警備隊本部への訪問
僕は現在庶民に扮して主都の裏道を歩いている。扮している理由はここら辺の道は治安が良くなくて、貴族が供もつれないで歩いていたらすぐに絡まれるし、スリの標的になりやすいからだ。
両親にも内緒で供をつけないで来たのには、もちろん理由がある。僕が今向かっている場所は主都の警備隊本部だ。警備隊本部は一年ほど前までもっと治安の良い場所にあった。それなのに、ライウが隊長となった一年前から治安の一番悪い土地に本部を移したのだ。おそらく目論見は、そこに警備隊本部を置く事で犯罪の抑止を図るためと、実際に犯罪が起きた時に素早く対応するためだろうけれど、僕のように警備隊本部を訪ねる用事がある真っ当な人間には迷惑この上ない。やはり、来る途中に主都のいたるところに設置された警備隊派出所に立ち寄って、警備隊の人間に護衛を頼むべきだったろうか? それは警備隊が推奨している方法であるし。でも僕だって腕に覚えはあるし、これから訪ねて行く相手になめられそうで面白くない。
普通の庶民にしか見えない格好をしているのに、ひっきりなしにガラの悪い連中にからまれる。それだけならば相手を伸せば良いだけなのだけど、それだけではなく一般人と見える人間に道を聞けばガキ扱いされて鼻で笑われるし、無視されるし、道を歩けば怪しげな露天の男に怪しげなものを売りつけられそうになるし、汚い身なりの乞食には金をせがまれる。
うんざりしながらようやく到着した警備隊本部の入口で本日一番の屈辱。
「は? 隊長に会わせろ?」
体格は良いけれど品のない赤い髪の若い警備隊員は僕の顔を見下ろして馬鹿にしたように笑った。
「お坊ちゃん、とりあえずどんな話か俺に話してみなよ。俺が隊長に伝えておいてあげるからさ」
何だこの無礼な発言。庶民で、しかも警備隊でも下っ端の癖に。完全に僕をなめくさった態度。
「僕は隊長の知り合いだ」
「隊長はお優しいからそういう人、多いんだけどね? あの人お忙しいのよ。わざわざ隊長の手を煩わせなくてすむ用事は俺たち下っ端がなんとかしてやるのがせめてもあの人の為なんだよ。……って言ってもわかんないよな? 見たところまだどこかの使いっ走りやってるか学校行ってる年だもんな。いいか? 大人はお前が思ってるより暇じゃないんだよ?」
「大切な用事があるんだって言ってるだろう」
「だからとりあえず俺にそれを言ってみろって」
男は楽しそうににやにやと笑いながら言う。その態度が、僕の神経を逆なでする。
「お前なんかに言える話じゃない」
「なんか、って。俺、一応警備隊なんだけど」
へらへらと笑うその顔に、言いあっても無駄だと思い知る。幸い治安の悪い場所に行くからと棒は常備してきたから、それを握り締めて構えようかと思った時、奥の通路からライウが現れた。
「おや、セイ殿」
ライウは僕に目を止めると驚いたように言って、慌ててこちらに駆け寄ってきた。目の前の赤髪の男がちょっと驚いたような顔をする。
「隊長。ご存じですか?」
「ええ。家同士の繋がりで」
「では、この子ども……お坊ちゃんは貴族の子で?」
「はい」
ライウが肯定すると男はぎょっとした顔をして、焦った様子でどこかへ行ってしまった。
ライウは苦笑して、僕を見下ろす。
「何かあの者が無礼をしましたか」
「多少」
「それは申し訳ありません。後できつく叱っておきますのでお許しください」
それから、ライウは心底不思議そうに僕を見つめる。
「ところで、本日はどのような御用件で?」
「ライウ殿にお聞きしたい事がありまして」
「私に? わざわざこのような場所にいらっしゃらず、家の方に訪ねて来て頂ければ良かったですのに」
「少し、人目を憚るお話をしたいと思いましたので」
言うと、ライウは落ち着いた表情のまま僕をじっと見つめて、それからすんなりと頷いた。
「分かりました。では、私の部屋へ参りましょう」
案内されて入口から奥の通路を進む。本部だけあって、大勢の警備隊員が行ったり来たりしている。その中には物珍しそうにちらりと僕を見る奴もいる。
「あ。隊長」
一番奥の部屋に入ろうとしたら、部屋の入口付近で警備隊の制服の女がライウに声をかけた。
「今お客人を案内中なのですが」
ライウが苦笑して言うのに頓着した様子なく、女はきびきびとした調子で手に持っていた書類をライウに押し付ける様に渡す。
「お時間を取らせませんから。こちら、今朝起きた窃盗事件の報告書ですので目を通しておいてください」
「ああ。金貸しの所にはいったやつですか。あれ、犯人捕まりました?」
「捕まえましたけど。色々事情があるので、とにかく報告書に目を通してくださいね。犯人は今のところ地下の3番に拘束していますのでなるべく早く」
「わかりました」
ライウが書類を手に頷くと、女は風を切ってその場を去る。改めてライウが僕を案内しようとこちらを向くけれど、その時には女の後に何故か並んでいた別の警備隊の男がやはり書類を手にライウに話しかけていた。
「隊長。これ、今日の……」
「今私は客人を」
「そんなにお時間かかりませんから先にこれだけ」
これだけ、と言ってもその男の後には別の男がまた待っている。
「……ライウ殿、先に部屋に入ってしまっても大丈夫ですか?」
僕が聞くと、ライウはほっとしたように頷いた。
「申し訳ありませんが、そうしていただけると助かります」
一人で先に入ったライウの仕事部屋は殺風景で、机と書棚と最低限のものしか置いていないようだった。だけど、その机の上には大量の書類が積み上がっている。先ほどの事もそうだけど、どうやら警備隊の仕事は忙しいらしい。
手持無沙汰に本棚を眺めると、犯罪関係や法律関係の本の他に、歴史や地理の本が目に着く。元々そういう趣味なのか、アシュに教えるために知識を仕入れているのかは知らないけれど。
「お待たせしてしまってすみません」
ようやくライウが部屋に入って来た。窮屈なのか上着を脱いで椅子の背にかけ、シャツのボタンを一つ外した。その左手には包帯が巻かれている。ライウは隊長なんだから本部内で事務に携わってさえいればいいのに、自ら望んで外回りの仕事をするという噂を聞いた事がある。実際ライウの武術の腕は確かだから、一人で何人もの悪党を相手にすることもあると、社交界のご婦人方が英雄譚として語り継いでいた。
「いえ。お仕事、大変そうですね」
「そうですね。この国は、犯罪が多いですから」
「そうなんですか?」
「まあ、比較対象にも寄りますけど。トオノの国なんかは落ち着いていて、比較的犯罪も少ないのですよ」
「そう言う事は、このような本に書いてあるのですか?」
僕が本棚の本を指さして言うと、ライウは少し眉を上げた。
「御覧でしたか。そうですね。本に書いてある事もありますし、私は時々金に物を言わせて実際行って見てくる事もできますし、人の話を聞く事もできます」
「そう言う事を、そのままアシュに教えているのは、何故ですか?」
僕の口調は攻撃的だったかもしれない。前に立つライウに倣って落ちついた口調を心がけたけれど。
ライウは微塵の動揺も見せなかった。いつも通り、ゆったり微笑みを浮かべたような穏やかな表情のまま、ちょっと瞬きしただけだった。何の罪悪感も覚えていない顔。
「彼女が知りたがったからです」
「知りたがった?」
「ええ。最初は過去の天気姫について。それらを知ってしまえば、その過去の天気姫たちが関わった外の国や暮らしについて。彼女は知に対して貪欲ですよ。いつも僕の話を聞きもらすまいと、息をつめて聞いている。そして全てその頭の中にしまいこんでしまう。もし僕が教師だったらたまらなく素晴らしい生徒を持ったと身を震わせて喜んだところです」
「それは、禁止されている事ですよ!?」
ライウが話しながら何かを思い出したように柔らかく微笑むのに対して、僕は思わず声を荒げてしまった。ライウはきょとんとした顔を作った。そう、多分これは作っている。
「何故禁止する必要があるのか私には理解できませんから。そんなの、勝手に貴族院が自分たちの都合の良いように決めたただの決まりごとだ」
「でも、決まっているからには……」
僕の言葉はライウの柔らかいけれど有無の言わせない声に遮られた。ライウはいつしか、微笑みを止めて、僕をじっと見つめていた。いつも笑っているようなその瞳は、今は笑っていなかった。僕を刺し貫き透す瞳。
「私は、それよりももっと上位のものを尊重したいですね。何故あの子が知ってはいけないのです? 他でもないあの子自身に関わる事なのに。あの子が知りたくないと、知らないでも良いといっているのならまだしも、知りたいと言っているのに。誰も彼女の知る権利を奪う事はしてはいけないと、私は思います」
「でも、それでも……」
「それで、あの子がこの国を嫌だと出て行くとしたら、それはこの国に問題があると言う事じゃないですか? あの子は賢い子ですから、考えもなしに無闇にそんな事をするとは思えませんし」
まるでアシュの何もかもを知っているような口調。アシュはお前の前で猫かぶりしてるんだぞ? そのお前に、何がわかるんだ。
「随分、アシュを買っているんですね」
「相応の評価をしているだけです。あの子は、立派だ。可哀相なくらいにね。君とは大違いだ」
その言葉に、一瞬耳を疑った。いつも穏やかで柔らかい言葉しか吐かないライウが、意外な事を言った。いやでも、聞き間違いかもしれない。そう思い返した僕の内心なんて見透かしたような顔で、ライウは苦笑して言葉を重ねた。
「君は、あの子に比べたら犬の糞みたいなもんですよ。親の力を自分の力だと勘違いして、自分は賢い、なんでも知っていて偉いんだと思いこんで、背伸びばかりして鼻高々で。私から見たらただの賢しいだけの乳臭いガキです。片腹痛いったらないですね」
驚きと衝撃で言葉も出ない。突然浴びせられた痛烈な言葉の数々に、言われている意味まで吟味できないまま、ただ自分は今猛烈にライウに侮辱されているという事だけは理解できる。
「大体、仕事中の人間を勤務時間に私用で訪ねてくるだなんて非常識ですしね。貴族のお坊ちゃんは、そんな当たり前の事さえ学べないらしいですし。私も早々に警備隊に逃げ込んで良かった」
「あ、あんたがアシュの何を知ってるって!? 僕の知らない何かを知ってるとでも言いたげな口調じゃないか」
毒々しいライウの言葉の槍に言い返す言葉がうまく見つからなくて、それでもそのまま屈するのは悔しくて、悔し紛れに怒鳴っていた。ライウは少し面倒臭そうに、右手でその艶やかな髪ををくしゃりと撫でる。
「少なくとも、君よりは知ってますよ。君、あの子がなんでいつも頑なにストールをしているかさえ知らないでしょう?」
「ストール?」
意味が分からない。どうしてそんな所に話が跳ぶんだ。
ライウはそらみろというような偉そうな顔をして、ちょっと肩をすくめた。
「そろそろ失礼して良いでしょうか? セイ殿。こうして無駄話をしている間にも仕事はどんどん溜まって行くんです。……あ、そうか。私の家の方があなたよりも格が上でしたね。それでは、あなたのお好きな身分序列の法則に従ってこう言わせて頂きます」
ライウはにっこりと微笑んで、部屋のドアを指さす。
「もうご退出ください。セイ殿」
家格がどうのではなく、その威圧感に僕は言葉が出なかった。骨が粉々になるまで打ちのめされたような惨めな気分だ。よくは分からないけれど、その時僕は確かにライウに従わざるを得ないと自分に認めてしまった。僕にはライウにある何かが欠けている。僕とライウの圧倒的な差は、きっとその何かなのかもしれない。
警備隊本部の混雑した廊下を歩きながら、自分が酷く惨めなものになった気がして、警備隊の人間の物珍しそうな視線をとても疎ましく思った。