的の手がかりを探し、険しい道を歩き、争いに巻き込まれた事だってある。
その間も、彼の隣にはルミルがいた。
それは周防が村を出る時に、彼女がついていくと申し出たからだった。
彼女はそれが、恩を返すためだと言った。
「そんな物はいらない。俺には俺の目的がある」
そう、周防は断わったのだが。
「いえ、お願いします。
あなたは、私だけでなくこの村に住む全ての人間を苦しみから救ってくださいました。
それはとても大きな恩で……。
私の持つわずかばかりの財貨では、とても返しきれるものではありません。
だから、私は私に贈れる最大の物を贈る事で恩を返したいのです」
「最大の物?」
「はい。私の全て。命も人生も全てをあなたに差し上げます」
それは恩を返す方法を考えたルミルが、悩んだ末に出した答えだった。
王都で二人の召喚者はルミルの人生を求めた。
あの言葉を思い出して、彼女はその方法を思いついたのだ。
むしろそれ以外に、ルミルの持つ物で見合うはないと思った。
それほどに、周防のしてくれた事は大きな事だったのだ。
「だが……」
「それに、今の私は一人です」
周防の言葉を制し彼女は言った。
ルミルを逃がした両親は、彼女が予想していた通り支配者によって処刑されていた。
彼女はあの村で、一人になってしまっていたのだ。
「お願いします。あなたと一緒に、居たいんです」
そう言われると、周防は断りきる事ができなかった。
そうして、周防は彼女の同行を許した。
「私、食料品を買ってきます。その間に、周防様は他の支度を」
ルミルが言う。
「一人で大丈夫か?」
「はい。ここは多分、大丈夫です」
言われて辺りを見回す。
バクスの王都では、キールと違ってちらほらと獣人の姿が見えた。
キールほど、獣人への嫌悪感はないらしかった。
これなら、一人で行かせても大丈夫かもしれない。
「わかった。何かあれば、大声で俺を呼べ」
「はい」
返事をすると、ルミルは食用品を売る市へと向かった。
周防も、旅支度を整えるために店を見て回る。
「お兄さん、うちの商品見ていかないかい?」
そんな時、一人の少女から声をかけられる。
少女は、露店を開いており、どうやら商人のようだった。
その声に反応したのは、彼女の言葉が日本語だったからである。
「あんた、旅人だろ? ここからどこに行くかわからないけど、東に行くなら砂漠があるからマントが必要だし、北へ行くなら山道が多いから杖を買っていった方がいいよ。そして、私の店にはそのどちらも揃ってる」
少女は柔和な笑顔と快活な口調で、両手を広げた。
周防は、彼女の前に広げられた絨毯とその上の商品を見た。
確かに彼女の言う通り、それらの商品は揃っているようだった。
ここで買い物をするのもいいかもしれない。
「……珍しい物もあるな。異世界の品だ」
露店の中には、地球で売られていた物があった。
「ええ。そうでしょう? どうぞ、もっと近付いてみてください。何なら、もっと珍しい物もお見せしますよ」
彼女の明るい声を見ると、興味が湧いてくる。
周防は、露店の前に近付いた。
「ありがとうございます」
少女は笑顔で礼を言い、すっと懐から何かを取り出した。
それは、リボルバー式の拳銃だった。
周防の身体が強張る。
「珍しい品でしょう? あなたの世界の物でも、これは手にとって見た事がないのではないですか?」
少女は敵意など感じさせない声で言葉を続けた。
「何者だ? お前」
周防は訊ねる。
その声は、警戒心で固く強張っていた。
「私の事が知りたいですか?」
そう訊ねると、少女の顔から笑顔が消えた。
代わりに現れたのは、冷たさすら感じるような無表情である。
その急激な変化はまるで、別人に代わってしまったかのようだった。
「でも僕は、君の事を知っている。周防仁志」
そう告げる声は、先ほどまでの少女然とした高いものではなかった。
若干低く、男性のもののようにも聞こえる中性的な響きだ。
周防は顔を険しくした。
「ここ最近の君の行動。ずっと見させてもらっていた。能力も把握している。君の能力では、銃弾を防ぐ事はできないだろう?」
「……」
「僕自身の能力を消す事もできないぞ。元々無いからな」
「何が、目的だ?」
「それは僕が訊きたい事だ。ついてきてもらおうか」
少女は首を巡らせ、露店の隣にある路地を示す。
周防はその路地の闇へ向かう。
途中、背中に銃口を突き付けられる。
少女が周防の背後にぴたりとついていた。
少女は周防に、壁へ背中をつけるよう促し、周防はそれに従った。
その胸元へ、銃口を突き付ける。
「さぁ、話してもらおうか。お前の目的を……。何を探し、旅をしている?」
「何故、そんな事を知りたい? お前は何者なんだ?」
「訊いているのは僕だ」
周防は少女を睨みつけるが、少女はその視線を冷ややかに受け流す。
やがて、周防は自分の目的を語り出した。
「元の世界へ、帰る事だ」
「元の世界へ?」
「ああ。俺には、お袋と妹がいる。俺がいなくなれば、二人きりになってしまう。それが心配だ。だから、早く帰りたい」
周防には、家族がいる。
父親は既に死んでおり、だから周防は父親に代わって二人を守る事を誓っていた。
だから、そんな自分がいない事で二人が苦労していないか心配なのだ。
だが、それだけではなかった。
彼にはもう一つ、目的がある。
「それと、俺には向こうでやらなくちゃならない事がある。そのためにも、絶対に帰らなくちゃならないんだ」
周防は本心をぶつけた。
少女はそれを聞き、しばらく黙り込む。
カダ村の支配者を倒した召喚者。
あれを倒すという事は、それ以上に強い存在だという事だ。
その召喚者がどんな人柄で、どんな能力を持っているか……。
少女はそれを知るために、周防を監視していた。
もし、この世界の人間へ積極的に仇なす人間であるならば、すぐにでも排除する必要があるからだ。
少女は彼を監視し、彼が悪人でない事を把握していた。
ここへ至るまでの周防の行動に、非道なものは一切ない。
むしろ、困った人間を助け、その手段として人を殺す事もなかった。
この言葉に嘘は無いだろう。
彼は、この世界の人間を不幸にする人間ではないだろう。
だが、召喚者には違いない。
召喚者はこの世界にいてはいけない人間。
それが少女の持つ考えだった。
しかし……。
少女は、銃口を周防から外した。
「元の世界へ戻る方法、か。考えた事もなかったな。そんな物があるのかどうか……」
もしそんなものがあるとすれば、すべての召喚者を排除しなくて済むかもしれない。
少女の脳裏に、一人の青年が思い起こされる。
山城という、召喚者だ。
他にも、数人の召喚者達が頭を過ぎる。
少女の基準から言えば、召喚者はいずれ殺さなければならなかった。
それが、この世界を守るためだ。
だが、殺すには抵抗のある者達も確かにいる……。
「いいだろう。探すなら探せ。必要ならば協力もしよう」
「お前は何者なんだ?」
「暗殺ギルドの者だ」
その名称に、周防は身構える。
暗殺という名を冠するなど、碌なものではない。
「受け取れ」
少女は一枚のバッジを周防へ渡した。
「どのような町でも、入り口の付近に暗殺ギルドの者がいる。そのバッジをつけてしばらく立っていれば、接触を図ってくるはずだ。協力が必要なら、それを使え」
少女は言うと、周防に背を向けた。
路地の外へと向けて歩き出す。
「あっ!」
路地の外へ出た時、目の前に立っていた獣人の少女が声をあげた。
ルミルである。
ルミルは、商人の少女をじっと見詰めた。
「不動さん? 無事、だったんですね」
言うと、ルミルはその表情に笑顔を作った。
その目には、うっすらと涙が溜まっている。
彼は、自分をカダ村から助けてくれた人間だ。
自分の身を盾にして、守ってくれた恩人だった。
村の誰も、彼がどうなったのか知らなかった。
正直、死んでしまったんじゃないかと思っていた。
だから、こうして再会できた事が嬉しかった。
不動と呼ばれた少女は、表情を和らげる。
「君も、元気そうでよかったよ」
「はい。あなたに助けてもらって……だから、私は周防様に出会えました。ありがとうございます」
ルミルが礼を言うと、少女は微笑を返した。
そして露店を手早く片付けてその場を去って行った。
「ルミル。あいつと知り合いなのか?」
路地から出てきた周防が、ルミルに訊ねた。
「はい。私をあの村から逃してくれた人です。あの人がいたから、私は……」
周防は、遠ざかっていく不動の背を見詰めた。
悪い人間ではないのかもしれないな。
と周防はそう思った。
支配者と戦った不動は一方的に痛めつけられた後、即死魔法を受けるという二十割コンボを受けましたが、支配者が去ったのを見計らって電撃魔法を自分の心臓に流して自力で蘇生。
そのまま気を失いましたが、近くに待機していた仲間によって回収されて命を繋ぎとめました。
チート系の能力はかなり強い部類ですが、尖った特殊能力系に弱い場合があります。
なので、一般人にとっては脅威ですが、全体的に最強とはいえなかったりします。
周防と戦った結果がいい例ですね。
米田幸一。
マンデルコアの加護を受けた転生者。能力は『チート』。
生来の気性から人に疎まれやすく、学生の頃から、社会人に至るまで虐げられてきた人物。
それらへの復讐心と劣等感が強く、転生者となって得た力で今度こそ人生の勝利者となり、自分を虐げてきた人間へ復讐したいと思っていた。