旧知の人間
お腹が減った。疲れた。どこかで休みたい……
何度も頭の中で繰り返した事を、性懲りもなく僕は考えていた。どこなのか見当もつかない、山と荒れ野に囲まれた鄙びた土地は、僕に全く見覚えのないものだった。僕は幼いころから主都で育っているし、別荘はもっと肥沃で景観の良い場所に建っている。こんな場所がこの国に存在したなんて知らなかったくらいだ。
目が覚めた僕は、粗末な服を着てこの場所に放置されていた。周囲を見渡しても、道化師の姿は見当たらない。それどころか、周囲に人の姿は見えなかった。いくつか壊れかけた小屋のような建物が集まって残っていたけれど、生き物の気配はなかった。そこはどうやら捨てられた村のようだった。ひっそりとして薄暗いあばら小屋の中をいくつか覗いてみたけれど、使いかけの家具や食器がそのままで、まるで今まで生活していたかのようなのに誰もいなく、至るところが朽ちて埃だらけになっている様が薄気味悪くてすぐに出てしまった。
とりあえず、人のいる場所を探さなければ。そして、今いる場所を把握して家への道を知らなければ。そう思って川が流れているのを幸い、川沿いを歩いて人影を探した。でも、歩けど歩けど人に出会わない。結局その日はそのまま暗くなってそこで眠った。翌朝起きたら空腹だった。でも、食糧なんて手元にない。無理やりそれを押さえつけてひたすら歩いたら、ようやく小さな村が見えた。僕は喜び勇んで村に入ったけれど、その寂れた村の人間の態度は散々だった。適当に歩いている人間を捕まえて村の場所や一番近い都市までの行き方を聞いたまでは良かったけれど、空腹なので何か食べ物を分けてくれと言うと、途端に相手は顔をしかめて汚いものを見るかのように僕を見た。そのまま素っ気なく拒絶する。若い男、老婆、中年女性、誰に頼んでみても同じだった。最後に頼んだ恰幅の良い男に「お前にやるもんなんてねえよこの浮浪者」と罵倒されて、僕はようやく自分が物乞い扱いされている事に気付いた。この僕が、よりによって物乞い!
「無礼な、庶民風情が。僕は貴族だ」思わず怒鳴りつけたら、呆れた様な目でこちらをちらりと見て、面倒くさそうに殴り倒された。寄宿学校での武道の授業では常に「優良」だった僕だ。普段はこんな鈍そうな奴になんてやられる筈ないけれど、今は空腹と疲労で、上手く体が動かせない。殴り倒されて地面に顔を埋めながら自分の置かれた状況を考えてみて顔が赤くなる。「浮浪者!」よりによって。
のろのろと起き上がると、村の人間たちが遠巻きにこちらを見ているのが分かる。そいつら全員が自分の事を浮浪者と思っている。最悪だ。こんな村にはもういられない。
僕は食料を得るのを諦めて、村を出た。
幸い近くに大きめの町があるようだったから、空腹を我慢して痛み始めた足を引きずって、何度も心の中で愚痴を繰り返しながら歩き続けて、なんとかその町まで辿り着いた。
だけど、入ったところで何になる? 僕はお金を持っていない。村で経験したように物乞いの様な事をしてまた恥をかくのだろうか? それでも、僕は食べ物を得る方法を他に知らない。
町は規模的には小さくはないのだけど、治安は良くないようだった。明らかにそれと分かる浮浪者たちが道のあちらこちらにうろついていた。彼らは何を食べているのだろう? 空腹から苦し紛れに観察していると、飲食店の裏口に隠れていて、そこの主人がゴミを出しに来ると、主人がいなくなったのを確認してからゴミ袋を開けて中を漁っていた。ゴミを漁る! とんでもない。
他には、スリをしたり、店先や露天から盗んだり。
どれもこれも、僕にできる事じゃない。それは、犯罪だ。
でも、じゃあ僕はどうやってこの空腹を満たせば良いのだろう? 既に腹はすきすぎて、気持ちが悪い。苦し紛れに一度飲食店に行って、数日後に必ず返しに来るからと言ってみた事もあったけれど、店主に罵倒されて追い出されるのが関の山だった。あんな屈辱的な思いをするくらいなら、盗んだ方がいくらかマシだ。
なす術もないまま半日ほど所在なく座り込んでいて、通り過ぎる人の会話に出てきたこの町の名前にふと気がつく。ここの町の名前は聞き覚えがある。主都に住んでいた僕にはこんな見るからに田舎町、馴染みのない筈だけど、と考えて思い至った。
寄宿学校時代の友人であるラウトが確かこの町の領主だった筈だ。小さな田舎町の領主の子供なんて、僕らとは身分が違ったけれど、学び舎が一緒だから一応均一に育てられた。ラウトとは棒の選択授業で一緒だった事がきっかけで仲良くなった。寄宿舎で僕が主に一緒に行動する人間は決まっていて、いつも大体7~8人でつるんでいたのだけど、その中の一人だ。試験の前なんかは理化学が苦手な彼の勉強を見てやったりしたものだ。
ラウトは僕よりも1年程前に父親の命令で領地に戻り、次期領主となるための準備をしている筈だった。
そうだ、きっと。ラウトならば顔見知りだからこんな汚い格好をしていても分かってくれるだろう。当面必要な食費やなんかを借り受けられる。後でたっぷり礼を弾んで返せば悪い話でもないし。
疲れた体に鞭打って、僕は町の中心部を目指す。途中、侮辱されないようになるべく人の良さそうな人間を見つけては道を聞こうとして、何度も嫌な顔をされたりあからさまに無視をされたりして苛立って、最終的には喧嘩して駆けつけた警備の人間に聞いた。それすら、吐き捨てるように言い捨てられたけど。
この町の治安は最悪だ。警備の人間すらひたすら態度が悪い。
腹を立てながら、僕はようやく領主の館の門の前に到着した。
僕の家からしたら全然立派でも大きくもないけれど、それでもこの町の他の建物から比べたら格段に立派な大きな屋敷だ。門の前には守衛が数人立っていて、警備も厳重。黄土色の土壁が屋敷の周囲をぐるりと囲んでいて、中を伺い知る事は出来なかった。
ちょっと予想はしていたけれど、案の定、僕は正門で守衛に止められた。僕の事を分別のない浮浪児と信じて疑わない守衛は、あからさまに見下した態度でこちらの言い分などまるで聞く気がない。後でラウトにしっかり叱らせよう。
仕方なく僕は、門が見える位置に陣取って、家の者の出入りを待った。今までの町の人間の言動を鑑みれば、僕を貴族の息子と信じさせるのは難しいだろう。主張したって投げ飛ばされるのが関の山だ。だったらラウトが出入りするのを見計らって直談判するのが手っ取り早い。町の人間や守衛に僕の地位を知らしめるのなんてその後にいくらでもできる。
適当な建物の端に座り込むと、先の光が見えてちょっとだけ気が楽になったのか、疲労に負ける様にして僕はすぐに眠ってしまった。
目が覚めたのは、馬車の音と人々の話声が聞こえたから。眠っていながらも、どこかで意識を研ぎ澄ましていたのだろう。まさに、屋敷の目の前にこの町には場違いな立派な馬車が横付けされようとしている時だった。
乗っているのは誰だ? 僕は慌てて立ち上がり、駆け寄りながら目を凝らす。馬車の窓は小さくて、仲の人間までは伺い知ることができない上に、いつの間にか日が落ちていて、辺りが薄暗い。
よく考えたらあれは塀の中まで馬車で行って建物の脇に横付けする種類の馬車だ。塀の中に入られてしまったら拙い。薄暗くなってきたのと、守衛たちが馬車に気を取られているのは幸い。僕は守衛たちの目をかいくぐって、馬車に近づく。
守衛たちが緩慢な動作で鉄条の門を開ける処理をしている。馬車はいったん門の前に止まっている。今が好機だ。
僕は背を低くして馬車の影に身をひそめて守衛の目に入らないようにし、そのままぐるりと場所を移動して小さな窓から馬車の中を覗き込んだ。
やった! やはり、ラウトだ。
久しぶりだったし、寄宿舎学校の制服に身を包んでいなかったから少し見慣れない感じはしたけれど、それでも流石に友人の顔は忘れない。強い癖っ毛でふわふわとした赤茶色の髪や、そばかすだらけの愛嬌のある丸顔は、紛れもないラウトだった。
把握した瞬間、僕は馬車の窓を強く叩いていた。
横顔のラウトがびっくりしたようにこちらを振り向く。一瞬不審そうな顔になったものの、すぐに目が見開かれて、驚いたような顔になった。
何かを御者に向かって言いつけると、馬車の中で慌ただしく人が動く気配がして、すぐにラウトが飛び出してきた。
飛び出してきて、僕をひと目見たラウトはおそらく僕の汚い格好と見て驚いたのだろう。表情が不審気に変わる。僕は慌てて口を開いた。
「ラウト、よかった。助けてくれ」
駆けよって、腕を掴もうとした手は宙を搔いた。ラウトは、言葉を発さず僕を見ている。僕の胸に、もやもやとした不安がわいてくる。それを打ち消すように言葉を続けた。
「少し路銀を用立てて欲しいんだ。あと、できれば着るものと食べ物を……ここしばらく何も食べてなくて、腹が減っている……」
僕の声は、どんどん小さくなった。一歩程の距離を間にはさんで、ラウトは冷やかに僕の事を見ていた。まるで、そう、この町の人間が僕を見るのを同じ目で。蔑むような、嫌悪を浮かべた目で。
「ラウト? 誰だいそれは?」
遅れて馬車から出て来た中年の男性が、ラウトにそう問いかけた。よく似た赤毛から、ラウトの父親だとすぐに推測できる。
「いえ。知り合いに似ていたものですから。……でも、人違いのようです。彼が、前触れもなくこんなところにいる筈がない」
「ラウト?」
僕は唖然として、思わず呼びかける。その声を、ラウトは苛立たしそうに遮った。
「どこで知ったか知らないが、浮浪者の分際で馴れ馴れしく僕の名を口にするな。大方、自分が彼に似ている事を知って、利用できるとでも思ったんだろう? 最近タチの悪い詐欺が増えていると警備の方から報告は入っている。せめて僕を騙そうとするのなら、服くらいはまともなものを調達すべきだったな。もっとも、彼の着ているような服をお前たち風情が調達できるわけがないけど」
「何言ってんだ? 僕は、セイ・ハレノ本人だ」
僕の言葉に、ラウトは忌々しそうに舌打ちする。
「父上、馬車に戻りましょう」
「……そうだな」
ラウトの父は、面倒くさそうに言って、早々に馬車に戻ってしまう。その後を続くラウトの腕を、僕はもう一度強く握る。
「ラウト!」
この機会を逃したら、僕は自分が家に戻る術を見いだせない。食べ物を得る術さえ。
「汚い手で僕に触るな!」
怒りを含んだ声がして、振り払ったラウトの腕が僕の横っ面を打つ。呆然とする僕の前で、ラウトは微塵も罪悪感など感じないと言う顔で、歪んだ笑みを浮かべた。
「へえ。ホントに似てるんだな。ちょっと笑える。あいつを殴ってるみたいで気持ち良いや。……あいつ、家柄が良いからっていつも鼻にかけてさ。いつも偉そうで、むかついてたんだよ。なんせ家がでかいから一緒にいると旨みが多くてさ、逆らえなかったけど」
信じられない事を聞いた。目を見開く僕が何の構えをするよりも早く、ラウトの振り上げた手が、逆の頬を打つ。次いで、膝が僕の腹に入って、僕は痛みに耐えられずその場に蹲った。
ラウトは快いと言いたげな笑い声を上げる。
「いいな、これ。大分楽しい思いをさせてもらったよ」
ちゃりん、と蹲った僕の目の前に何か硬質なものが降ってくる。それを確認して、ぼくは愕然とした。
___硬貨。
ラウトの足が迷いなく去って行く。がらがらと言う重い音と振動。馬車が目の前から去って行く。
「ほら、起きろ。とっととどこかへ消え失せろ」
守衛たちが僕の両肩を掴んで立ちあがらせる。ちゃっかり、落ちた硬貨は自分のポケットに忍び込ませて。
僕はもはや、抵抗する気力もなく、ただ促されるままその場を後にした。




