表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Legend of kiss4 〜太陽の王子編〜  作者: 明智 倫礼
4/23

乱れた気

 今日は七月七日、火曜日。

 いつもなら、同じ敷地内にある道場に向かうところだが、八平に言われたため、燈輝は自宅で過ごしていた。


 夏の少し湿った風を感じながら、縁側で乱れた気を整えようとしている。

 獅子落としがカコンとなる中、池の鯉がちゃぷんと水面に顔を出す。綺麗に整えられた植木と、灯籠とうろうが日本の奥ゆかしさを漂わせていた。


 燈輝は朝の清々しい空気の中、自分の内側に集中。


(胸に体の中心が来ている。

 その丹田たんでん(*気をためるための器)の意識が異常なほど強い。

 普段とまったく違う。

 普段の自分は、腹の丹田の意識が一番、強い。

 胸の意識は持っていない。

 それは、たいてい変わらない。

 自分の気の流れの特徴だ)


  胸の丹田は感情を司る。腹の丹田は落ち着きを与える。いつの燈輝は、腹の方しか持っていない。


 遠く空を飛んでいく鳥を、瞳に映しながら燈輝は、別の気の流れを読む。


(修業で身につけた、正中線せいちゅうせん(*身体の中心を上下に貫く、バランスを取るための気の流れ、センターともいう)が崩れている。

 下の意識が衰え、全体的に前へ出ようとしている)


 燈輝は一度、腹で息を深く吸う。


(感情に左右されやすい気の流れだ。

 修業をするには、感情は邪魔だ。

 それをなくすためには……)


 燈輝はそこまで判断して、気の流れを整える修業へ。


(板の間の上に正座する。

 腕組みは厳禁、胸の意識が強くなる。

 両手はひざの上に乗せる。

 地球の中心を感じる。

 腹の丹田に意識を置く。

 それを保ったまま、深くゆっくり息を吸う。

 そして、下から落ち着いた気の流れを、自分の腹の丹田に入れる。

 そこに意識を残したまま、息を吐いていく)


 足を開いてはいけない。両脇から熱いマグマの気が体に流れ込み、胸の意識が強くなってしまう。腕組みも胸に意識がいってしまうから厳禁。感情に流されないためには、この気の流れはいらない。だが、反対にいえば、思いやりや、情熱があるということだ。決して、いけない気の流れではない。武術の達人、燈輝に必要がないだけ。


 燈輝がそれらを繰り返している間、夏の風が吹き抜け、静かな時間が流れていた。


(次は正中線だ。

 胸の熱い意識を消すために、冷たい正中線を作る。

 水……氷……身体を上下に貫く一本の線。

 前へ出過ぎている。

 それを後ろに下げて、自分の中心に合わせる)


 正中線とは、足元の内くるぶしから足のひらへと落とし、少し内側へ入った場所が体の中心となる。膝より下は二本の骨に支えられている上、内側の方が骨が太い。そこに重心を乗せたほうが合理的。そこから、上へと細かいポイントに巧みに気の流れを通していき、頭にある百会ひゃくえい(*ツボ)へと貫かせる。


 非常に難しい気の流れで、持っている人はほとんどいない。

 燈輝はさらに、次へと進む。


(広い空間をイメージする。

 目に見える範囲ではなく、宇宙の果てを感じる。

 三百六十度、同じように……)


 そこまで考えた時、ふと、朝見た夢を思い出した。そこで、彼は違和感を覚え、


(あの気の流れは、普段、感じている宇宙と違う。

 なぜだ? 夢だからか?

 ……いや、違う。

 感覚が、鋭すぎる。

 『大切な想い』

 『一緒に守りたかった……変えたかった』

 誰とだ? あれは、誰だ?

 胸が苦しくなる……あの感情は、何だ?)


 燈輝の気を読む力はすごかった。まだ、ラピスラズリに行っていないのに、別世界だと気づいた。あの直感型、セリルよりも早かった。日々の積み重ねは大切ということだ。


 体の中の気に、別のものがざざっと入り込み、燈輝は急に顔をしかめた。


「っ……!」

(いかん。また、気が乱れた。

 夢を見たぐらいで、乱れるとはまだまだ、修業が足らん)


 また、燈輝は乱れた気を整え始める。


(腹の重たい意識。

 落ち着き。

 冷たい正中線。

 大きな気の流れ)


 かなりのものだ、燈輝の修業は。ここまで、できる人はそうそういない。だが、なかなか乱れた気を修正することは、出来なかった。


(……最後の手段だ。

 胸の丹田の性質を変える。

 熱いものから、冷たいものへ。

 火ではなく……氷)


 そうイメージすると、胸の体温が下がっていく気がした。


 『頭寒足熱』という言葉あるように、頭は冷やした方がいい。それを気の流れでやるには、氷で頭を囲まれたイメージを持つといい。燈輝はこれを、胸の丹田に応用。


 武術の達人は正座したまま、深くゆっくり息を吸い、


(何が原因だ?)


 目の前の、立派な日本庭園を凝視。獅子落としのカコーンという音が響いた。


(夏?

 ……いや、それなら、今日、突然というのはおかしい)


 季節によって、調子が変わるのは、自然の気の流れに、体の気の流れが影響を受け、変質してしまうからだ。


 燈輝は美しいまでに、真っ青な青空を、見上げ、


(雨?

 いや、今日は雨は降っていない。

 晴天だ)


 雨が降ると、冷たいものが降り注ぐ。そのため、胸の熱い気が消されないようにと、いつもより熱を持つ。雨の日にイライラしたり、体がだるくなるのはこのせい。


 燈輝は記憶を朝まで巻き戻した。


(食事?

 いや、朝の食事は和食。

 油物、肉類は食べていない。

 ここ、数日そうだ。

 過剰に食物の摂取もしていない。

 胸に中心が来るような原因は、何ひとつない。

 おかしい)


 食べ物で、気の流れは決まる。逆もまたしかり。気の流れで、好きな食べ物が決まる。胸の丹田がある人は、肉や脂っこいものが好物。腹に丹田がある人は、和食や食物繊維が好き。食べすぎは、気の乱れを引き起こす原因のひとつ。


 燈輝が気の流れを整えている間、彼自身には聞こえない声が、魂にずっと呼びかけていた。

 

【追憶 五千年の時を経て 愛しき者 再び巡りあう】


 呼びかけてる人も大変だ。全然気づいてもらえないのだから。


 燈輝は修業をずっとしていたが、鋭い気の流れを察知。


(後方から……)


 素早く、右へ身体をずらした。間髪入れず、自分の左側の床に、木の棒がびゅっと勢いよく降りてきた。そして、床にぶつかるかるかと思いきや、流れるような仕草で、自分の左側へ方向転換してきた。


 体に触れるのを阻止しようと、燈輝は木の棒を左手でつかんだ。やってしまった。このあとどうなるか、予測がつく。


「!」


 朝とは違い、攻撃を阻止した燈輝は日本庭園を眺めたまま、木の棒を自分へ向けてきた相手に抗議。


「師匠、木刀は危ないです」

(今、本気で狙ってました)


「甘いのう」


 年老いた声が聞こえたと同時に、燈輝の身体が傾いた。彼は無意識のうちに、全てを判断。


合気あいきかけられた。

 防ぐのは無理だ)


 かけられたら最後、返す手がないのだ、合気は。186cmもある燈輝の体は軽々と宙に浮き、怪我をしないように対策を取るだけで手一杯。


(受け身)


 縁側の空中で前転して、床の上に仰向けに、大の字に寝転がった。150cmしかない師匠は、弟子を見下ろして、心の中で指導。


(今日のお前は、いつもにも増して、甘いのう。

 木刀に触れたら、合気かけられるじゃろうが)


 木刀の動きが不自然だった。真っ直ぐ床に落ちる寸前に、燈輝に向かってきたのだから。心理戦でやられてしまった、二十四歳の若者は。


 物理的に接していれば、合気はかけられる。師匠の持っている木刀に触れたら、合気をかけられて当然。相手は、世界的に有名な武術家なのだから。


 これを応用して、相手の武器を奪うことも簡単にできる。


「…………」


 カラスがカーカーと鳴きながら飛んでいく間、186cmもある燈輝は、しばらく、不思議なことに話すことも、動くことも出来なかった。


 意識も奪われて、体の動きも封じられてしまう。通常なら、合気をかけられた瞬間から覚えていない。何が起きたのかさえわからないのだ。気づいたら、倒されていたという感じだ。


 だが、燈輝はなんとか覚えている。それだけ、達人なのだろう。


「っ…………」


 一分経過。

 床に寝転がったまま微動だにしない燈輝。息は苦しそう。木刀を握ったまま、だが、それも自分の力では外せない。一方、八平も木刀を持ったまま、空を悠然と眺めた。


「いい、青空じゃのう」


 師匠の声も、聞き取れない弟子は。


「っ…………」


 五分経過。

 それでも動けない燈輝の息はまだ苦しそう。それはなぜか、自分を保っている気流れ全てを、師匠に奪われているからだ。正体不明になっているのと一緒。


 二分経過。

 師匠は弟子にかけていた技をやっと解いた。木刀を燈輝の腕から、するっと抜いて、


(未だに、気の乱れは直っておらんようじゃのう)


 やっと動けるようになった燈輝は、体の違和感を抱きつつ、


(頭が、くらくらする。なぜだ?)


 合気をかけられただけでは、頭はクラクラはしない。別の何かが起こっている。

 木刀で自分を本気で襲ってきたという、殺傷能力の高いことをしてきた師匠。後ろへ振り返り、弟子は、


「何ですか?」


 八平は燈輝の違和感の原因を説いた。


「修業のやり過ぎじゃ」

(一体いつまで、そうしてるつもりじゃ?)


 八平は回りを見るように促した。燈輝はそこで、やっと気づいた。


(陽がだいぶ西に傾いてる。

 夕方……)


 彼は朝から、修業にずっと没頭していて、時間をすっかり忘れていた。本当に修業好きである。

 燈輝は珍しくため息をつき、


「やり過ぎ……」

(しかし、出来ん。

 朝から、ずっとしているが、乱れた気は一向に直らん。

 なぜだ? なぜ、直らん?)


 八平は、また修業を始めそうな勢いの孫を見て、


(修業ばっかりで、他のことに興味が向かん。

 このまま、一生終えそうな勢いじゃ。

 わしの、あの計画は無理かも知れんのう)


 八平じいさんには、切なる願いがあった。孫に、祖父らしく優しく、


「脳が疲れとる」

(それ以上やっても、身にならん)


 修業し続けたい人間がやってはいけないこと。燈輝は盛大にため息をついて、


「…………」

(意識がぼうっとして、頭が痛い。

 確かに、脳が疲れてる。

 しかし……気の流れを整えないと……)


 脳疲労を起こしている。休まないといけない。それなのに、燈輝は修業に気を取られて、まだ続けようとしていた。八平は孫に、ひとつ提案。


天照庵てんしょうあんの水まんじゅうとあん団子、買ってきてくれんかのう?」

(大事なことじゃ。

 脳が疲れた時には、甘いもんが一番じゃ)


 弟子は真っ直ぐツッコミ。


「もう、お茶の時間過ぎてます」

(四時過ぎです)


 師匠は心の中で、激しくツッコミ。


(それは知っとる、そこまでぼけとらん!)

「お前の分じゃ」


 八平は優しく微笑んだ。修業バカ、燈輝は真面目に、


「夜は、食いません」

(夜食べると、感覚が鈍る)


 感覚を鋭くするには、夕食は避けが方が極力いい。師匠は、それを聞いて、心の中でため息を。


(何をそんなに必死になっとるんじゃ?

 仕方がないのう)


 師匠は、弟子が一番気にしてる点をついて、上手く言いくるめた。


「明日の修業に差し支えるじゃろうて」

(どうじゃ?

 これで、わしの言うこと、聞くじゃろ)


 燈輝は師匠へあきれた顔。


「…………」

(天照庵へ、買い物に行かせるために、わざわざ木刀持ってきたんですか?

 しかも、本気で襲ってきました。

 どういうつもりですか?)


 自分の身長近くまである木刀を軽々と持つ八平。186cmの燈輝を投げ飛ばしたのだ、木刀ぐらい扱うのは簡単だ。得意げに師匠は、ニーッと笑う。


(木刀でお前を襲ったのは、わしのすごさを見せつけるためじゃ)


 じいさんは、一体誰にすごさを見せつけたかったのだろうか、謎である。おそらく、これは笑いだろう。

 祖父は、たもとからお金を出して、


「これで、買ってくるがよい」


 孫は素直に二千円を受け取り、


「わかりました」

(明日の修業に差し支えるのは、いかん)


 美青年は艶やかにすっと立ち上がって、縁側から長い廊下を通り、玄関まで歩いていく。その間、燈輝の心の中は、次の言葉でいっぱいに。


(縮地。

 正中線。

 丹田)


 全然、師匠の話を聞いてなかったというより、燈輝は無意識のうちに修業している、いわゆる修業バカなのだった。


 草履を履いて、少しオレンジ色に染まり始めた空を見上げ、


(もうすぐ日が暮れる。

 あと、何の修業が出来る?)


 武術の達人らしいことを考えながら、商店街へと歩き出した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ