宴の夜 〜姫は王太子の告白を聞く〜
中庭に面した回廊の途中、トシェンは立ち止まりエリリーテを見つめた。侍女達は心得たもので、こういう時、二人の邪魔にならないように、さっさと部屋に戻っている。
回廊には二人きり。
うつむいているエリリーテの目には、月の光に照らされた、二人の影が仲良く手を繋いでいるように見えて切ない。
「あの?」
「すまない」
そうトシェンがいきなり頭を下げたので、エリリーテは顔を上げて、ただただ驚いてトシェンの次の言葉を待った。頭を下げたままのトシェン。
「私は・・・そなたのことを一番には考えられないのだ」
その言葉はエリリーテの胸に突き刺さった。
「・・・わかっています」
そうエリリーテがやっとの思いで答えると、はじかれたようにトシェンが顔を上げた。その顔が苦しげに歪んでいる。
「王陛下となられる方が無闇に頭を下げる物ではありませんわ」
エリリーテは、つとめて冷静に聞こえるようにそう告げる。
違うのだ、私はこの人に、こんな苦しい顔をさせたくは無いのだ。でも、私に、何が出来るだろう?
一呼吸して、エリリーテは婚礼が決まってから、ずっと考えていた言葉を唇に登らせる。
「ダリューシェン様を一番に愛していらっしゃるのですね。ダリューシェン様はとても素晴らしい方です。私は形ばかりの正妃。最初からそのつもりでおりました」
よくもこうすらすらとこんな言葉が口から出てくるものだと、まるで他人事のようにエリリーテは思った。
「そなた・・・、やはり聞いていたか・・・」
「ええ、城に来る吟遊詩人達の詩の中で歌われている「薔薇の騎士の物語」が私のお気に入りでしたから」
「薔薇の騎士の物語」とは、トシェンとダリューシェンのことを歌ったものだったのだ。
「ですから、ご安心下さい。私、お二人のお邪魔をするつもりはありません。私はトリデアルダとこの国を結ぶ使者と・・・そう思って下さい」
そう言いながら、本当は胸が張り裂けそうだった。
目の前のトシェンの苦しげな表情が和らいだのを見たとき、良かったと思う反面、暗い悲しみが心を押し流しそうになる。しっかりして!と自分を奮い立たせる。ここで泣いてしまったら、台無しだ。頭の芯は涙をこらえているせいで、ずきずきと脈打っている。
「薔薇の騎士の物語」を聞いたときから、エリリーテはトシェンに憧れていた。
王族の一夫多妻が普通のこの世の中で、たった一人を愛すると誓うトシェンは、本当に尊い存在に思えたのだ。
今日、出迎えてくれたトシェン。
優しい眼差し、低く深く響く声。柔らかい物腰も、細やかな心配りも、何もかも完璧。
あまりにも完璧な王子様。
一目で恋に落ちた。
虜になってしまった。
そうなることは予想していなかったと言えば嘘になる。
だからこそ、輿入れが正式に決まってから、ずっと考えてきたシナリオなのだ。
トシェンの正妃として迎えられ、正妃として第一の女性となる。
側にいられるだけで幸せだと思わなければと思った。
憧れて、恋した人と結婚できるのだ。
なんと自分は幸せなんだろう。
だが、その恋しい人の心には別の女性が居る。
それならばせめて、邪魔にならないようにしよう。
恋した人に憎まれるのは耐えられない。
そして、恋した人の幸せを見守り続けよう。
それしか、幼いエリリーテが選ぶ道は無いように思われたのだ。
苦しい恋。
でも、自らがそれを選ぶしか、目の前にいるこの人を幸せにできはしないと、エリリーテは思ったのだ。
「すまない。そなたを愛することはできないが、大切にしよう。のぞみがあれば我が手に負える範囲であれば叶えよう」
そういうとトシェンはエリリーテの前にひざまずき、騎士の礼を取った。
「お立ち下さい、トシェン様。のぞみなど・・・」
そう言いかけた時にエリリーテの頭をふと一つのことがよぎった。
このままだといずれ私の存在はトシェン様の重荷になるだろう。
どうすればいいの?
どうすれば、この方の心に負担をかけずに、ただ側にいて、彼を守るだけの存在になれるのだろう。
愛されない哀れな王妃。
そう、思われないためには・・・・。
その時、エリリーテの脳裏に、故郷の懐かしい人物の面影が過ぎった。
愛されないことを周囲からも、この方からも「哀れ」と思われないためには、「愛されなくても仕方がない」という理由を作らなくてはいけない。
そう思いついたエリリーテはある望みを口にするのだった。