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後編

「この世界に意味なんてないと思ってる?」


 聞いてきたのは、長らく俺の保護者がわりをしてきた人だった。別に面倒を見てもらっていたわけじゃない。名義貸しのようなもので、俺もその人も納得ずくだ。俺も成人したし、もうこの人と会うこともほとんどなくなるだろう。


「いや、あるんじゃないの?」


 俺は適当に答えた。そんなこと、考えたこともないし、考えたところでそれこそ全く無意味だ。でも多分彼女は俺が『健全』に暮らしていることを確かめたいのだと思う。だから適当でも答える。




 バイトをしている他の人間に聞いても、やはり彼女は鳥と認識されているようだった。しゃべったことのある奴も少しいて、大体彼女の印象は『気が強い、はきはきとものを言う』というものだ。


「お前、本当はなんて言ってるんだよ?」

「あなたは、あなたは本当に意味ですか?」


 少女は胡乱なものを見る目で俺を見る。その表情は確かに、気が弱くおどおどとしているものではない。


「『何でわかんないのよ、ばか』とでも言ってんのかな」

「私がいない場合にはこのように……相互理解に準備ができている?」


 なんとなく、会話に使う語彙が似ているときがある。かと思えばまったく意味不明なこともあるので、ラジオのチューニングを合わせているような気分になる。周波数が近くなったり遠くなったりだ。

 呟くような俺の台詞にも、彼女は律儀に何かを答えていた。


 丸くて白目が少ない目は、感情をあまり映さず、そのへんは確かに動物的な感じがした。でも、手も足も華奢で、とても野生には見えない。作られ、管理されたような容姿だ。

 それに対して、声音はかなり感情的だ。言葉は聞き取れるものの意味の分からない単語であるが、全体的に怒っているとか、焦っているとか、胡乱げだとか、こちらを怪しんでいるのが声から伝わってくる(怪しまれていること自体は喜ばしいことではないんだろうが)。


「本当にこれをしなかった人、右をドレッシング束ね髪行われているように?」


 思わず右を見たが、特に何もない。ドレッシング束ね髪ってなんだ。彼女をもう一度見ると、なんだか眉を下げてうつむいている。

 もう少し嬉しそうな声が聞けるといいんだけどな。

 彼女が顔を上げたタイミングで笑いかけてみた。彼女は眉をひそめ、怯えたような声を出す。

 そのまま笑っていると、愛想笑いのように口元を引きつらせた。

 うーん、まあいいか。




「あの鳥、お前のこと言ってたぞ。右足はどうしたのかって」


 声に、ぱっとクラスメイトを振り返ると、その勢いに若干引きながらも彼は教えてくれた。


「一人だけ、言葉が通じない変な奴がいるって。右足けがしてるみたいだって言うから、多分お前のことだろ」


 俺は自分の足を見た。右足に包帯が巻かれている。もう治りかけだし、包帯を隠せば誰にも分からないのだが、あからさまに怪我をしたアピールをしておくといろいろな雑用を押し付けられなくてすむので、堂々と包帯を見せている。


『「右」をドレッシング束ね髪行われているように?』


 あのとき彼女は下を向いていた。俺の足を見ていたのか?

 俺も視線を下げて、ぼそぼそと呟く。


「薬品が足に落ちたんだ。少し火傷してるだけで、そんなにひどくない」

「俺に言ってどうすんだよ。知ってるよ。同じ授業だったろ」

「言葉が通じないって言ってたんだろ。教えてやってくれよ」


 俺だけが、彼女の言葉がわからないのだと思っていたが、彼女も俺の言葉がわからなかったらしい。俺に返していた台詞のほとんどは、俺と同じように「言っている意味が分からない」とでも言っていたのかもしれない。


「あの子と何を話すんだ?」

「何って。お前、何で言葉が通じないんだ? 変な言葉の羅列を話すって思われてるらしいぞ」

「知らねえよ。俺だって、まともに話してみたいけど」


 クラスメイトは教えてくれた。彼女は、部屋の研究とはあまり関係がなくあの空間にいるのだという。いたりいなかったりするのは彼女の意思ではなく、いつの間にかあの部屋に来てしまうのだとか。今まで退屈だったけれど、近頃は彼女に話しかけてくれる学生が多いから嬉しい。でも、意味不明なことをしゃべる男(俺のことだろう)がいて、そいつのことだけはよく分からない、とのこと。

 結構しゃべってるんだな、あの子。


 それから、ふと思いついて尋ねた。


「あの子、名前は?」

「え? 聞いてない。聞いてみるか?」

「いや、いい。聞かないでくれ」




 あの子が俺にだけ、人間に見える。

 その事実は俺に優越感を与えた。

 そしてあの子が俺以外の人間にだけまともに話す。

 その事実は、俺に灼けつく嫉妬を与える。


 どちらかしか選べないのだろうか。

 鳥だから、話すことができる。まともに会話ができないから、人の姿でいられる。

 クラスメイトの推測に過ぎないが、カーテンが引き起こす現象によって、少女は現れる。その現象のむらによって、鳥になったり人間になったり、しゃべれたりそうでなかったりするのだろうか。

 彼女は鳥なのか、それとも人間なのか。

 俺は鳥に恋した滑稽な男なのか。


 ああ恋だ、これはきっと恋だ。

 彼女と言葉を交わし合いたい、彼女に触れたい。

 あるいは一目惚れなのかもしれない。初めて見たときから、俺は彼女に目を奪われていたのだから。

 しかしどうしようもない。

 彼女はあの空間にとらわれているし、教授はいかに探求者だからといって、人を理不尽に閉じ込めるような人間ではない、と思う。彼女があそこにいるのは、彼女自身の同意があるか、彼女が同意を得なくとも良い存在……たとえば、意思を確認できない鳥である、とか、そういう理由があるに違いない。俺には単なるバイトで、彼女をどうこうできる立場にはない。彼女は俺の言葉だってわからないのだから。


「のこと、と私は聞いたが、すべての権利を聞いたが、それはそれは傷つけるかなりありません」


 彼女は俺の足を見ていた。


「俺の足のこと、心配してくれるんだ」


 俺から、彼女に触れることはあるが、彼女の手が檻を越えてくることはなかった。今も、彼女は少しだけ手を伸ばしかけて、すぐに下ろした。

 彼女が俺にどういう感情を持っているのか分からない。彼女が、感情を持っているかどうかすら分からない。

 でも、俺を認識して、俺に何か話しかけてくれるのは、嬉しい。




 俺は懐中時計を確認する。今日このバイトが終われば、研究室には今日終了の治験の結果が届いているはずだ。これでようやく認可が下りる。全く、単なる検査薬だというのに、どれだけ時間がかかったことか。

 正式に認められる俺の薬第一号になるこの薬は、体のバランスをあえて崩すものだ。もちろん体が保てないほど崩すわけではない。小さなほころびを作り、体にひそんでいる病魔に付け入る隙を与えて発見しやすくするのだ。

 野球で言えば「打たせてとる」。元々、魔法医師が使う技術だが、それを薬で簡単に行えるとなれば、隠れた病を、早く、大勢の人が見つけることができるだろう。

 均衡を崩すバランスは魔法医師でも難しく、それを制御したこの薬は俺の自信作でもある。

 とはいえ、俺のちっぽけな自信など、どうでもいいものだ。病気の発見が遅かった俺の両親は、もうとっくに死んでしまっているのだから。


 時計をしまい、本を閉じ、俺は立ち上がる。終了五分前だ。今日も一日異変はない。相変わらずこの部屋は過剰に紫色だし、少女との会話は成り立たない。

 ……そういえば、薬の効果は、もともと完璧に均衡がとれてはいない人体には小さなほころびでも、紫のものに使えば、途端崩れてしまうことになるんだろうか。

 たとえば、こんな空間だとか?

 俺の視線は、自然檻へと向かう。


「あなたは何を目で見て、見てしようとしている。あなたがずさん持っていない、と私は彼女の愚かな顔をヒットした場合!」

「わかんねえよ」


 ふと、この部屋のせいかもしれない、と思った。彼女の存在が不安定なのは、この空間を制御するための副作用なのかもしれない。

 この空間を壊してしまえば、檻の外の彼女に会える?


「いやいや」


 俺は一人首を振る。単なる妄想だ。




 クラスメイトは、近頃紫部屋でのバイトをやめた。俺と別れた元彼女と付き合い始めている。彼はそれを俺に隠しているつもりだが、俺は彼女から直接知らされたので知っていた。彼女が、ただの当てつけのつもりで彼と付き合ってるんじゃないことを祈る。

 バイトをやめたというのに、彼は紫部屋のあの子のことをまだ考えていたらしい。


「もしかしたら、あの鳥は捕えられているのではなく、保護されているのかもしれない」


 あるいは彼は、俺があの子をやけに気にしているから、考えてくれているのかもしれなかった。


「なんでだよ。お前が、あの子がいるのはあの子の意思じゃないって言ってただろ」

「それはあの鳥がそう言ってただけで、望まなくてもそこで保護されてるのかもしれないだろ。なんせ鳥だし、人間の思惑なんて知ったこっちゃないだろ」


 あの子は鳥じゃない。

 そう言いかけて、口をつぐむ。俺は彼に、あの子が人間に見えることを話していない。それに、本当にあの子が人間かどうか、俺にはわからなかった。

 あの子は鳥なのか、人間なのか、それとも他の何か? ただの幻?

 籠の中の鳥は、保護されている?

 外に出れば、彼女は生きていけないのだろうか?

 全ては推測だ。




「どうなってもいいと思ってない?」


 両親が死んだから? そこまで、依存してねえよ。多分。


「そんなこと、思ってませんよ。皆幸せならいいな、とか思ってますよ」


 不幸なことって、面倒くさいもの。しかしこの言い方は、ひねくれたガキみたいだ。実際ガキなのかもしれないけど。


「でも、きっと何か欲しいものがあれば、他のものはどうなってもいいんでしょう?」


 どうしてこの人は、こんなに執拗に尋ねるんだろう。もしかして、俺がそんな人間だと思いたいのだろうか。両親がいなければ子どもは歪むのだと、思い込みたいのだろうか。

 でも、欲しいもののために何を犠牲にしても努力するって言うのは、至極自然で、健全なことだとは思うけどな。


「欲しいものが目の前にあったら、考えますよ」




 認可が下りた。

 これで、薬を売ることができる。俺の名も、そこそこ売れるはずだ。

 別に、両親の病の発見が遅かったからこの検査薬を作ったわけじゃない。アイディアと技術があったから、作っただけだ。薬を作れば、金が手に入る。俺には、金が必要だった。

 でも、じゃあ、なんで大学になんて入ったんだろう。すぐに働いていれば、学費なんていらないのに。

 もしかして、やっぱり、両親のことがあったから医療関係に進路をとったんだろうか……。

 もう、意味ないのに。

 俺は目の前の液体を眺める。きちんと管理されたそれは、透き通った紫色をしている。製品は、固められ錠剤にされている。これは原液だ。

 試験管を取り出して、それを移した。



 俺はマンガを読んでいる。いつも通りの、分かりやすく、先の読める、陳腐な展開。ただ爽快で、あとに余韻も何も残さず、言うなればスナック菓子のような物語は、俺が昔から好んで読んでいたものだ。

 でも、そろそろ飽いたな。

 本を閉じ、立ち上がった。顔を向けた先には、カーテンの向こう、檻の中に少女が座っている。

 俺が近づくのに気がついて、彼女は首をひねり俺を見上げた。

 その、白目が少ない目。青い大きな瞳が、俺をじっと見つめている。クラスメイトの彼は、この子の名前を聞いたんだろうか。俺は懐から、試験管を取り出し、その蓋を取り外した。その中には、紫色の液体が入っている。完璧に、均衡のとれた証。しかし空気に触れて、まもなく色は変わるだろう。

 そして、この空間も。


「なあ、ここから出たいか?」


 通じるはずのない問いを、彼女に投げかける。

 彼女は小首を傾げ、


「あなたが言われていることを知らない、それが出てくる、私は停止し、ずさんなお願い」


 と言った。

 何言ってるかわかんねえ。

 俺は微笑み、試験管を傾けていく。


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