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サファイアガラス  作者: 望月 明依子
第2章「夕陽の教室」
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第7話「卒業」



この冬も勉強しながら過ぎていく。

今度は中途半端な意気込みではない。崖っぷちなのだ。

朝から夜遅くまでテキストを読んだり辞書を引きながら過去問を解く。卒論も同時進行だ。

絵里たちの学部は卒論がゼミによっては自由だと言う。絵里のゼミは卒論の提出が必要らしいが、秋には提出してしまったそうだ。

なんだか、かなり自由だな。そんな環境から、ここに来て大丈夫かな。まあ、自分の学部の授業に加えて俺たちの授業も受けてたんだから、それなりに大変さは分かってはいるだろうけど。




吉野先生に渡されたテキストは、これまで受けたことのない授業のものだった。この世界に飛び込むなら、このくらい知ってて当然ということか。

私は必死に読み込んだ。少しでも周りに追いつこうと必死だった。

その間の英語の勉強に、添削してもらって提出した研究計画書の暗記。時間がいくらあっても足りない。

できるだけのことはして試験に臨んだつもりだったが、出来は散々だった。これならまだ教員採用試験の一次試験の方ができた気がする。

面接でも厳しいことを言われ、退室した時にはもうへたり込みそうだった。

控え室には最後の一人が面接に向かって行った。後はこの部屋には自分しかいない。

とりあえず帰ろう、できなかったのはもう仕方ない。そう思って控え室を出る。

「絵里」

「純哉!」

「お疲れ様」

そういえば、純哉は私の一つ前だった。番号の割り振りは出願順のはずだから偶然だろうが、純哉は一番後ろ、私が次の列の一番前ということで席は離れていた。

しかしそんなことを考えている余裕は一切ない1日だった。




面接が終わって、俺は絵里を待っていた。控え室で待つわけにはいかないので、その近くで、見つからないように。

俺も散々だった。英語はともかく、専門の試験で全く想定外の問題が出題されていて手が止まってしまった。

でも、ここは俺の主義で、時間ギリギリまで粘った。そうすれば何か道が開けるかもしれないから。もちろん、こんな場で早々に投げ出す奴はいないと思うが。

面接でも今までに言われたことがないようなことを言われた。凹んだが、俺のすぐ後に面接の絵里を待って、せめて今日ぐらい、どこかでゆっくりしようと思った。

しかし、教室から出てきた絵里の顔は、今にも泣き出しそうだった。

俺は何と言えばいいかわからなかった。自分の試験内容を話しても、きっと今の彼女には追い打ちをかけるだけのような気がした。

「絵里」

「何?」

「来週、合格発表の日、迎えに行く。一緒に、自分の番号を確かめよう」

「私の番号、ないのに?」

完全に弱気モードだ。今の俺もどちらかというと弱気モードなのだが。

でもこういう時は、無理してでも、俯いた絵里の顔を上げてあげたい。

「絵里、なんでそう思うんだ?」

本人には辛いかもしれない。口を開いてくれなくてもいい、もし口を開いてくれたら、俺の話をするつもりだった。

「全然問題解けなかったし……面接でもひどいこと言われた……」

「俺も問題解けなかった。4年間ここで勉強して、必死で試験対策してきたんだぜ、これでも。

面接でもめちゃくちゃに言われたよ。さすがに絵里の話を出すのは先生たちも反則だとは思ったんだろうから出なかったけど」

下を向きっぱなしだった絵里が、俺の顔を見上げた。

「じゃあ、こうしよう。俺は、自分の番号がなくても、自分の結果を自分で確かめる。絵里、それに付き合ってくれないか」

「分かった」

「そこに絵里の番号があれば、もっといいじゃないか」

泣き出しそうだった絵里は少し落ち着きを取り戻したようだ。




散々な試験から一週間。

合格発表の日がやってくる。

純哉は駅で私を拾ってくれて、一緒に大学に向かった。

大学院の合格発表は大学の合格発表のものより随分小さい。まあ、人数が少ないから仕方ない。

そういえばちょうど2年前の今頃、純哉と付き合いだしたんだっけ……懐かしい。

その純哉が、今は私の隣にいる。いろいろなことがあったけれど、彼は離れずに側にいてくれた。

「行くぞ」

合格発表が行われている掲示板に向かう。足がすくむ。現実が、怖かった。




俺もああは言ったものの、正直自信がなかった。

とはいえ、今更ここでジタバタしてもどうしようもない。結果はすでに相手の手の中にあるのだ。

俺は動けないでいる絵里の手を取り、ぐいっと引きずるように掲示板まで連れて行った。

合格発表自体はずいぶん前に終わっている。今は掲示板の前に人はいない。

俺は、意を決して合格発表の掲示板を見る。

なんだ、全部番号あるじゃないか。確かこの専攻の受験生はあの場に4人いたと思うけど、4番まで、一つも欠けていない。

「絵里」

「何……」

消え入りそうな声。

「自分で確かめてみな」

俺は彼女の背中を軽く押す。

「あった……」

「ほら、あったろ?」

「あった、あったよー! 純哉、あったよー!!」

「よかったな、絵里!」

「純哉も?」

「もちろん」

俺は自分で自分の番号を指差す。

彼女の喜びっぷりはこれまでの悩んでいることの多かった絵里とは大違いだ。

ああ、感情表現が分かりやすい。なんだか三原先生に似てる……気がした。




合格証書と入学手続きの書類は家に届いた。

自分で合格発表を見に行ったのに、やっぱりまだ自分が合格したことが信じられなかった。

書類を書きながら、あと2年間学生をすることへの嬉しさと後ろめたさが交錯する。

その先には、何があるか見えないのに。



卒業式。

ひとまず、私はこの学部を卒業する。

単位はたくさん取ったが、あまり成績はいいものではなかった。

本来卒業には必要のない教職科目は「優」が多いのが何か不思議だった。そういえば他学部の学生どころか自分の学部の学生の単位までもバンバン不可にするという噂の三原先生の授業はなぜか「優」だった。

同じ学部のみんなとも今日で、お別れだ。ここに残る子、実家に帰る子、大都市に出る子。それぞれ社会に出たり、私と同じように研究を続けていく。




卒業式前後はみんなで集まって別れを惜しんだり、飲み会があったりして絵里と会える時間を取れなかった。

ゆっくりした時間を取れたのは卒業式の2日後。場所は例の教育学部の控え室。

もう俺らは卒業しているが、まだここに残るから使わせてもらおうということで借りることにした。

「純哉、お誕生日おめでとう」

「絵里も、誕生日おめでとう」

俺らが同じ、3月24日生まれであることを知ったのは、付き合いだしてそう時間が経たない頃。何の気なしに、「純哉、誕生日いつ?」と絵里が聞いてきたのだ。俺の誕生日を聞いて目をまん丸にした絵里の顔を忘れられない。

「本当に、3月24日生まれ?」

「これ見るか?」

俺は取ったばかりの運転免許証を見せた。学生証にも書いてはあるが、運転免許証のほうが信憑性がありそうだったからだ。

「本当だ……」

絵里は自分の学生証を取り出し、本当に同じ誕生日だ、と見比べている。

それから毎年3月24日には、お互いに何かちょっとしたものを贈り合っていた。

「今年は、バタバタしてたし、何も準備してなかった。純哉、何か欲しいものある?」

「絵里がくれるものなら、俺何でも嬉しい」

絵里はなんでもない小物が好きで、ちょっと変わったものを見つけては俺にプレゼントしてくれた。

そのセンスが俺のツボにもハマることが多く、俺らは年甲斐もなく一緒にそれで遊んだりした。

そういう絵里が、微笑ましくて、俺は好きだった。




今年の誕生日は、プレゼントの他にも、純哉を驚かせてみたい。

今までは驚かせられてばかりだった。唇を奪われたり、急に肩を掴んで引き寄せられたり、弱っている時に抱き締めてくれたり、どれも不意打ちだった。

とはいえ、それを超えるようなことは思いつかない。それに、控え室とはいえ、あまり大胆なことはできない。

「じゃあ、一緒にプレゼントを選びに行くか。今からならまだ、時間あるだろ?」

大学4年の1年間はバイトを休んでいたが、院に進むことが決まってから週2くらいのペースでバイトを再開した。そのバイトを気にして純哉は聞いてくれているのだろう。

「うん、今日はバイトは夜だけだから、まだ時間あるよ」

そう言って私たちは立ち上がり、教室を出ようとした。

今だ。

状況はあの時とほとんど同じ。同じ場所、日付は違うけど、時間もだいたい似ている。夕日がこの教室に射し込み出すころ。

私は、ほんの一瞬、彼の唇を奪った。あの日、私が彼に奪われたように。

あの日の私のように、純哉は状況を掴みきれないでぽかんとしている。そしてしばらくして、自分のされたことに気がついたようだ。

「あの日されたことの、お返し」

純哉の顔が赤くなっているのがわかる。

「絵里、これ」

不意に差し出されたのは、布の袋。

「え……」

「卒業おめでとう。そして、合格おめでとう。……ごめん、実は、誕生日プレゼント用意してたんだ」

そして、自分の荷物から色違いの同じ大きさの布の袋をもう一つ取り出す。

「これってもしかして……」

「いつかは、ちゃんとしたものをプレゼントするから」

指輪だ。ドキドキする。

「それは?」

色違いの布の袋の中身を尋ねてみる。純哉はその中から指輪を取り出す。私に渡したのより少し大きめの指輪が出てきた。

「もちろん、自分の分」

「……ペアリング……」

口にするだけでドキドキが加速していくのがわかる。

「いつもつけていて欲しいとは言わないけど、大事にしてもらえると嬉しい」

「ありがとう、嬉しいよ。大事にする」

あの日のように夕日が傾いていく教室の中で、私は幸せでいっぱいだった。



第2章「夕日の教室」ーー完ーー


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