前編
うさぎサボテンさんの「テーマ小説or漫画書きませんか?企画」に参加させて頂きました。
イラストからイメージして小説あるいは漫画を書くというものです。お題のイラストはURLよりどうぞ→http://7822.mitemin.net/i119390/
金に困ったときの究極の選択。
そんなふうに学生たちの間で噂される、存在すら若干怪しい謎のバイト。
それが、魔法薬の治験と、「紫部屋」の監視だ。
体を差し出す代わりに、特に技能も必要としない治験。それと、いつ何が起こるかわからないが、今のところ何も起こっていない(とされている)部屋に一人待機するだけで良い監視のバイト。どちらも、高額の給料をもらうことができる。
存在すら怪しい、と前述したものの、俺の在籍する大学に限って言えば、実は結構関わっている学生は多い。金がないという理由ではない(その理由の生徒ももちろんいるだろうが)。バイトの内容と、大学が研究している分野が近しいからだ。
この大学は、魔法薬科と魔法現象科を持つ、専門大学なのである。
かく言う俺も、それらのバイトには関わっている。ただし治験に関しては、薬を試飲してもらう側だ。魔法薬科の天才と言われている俺だが、使う薬草が突飛すぎてひとつも実用化には至っていないこの体たらく。早く結果を出したいものだが、こればっかりは経過観察が必要だ。
そしてその観察の合間に教授から押しつけられたのが、もう一つのバイト。
魔法現象科の廊下は、はてしなく続いているように見える。すぐそこのドアから絶えずカラフルな煙が漏れていることとか、一部鏡張りになっていることとか、そういういかがわしさもそれを助けている。しかしひたすら歩いていれば廊下は終わり、一つのドアに辿り着く。
紫色のドア。
教授から預かっている鍵を差し込み回すと、かちゃりと音がして、紫色がただの白いドアになる。これが解錠のサインだ。
ドアの奥には、またひたすらに長い階段が地下に向かって伸びている。俺は懐中時計を確認した。少し急がなくては間に合わない。
焦る気持ちと裏腹に、階段はなかなか終わりを見せない。しかし走れば転げ落ちそうなくらい、急なのだ。
注意深く階段を下り続けるとやがて周囲も明るくなり、視界が急に開け、紫色の空間が見えてくる。ようやく辿り着いた。
ここが俺のバイト先だ。
「おい、遅えぞ」
「悪い。代わる」
俺の前のシフトの奴が、入り口のすぐそばで立っていた。交代の時間を五分過ぎていた。
魔法現象、とは、文字通り魔法による現象のことだ。このバイトを頼んでくる教授は、この研究の第一人者であるらしい。
この部屋には、研究されるべき魔法現象があるが、それを解き明かすには時間がかかる。その間、目を離しては何が起こるか分からない。だから、交代で学生にバイトを頼んでいるのだ。なぜ魔法薬学科の俺が選ばれているかというと、魔法が使える者では空間に影響を与えかねないからだそうだ。薬学科の学生は大抵魔法が使えない。使える奴は魔法科か魔法現象科に行くからだ。かく言う俺も、魔法はとんと使えない。
紫部屋というのは、そのまま紫の部屋という意味だ。この部屋は、紫色なのだ。
紫という色は、安全の印だ。
例えば、ジャム瓶の蓋。例えば、清掃済みのホテルの客室。例えば、手術室のドア。
密閉、除菌、抗菌といったものがきちんと施され、この製品、設備は安全ですよと示すために、紫色が使われている。もちろんその由来は、魔法によるものだ。
全てが平均に保たれている、魔法においての安全はそれに尽きる。均衡が崩れると、あらゆる現象が起こる。つまり魔法はわざとそのバランスを崩すことで成立している。
魔法においての紫は、その均衡が完全に保たれている状態のときに表れる色である。空気であったり、術式であったり、魔法陣であったりが、紫に変わるのだ。ではなぜ自然の状態では紫でないのかというと、簡単なことで、そのままの状態で完璧なバランスではないからだ。
他方、この空間は、紫色で満ちている。それも淡い藤色などではなく、濃い紫。前述の理論に当てはめれば、ものすごく均衡がとれていて安全、ととることもできるが、俺には素直に安心してくつろぐことができない。
すべての空間が、わざわざ俺に、「安全である」と伝えてくるのだ。
想像してほしい。スーツを着た折り目正しい紳士が、「私は安全ですから信用してください。本当に安全です。安全ですよ、私は」なんて言ってきたら、安心できるだろうか。俺にはできない。
アピールが過剰すぎて、逆に警戒してしまう、そんな空間なのだ、ここは。なら、この均衡が破れたとき、どんな危険なことが起こるのか、それを考えて恐ろしくなってしまうのだ。魔法が使える者にこのバイトができないのはそのためだ。まさにその均衡を崩すのが魔法なのだから。
そんな表面上は完璧な空間の中、俺は座っている。何かがこの空間で起きたとしても、俺を始めただの学生のバイトには対処できないだろう。緊急時対応マニュアルを与えられているわけでもないのだ。
前のシフトの奴(ちなみに、クラスメイトだ)はさっさと帰っていった。俺はすることもないので、大抵本かマンガを読んでいる。今読んでいるのはマンガだ。くだらない、ありふれたストーリーだが、それが良い。何も考えずに読めるからな。
ここには、階段と、白いカーテン、あと、鉄製の鳥籠のようなものがある。籠はものすごく大きくて、人が入れるくらいだ。もしかしたら、檻なのかもしれない。
カーテンは風もないのに揺れている。ひらひらと、動くカーテンの向こうに、鳥籠は置いてある。この籠の中に、ときどき、人のようなものが見えることがある。それが異常なのかどうか、本当に人が現れているのか分からない。ちらっと見えた気がして、そちらを見ると、空っぽの籠だけがあるからだ。
俺はそれを思い出して、カーテンを眺める。今日もカーテンはなぜか揺れている。どうなったら異常なのか、俺にはわからない。ただここに座っていれば金がもらえるから、座っているだけだ。料金分の仕事をしようだなんて思わない。
カーテンが一度大きく揺れた。
籠の中には、髪の長い人物が座っていた。
俺は思わずマンガを置き、立ち上がった。じっと見つめても光景は変わらない。青い髪の、多分女が、俺の方に背を向けて座っている。
驚きすぎて何も言えず、ただただ見ていると、女が少しだけ頭を振った。こちらを向きかけている、そう悟って俺は、なぜか急いで目を逸らす。
視線を戻すとそこには、相変わらず空の鳥籠が置いてあるだけだった。
二日に一度の頻度で俺は紫部屋に行く。一度見るようになると、その後も何度も青髪女は現れた。どれも一瞬だけ。顔を見ることすらも許されないようだった。
「なあ、あの子、気になるよな」
俺はクラスメイトに聞いてみることにした。
「どの子? モリーとか?」
「ちがうって」
確かにモリーはクラス1の美少女だ。豊かに波打つ緑の黒髪と、きらきらした蜂蜜色の目を持つ。その厚めの唇の両端を持ち上げてにこりと笑えば、たいていの男は目が離せなくなり、そのうち半分の男は前屈みになる。なにゆえかは語るまい。どちらかというと、人間として魅力的というよりも女性的な魅力が高い美少女である。
「そうじゃなくて、あの子だよ。あの、紫のところの、青い」
言いながら、もしかするとクラスメイトのときには女は現れていないのかもしれない、と一瞬思う。しかし、クラスメイトはあっさりと言った。
「紫のところ? ああ、あれか?」
と、彼はなぜか実に冷めた口調である。
「あれって……お前分かったのか? あの子だぞ? あの鳥籠みたいな檻の中に入った……」
「そりゃ、鳥は鳥籠にいるもんだろ」
「鳥?」
「あの、青い鳥だろ? 確かにきれいだけど」お前そんなに鳥好きだっけ、と彼は首を傾げる。
鳥?
教授の講義が始まって、そこで話はおしまいになった。
鳥かごの中にいるのは、どう見ても人間だ。最初にはっきり見たあの日以来動こうとしないが、肩は微かに上下しているし、身じろぎもする。生きている人間だ。
俺は相変わらず本を開いて、しかし意識は常にカーテンの向こうにある。鳥なんかじゃない。何かの比喩か? 俺が知らないだけで、『鳥』という言葉は何かの隠喩なのだろうか。
青、という色だけは一致している。
今日はえらく長くそこにいる。
もしかして、顔を見ることができるんだろうか。
考え出すといても立ってもいられなくなり、俺はとうとう立ち上がってカーテンの向こうへ足を踏み入れた。これまで、階段の周辺より奥へ行ったことはなかったが、瞬間、何か起こるということもない。
カーテンを越えると、ほんの数歩で鳥籠へと辿り着く。立ち止まって、鳥籠を観察した。女は少しだけ身体を動かして、こちらに気がついていることが分かる。
やはり、これは檻なんだろうか。人が通り抜けられない程度の間隔で、鉄柵が並んでいる。その棒は太そうで、多分容易には曲がらない。この女は生きている。閉じ込められている、のか?
ぱっと女がこちらを向いた。
髪の色よりもう少し深い青の瞳を丸くして、俺を見ている。体つきは華奢で、少女といってもいい、というか、俺と同い年くらいの女の子だった。
こんな女の子が、どうしてこんなところにいるのか。
頭の片隅では分かっている。きっと、この少女、あるいは彼女を取り巻く空間が研究対象なのだ。彼女はきっと実験動物なんだ。
でも、こんなに綺麗なのに。
知らず、手を伸ばした。
「ちょっと待って、私は左の腕を言うべきではない、あなたが知っている」
「は?」
手が止まる。彼女の顔を見ると、真面目な顔でこちらを見ていた。
「何言ってるんだ?」
彼女は口をつぐんだ。俺もしゃべらなかったが、しばらく沈黙が続いたので仕方なしに口を開いた。
「なあ、君、研究の協力者なんだろ。なんだってこんなとこに一人きりの研究、承諾したんだい。こんなに可愛いのに……ってそれは関係ないか」
口説いてどうする。
俺の台詞を理解してか否か、少女は眉をひそめてぼそりと言う。その言葉も意味不明だった。
「そして、それはあなたが言うめちゃくちゃだ、それは多くの人が言っているようですが、ちょっと、それは全く湧かん少し前ではありません」
埒があかない。俺はため息をつき、彼女を眺める。肌は抜けるように白く、透き通っている。その顔を縁取る青い髪はきらきらと輝いていて、とてもきれいだ。もう一度檻の格子に手を伸ばした。
すると彼女は顔色を変え、焦ったような、怒ったような声で言う。
「彼なしで、触れる。いつか前に、あるいは、恐らく……です!」
「なんだよ」
何度聞いてもさっぱりだ。そのまま檻の隙間をすり抜け、俺の手は彼女の髪に触れた。瞬間、少女がぎくりと身を強張らせるのが分かったが、もう触ってしまったからと構わず触る。
すべすべしている。魔法であれ薬であれ、染めれば髪は傷む。この感触はきっと天然だ。
黙って触られていた彼女は、ふうとため息をついてぶつぶつと言う。
「いつか前に、あるいは、それはそうである……もの彼の樹脂外部……変態……を運ぶために、のように!」
「なんだって?」
聞き捨てならない単語が聞こえたぞ。
「とても異なっておかしくて、もしかすると変態だ」
「おいなんで急にはっきりしゃべるんだよ! わかってやってんだろ!」
「何、彼は行う、それ、鉛? それはよく沸騰しません、何も持っていません。その状態です……またどこで、ここに? それがより長いすべてを理解するとは限りません」
「なんなんだよ……」
「彼、そして以来、それは作る、驚異的、したがって、それはそんなものになる。しかしながら、そのような会話は今までリードしなかった……」
なぜかお互い途方に暮れて、ただしばらく見つめ合うのみだった。
治験はチームで行うから、俺が付きっきりでなくても良い。それ以外の時間を、俺は紫部屋でのバイトに費やす。俺は今学費を全て自分で払っているから、高収入のバイトは非常にありがたい。しかも、バイト中に勉強をすることもできる。
そんな生活を始めてから、三ヶ月くらい経った。
俺にはかわいい恋人がいたのだが、振られた。何を隠そうついさっきのことだ。
「仕事とあたしどっちが大事なの!!」
俺はまだ正式に働いていない。身分は学生でこれは単なるアルバイトだ(確かに、今の生活はほとんど学校とバイトだけで、彼女をあまり構っていなかったけれど)。卒業して就職したら彼女は発狂するんじゃないか、そんなふうに考えて怖くなってしまい、彼女の別れの言葉を受け入れた。多分彼女は引き留めてほしかったんだと思う。
「モリーの次に人気のある彼女だったってのに。ひどい奴だ」
クラスメイトが声をかけてきた。
「なあ、青い鳥って、どんなのだ?」
いきなり紫部屋の話になってクラスメイトは一瞬戸惑いを見せたが、答えてくれた。
「お前も知ってんじゃないのか。カーテンの向こうの鳥籠のことだろ。青くて大きな鳥が、ときどき入ってる。このバイトやってる奴は大抵見てるよ」
やはり、鳥というのはあの少女のことなのだろうか。しかしクラスメイトの口ぶりからは、鳥が隠喩であるだとか、そういうニュアンスは感じられない。ただの鳥だと思っているように聞こえる。
俺にしか、少女は見えないんだろうか。
「洞窟のカナリヤみたいなもんかな。思うに、あの部屋の現象というのはあのカーテンが主体だ。それが引き起こす歪みだかなんだかのせいで、あの鳥は現れるんだろう」
俺も専門外だからわからないが、とクラスメイトは言う。こいつ、薬学の成績は最悪のわりには、魔法現象にはなかなかに詳しいんだ。
「どうして、あの子が主体でないと分かる」
俺の問いに、クラスメイトはあっさりと答えた。
「あの鳥が言ったからだよ」
「は?」
「あ、お前の前ではしゃべったことないか。俺も、つい一昨日初めて話しかけたんだ。なんだかいっちょまえに、気の強い女の子みたいなしゃべりかたするぜ」
何でもないことのように彼は言う。確かに、しゃべる種類の鳥はいるし、あの空間にしゃべる動物が出てきたっておかしくない感じがする。
しかし、そんなことではない。俺が感じたのは、
「……お前、あの子の言うことがわかるのか」
「どうしたんだよ。んな怖い顔して。俺、なんか変なこと言ったか?」
灼けるような嫉妬だ。