恋心 〜騎士は想う〜
「やはり・・・な・・・」
薄く開いた正妃の寝室の扉の前で、そう呟いたのは白い近衛騎士装束のクリアージュ。
そっと扉を閉めたその肩に、スッと手をかけるのは青い騎士装束のエルーシアン。
「盗み聞きとは良い趣味ですね」
振り向くと咎めるような強い光を孕んだ青い瞳が、クリアージュの琥珀色の瞳を射るように見つめていた。
クリアージュはエルーシアンにそっと促されるまま、扉の前を離れ、次の間へと移動した。
「で?何がやはりなのですか?」
そう聞くエルーシアンにクリアージュは微笑む。
「我らが姫君の想い人は、君ではないということがですよ」
エルーシアンは当然でしょう?と、言わんばかりに肩をすくめてみせる。
「彼女は正妃様なのですから、想い人は私のはずはありませんが、それが何か?」
怒りを孕んだ空気が、エルーシアンからクリアージュへと放たれている。それは冷気とでも呼べそうな、冷たい空気だった。
その時扉が開き、侍女マーリンが顔を覗かせる。
「あら、お二人とも、こちらにいらしたのですね。お茶をお持ちしますか?」
そう言ってにっこり微笑むマーリンに、
「ああ、熱い香草茶をもらおうか」
そう笑顔で答えるエルーシアン。先ほど纏っていた冷気など微塵も感じさせない、穏やかな笑顔だった。
「ついでに甘い物もあると嬉しいな」
そう更に笑顔で付け加えるクリアージュ。
扉が閉まると、ふうっとエルーシアンが息を吐いた。
「あなたが本当にエリリーテ様の騎士として真心を捧げようとしていらっしゃるなら、言っておきたいことは沢山あります」
エルーシアンは、そう、真剣な眼差しでクリアージュを見つめて言い、傍らのソファーをクリアージュに勧めた。
「もちろん、聞かせてもらうよ」
相変わらず、本心の読めない笑顔を浮かべるクリアージュを、エルーシアンは胡散臭いヤツだと思いながら見つめるのだった。
マーリンが香草茶と、ファリンという甘いナッツを使った焼き菓子を持ってきてくれた時には、二人は落ち着いた様子で談笑しているように見えた。
だが、見る者が見れば、二人の空気がピリピリと張りつめているのに気が付いたことだろう。
「我らが姫君の本命は、トシェン様。それで間違いは無い?」
そう、笑顔でクリアージュが問う。
仏頂面のエルーシアンは無言で頷いて、香草茶を一口飲む。
「『薔薇の騎士の物語』が、エリリーテの一番のお気に入りだったからね・・・」
クリアージュは苦笑を浮かべる。
「ああ、あの作られた美談ね・・・実際の物語はもっとドロドロした、悲劇なのにね・・・」
エルーシアンは眉をひそめる。この国に来て、見聞きしたことでも、分かってはいた。あの物語の裏には、悲劇が潜んでいたことを。
「出来れば、エリリーテを巻き込んでもらいたくはなかったが・・・」
クリアージュはカップをソーサーに戻すと切り出す。
「それで、何故君が恋人のふりを?」
「それが、エリリーテの望みだったからからだ・・・」
エルーシアンが語って聞かせたエリリーテの偽りを、クリアージュはじっと聞いていた。
聞き終わっても、クリアージュは無言だった。
「クリアージュ様?」
無言の時間に耐えかねて、エルーシアンが声を掛けると、クリアージュは微笑みを浮かべて、エルーシアンに告げる。
「エリリーテ様は、まさに私がこの心を捧げるに相応しい方だったのだね。自分の気持ちを犠牲にしても相手の幸せを望まれる気高い心を持ち、その心を見せずに、我が王の支えとならんとしていらっしゃる・・・。殉教の女神ルルーシェ様の生まれ変わりのような方なのだね」
「クリアージュ様・・・」
「安心したまえ。この私が、君が去った後もこの命を掛けて、エリリーテ様のしあわせを見守るよ」
そう、爽やかに微笑むクリアージュを、嫌いではないのだけど、今一歩のところで信用できないなと思うのは何故なんだろうと、首をかしげたくなるエルーシアンなのだった。
エルーシアンが去った後、一人残されたクリアージュは思う。
「トシェン様も彼女に惹かれていらしゃるはずだが・・・」
姉上には申し訳ないが、自分にとっては姉上よりエリリーテの健気な様子が心に掛かる。
もし、このまま、姉上が目覚めなければ、トシェン様はエリリーテ様を愛されるだろうか・・・。
もし、姉上が目覚められて、トシェン様の愛を受け入れ、エリリーテ様が正妃の座を姉上に譲られたら・・・その時は迷わず求婚すると、それはクリアージュが決めている事だった。
濃い菫色の瞳、陽に翳せば虹色に輝く銀糸の髪。
神々と同じ容姿とされる美しさを持ちながらも、謙虚で控えめで、その心映えまでもが素晴らしいのに、愛する人の為に汚名を着せられるのも厭わない潔さを持ち合わせる人。
「ありふれた事なのかもしれないが・・・」
彼女を幸せにしたいと思う。
もしも、彼女が私の方に少しでも心を傾けてくれるのなら、自分は、この人生を掛けてでも、彼女の幸せを獲得するために何でもするだろうに・・・と、クリアージュは思う。
「いや・・・そうでは無いな・・・」
たとえ、彼女が自分に心を傾けてくれなくても、私は・・・彼女が幸せになるためなら、労力を惜しまないだろうと、クリアージュは苦笑するのだった。
見返りなどいらないと言えば嘘になるのかもしれない。でも、彼女の幸せな笑顔を見たい、心からそう思う自分がいる。
「その笑顔を引き出せる存在になりたいものだな・・・」
自分が、もし、彼女を降嫁させ、妻にすることが出来たなら、そうクリアージュは夢想する。
「きっと・・」
甘やかすだろうな・・・。
そうだ、どこに行くのも自分が守れない時は屈強な護衛を付けて、守り抜く。
でも、それはきっと叶わぬ夢だ・・・。
そう分かっていても、夢のような事を考えてしまう。
それは甘い痛みと、胸に少しの重しを乗せたような息苦しさを呼び起こす。
それでも・・・、叶わない想いだとしても・・・、彼女の笑顔を、それだけを守りたい。それが、自分の中の、揺るがない真実。
愛おしいのだ。
ただ、ただ、愛おしい。
彼女のしあわせのためなら、たぶん、今の私は何でもするだろうなと、そう思っている自分を嫌いではないなと、そう思うクリアージュだった。
読んで下さってありがとうございます!
お待たせしました。
年内完結に向けて、頑張ります!!
雨生




