第4話「直感」
しっかり休みを取って、約1ヶ月ぶりに絵里に連絡を取ることができた。
もちろん絵里のことを忘れていたわけではない。ただ、連絡を取る余裕は全くなかった。
メッセージやメールの文面には1ヶ月前と変わらない。1ヶ月も彼女と連絡を取れなかったから、変わりなさそうな文面に安心した。
ただ、久しぶりに学校に行き、絵里の姿を見た時、なんだか疲れているような、思い悩んでいるような感じだったのが気になった。
必修科目の授業の一つに「教育心理学」というものがある。教員採用試験で必要となる心理学だけに限らず、心理学の幅広い世界を教えてくれる先生だった。
俺のカンのようなものだが、今彼女はきっと、何らかの助けを必要としている。明確な根拠はないが、俺は確信した。
リアルタイムでやり取りはできるが、短文になりがちなメールやメッセージでは汲み取れない表情や言葉の裏に隠されている何かが知りたかった。
その時、俺もそこにあるものに感づいていた気がする。ただ、それを言葉にして絵里に問うことができる段階ではなかった。
「絵里、今週末に久しぶりにどこか行かない?」
「純哉は疲れてないの?」
「絵里に会いたい。少し、ドライブしないか?」
あの時よりは、俺はずいぶん運転には慣れてきてたし、そんなに遠出でなければ絵里を乗せても大丈夫だと思った。もちろん、細心の注意を払うが。
「うん、いいよ」
そういう目で見ているからだろうか、なんだか元気がないような声に聞こえる。
俺は心配になった。
雨のせいで頭が重いからか、純哉の誘いにも乗り気になれない。
周りが自分の進路に向けてあれこれ動き出しているのに、動けない自分。といっても、何かに向けて勉強する意欲もわかない。
親は自分たちが先生だからなのかしつこく教員採用試験を受けるように言う。何のために教職科目を取っているんだって。
そう言われても、何のためかよくわからない。
親は、先生になる気がないなら公務員試験を受けろという。民間企業は大変だと。
確かに色々と学校主催のガイダンスを受けてはきた。地元の企業から全国的な大手企業、自治体、教員と幅広い進路のガイダンスを聞いてきた。
ただ、どれも自分には今ひとつピンとこなかった。自分がその中のどれか一つに所属することに実感がわかなかった。
ただ、他学部から取得しようとして脱落する人間が多いという教職科目をここまで続けられているのには純哉という人間の存在の他にも、自分の今続けているアルバイトが大きい。
自分がこの少人数指導のバイトを始めてから3年間ずっと指導している子もいる。普通は1年間とか2年間だけど。もしかしたら、自分にはそういう少人数にじっくり指導するのが性格にあっているのかもしれない。
でも、親は「ちゃんと正社員で就職しなさい」としか言わない。
そういうことをぐるぐる考えていると、他人と顔をあわせるのも億劫になる。それが、純哉であっても。
週末。いつもの駅に絵里を迎えに行った。
「実習、大変だったでしょ?」
「ああ、寝る時間もあんまり取れなかった」
「そんなに忙しかったんだ……」
「絵里」
言葉を遮るように、俺は問いかける。核心を一気に突く。
「何?」
「最近何かあったか? 俺の気のせいならいいんだが、何だか元気がないように見えて」
「…………」
絵里は押し黙ったままだ。車内に重い空気が流れる。俺はひたすら決めていたドライブコースを走り続けた。目的地は海の見える公園だ。絵里が口を開くのを待ちながら。
梅雨の晴れ間。快晴ではないが、雲は薄く、ぼんやりとではあるが日の光が射し込んでいる。
何か質問をしたほうがいいのか。それとも彼女の自主的な発言を待ったがいいのか。
絵里の目が、何か助けを求めているような気がした。
「もしかして、前聞いた悩みに関係する……?」
俺が考え付く予感を言葉にできるのはこれだけだった。
「たぶん、そう」
絵里も自分の考えをうまく言葉にできないでいたのだろうか。ぽつり、ぽつりと単語を重ねるように話し始めた。
絵里の話を一通り聞いていると、もう目的地に着いてしまう。
俺は絵里に降りるように促し、俺も車を降りる。
梅雨の終わり頃だ。湿気がある。海の近くだからなおさらそう感じるのか。
絵里は一旦話すのをやめ、海の向こうをぼんやりと見つめていた。
その姿はどこか危なっかしく、海に持っていかれそうに見えた。
「絵里」
俺は絵里の肩を掴んだ。ちょっと力を入れすぎたかもしれない。
「うわっ……っと……」
絵里がよろける。
でも俺はそうせざるを得なかった。絵里が持って行かれないように
「純哉、びっくりした……」
「絵里、教育心理学の授業受けたよな?」
「うん、そうだけど」
「別にあの先生にじゃなくていいと思うけど、今俺に話してくれたこと、専門的な知識のある人、いわゆるカウンセラーって人に話してみたほうがいいんじゃないかな。俺はカウンセラーでもないし、医者でもないから詳しいことは分からないし言えないけど、絵里一人で抱え込むには重すぎる問題だと思うんだ」
「自分の将来だから、自分で考えないといけないんじゃないの……?」
「いいや、先生が言ってたろ? そういう考えになってるとむしろ悪循環だって。医者みたいな人に抵抗があるなら今日みたいに俺に話してくれるだけでも構わないし、誰か信頼できる人がいるならその人に話してみるほうが、きっと絵里の心もスッキリする」
絵里はまた黙り込んでしまった。湿気を含んだ風が二人の間を吹き抜ける。
そしてその沈黙を破ったのは絵里だった。
「実は、誰かに相談したほうがいいとは自分でも思ってたの。でも、実際に自分の話を、誰にどう相談していいのか、それが考えつかなくて……」
「だったら、一緒に考えよう。俺も探してみるから」
帰りの車内は、少し空気が柔らかくなっているような気がした。
絵里が真っ暗な状態から少しでも脱する手掛かりがつかめたからだろうか。
俺は自分のできる限り、いや、少し無理をしてもいい、絵里をサポートしたい。
驚いた。
1ヶ月会っていなかっただけで純哉に私の表情の変化を見抜かれるとは。
それほど自分が憔悴し切っていたとは思ってもいなかった。
私の異変に気付いた純哉はこれまでの話を全部、ゆっくり聞いてくれた。
たどたどしい話も、急かすことなく、私のペースに合わせて聞いてくれた。
嬉しかった。自分の思いを初めて告げてそれを受け入れてくれた時も嬉しかったけれど、自分の中でもやもやしている話を聞いてくれたこともものすごく嬉しかった。
その上で専門的な知識のある人に相談したほうがいいと言ってくれて、私は背中を押された。
真っ暗な道に、少し光が見えた気がした。頼りない、かすかな光だけれど。
週明け。
絵里は早速大学の保健管理センターのドクターに面接の電話をしたそうだ。
病院で相談するという方法もあったが、たいてい薬を処方されて終わりというケースが多いようだ。
薬はもしかしたら効くかもしれない。しかし、彼女の体にいいものではないと思う。
だから、俺はいろいろ検索した上でまず大学の保健管理センターのドクターの面談から始めることを薦めた。必要があればきっと薬を出す医者を教えてくれるだろうし、その必要がなければ薬を飲まなくて話を聞いてもらうだけでも、きっといろいろ抱え込んでいる今の絵里にはいいのではないか。
俺と絵里の、例えて言うなら二人三脚が始まった気がした。