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Legend of kiss4 〜太陽の王子編〜  作者: 明智 倫礼
6/23

気を読む

 燈輝は手に水まんじゅうとあん団子の入った袋を持って、商店街を歩いていた。


(今日は、歩きづらい。

 胸に中心が来てるからだ。

 その上、この混雑。

 上手く避けきれん)


 夕食時で、にぎわう周囲を見渡した。揚げ物のいい香りや、焼き物の香ばしい匂いが立ち込める。

 そんなことに惑わされずに、店での自分の行動を思い出して、燈輝は少しため息。


(いつもなら必要以上、買わないのに、羊羹ようかんまで買いそうになった。

 我が出ている証拠だ。

 胸の意識が強すぎる)


 胸の気の流れは、欲望も司るので、余計な買い物をしたり、無駄に動いたりする。燈輝はふと夢を思い返し、


(……自分とはまったく違う、自分。

 おかしな夢だ。

 それに、抱きしめていたやつは誰だ?)


 そこまで考えた時、夢の中で感じた気を察知。


「!」

(似てる。

 前方、五百メートル先)


 ここまで、正確に気を読める人はおそらくいない。燈輝は人混みの中に立ち尽くしながら、その人の気をさらに解析。


(……胸の意識が非常に強い。

 前へ出ようという意識がある。

 警戒心は、まったくない。

 こっちに向かって、歩いてくる)


 そこで、相手の動きに変化が。


(ん? 左に曲がった)


 燈輝はその気の主を追いかけ始めた。


(縮地。

 気配を消す)


 気配を消すことができないと、不意打ちができない。これは出来て当たり前。だが、気が乱れている武術家は再現できず、またため息。


(気が乱れすぎていて、今日は出来ん。

 これでは、見失うかも知れん。

 仕方がない、このままつける)


 草履でアスファルトをすっすと歩いていき、燈輝は相手に近づき、


(誰だ?

 どこかで感じたことがある。

 ん、女……?

 距離、三メートル)


 ここで、相手を肉眼で探し出した。背の高い燈輝にとって、人混みの中から、人を探すのは簡単。


(いた)


 くりっとしたブラウンの瞳と、茶色の長い髪。とぼけた顔。

 だいぶ面差しは変わっていたが、誰だかすぐに燈輝はわかり、目を細めた。


(なるほどな。

 確かに感じたことがあるはずだ)


 その人に横からすっと近づいて、低い声で、


「寄り道か?」

(制服で、こんなところにいるのは、そういうことだ)


「えぇっ!」

(夜、なんで⁉

 まだ、夕方だと思うんだけど……)


 大暴投して、びっくりして飛び上がり、キョロキョロし始めた。買い物客が行き交う場所で、燈輝はその言動を前にして、


「相変わらずだ」

(昔から、変わらん。

 何でも大げさだ)


 声をかけられた人、神月かづき 亮、十七歳は左に顔を向けて、


「え……?」

(すごく不思議な服装だなぁ)


 目をパチクリさせた。燈輝の服装は上は白で、下は瑠璃紺色の袴姿。限りなく黒に近い緑色の髪は長く、後ろの高い位置で縛っている。いわゆる、ポニーテール。

 夕暮れの買い物客に紛れている袴姿の長身の男一人。異様な雰囲気を漂わせていた。


 亮は顔を確認して、嬉しそうな顔で、


「あぁ、燈兄」

(すごい、偶然だね)


「久しぶりだ」

(ん?)


 燈輝は返した時、何か引っかかった。


「本当だね」

(あれ?)


 亮も何かが引っかかった。人々が入り乱れる商店街で、しばらく、ふたりはお互いを不思議そうに見つめ合って、


(久しぶり……。

 本当に、久しぶり……。

 短い月日じゃなくて……もっと、ずっと、昔から……)


 絶妙なタイミングで、ふたりの魂ーー潜在意識に声が響いた。


【夜 砂漠 シトリン】


 一瞬、まわりの空気が変わった。亮と燈輝は違和感を抱いて、


(あれ、寒くなった)

(空間の気の流れが変わった)


 燈輝は左脳の後頭部を駆使するーー神経を研ぎ澄ます。


(なぜだ?

 これは、あの夢に似てる)


『空には満月が輝き、冷たい空気が広がっている。誰かを強く、強く……』


 武術の達人は目の前の人に視点を合わせ、


(亮……。

 いや、似てるが違う。

 胸の意識が熱く、落ち着きはなかったが……少し違っていた。

 ……では、誰だ?)


 亮はカバンを握りしめて、久々会った燈輝を見入って、


(もしかして、ルーが言ってた人って、燈兄のことかな?

 だったら、夢の話は燈兄にした方がいいってこと?

 ……たぶんそうだよね。

 あれ? でも、どうして、ルーはわかったのかな?

 知り合いだったっけ?

 んー……それはよくわからないけど、とにかく言ってみた方がいい気がする。

 よし、燈兄に、夢の話してみよう)


 ルーと燈輝は知り合いではない。別のことが動いているから、必然的に会わされれたのだ、ふたりは。質問しようとしてきた亮の、ひとつの気の流れを読んで、燈輝は、


(胸から、俺の胸に気が向かって来た。

 言いたいことがある時だ)


 そう判断して、亮が話し出す前に、


「何だ?」


「えっ?」

(どうして、わかったのかな?)


 このくらいの気の流れを読めないと、合気はとてもじゃないけど出来ない。相手がどこを狙ってくるのかも読まなくては、足元を救われてしまう。警戒心が亮にはないのだから、武術の達人からすれば、こんな気の流れは簡単だ。


 きょとんとしたボケ少女を前にして、燈輝は目を細め、


「…………」

(また、忘れたのか?

 気を読んで判断していると、何度か教えたはずだが……)


 記憶力が崩壊している亮は、彼をまじまじと見つめ、


「…………」

(今、笑ってる………よね?

 燈兄、昔から、あんまり表情変わらないから、よくわからないけど。

 どうしてだろう?)


 腹に中心がある人は、落ち着きがある。そのため、表情はほとんど変わらない。186cmの燈輝は、160cmの亮を見下ろして、


「なぜ、黙っている?」

(言いたいことも忘れたのか?)


「……何で、笑ってるのかなと……思って」

(あってるよね?)


 戸惑い気味に応えた亮に、燈輝らしい言葉を口にした。


「昔から変わらないからだ」

(懐しい気の流れだ)


 その時、朝からずっと直そうと思って、修業し続けてきたが、結局直すことのできなかった、乱れた気が少しおさまった。


(なぜだ?)


 武術を学んでいない亮には、わからない話のはずなのに、妙に納得。


「あぁ、そうなんだ」

(変わってないんだね。

 えっ、何が?)


 すぐに、わけがわからなくなった。燈輝は亮の服装に目を止め、


(七つ違い。制服。

 高校生か。

 だいぶ背が伸びた)


 ぼんやりしている亮に、燈輝は低い声で、


「相談事か?」


「……あぁ、うん」

(そうだった。

 呪いの解き方のこと、聞こうとしてたんだ。

 でも、どうやって言ったらいいのかな?)


 亮は珍しく戸惑った。燈輝は彼女の気の流れに、異変を感じ、


(後ろ向きになった、いつもと違う)


 前から後ろに気が流れると、後ろ向きになる。特に、太ももの前の筋肉を鍛えると、この傾向が強くなるので、要注意。


 燈輝は自分自身に神経を向け、


(俺も、今日は気の流れが少しおかしい)


 燈輝は珍しいことを言った。


「時間あるか?」

(なぜか、お前と話がしたい)


 亮は腕時計を見て、


「え、時間?」

(五時二十分過ぎ……)


 燈輝は少しかがんで、五年ぶりに再会した、幼馴染にもう一度、


「どうだ?」

(今日は、感情に流されがちだ。

 いつもなら、気にせず帰ってる)


 修業以外のことに興味を持っていないのだから、珍しことだ。亮は元気に、


「うん、あるよ!」

(まだ、大丈夫!)


 燈輝は暮れてゆく空を見上げて、


「家、どこだ?」

(この近所じゃなかったはずだ、お前の家は)


 大暴投もせず、亮はきちんと、


誠矢せいやの家の近く」

(ここからは、遠くないよ)


 彼は少しだけ驚いて、亮の顔を見下ろし、


「引っ越したのか?」

(知らなかった。

 気をいつでも、読んでるわけではないからな)


「うん、そう」

(引っ越してから、一度も会ってなかったね。

 そういえば)


 亮は両親がアメリカへ行ってしまったため、母の双子の妹ーー誠矢の母たちが暮らす、家の近くに引っ越してきた。


 燈輝は小さい頃みたいに、


「じゃあ、あの公園だ」

(懐しい)


「うん」

(懐しいね)


 暗号みたいな会話。そして、夕食時の混んだ商店街から外れ、細い路地を一緒に歩き始めた。



 ふたりの移動した公園は、亮と誠矢の家のちょうど中間点にあるところ。亮の家までは歩いても、五分とかからない場所。


 五時半近くなので、あまり人はいなかった。公園の入り口には、家路を急ぐ人が通りすぎてゆく姿がちらほら。


 空には、綺麗なオレンジ色の雲が、ところどころに浮かんでいた。昼間より少し涼しくなった風がふたりの髪を時折揺らす。


 亮と燈輝は、隣り合ったブランコにそれぞれ腰掛けていた。


「食うか?」


 さっき買って来た水まんじゅうとあん団子を差し出した。亮はそれを見て、今日が何の日か思い出し、


(誕生日パーティがあるから……)

「じゃあ、ひとつだけ」


 あん団子をひとつ取った。燈輝は食べ物に目がない亮の前に、さらに和菓子を差し出して、


「遠慮するな」

(昔は、よく食ってた)


 燈輝の申し出に、亮は戸惑いながら、


「え、遠慮じゃなくて……今日は、誕生日だから、ご馳走が待ってるんだよね」

(イチゴのショートケーキ、楽しみにしてるから)


「そうか」

(十七か。

 昔は何も考えずに行動してたが、少しは考えるようになったのか) 


 燈輝、ここで大誤算である。亮の性格は変わっていない。考えずに、先に動くタイプのまま、年だけ取っている。


 亮はあん団子を口に入れ、嬉しそうに相づちを打った。


「うん」

(燈兄に会えたのも、何だかプレゼントみたいだね)


 水まんじゅうを一口食べ、燈輝は本題へ。


「それで、相談事は何だ?」

(早く言わんと、日が暮れる)


「あぁ、うん……」

(言葉が途切れてるからなぁ)


 亮はちょっと躊躇した。燈輝は横目でちらッと見やり、


「どうした?」

(胸の気の流れが、弱くなった。

 お前らしくない)


「小さい頃から見てる夢があるんだけど……」


 亮はそこでいったん言葉を切った。そこで、燈輝は珍しく、くすくす笑う。


「あの夢のことか?」

(おかしな夢だった。

 でかくなったが、未だに見るのか?)


 亮は緑髪の美青年に顔を向け、


「あの夢?」

(どうして、燈兄は笑ってるのかな?)


 燈輝は懐しそうな顔で、


「誠矢とお前の夢の話だ」

(小さい頃、ふたりして見たって、大騒ぎしてた)


 亮はその言葉を聞いて、珍しく言い当てるーーど真ん中に投げた。


「あぁ、スイカのお化け?」

(あれだけは、誠矢と同じ夢見たね)


「そうだ」

(追いかけられたって、言ってた)


 燈輝は低い声で言って、また少し笑った。亮はここで一気に大暴投!


「え……?」

(スイカの話だったよね?

 ソーダ?)


 『そうだ』を聞き間違っている。燈輝は亮の大暴投はわからないし、わかったとしても拾わない。祐と一緒で放置。


 燈輝は先を促した。


「どんな夢だ?」

(俺も今日は、夢を見た)


 亮は珍しく真剣な顔で、


「あ、うん……自分が死んでく夢なんだよね」

(どうして、小さい頃から見るんだろう?)


「死ぬ?」


 慎重に聞き返して、燈輝の脳裏に、今朝の夢がなだれ込んできた。


『……いなくなってしまう』


「うん。言いたいことがあって、それが言えなくて、死んでいく夢」

(あれ?)


 亮が見ている夢は、ピンボケしている。相手に肩を揺さぶられ、声を必死にかけられているもの。夢の中の人物と、燈輝が重なって。亮はぼんやりした。


「そうか」


『どう答えるつもりだった?』


 燈輝の中で、夢が再生されてゆく。亮はブランコを少し揺らして、


「それでね、今日は今までとは違くて……」

(どうして、十七の誕生日なんだろう?

 もっと前から、聞こえてもおかしくないんじゃないかな?)


 これも決められていて、亮の十七歳の誕生日以前から、物事を始めてはいけないことになっている。だが、敵はルール違反をしている。それが、シリーズ3で、八神を苦しめた事件だ。


 亮の夢の違いを聞いた、燈輝は足元の、磨り減った茶色い地面を見つめ、


「違う?」

(気が乱れ始めた。

 正中線。

 胸の意識。

 冷たい気)


 燈輝は気を整えていると、亮の言葉の続きが。


「声が聞こえてきて、その内容がわからないんだよね」

(子供だから、わからないのかも知れないね)


 高校生なら、普通わかる内容なのに、恋愛鈍感少女、またもややってしまっていた。燈輝はさらに袋から、水まんじゅうを出して、


「どんな内容だ?」


 亮は大きく息を吸って、不思議と覚えている内容を口にした。


「『なんてことでしょう。……とは、私は許せません。……。自ら、この呪いを解く意思があるのなら、その機会と方法を与えましょう。今から五千年後に出会うでしょう。の者ともう一度、真実の愛をはぐくみ、十八の誕生日までにその心を持って……でしょう』って内容」

(彼の者だから、きっと相手の人がいるんだよね。

 誰のことなんだろう?)


 シリーズ上、王子によって、様々な反応を見せてきたこの言葉。燈輝はこう反応した。藁人形を刀でバッサリ切るように、一言で切り捨てた。


「意味がわからん」

(言葉が途切れすぎてる)


 結構これは、全面的にわかるはずなのだが……。亮は残念そうに、


「そうなんだね」

(大人の燈兄でもわからないんじゃ、すごく難しいことなんだね)


 いやいや、違う。そこではない、ポイントは。ずれまくっている。


「おかしな夢だ」

(俺のもそうだったが、お前のもだ)


 お互い、不思議な夢を見たことに共感を覚え、燈輝は少しだけ微笑んだ。ここでいきなり、亮は別次元へワープ!


「草原は出てこなかったよ」

(丘の夢じゃなかったよ)


 『おかしい』の『おか』を取って、『丘』にワープ。燈輝は真っ直ぐツッコミ。


「なぜ、その言葉になる?」

(どこへ持っていった?)


 小さい頃から知っているだけあって、大暴投をしているのはわかっていた。


「えっ?」

(あれ、なんか変なこと言ったかな?)


 亮はきょとんとした。燈輝は少しだけため息をついて、


(お前と話すと、頭が混乱する)


 そして、話を元に戻した。


「『真実の愛をはぐくみ』とは、どういうことだ?」

(そこが一番、意味がわからん)


「わからない」

(大切なことのような気がするんだけど、意味がわからないんだよね)


 ふたりとも、本当に不思議そうな顔をした。恋愛鈍感少女と、恋愛に興味のないカップリングだ、シリーズ4は。


 その時!


 燈輝は亮の左側へ何かが向かってくるのを察知。


(来る)


 彼は素早く立ち上がり、持っていたお菓子が地面に散らばった。


(縮地)


 土埃ひとつも上げず、あっという間に、燈輝は自分の左にいる亮の、さらに左側へ移動。


『一緒に……』


 潜在意識に駆り立てられ、無意識に身体が反応する。


(相手の呼吸。

 あやつれる支点)


 テコの原理を使っている、合気は。そのため、倒す相手の中心、呼吸の速度なども読めないとできない。

 燈輝の左手に何かが触れた。合気をかけられる状態が整った。相手の動きを封じるために、


(円を描く。

 合気)


 肩から胸にかけての意識を正しく持って、腕を回すと、昼間、師匠が弟子にかけたように、空中を回転する形になる。


 だが、燈輝の技がかけられる寸前、相手の気が急に歪んだーー交わした。そこで、亮はやっと、自分の左側に立っている燈輝に気づいて、


「えぇっ!」

(い、いつの間に移動したの⁉

 さっき、右側にいたよね)


 公園中に響く大声を上げた。それを気にすることなく、燈輝は触れた相手の次の動きを読む。


(亮の頭上を八艘飛び。

 亮への一直線の攻撃の気)


 右側から亮が狙われている状態に変化。一瞬にして、相手は左から右へ移動。武術の達人は、亮の前方へすぐにさっと移動しかばうように立った。自分がさっきまで乗っていたブランコへ、体の正面を向け、相手と対峙する。


(なぜ、狙う?)


 亮は燈輝の動きに気づかず、自分の左側をぼうっと見ていた。縮地を使っているので、燈輝の動きに亮がついていけない状態。


 その時、誰も乗っていないはずの右側のブランコが急に揺れ出した。


「えっ‼」


 亮がびっくりして振り返ると、自分より小さい人が。


(袴姿?

 燈兄がおじいさんになった⁉)


 ボケ倒している。浦島太郎ではないのだから、急に年は取らないだろう。亮は自分が狙われているとは気づいていないし、武術の技で、動きが早すぎて視覚で捉えられないのだ。


 燈輝はその間も、上は白で、下は瑠璃紺色の袴姿の小さな人の気を探り続ける。


(未だに、亮を狙ってる)


 亮は突如現れた小さな人に驚いて、自分の危険を回避することは困難。燈輝は敵に気を配りながら、守りたい人の気の流れを探る。


(胸の意識が強くなってきた。

 次は、後ろにバランスを崩す。

 それを防ぐには……)


 大抵驚くと、亮は後ろに倒れる。燈輝は体の奥底で、無意識に判断、それを防ぐため、


(正中線と正中線。

 肩甲骨けんこうこつ(*背中上部にある左右一対の、逆三角形の板状の骨)。

 腸骨筋ちょうこつきん(*腰の奥深くにある筋肉)、大腰筋だいようきん(*背骨から、腰の奥深くにつながる筋肉。(腸骨筋と大腰筋は、一般的には、インナーマッスルと呼ばれている))。

 重心の移動)


 物質の中心と自分の(正中線)を重ねて動かすと、必要最低限の力で動かせる。筋肉と骨の部分は、今必要なものを、一番合理的に使うため意識した。『重心の移動』は、ここでは、亮の動きを補正ーー後ろに倒れなくするため。


 燈輝は一瞬のうちに実行ーー右腕を鮮やかに動かして、亮に声をかけ、


「倒れるな」


「えぇっ!」

(な、何⁉)


 ボケ少女は自分の体が何かに包まれたような気がした。燈輝はすぐさま、次の彼女の行動を読む。


(次は暴れる。

 この状態で、暴れるのは危険だ。

 それをさせないためには……)


 武術の達人は、瞬時に判断して、


(亮の動きを封じる。

 亮の重心を、俺に軽く移動させる。

 合気の原則のひとつ)


 重心を軽く移動させると、意識と動きが軽く奪われた状態に。これを使って、円を描くと、回転させながら簡単に倒せる。八平が昼間やったのと同じだが、ここは軽めにかかっている。相手の気の流れーー動きも制御するのが、合気。


 そこで、亮は体の異変を感じて、


(ん?

 何だか、ぼうっとしてきたような……)


 誰かのゆっくりした呼吸が、亮の耳元で聞こえる。こんな近くに人などいないはずなのに。


「暴れるな」


 地鳴りのような、落ち着いた声が、亮の右側からやっていた。しかも、体の前面に振動を伴って、


「え……!」


 ボケ少女、びっくりして、暴れようとしたが、不思議なことに体から力が抜けていた。八平に合気をかけられ、床にずっと寝転がったままの燈輝と同じ状態。


(あれ? 動かせない。

 何でだろう?)


 亮は、今の自分の状況をなんとか、把握しようとして、 


(右の方に何か見えるよ。

 黒……ううん、少し緑色のような気がする。

 あぁ、髪の毛だ。え、誰の?)


 そこで、自分の背中に何かの圧迫感があり、


(何だか、服が引っ張られてるような気がする)


 そう思って、少し左に振り向いた。


(……白い布?

 服……かな? 誰の?)


 そして、さっきまで話していた燈輝の服装を、亮はふと思い出して、


(そういえば、燈兄も、白い服着てたよね?

 ん、燈兄なのかな?)


 狙う気満々なのに、動いてこない敵。燈輝は当然誰だか、わかっている。また亮の体に振動をともなって、燈輝の低い声が、


「なぜ、俺ではなく、こっちを狙うんですか?」

(なぜ、亮に殺気を向けるんですか?)


 年老いた声が、下の方から聞こえてくきた。


「気の乱れは、なおったようじゃのう?」

(家にいた時とは、大違いじゃ)


「質問に答えて下さい」

(未だに、殺気が向かってます。

 なぜですか?)


 殺気を向けてきていたのだ、敵は。当然、燈輝は亮を守るだろう。だが、守り方に問題が……。公園の地面に伸びた影は背の高いものと、小さくちょこんと丸まったものの、ふたつしかなかった。亮の影が、不思議なことにない状態に。


 相変わらず、誰かの息遣いが耳元で聞こえる中、亮は不思議そうな顔で、


(誰と誰が話してるのかな?)


 自分がどうなっているのかわからないボケ少女に、年老いた声が、親しみのこもった様子で、


「亮ちゃん、久しぶりじゃのう」

(五年ぶりじゃ)


「え……?」

(どうして、自分の名前、知ってるのかな?)


 亮は声が聞こえてきた右側へ、首を回した。そこで、また別の違和感に気づいて、


(あれ、視界が高いね、ずいぶん。

 さっきまで、ブランコに乗ってたよね。

 でも……今は乗ってないね。

 いつの間に移動したのかな?

 背が高くなってる気がする。何で?)


 普段立っている時よりも、亮のいる視界はずいぶん高くなっていた。今度は、自分の足に違和感が、


(ん、浮いてる……?)


 不思議がっていると、自分の左耳のすぐ近くから、声が、


「師匠……」

(なぜ、あとをつけてきたんですか?)


 あきれているような、低い声だった。


(師匠?)


 亮は小さい年老いた人をじっと見つめて、


(今の声は、燈兄だね。

 燈兄の師匠……ってことは……?)


 小さい人の名前を、ボケ少女はやっと思い出した。


「あぁ、八平さん。久しぶりです」


 挨拶をしようと、頭を下げると、顔に何かが当たった。


(ん? ……布?

 おかしいなぁ)


 影がひとつ足りないということは、重なっているか、くっついているかが起きているということ。


 夕暮れの公園で、ふたりきり。

 しかも、亮の視界は高くなっていて。

 彼女の背中には圧迫感が。

 燈輝は右腕を動かしていた。

 深緑の髪が亮のすぐ近くにある。


 他の人から見たら、思いっきり意味深なシチュエーションになっている、今。

 若者ふたりを前にして、八平は妙にうなずく。


(やっぱり、そうじゃったんじゃな。

 燈輝の様子が今朝から、おかしいと思っとったんじゃが。

 これを悩んどったんじゃな。

 それなら、この言葉で、お前の悩みは一気に解決じゃ!)


 じいさん、思いっきり勘違いして、大胆発言を放った!


「亮ちゃん、うちに嫁に来んかのう?」


「っ!」

(なぜ、その言葉なんですか?)


 亮のすぐ近くで、誰かのつまったような呼吸がした。その反動で、背中にある圧迫感が少し弱くなり、亮は落下速度を感じて、


(わっ、なんか、下にずれたよ!)


「落とすと、危ないじゃろうが」


 八平は息をつまらせた人に注意した。燈輝の態度から、師匠は勝手な解釈を開始。


(お前が、それだけ慌てるとは、やっぱり、わしの勘は間違っとらんかった。

 わかっとる、わかっとる。

 幾つになっても、燈輝はわしの可愛い孫じゃからのう。

 お前の考えてることは、よくわかる)


 亮は八平の言葉に、違和感を持って、


(落とす? 何を?)


 なぜか、何かが落下の危険がある状態に。燈輝は再び右の肩甲骨に意識を集中させ、


(正中線と正中線。

 重心の移動。

 亮に浮身うきみ(*武術用語で、操り人形のように、上からつられた状態のこと。これをすると、体感的に軽くなる))


 浮身を使うと、相手を軽々と動かせることができる。合気の中級編。八平は燈輝に臆することなく、もう一度、亮に、


「どうじゃ?」

(亮ちゃんもそうかのう?)


 期待をしていたじいさんに、亮の大暴投が。


「あぁ、確かに暑いですね」

(夕方だけど、夏だからね)


 誰かのため息が、耳元で舞った


(意味がわからん)


 八平は亮にのんびりツッコミ。


「うちわとは言っとらん。家に嫁にじゃ」

(『うち』に『わ』を勝手につけとる)


 ボケ少女ここで、宇宙の果てに一気に大暴投!


「え……?」

(家が夜?

 燈兄んだけ、真っ暗ってことかな?)


 何も返してこない亮の言動を見て、八平はまた、勝手な解釈をして、一人幸せそうな顔で、


(そうか、わしの言葉が耳に入らんほど……亮ちゃんもそうなんじゃな。

 知らんかったのう、こんなことになっとったとは……。

 どれ、ちと感想を聞いてみるかのう)


 ここで、やっと明らかになる。燈輝と亮が今どういう状態か。八平は若者ふたりを前にして、


「亮ちゃん、燈輝の腕の中はどうじゃ?」

(さっきから、そのまんまじゃ)


 亮はぽかんとして、


「え……?」

(燈兄の……腕の中?)


 彼女は八平から顔を外して、左へ顔をゆっくり向けた。すると、今すぐキス出来そうな距離に燈輝が。亮はびっくりして、大声を上げ、


「えぇっっっ‼」

(な、何で、こんなに近くなったの⁉

 わっ、燈兄に抱きしめられてる⁉

 な、何だか、恥ずかしいよ)


 燈輝の腕の中で、顔を真っ赤にした。武術の達人はボケ少女をかばうために、右腕で軽々と抱きかかえていた。しかも、自分の背と同じ高さに持ち上げて。やりすぎである。


 燈輝も珍しく、びっくりして、


「っ!」

(師匠、罠ですか?)


 大騒ぎした若者ふたりを見て、八平は満足そうに微笑んだ。


(ふたりとも、いい反応するのう)


 八平は、今までの自分の行動を心の中で長々と語り始める。


(わしはのう。

 燈輝の様子が朝からおかしかったから、家から気配を消して、つけてきたんじゃ。

 心配じゃったからの。

 天照庵を出たあと、燈輝が家と違う方向に急に動き出したから、何をするのかと思って急いであとを追ったんじゃ。

 そしたら、そこに亮ちゃんがいたんじゃ。

 何やら意味あり気に見つめ合ったりしてな。

 これはもしや……わしの修業バカな孫にも、とうとう春が来たかも知れんと思ったんじゃ。

 そのあとすぐに、ふたりで移動し始めたから、どこへ行くのかと思ってつけて来たら……夕暮れの公園じゃ。

 なかなか、いいシチュエーションだと思って、しばらく見とったんだが、ちっとも側によらんからのう。

 これは、ちと、わしが手を貸してやらにゃいかんと思ってな。

 燈輝にわかるように、殺気を消さずに亮ちゃんを狙ったんじゃ。

 そしたら、燈輝はわしの攻撃から、亮ちゃんを守るために、右腕であっという間に抱きかかえおった。

 わしの計画通り、急接近じゃ。

 やっぱり、好きなもん同士、側にいるのが一番じゃ。

 燈輝の気の乱れも一気に直ったしのう。

 恋の力は偉大じゃ)


 じいさん、勘違いして、ある意味余計なことを思いっきりしていた。弟子は師匠にまた、心理戦で負けていた。


「降ろす」


 燈輝は短く言って、亮を下に降ろそうとして、


(重心の移動。

 浮身を解く)


 亮と燈輝の気を読んで、八平は妙に感心。


(燈輝、お前もやるのう。

 それで、亮ちゃん立たせたら、お前に寄りかかるじゃろうが。

 まさか、武術を恋愛の手口に使うとは……真っ直ぐ過ぎるお前もずいぶん成長したのう。

 わしは、もう思い残すことはない。

 このまま死んでも、本望じゃ)


 師匠は暮れてゆく夕焼けを見上げて、少し涙ぐんだ。動きを封じたり、相手の意識を奪う技だ、合気は。それを、恋愛に使ったら、近くに寄らせたり、押し倒すことも簡単だろう。


 一人盛り上がっているじいさん、すぐさま訂正。


(いや、まだ、死ねん。

 わしはあの計画をかなえるために、長い間、待っとんじゃ。

 それをかなえるまでには、死ぬわけにはいかん)


 バカみたいに盛り上がってる師匠の心の内に気づかず、弟子は亮をすっと下に降ろした。八平が予測した通り、亮はなぜか足下が、ふらふらして、


「え……?」

(あれ?)


 そのまま彼女は、燈輝にもたれかかった。燈輝は亮を受け止めて、低い声で、


「どうした?」

(なぜ、俺に寄りかかる?)


 亮は燈輝の顔を見上げて、


「足に力が入らないんだよね」

(どうしてだか、わからないんだけど……)


 燈輝は亮を自分の体から離してみるが、彼女は彼に支えてもらわないと、立っていられない状態に。

 燈輝は亮の気を探ぐり、


(なぜ、力が入らん?

 気の流れは、変わっていないが……)


 気の流れとは違うところに問題がある。亮は不思議そうに首を傾げて、


(真っ直ぐ立ちたいんだけど、体が傾くんだよね。

 頭もさっきからずっと、ぼうっとしてるし)


 密着している、燈輝と亮を眺めて、八平は一人、幸せに浸る。


(ええのう。

 夕暮れの公園で寄り添うふたり……ランデブーじゃ)


 祖父は孫の心理を勝手に妄想。


(お互い好きじゃったが、今まで言えんかったのかも知れんのう。

 どう言おうか、燈輝はずっと迷っとったんじゃな。

 だから、燈輝は二十四になるまで、誰とも恋しなかったんじゃな。

 そういうことじゃな。

 ということは………わしがここに居ては、邪魔じゃの)


 八平は気をきかして、若者ふたりに声をかけた。


「わしは帰るのう」

(がんばって告白するんじゃ。

 上原家の未来がかかっとるからのう)


 師匠はブランコからすっと、立ち上がり、滑るようにふたりから離れ出した。


(帰ったら、小十郎と美智子さんに報告じゃ。

 今日は、赤飯でお祝いじゃ。

 そうじゃ、商店街で、たい尾頭おかしらつきを買って……)


 完全に盛り上がっている八平は軽い足取りで、公園から出て行った。

 亮は燈輝に寄り添ったまま、不思議そうに公園の出口を見つめ、


「八平さん、何しに来たのかな?」

(何だか、変だね)


「知らん」

(何か、笑いを取ってるのかも知れん)


 弟子には師匠の考えは、まったく見当がつかなかった。

 そして、静かになった。夕暮れの公園にふたりは取り残された。

 お互いの香りが、夏の空気と混じり合い、それぞれを酔わせるような空間。無言のまま、呼吸の音だけがやけに大きく聞こえる。


 寄り添ったまま、亮と燈輝は、それぞれ違う感覚で、


(す、すごくドキドキするね、小さい頃はこんなことなかったのになぁ)

(また、気が乱れてきた)


 燈輝はふと、今の状況になる前のことを思い出して、


(気の乱れ方が、今日は不規則だ。

 なぜ、さっきだけ、正常に……いや、いつも以上に気の流れがよくなった?

 胸の意識が一瞬で消え、腹、正中線の意識が一気に高まった。

 どうなっている?)


 亮を守ろうとした時の燈輝は、通常ではあり得ないほど、体が冴えていた。ボケ少女はふと公園の時計を見つけ、


(五時四十五分……‼)

「えぇっ!」


 びっくりして飛び上がろうとしたが、力が入らなくて大声を上げただけだった。


(た、大変だ。間に合わないよ。

 六時に、櫻井さん、来るって言ってたのに。

 ど、どうしよう⁉)


 半ばパニック寸前になっている亮に、燈輝は顔を近づけ、


「どうした?」

(胸の意識が、いつもよりもさらに前に出ようとしている)


 亮は彼の香りを感じて、ドキッとする。


「あっ、あの……」

(さっきよりも、ドキドキするよ)


 燈輝は何も言わず、彼なりの対処を開始。


(落ち着く気の流れを、お前に送る)


 気を自由に操れるのも、合気の醍醐味。すると、亮は少しずつ落ち着いてきてた。


「六時から、家でパーティするんだよね。だから、帰りたいんだけど……どうしたら、ちゃんと歩けるのかな?」

(遅れちゃうのは、よくないよね。

 困ったなぁ。

 歩きたくても、立ってるのも、一人で出来ないし……)


 燈輝は短く、


「運ぶ」

(状況を打開する。

 時間に遅れるのは、いかん。

 正中線と正中線。

 重心の移動)


 武術の達人は一瞬のうちにそれらをして、亮を右肩に軽々と担ぎ上げた。


「えぇっ!」

(な、何で肩に乗せてるの⁉)


 亮は目を大きく見開いたが、自分で動けないので、されるがままだった。燈輝は彼女のカバンを左手で持ち、


「家は、どっちだ?」

(気が乱れる。なぜだ?)


 魂の奥底にある何かに、武術の達人の気の流れは揺すぶられていた。亮は目線だけ動かして、


「あ、あっち……」

(さっきよりも、もっと恥ずかしいけど……。

 で、でも、仕方ないよね。

 自分じゃ歩けないし、運んでもらうしかないよね)


 燈輝は亮の気の流れを読んで、方向を判断。


「わかった」

(お前の気が向かった方に、移動……!)


 そこで、やっと気づいた、燈輝は。師匠が恋愛の手口と勘違いした技の残骸を。燈輝は少しため息をついて、亮に急にまっすぐ謝った。


「すまん」

(技、解くの忘れてた。

 ずっと、お前の重心、奪ったままだった。

 お前が一人で、立てないのも無理ない)


 最初、亮が後ろに倒れないために、重心を前へ移動させた。暴れると危険だと思い、亮の重心を燈輝が奪った。次に、師匠の言葉に驚いて、亮を落としそうになり、彼女の重心を上へ移動させた。この、二番目の重心を奪った技を解くのを忘れたのだ、燈輝は。


 重心を戻され、急に謝られた亮は、きょとんとし、


「え……?」

(な、何で、燈兄、謝ってるのかな?)


 そして、燈輝は彼女を地面へ艶やかに降ろした。すると、亮は真っ直ぐ、自分で立てるようになっていた。ボケ少女は目をぱちぱちさせて、自分の足下を見つめて、


(あれ? ちゃんと立てるようになってる。

 それに、頭がぼうっとしてたのが、消えた気がする。

 気のせいだったのかな?)


 燈輝の低い声が、夕暮れの空に舞う。


「送ってく」

(俺のせいで、迷惑かけた。

 それぐらいはする)


「うん、ありがとう」

(燈兄は、優しいね。

 昔から、変わってないんだ)


 亮が屈託のない笑顔でうなずくと、ふたりはきちんと距離を取って歩き出した。

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