懐かしい歌
「ここんとこ、ずっと曇りだねえ」
空を見上げてルルが呟いたので、僕もつられて空を見上げる。ここしばらく、天気庁の天気予測で晴れの筈の日でも、曇りの事が多かった。アシュに何か心配事でもあるのだろうか。僕は少し心配になる。晴れ予報の日に大雨が降っていないだけが幸いだけど。
「雨が降らないだけ良いでしょ」
僕が言うと、ルルはうーん、と唸って首をかしげた。
「分かってないなセイは。お日様が出ないで曇りばかりだと農作物の育ちが良くない」
「ルルは農作物の事も知ってるの」
コウが微笑んで僕に食事の器を差し出すのを礼を言って受け取りながら、僕はルルに尋ねた。前から思っていたけれど、ちゃらんぽらんな遊び人の割に、ルルはものすごく物知りだ。ルルはコウから器を嬉しそうに受け取って、それを一口飲み下してから返答する。
「元々農家だったからね。親方の家があった町から川を下ってしばらく行った所に、廃村になった村があるんだ、そこが俺の村。今や干ばつで潰れて村人は散り散り。人買いに買われてった奴も多かった」
「干ばつなんて、なんで起こるんだ? 天気庁は……」
そこまで言いかけて僕はちょっと口をつぐんだ。天気庁は、毎年きちんと農作物の生育を加味して天気予報をきめている筈だし、余程の事がない限りアシュはそれを外した事はないだろう。ならば、気象の影響で起こるはずの干ばつが起こるはずはない。
でも、天気姫の事は一部の人間にしか公開されていないから、僕は口をつぐむしかなかった。
そうはいっても、天気庁が出す予報はほぼ正確だから、ルルは僕の質問の意図を汲んだようだった。
「そもそも、あそこらへんは治水が良くないしね。他の土地で大丈夫な降雨量でも、あそこら辺では足りなかったりする。雨が降ってほしい時期も地域によって微妙に違ったりするからね。どこかの領地では最善の時期に雨が多いけど、こちらとしてみれば一番降ってほしい時期に降らない、逆に降ってほしい時期に大雨が降る、という場合もある。あとは、上の問題かな」
「上?」
「領主がこの作物を植えろと言う。税率やなんかの対策でね。でも、その土地の土や起床にはその作物は合っていない。結果、不作が続いて村人が生活できなくなる……」
最悪だな、その領主。
僕の内心は顔に出ていたのだろう。ルルはにっこり笑う。
「最悪でしょ? でも今は優良な領土が減って苦労してるみたいだよ。悪い事は出来ないもんだね」
暗い過去も笑って話すから不思議だ。ルルはそんな過去はへでもないというように、鼻歌なんて歌い出す。その鼻歌の歌声に、聴き覚えがある様な気がして僕は無意識に耳を澄ましていた。聞き覚えのある旋律。誰かが、昔歌っていた。
それを思い出した瞬間、僕は身を乗り出してルルの腕を掴んでいた。
「その歌。何の歌?」
「ん?」
びっくりした顔のルルに重ねて問いかける。
「歌」
「ああ。今の? 俺の村の子守唄だよ。昔から耳に馴染みがあるから、つい出てきちゃうんだよね」
「なんてところ?」
「村? 廃村になったよ?」
「わかってる。どこ?」
「ハナ村」
僕の手から力が抜ける。そうだ、その村の名前は聞き覚えがある。耳の奥に蘇ったのは、あどけない女の子の歌声。
その村は、アシュの住んでいた村だ。
干ばつで、廃村になった……。その事実に、愕然とする。
アシュは知っているのだろうか。知っているかもしれない。
彼女は考えなかっただろうか? 自分は天気を司る存在なのに、と。その自分の育った村が、気象条件の結果である干ばつで壊れてしまったと言う事を。
……自分のせいではないかと、思わなかっただろうか?
歌がきっかけになって、まるできつくしめていた蓋を開けたみたいに今更思い出があふれ出してきた。アシュと僕が小さかった頃の思い出が。
泣き虫の天気姫を探して、僕は毎日広い屋敷の中を捜しまわった。見つけ出したアシュはたいていいつも大きな目に涙を一杯溜めて反抗的に僕を睨みつけた。それを見ると、僕はどうして良いのか分からなくなって、ただ乱暴にアシュの手を引っ張って部屋に連れ戻す事しかできなかった。だから、アシュは僕をすごく嫌っていた。泣いていない時でも、僕が顔を出すとそれだけでいかにも嫌な顔をした。まるで苦い草を口に無理やり押し込められた様な酷い顔で、女の子のする顔じゃないと僕は常々思っていた。そんな顔をされるのだから探しに行かなければ良いのに、僕はいつもアシュを探しに行った。僅か六歳にして親の期待する事を既に知っていたと言う事もあるけれど、それ以上にやっぱり放っておけなかった。僕が構わなければ、アシュは本当にいつも一人だった。誰も寄せ付けないまま、心を開けない大人たちに囲まれて人形のようにされるがままになっていたからだ。
その日、僕は父上と母親とアシュの元を訪れていた。父上は僕を抱っこしたがったけれど、抱き上げられるのなんてご免な年頃だった僕は代わりに精一杯譲歩して、父上の手を握っていた。母上が大量の服や玩具の贈り物を渡すと、アシュは僕には見せた事のない様な良い子の顔をして微笑んでお礼を言っていた。機嫌がいいなあと物珍しく僕はそれを見ていたのだけど、両親に連れられて僕が自分の屋敷に帰る途中に空はみるみるうちに黒雲に覆われて、雷がぴかぴかと光り出した。僕は馬車の窓を叩く大粒の雨に僕は仰天して、宥める父母の言葉を聞き入れず、大騒ぎして馬車に今来た道を引き返させたのだ。
駆け込むようにして跳び込んだ屋敷の中ではまたも天気姫が消えたと、召使たちが大騒ぎをして探していた。止める両親の声も聞かず、大人達の足元を掻い潜るようにして心当たりを探す。カーテンの影、バルコニーの下、植木の下。いつもアシュのいるような所を探してもアシュは見当たらない。天上で雷は轟いて、ずんずんと僕の体に振動を伝えてくるようだった。ぴかりと空が輝くたびに、女の子の召使たちの甲高い悲鳴が屋敷のそこかしこから聞こえてくる。
びしょ濡れになって庭の植木の影を探しつくした僕は途方に暮れて真っ暗な空を見上げた。本当に今日は、どこへ行ってしまったのだろう。見上げたちょうどその時、ぴかりと稲妻が走って辺りを明るく照らす。その明るさの中で、僕は屋敷の屋根裏に当たる場所の出窓の屋根の上に登っている小さな人影を見つけて仰天した。どうりで見つからないわけだ。あんな高い所にいるだなんて。ずぶぬれのまま中庭に面した窓から屋敷内に跳びこみ、絨毯や床が濡れるのも気にせずに廊下を駆け抜けて階段を上る。屋根裏だなんて、物置として使われていて誰も近づかないような場所だ。屋敷の雑用をしているような掃除婦を捕まえて行き方を聞いたら、思い出すまでにかなり悩んだ末に二階の奥の小さな部屋の中からそこへと登る階段が繋がっていると教えてくれた。僕はびちゃびちゃと靴から水を滴らせながらその部屋へ駆け込むと、部屋の壁伝いにかかっている梯子を登り、その天井にぽっかりと空いている四角い出入り口を通って埃っぽい屋根裏へと出る。暗い屋根裏部屋の窓は空いていて、そこから容赦なく雨が吹き込んでいた。窓に近づいて行って窓枠に足を駆け、腕に力を込めてその屋根へと上半身を乗り出すと、目の前にずぶぬれのアシュが膝を抱えて座っていた。こちらに気づいていないのか、大口を上げて、わんわんと声を上げて泣いているのが激しい雨音に混じって途切れ途切れに耳に届いた。
「アシュ」
かき消されないように大声を上げて僕が声をかけても、アシュはしばらく僕に気づかなかった。上半身にかなり力をかけているこの体勢は腕に負担がかかっていて、あまり長く持たないな、と思う。
数回呼んでアシュはようやくこちらを見た。僕は、そんなに驚いたアシュの顔をその時初めて見た。ぱちくりと目を瞬かせて、呆然と僕を見た。それから、事態を把握するにつれ、その顔が真っ赤になり、憤怒の表情となる。ぐい、と袖で目をぬぐったけど、涙か雨かなんて分からないのに……。
「こんなところで何やってんだよ。危ないだろ」
大声で叫ぶのに、アシュはつんと聞こえないふりをして前を向いた。
「とりあえず、屋敷の中に入るよ」
とは言うものの僕の両腕は体を支えるのに使っているわけで、いつものように強引に腕を引っ張って屋敷の中に連れ戻すわけには行かない。でも、アシュはぴくりとも動かない。どんなに声をかけても、聞こえないふりをするから、僕は恐る恐る片腕を離してアシュの腕を引っ張った。つま先立ちに足を駆けているバルコニーの欄干に少し体重を乗せる様にして、残る左腕に全体重を乗せて右腕を伸ばしてアシュの左腕を引っ張るけれど、あまり力はいれられない。おまけに腕を掴まれたアシュは反射的に僕の腕を振り払ったからたまらない。僕はバランスを崩して、小さく叫び声を上げる。足が欄干から外れて、腕をかけていた屋根からも腕が外れて体が宙に浮いた。
幸い窓と欄干の間の隙間におさまって、下まで落下と言う事にはならなかったけど、危なかった。流石のアシュも、真っ青な顔をして上から手をついてこちらを覗き込んでいた。欄干と窓枠に挟まったまま、僕は見下ろすアシュを見上げる。
「何でいつも泣いてるんだよ。何がそんなに悲しいわけ?」
変な体勢のまま聞いたら、僕が無事だと分かったのか、アシュはほっと息を吐いた。いつのまにか雨はやんでいる。空は曇っているけれど。
「あんたには分からないわよ」
アシュの小さな声が僕の耳に辛うじて届く。
「なんでだよ」
「あんたには、お父さんもお母さんもいるじゃない。私にだっていたのに。お父さんもお母さんもいたのに。私一人ここに連れて来られちゃった。お父さんやお母さんがどうしているかなんて、誰も教えてくれない」
「でもアシュは自分でここに来るって言ったって」
そんな話を聞いた。貴族院の人間が迎えに行くと、両親は反対したのに本人が行くと言ったからアシュはここに来たと。
「行ったらたくさんお金くれるって言うんだもの。どちらにしろ、ずっと粘ったって結局私はここに売られる事になるのだから、だったら自分から行った方が惨めじゃないじゃない。お母さんやお父さんがわたしを売るのなんて、見たくない」
「アシュが嫌だって言ったらそんな事しないだろ」
言ったら、アシュはちょっと複雑そうな顔をして僕を見た。
「そうかもしれない。でも、わたしは恐かったの。わたしのいた村は貧しくて、売られていく子が多くいたから」
「人が売られるわけないだろ」
僕が言うと、アシュは呆れたような顔をした。
「あんたって馬鹿ね」
「なんでだよ」
僕がムッとしたのに構わずアシュは諦めたように大人びたため息をついて、それから体勢を変えて屋根をにじり下り始める。僕は窓枠から屋根裏部屋に戻って、アシュが戻ってくるのを待った。
無事部屋に戻ってきたアシュがびしょびしょに濡らしたワンピースの裾をたくしあげて絞ると、水が床に音を立てて落ちる。僕はそれを見ながら、先ほどから考えていた事を口に出した。
「家族が恋しいなら、会いに行けば良いじゃないか。禁止されてるわけじゃないんだから」
アシュはこちらを見ないで、水をしつこく絞り出しながら小さく首を振った。
「いいの。もう二度と会えないつもりで出て来たから」
「それなのに、会えなくて泣いてるの? 変なの」
言ったらようやくこちらを見て僕を睨んだ。いつもみたいにむっつりと口を閉ざして、眼をぎらぎらさせて。
「じゃあ、アシュ、僕が代わりにアシュの家族になってあげるよ」
それは、単純に思いつきだった。この子が泣かなくなるのなら、それでいいのかなと思った。
アシュは呆れたように僕を見てふんっと生意気に鼻を鳴らした。
「家族の代わりになるものなんて、ないのよ」
「じゃあ……えーと、僕とアシュがこれから家族を作ればいいんだ」
「は?」
と言ったアシュは本気で不可解そうな顔をしていたけれど、僕はその思いつきを名案だと思っていた。
「僕のお嫁さんにしてあげるよ。そうしたら、僕の家族になれるでしょ」
アシュは呆れて言葉が出ないようだったのに、僕は自分の思いつきが素晴らしいと思いこんでそんなアシュの様子になんて気付かなかった。
「そうしたら僕の父上も母上もアシュの父上と母上になるし。アシュはもう淋しくなくなるじゃないか。僕はアシュの夫になるから、ずっとアシュの事を守ってあげるね」
しばらくアシュは黙り込んでいたのに、僕がそう同意を求めると突然ふっと吹きだした。僕が驚いたのは、それが初めて見たアシュの笑顔だったから。大人たちに向かってにこにこしているのではなく、本当に笑った顔。すぐ隣にある窓から太陽の光がきらきらと差し込んで、アシュの顔に当たってちょっと眩しい。
「いいよ。あんた馬鹿で可哀相だから、お嫁さんになってあげる」
アシュは生意気にそう言って、くすくすと笑った。その偉そうな言い方と内容に僕はちょっとムッとしたけど、それでも珍しいアシュの笑顔につられてしまってちょっと笑った。
多分、あの日からだ。アシュが泣かなくなったのは……。
あの鼻歌はその日以降、機嫌が良い時によくアシュが口ずさんでいた歌。聞いた事のない歌なのでどこの歌かと聞くと、故郷の村の歌だと教えてくれた。僕が寄宿舎学校に行って、戻って来た時には歌わなくなっていたから忘れてしまっていたけれど。
アシュが恋しがって泣いていた村が、おそらくアシュ自身の力で滅びてしまった。なんていう皮肉な事だろう。アシュの家族はどうなったのだろう。ルルの言うとおり町で浮浪者の様な生活をしたり、人買いに買われて行ってしまったのだろうか。
あの日アシュが言った話を僕は理解できなかった。だけど、今なら少しは理解できるんだ。




