片思い 〜姫は涙する〜
月明かりの照らす中庭に面した回廊に佇む二人。
王太子トシェンと彼の正妃になるエリリーテ。王太子は彼女に跪き、騎士の礼を取っている。それだけ見れば何とも絵になる、物語の挿絵のような光景。
夢のようだとエリリーテは思う。夢なら良かったのにとも思う。
ふっと息を吐いて、エリリーテは微笑んだ。トシェンはその何ともいえない寂しげな微笑みの美しさに息を飲む。月明かりに照らされた彼女の長い銀の髪は、真珠のような優しい光沢を放っている。本当に神々の姿を模していると言われているのもうなずけるとトシェンは心の中で感嘆のため息を付いた。
エリリーテは自分の左胸に右手を当ててから、その手で跪くトシェンの左肩に触れる。
それは、自分に対して礼を取ってくれた騎士への敬愛の想いを伝えるためのこの国のしきたり。大好きな「薔薇の騎士の物語」の中で歌われていて、お気に入りだった場面に登場する仕草。「私の心もあなたを敬愛しております」という意味を持つのだという。
本当に憧れていたその場面。それをこうしてその憧れの人に対して行うことになるとは夢にも思わなかった。
その仕草にふっと表情をゆるめて、トシェンは立ち上がった。
「この国の騎士のしきたりをよく知っているのだね」
トシェンに微笑み返しながらエリリーテも答える。
「薔薇の騎士と姫君の物語を好きな娘なら、誰だって知っていますわ」
「薔薇の騎士・・・そう揶揄されるのはなんとも気恥ずかしいのだが」
照れたように微笑むトシェン。
その微笑みを見上げながら、ああ、この人が好きだなと、エリリーテの胸がキュンと切なくなる。
もっと幸福な気持ちだったら良かったのに。
エリリーテは覚悟を決めて、あるのぞみを口にした。
「トシェン様にお願いがございます。故国から騎士を一人、私の話し相手に招くことをお許し下さい」
「騎士?」
トシェンの目がいぶかしげに眇められる。
「その者の名は?」
「エルーシアン・アルール・ローダスタ。祖国での私の護衛騎士長です」
「よし、わかった。約束しよう」
これでいいとエリリーテは思った。エルーシアンが来て、トシェンがエルーシアンを私の恋人だと思えば、きっと心に負い目を感じずに済むだろう。
そして、周囲の評判も、正妃は故国の騎士と通じていて、トシェンを顧みないおろかな女だと思われれば、トシェンもダリューシェンも誰も傷つかないで済む、そう思ったのだ。
「私がエルーシアンに直接文を出してもかまいませんか?」
「その者はそなたの近しいものか?」
「ええ、乳兄妹ですから一緒に育ちました」
「わかった。好きにするが良い」
エリリーテの部屋の前に着くと、トシェンはエリリーテの指先に軽く口づけた。
「着いた早々の宴で疲れただろう。今宵は早くおやすみ」
そう言って去っていこうとしたトシェン。
「あの!」
思わず呼び止めてしまう。
行かないで、側にいて!あなたが好き!!そう、すがってしまえたら・・・何もかも台無しにしてもそうしたいような衝動が、エリリーテの中を荒れ狂う。
「どうした?」
トシェンが再びエリリーテの手の届くところまで戻ってくる。
「もし、よろしければ、時々は私からお茶にお誘いしてもよろしいですか?」
勇気を振り絞って、エリリーテは笑顔を作った。会いたかった。これからおろかな女を演じるとしても、トシェンと会えなくなることは耐えられないと思った。
「ああ、きっと来よう」
トシェンはそっとエリリーテの肩を引き寄せると、額に口づけをした。
「本当にすまない」
エリリーテはクスリと笑った。
「トシェン様、さっきから謝ってばかりですわ」
そしてお休みの挨拶を交わし、扉を閉めた。
冷たい扉に耳を当てて、トシェンの足音が遠ざかっていくのを聞く。
不意に涙がこぼれ落ちた。
そのまま扉にもたれて、ずるずると床に崩れ落ちる。
「う・・・くっ・・・・」
嗚咽が口から漏れる。
頬を伝う涙は冷たいのに、トシェンに口づけられた額はその部分だけが熱を持って熱かった。
あなたに会えて嬉しかった。
今日ほど嬉しい日は無い。
愛せないと言われた。
今日ほど悲しい日はない。
両方の感情を抑えきれず、祖国から一緒に来てくれた侍女のマーリンが心配して来てくれるまで、まだ幼い姫は、初めての恋を知り、そして失った悲しみに泣き続けていたのだった。
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