真実への弾劾
父は、教団の教えとは違うことを私によく語っていた。
もちろん私と会堂の礼拝にいつも参加していたし、司祭の説教も真面目に聴いていたが、そこに行く前必ず父は私にこう注意したのである。
「カイム、奴らの言葉を絶対信じるんじゃないぞ」
聖職者たちを毛嫌いするような厳しい目つきで、
「奴らは神だのと聖女だのとそれらしいことは語るが、何一つ正しくない。どいつもこいつもあのうそに満ちた言葉に惑わされているのだ。だが、私たちは違う。私たちは真実を知る一族なのだから」
自信のある顔で語った。父は神を信じず、神を信じる人間を軽蔑さえしていた。
スギシタ家はかつてオーサカ国が栄えていた時代、古代末期――人類の文化が――の書籍を管理を王から任されていたといい、非常に高い地位を宮廷で有していたらしい。無論私が生まれた頃はオーサカ国はすでに遠い記憶、カンサイ地方一帯は聖職者たちが統治するところになっていたわけだが、いまだに『モノシリ』――父はこの種族の末裔であることを何より誇っていた――の遺産を喪ってはいなかった。
私の家の地下には祖先から受け継がれた膨大な量の書籍が納められていた。歴史書、科学書など、その種類は多岐にわたる。誰もが寝静まり、闇がすっかり街を蓋った頃、父は灯りをともして、いつも何か一冊引きだしては私にその内容を語るのである。
父はある時たずねた。
「カイム、人間はどのようにして生まれたと思う?」
私は会話が外に聴かれているのではないかと恐れ、教団の教義どおりのことを話した。
「ええと、神様が土をこねって、まず男を創造してから――」
だが父は大きな声でさえぎった。自分の言葉が教団にとって危険なものであることもいとわず、
「それは違うぞ。人間は猿からシンカしたのだ。何者かによって造られたんじゃない」
父はそれから、シンカという言葉の意味を長々と説明した。シンカがどういうものだったかについては、もはや記憶にない。完全に忘れ去ってしまったよ。
またある時、宇宙の成り立ちについて。
「今から百三十七億年前、巨大な爆発とともに生まれたのだ。その前には何もなかったわけじゃない。神ではなく、また別の宇宙が……」
正直に言えば、父の話はどれも堅苦しく、つまらなかった。数式を紙に書いて示されても、まるで魔術の呪文のようだったし、その答えを求めていすに座り、長く思索する様子は、まさに悪魔に憑かれたかのように不気味だった。
事実、悪魔が取り憑いていたのかもしれない。かつて私の祖先が信じていたモノシリの知識を知る者はどこにもいない。聖女の啓示を信じる人間ばかり。
モノシリの知識が失われ、聖女の啓示が打ち勝った事実こそが、神を信じるに足る理由ではないのか。
ヒロシマの聖女が神から啓示をさずかり、全人類を救うため戦いに身を投じたと信じない者は、少なくともニホンの内部には存在しない。
父の教えをはっきり嘘だというつもりはない。しかし、ヒロシマの聖女の啓示にいささかの真実も含まれていないなら、なぜニホン全土に神と聖女をたたえる文句がやまないのか。
父はただ私にあの言い伝えを教えていただけではない。しばしば友人や通行人にさえも自説の正しさを語ってやまなかったそうだ。あの後の強烈な心の衝撃のために、当時のことを何もかも覚えているわけではない。しかし、父は議論ずきで、たまに家に帰ってはちょっとしょげた顔で、
「今日はあいつらを説得できなかったよ」
と話すことがよくあった。もしかしたら、それが一番良くなかったのかも知れない。
ある夜、家にある聖職者が尋ねてきた。
声からしてもう、威圧的。
「スギシタ・テルスケどのだな?」
父は、表むき敬意をあらわして応答してみせる。
「これは、ツカダ司教ではありませんか?」
私は奥の部屋で、おびえながら壁に立っていた。司教ということはかなり高位の人物ではないのか。
一体、何が始まるというのだろう。
「ヒロシマの枢機卿の命令でな、古代の人々が書き記した邪悪な書物を焼き払えとの仰せだ。すでにキューシューとシコクでは何百冊もの本を滅ぼした。神への信仰をけがす書物は絶ちつくさねばならん」
まさか……あれのことか。全身に戦慄が走る。
「一体、何の話かな」
しらをきる父。
「何も知らんのだな。スギシタ家はモノシリの家系であるから関係ないとは言えまい」
父は威厳に満ちた声をくずすことはなく。
「いや、この家で保管している本は全て宇宙の真理に語るものだ。悪魔に関わるものなど一つもない」
私は部屋の戸をわずかに開けて、ツカダ司教と父の会話をのぞき視る。
ツカダ司教は、どうやら背後に何人もの部下を従えているらしい。
「ある信徒の一人があなたから『聖女は権力者が民衆を支配するため造り上げた架空の人物だ』などと聞いたそうではないか。ありえん。聖女の言行に『神の啓示を少しでも疑った者は、来世では永遠に飢え、渇く』とある」
「いや、誰かの悪口であろう」
司教の口調がとげとげしさを増す。
「悪口ではない。すでに何人からも言質はとっている。特に修道院長のブラウンどのから、モノシリの邪説で街の風紀が乱れている、という書簡をいただいた」
「……そこまでして私をおとしいれたいのか? こんなしがない服屋の主人に……」
その直後、数人の男が父を囲んで、とりおさえる。
「や……やめろ!」
「これは神に関わる問題だ。人間の温情が首をつっこむ余地はない!」
ツカダ司教とその部下が次々と家の中に突入してきた。私自身も部下の一人の手で荒々しく部屋から連れ出された。
彼らは家中をせわしなく動き、花瓶や机を無造作に蹴飛ばして回った。やがて玄関の床、不自然な模様を見つけ、これを数人がかりではがすと果たして地下につながる階段が。
父も私も、後ろからつながれつつ階段を降った。
司教のとりまきの一人がたいまつをともして中へと。
どうなるのかと思うと、もう目に見える光景など注視できるものではなかった。
闇の中、火が照らすのは、壁一面に書棚が広がり、少しの隙間もなく並んでいる本。
「これほどあったとはな! 教団を受けていない書物がまだこんな場所に残っていたとは!」
ツカダ司教は気色ばんだ声で。
「さあ、くまなく探し回れ! 神に逆らう教えを記した本がないかどうか!」
「やめろ!!」
父はついに堪忍袋の緒をきらした。司教の部下を数人殴り、司教自身にも拳を振り下ろそうとした。
「貴様、聖職者に歯むかうとは!」
かなわなかった。父は彼らの手で地面に叩きつけられた。司教は正視に堪えない笑顔を浮かべつつその目の前に近づき、
「言え、ヒロシマの聖女は神から啓示を受け取り、人類を救うため戦いに立ち上がったのだと。そう誓えば赦してやる」
聴きなれた信仰箇条の一部をあげつつ、司教はもはやこれ以上抑えのきかない様子。
「私は神など信じない。神は人間が想像したものの中でもっとも邪悪、不愉快な存在なのだから」
私は目をつぶった。これで父の生死は決まったものと覚悟したから。
だが、若干の沈黙のあと、司教は驚くほど落ち着いた調子で語りだす。
「いいかスギシタどの、私もモノシリの書籍には目を通したことがある。かつて誰もが信じたであろう真実がそこには書かれていたさ。だが、もう時代が違う」
父の歯が怒りで鳴っている。
「あれはかつての人間にとっては確かに真実だった。あれこそが正しく、聖女の啓示こそ間違っているのかもしれない」
司教の発言で私は心配になった。
「オーサカ王はもういない。いるのは聖女の代理人だ。モノシリの知識を憎み、撲滅しようと図っている人間だ。真実はあの方こそが決めるのだ」
気づくと、男たちが本棚から書物を荒々しく次々と持ち去っている。私は、それを止めようと思った。だが、どこかからにらみつける眼光がとどめてくる。いや――そもそも止めたところで、私に一帯の何の益があるというのだろう。
「司教どのは真実をどうお考えか!? 権力者が決める真実など、断じて真実ではない!」
いよいよ耐えきれなくなり、にごった声でまくすツカダ司教。
「古代末期には我々の先祖は神を信じず、それどころか神を日々さげすんでいたそうではないか。またあのおぞましい時代に逆戻りしろというのか? 彼らには地獄の罰しか待っていないというのに!?」
そして、か細い声で懇願する。
「頼む、スギシタどの、モノシリどもの妄言を棄ててくれ。心から神を信じると誓ってくれ。それが地獄から逃れるための唯一の道だ」
私は、じわじわと恐怖にかられた。もし、父が節を曲げねばどうなるのだろう。
父も地獄で永遠の火で焼かれるのか? そんなことは耐えられない。
私は、父の信念に、罪を感じるほど共感しなかった。
確かに、父がこうして辱しめを受けていることに怒りは感じる。抵抗したいとも感じる。
けれど、父が宗教を信じないことには、少しも共感がない。本当は共感すべきなのだろう。だが、父が語る真実に順うほどの覚悟など、欠如しているというのに?
一体、どっちを選べばよいのだ。
「父上、お願いします。神への信仰に立ち返ってください。今ここで、神への信仰を告白して下さい!」
父は裏切られたような顔をして、私を憎々しげな瞳で、
「カイム! お前までそんなことを言うのか!」
突然ツカダ司教は先ほどとは打って変わった態度で、心に刃をたずさえ問う。
「なぜだ? そもそも、君たち二人は敬虔な信徒ではなかったのかね?」
私は声が出なかった。
ずっと会堂におもむいては信仰を告白する儀礼を忠実に守っていた。父はしばしば説教が始まるや立ち去るくせがあったが、それでも不信仰をあからさまに押し出すようなまねはしなかった。
「カイムくん、もし父上の不信仰を知りながらそれを平然と放っておいたなら君は神に罪を犯したことになるのだ。人間を正しい信仰に導かないという罪を!」
「え……あ……」
何という親不孝ものなのだ。
「信仰は人間を殺す! あんなものに藁くずほどの価値だってない!!」
「司教様! 神の権威をなみし、宗教をさげすむ書物が見つかりました!」
一人の男が片手にたいまつ、片手にほとんどぼろぼろになってしまった黒い書物をにぎりしめ。
司教は顔を近づけ、その表紙を確認する。
「『カミハ・モーソーデアル』……」
聖職者なら誰もがおぞましさをいだく言葉。
ツカダ司教は完全に激高した声でがなりたてる。
「なんと冒涜的な書物だ!! 焼け! 悪魔の書物をこの国からたち滅ぼせっ!」
庭に書物の山が築かれ、次に投げ込まれるたいまつ。
こうしてスギシタ家が代々蔵していた本はことごとく死に絶えた。父は取り乱し、燃え盛る書物の山に飛びこもうとした。だが終始男たちの手で羽交いじめにされ、真実に対する『殉教』はできそうにない。
「ああ……功徳だ。これでみんな天国に行く確率が上がるよ」
後ろで、誇るようにツカダ司教が叫ぶ。
私は闇夜の中、炎が書物の山から立ち上るのを黙ってみていた。ツカダ司教に対して色々思うことはあったが、かといって教団の権威に逆らうほどの勇気はなかった。
これは結局、私の意思が関わる問題ではないだから。どれだけ司教が不正な人間に見えたとしても、神がその人を正しいとすれば、私もそうするほか……。
父にとって、死ぬ方がよほどましだったに違いない。
それ以来、父は口を一切きかなくなり、食事もほとんど採らなくなった。一日中介抱しなければ、いつ衰弱死してもおかしくないありさま。私は今でも召使にその世話を任せている。時には自分で、聖典の朗読を枕元でしてあげることも。しかし父はもう元には戻らない。
かといって、恨みはしない。
神がこのようにかたくなな人間を生み、その息子として私を想像したのはなぜか。
確かに私は葛藤したし、そのために神への信仰がゆるいだことも二回や三回ではない。けれど結局、神への信仰はやめようとしてやめられるものではない。
これには意味がある。人間には理解できなくても。
神は私に信心を与えるため、この試練を与えたのだ。悪魔の誘惑をわざと許すことで……。