悪しき心 刺されし者
夕日を背に燈輝と亮は、神月家へ向かっている。長く伸びた影を見つめながら、亮は、
「だから、今は、お姉ちゃんとふたり暮らしなんだ」
亮は両親のアメリカ転勤に伴う、引っ越しのことを話した。燈輝は短く、
「それでか」
「うん」
亮は燈輝の顔を見上げて、少し微笑んだ。小さい頃と変わらないはずの表情に、燈輝は体の違和感を抱き、
(なぜ、乱れる?)
もう少しで到着というところで、亮の家から愛理が出て来た。
「あら、亮。遅かったわね」
「あっ、お姉ちゃん」
妹は言いながら、心配になってきた。燈輝をちらっとうかがって、
(だ、大丈夫かな?
燈兄に会うと、いつも、お姉ちゃん大騒ぎしてたから)
愛理は背の高い人に気づいて、目が一気にハートマークに。
「あら? 燈ちゃんじゃない。久しぶり」
(やっぱり、当たったわね。
美青年が来るような気がしたのよ♡)
美青年センサーは、感度が素晴らしかった。燈輝は愛理の気の流れを読んで、目を細める。
「久しぶりだ」
(今、気がこっちに強く向かって来ている。
昔から、変わらない。
最近、道場に来る女の人たちからも感じる。
どういう意味だ?)
武術の達人は、自分がモテているとは気づいていなかった。そこで、右の方から、一人の気配を感じ、
(誰だ?
こっちに、優しい気の流れを向けている)
気を探ろうとすると、隣にいた亮の元気な声が、夕闇に舞った。
「あ、櫻井さん!」
(間に合って、よかった)
銀の髪をした燈輝よりも、少し背の低い男が優しく微笑んで、
「あぁ、亮ちゃん。今、帰りですか?」
(なぜ、みなさん、外にいるのでしょう?)
それは、技を解くのを忘れた武道家と、技のせいで立てなくなったボケ少女。そして、美青年に会いたくて、外に出てきた美青年ゲッターだからだ。愛理が愛しそうな顔で、
「正貴さん」
(待ってたわよ)
燈輝はその様子を見ながら、正貴の気を探る。
(かなり特殊な気の流れだ。
胸の丹田はあるが、亮とは違い、暖かく柔らかいものだ。
腹の丹田はないが、下へ引っ張る気の流れが、胸の丹田にかかっている。
ある程度、情熱を持ち、落ち着いて物事をすることが出来る人間。
頭には金色の気……直感の働く人間。
この手の気の流れは、研究者に適している。
そのような仕事をしているのかも知れん)
地質学者で、大学教授。研究のこととなると、時間を忘れることもしばしばある正貴。
燈輝は正貴の職業など知らないのに、気の流れだけで、正確に当てた。気を読み、分析できると、こういう判断もできる。
正貴が燈輝に気づいて、
「どなたですか?」
(初めて、お会いします)
亮が紹介しようとし、
「あぁ、幼なじみの……」
燈輝は姿勢を正して、丁寧に頭を下げた。
「上原 燈輝と申します。初めまして」
体の奥底で違和感を強く抱き、
(違う、初めてじゃない)
正貴も丁寧に頭を下げ、
「櫻井 正貴です。初めまして」
愛理が自分との関係を補足。
「私の婚約者なのよ」
「そうか」
燈輝が短くうなずいた。そこで、
【転生の輪 運命を共にする者】
燈輝、愛理、正貴の潜在意識に、誰かの声が響いた。
燈輝は、さっきの違和感の原因を探す。
(これだけ、特殊な気の流れの人間だ。
覚えていないのは、おかしい。
どこかで会ったのか?
いや……今、相手も『初めまして』と言った。
どうなっている?)
愛理はあごに人さし指を当てて、少し首を傾げて、
(おかしいわね、何だか。
正貴さんと燈ちゃんが会ったのは、初めてなはずなのに、前にもこんなことがあった気がするの。
今日、燈ちゃんが来たこと、偶然……じゃないわね、きっと。
今朝、見た夢。
どうして、突然……そういう気持ちばかりが、心の中に広がってく夢だった。
みんなが、そう思ってるみたいで。
それに、誰かが自分にずっと謝ってるの、『すまなかった』ってね。
その口調が、燈ちゃんに似てるのよ。
でも、それが謝ってる人の責任じゃないって、みんな知ってるの。
もっと、大きな何かが原因だって……。
何だか、大切なことがあった気がするの。
でも、それが思い出せないのよ。
もっと、他にも誰かがいたような……何か約束したような気がするわね。
何だったかしら?)
夕日を受けてオレンジ色に染まる愛理を、正貴は優しく見つめて、
(愛理さんも、今日は様子が変ですね。
今朝、見た夢……。
私の隣で泣いていた人は、愛理さんに似ていたのです。
そして、私たちに謝っている方がいたのです。
その方が、上原さんに似ているのです。
お会いしたのは初めてなのに、どうして見たのでしょう?
予知夢なのでしょうか?
……それとは、違うようですね。
何か大切なことを忘れてるような気がします。
何か約束を……していたような気がします。
忘れていると思うのは、以前、何かあったということになります。
ですから、やはり初めてお会いするのではないということになります。
おかしいですね)
正貴と愛理は、今日初めて見た夢を思い返していた。ふたりの夢は、燈輝と亮が見ている場面よりも、あとのこと。
燈輝と愛理、正貴は同時に、亮に視線を集中させて、
(夢の中で、死んでいた人に似てる)
ボケ少女は三人を交互に見て、激しく目をパチパチ。
(どうしたのかな? みんなで、こっち見て)
その時、彼女の潜在意識に誰かの声が響き、
【悪しき心 刺されし者】
亮は体に違和感を持って、
(何だか、胸が押されるような、変な感じがする。
何でだろう?)
美青年ゲッター、愛理。活動開始!
(ま、夢のことは置いといて……今はこっちが先ね)
燈輝へ顔を向け、キャピキャピ声で、美青年をターゲッティング。
「燈ちゃんも、一緒にどう?」
(亮の誕生日に来るなんて、何だか運命的じゃない?
きゃあ♡)
ウキウキ気分を、燈輝はばっさり切り捨てた。
「いや、俺は帰る」
(まだ、今日は他の修業、全然しとらん)
「そう……」
愛理はテンションダウン。
(仕方がないわね。
今度、会った時は、逃がさないわよ)
つかまえられそうになっている燈輝は、美青年ゲッターの気の流れを察知して、
(殺気ではないが、強い気の流れを感じる。何だ?)
愛理の意気込みはすごかった。歩き出した武術の達人に、亮が笑顔で、手を振る。
「燈兄、今日はありがとう」
(何だか、夢の話してよかったと思う。
どうしてだか、わからないけど……)
「いや」
(お前に久しぶりに会って、いい修業になった)
燈輝は目を細めて微笑み、去っていった。正貴は袴姿を眺めて、不思議そうな顔で、
「何か特別なことでも、なさってる方ですか?」
(雰囲気が違うような気がします)
「古武術(*昔から伝わる武術のこと(上原道場は、特に合気に力を入れている))の道場の息子なのよ♡ 最近、教えるようになったんだけど、もう、女の人たちが殺到してて、すごいらしいのよ」
(私もちょっと習ってみたいわね)
愛理はどこまでも美青年ゲッターだった。正貴は気にすることなく、のんきに、
「そうですか」
(ですから、袴を着ていらっしゃったのですね。
理解出来ました。素敵な方ですね。
愛理さんが、嬉しそうなのもわかる気がします)
「さぁ、中に入りましょう。せっかくの料理が冷めちゃうわよ」
愛理が言うと、正貴とふたり、玄関へ歩き出した。夕日に向かって歩いていく燈輝の後ろ姿を、亮は見送りつつ、
(何だか、変だなぁ?
引っ越してきてから、一度も会ってなかったのに、今日、会うなんて。
全部、前から決まってたような気がする。
あれ? じゃあ、ルーはもっと前から知ってたってこと?
どうしてだろう?)
見えない人とルーは親しげに話していた。だが、その人と会ったのは、今日が生まれて始めて。だが、前から知っている。ルーは他の人と、ある法則が違う。
燈輝は亮の視線を感じながら、
(また、気が乱れ始めた。なぜだ?
亮と会ったのは久しぶりだが、別れを気にするほど、気にかけてはいない。
なのに、この落ち着きのなさは何だ?
なぜ、胸の意識が強くなる?
あの夢の気の流れに、似てる。
自分なのに、自分ではない気の流れ……。
あの夢には、どんな意味がある?)
魂は覚えているが、転生してしまい記憶がないふたりは、すでに大きな運命の中にいた。
パーティの後片づけをしながら、愛理はキャピキャピ。
「燈ちゃん、さらに美青年になったわね。揺るぎのない落ち着いた雰囲気が、魅力的だわね♡」
「え……?」
亮は読んでいた雑誌から顔を上げ、きょとんとした。
(燈兄って、美青年なんだ。
知らなかったなぁ)
姉は妹の、恋愛のうとさにため息。
「え……? じゃないわよ。今日、何か話したの? 学校から真っ直ぐ帰って来たわりには、遅かったものね」
亮はちょっと顔を赤くして、
「あぁ……うん」
(話はしたんだけど、何だか、抱きしめられたりとか、歩けなくなったり、担がれたり、大変な一日だったよ)
シリーズ始まって以来、一番色々あった誕生日だった。愛理は意味あり気に、
「そう」
(何か、あったのね)
亮はある人をふと出して、
「そういえば、八平さんにも会ったよ」
(昔と、全然変わってなかった。
今日も、何で来たのかよくわからなかったし……)
ボケ少女に、武術の達人の心理は読み取れないだろう。燈輝でさえ、やられてしまうのに。愛理は、その名を聞いて、身を乗り出した。
「何か言ってなかった?」
(やっぱり、その話が出たんじゃない?)
亮は聞いた音だけを頼りに、途切れ途切れで、
「えっとね……うち……が……よる……? とか言ってた気がするよ」
(急に話が変わったりして、よくわからなかったんだよね)
大暴投したまま、妹が返してきた言葉を。愛理は気にせず、嬉しそうな顔で、
「あら、素敵じゃない♡」
(それって、家に嫁に来いじゃないの?
燈ちゃんと結婚したらって、意味よね、きっと)
さすが姉。十七年間、ともに暮らしてきただけはある。亮は目をパチパチ。
「え……?」
(す巻き?)
大暴投している妹には構わず、愛理は一気に超ハイテンション!
「何だか、楽しみだわね!」
(燈ちゃんが義弟……考えただけでも、ウキウキするわね。
きゃあ♡)
「……う、うん……?」
(何だか、お姉ちゃん、嬉しそうなんだけど。
どうしたのかな?)
胸の前で両手を組んで、左右に揺れている、愛理のハートマークの目に、ふと時計が入り、
「先、お風呂入りなさい」
「あ、うん」
亮は読んでいた雑誌を閉じて、リビングから出ていった。姉はソファーに置いてある、妹の両親からの誕生日プレゼントを見つめて。あごに人差し指を当て、首を傾げる。
「黄色のテディーベア。黄色……。何だか、これもずっと前に……」
愛理は天井を見上げて、
「それに、これ、届けてくれたお隣さん……どこかで会ったことがあるのよ。今日、引っ越してきたのに、変ね。本当に、どうなってるのかしら?」
テディベアの色とお隣さんは関係している。これは、シリーズ1から変わらない。シリーズ2で、誠矢は隣の家から、異様な霊気を感じ取っている。
重要なことが、転生によって消されたまま、時は進んでゆく。