姫君の孤独 〜正妃は回想する〜
どれくらい眠っていたのだろうか。
目覚めると辺りは薄暗かった。
「一日・・・寝てしまったみたいね・・・」
ぼんやりと頭の芯が重くて、身体を起こそうとすると、こめかみの辺りがズキリと鈍い痛みを訴えてくる。
エリリーテは、それでもなんとか寝台の上に身体を起こした。
長い夢を見ていた。
トリデアルダの奥宮に居た頃の自分の夢。
夢に出てきたのは、みんなが大事にしてくれるのに、寂しくて、いつもそんな気持ちに耐えていた頃の自分だった。
ふと、枕元のテーブルに目をやれば、香炉からゆるく立ち上る煙。
「安眠香だわ・・・」
これは、故国トリデアルダの奥宮で使われている「安眠香」の香りだった。
微かに香る甘く、でも、爽やかな香りが、悪夢のない健やかな眠りを育むと信じられていて、疲れた時や、病人の枕辺で炊かれる香だった。
別名は「癒しの香」。気持ちを落ち着ける効果もある。
「マーリンかしら?それとも・・・エルーシアン?」
香炉にそっと触れると、それは暖かく、エリリーテの指先を温めてくれる。
「この意匠は・・・エルーシアンの香炉だわ・・・」
エリリーテの唇に、微笑みが浮かぶ。
いつだって、自分のことを見守り、気遣い、助けてくれる幼なじみの乳兄弟。
「あの時も・・・エルーシアンが支えてくれたから、私は・・・」
王である優しい父と正妃である母、そして世継ぎの王子である兄に愛されて、何不自由なく育ってきたエリリーテだった。
ただ、父と母は多忙でなかなか会うことも出来ず、世継ぎである兄も毎日勉強に追われていて、なかなか会うことが出来なかった。
また、稀な容姿ゆえに、皆が腫れ物に触るように、大仰に大切にされてしまい、周囲とうち解けることがなかなか難しかった。
その記憶の片隅に、常にある記憶があった。自分を抱きしめ、優しい声で子守歌を歌ってくれたのは、誰なのか。
正妃である母は多忙だったため、エリリーテは乳母であるエルーシアンの母に育てられたが、エルーシアンの母はその子守歌を知らなかった。
あれは、正妃である母だったのだろうか。それすら確かめる事が出来ないほど、母と会う機会は限られていた。
会えば必ず「元気でしたか?」と、その腕にギュッと抱きしめてくれるが、それ以外はふれあいは無かった。
何故なら、「正妃は王の全ての子の母」だったから。正妃として、側妃の子も自分の子も常に平等に扱う、それがエリリーテの母だった。
美しい色素の薄い銀に近い金の髪をキリリと結い上げて、いつも忙しく政務を行う王に変わって、膨大な宮廷内の事を取り仕切っている母。
常に自分の母親と行動している、他の側妃の子供達がうらやましく無いと言えば嘘になった。
母に、愛されていないとは思わなかった。会えないことの方が多かったが、新しい服、可愛い髪飾り、母からの贈り物はいつも愛に溢れていると思えた。ただ、エリリーテは、その贈り物より、一時、母と語らうことを求めている自分を我が儘だと思い、恥じていた。
寂しかったが、自分には乳母やエルーシアンも居てくれるのだからと、寂しがってはいけないと、自分に言い聞かせてきたのだった。
あの日、エリリーテの12歳の誕生日に届けられた書状を見るまでは・・・。
書状は、トリデアルダの片田舎の街にある、小さな修道院からのものだった。
エリリーテには沢山の誕生祝いのカードが届いていた。
トリデアルダでは女性は12歳で成人と認められる。月の障りが来るのが大体その辺りの年齢だからだろう。
男性は10歳で成人とされ、二年間の教育を得て、12歳から出仕するのが慣わしだった。
12歳になって、大人の仲間入りをした事を祝うカードの中、修道院の紋章が印刷された簡素な紙に書かれたその書状にはこう書かれていた。
「姫様も無事に成人を迎えられたとのこと、喜ばしく思います。つきましては、大人になられたのですから、あなたをお産みになられた母上様が眠っておられますこの修道院の墓所を一度は訪れて、母上様のご供養をなされてはと思います。その時に、こちらにあります母上様の御遺品もお渡し出来ればと思います。」
差出人はその修道院の院長のようだった。
「私を産んだ母上様・・・」
何を馬鹿なことを、私のお母様は正妃様で、今も御元気なのに・・・。
だが、その書状を見つけた乳母の青ざめた顔を見て、エリリーテは悟る。
ここに書かれていたのは真実だと。
「私のお母様は・・・正妃様ではないの?」
今まで、疑いもなく信じていた世界が、足下から揺らいだような気がした。
12歳の誕生日の翌日は朝から雨だった。
前夜の誕生祝いの宴の途中から、エリリーテは体調を崩してしまい寝込んでいた。
熱を出したのだ。
枕辺にはエルーシアンが無言で付き添っていた。
「エルーシアンは・・・知っていたの?私が・・・お母様の本当の娘でないことを・・・」
「エリリーテ、何の冗談?」
そう、笑顔で切り返すエルーシアン。でも、目が笑ってない・・・。
あの書状は、乳母が持ち去ってしまって、もう、手元には無かった。
「こんなけしからぬ嘘で、エリリーテ様のお心を乱すなんて、とんでもございません!」
そう、言って片づけられた書状。
だが、あの、乳母の慌てようと、顔色を見れば、それが真実なのかも知れないとエリリーテも思ってしまう。
その日の午後になって、エリリーテの寝室に正妃エメリリアがやってきた。
「熱を出したとか・・・気分はどうなのです?」
そう言って、寝台の側の椅子に腰掛け、熱を確かめるように、そっとエリリーテの頬に触れてきたエメリリアの手は、ひんやりとしていて、熱に火照った頬に気持ちが良かった。
この人が母で無いのなら、私はここに居ても良いのだろうか・・・。そう思うとエリリーテの頬に涙がこぼれ落ちる。
そんなエリリーテの様子を見て、エメリリアはため息をつく。
「いつかは・・・話さなければと思っていましたが・・・」
エメリリアはエリリーテの手をそっと握る。その指先が微かに震えていた。
「昨日で成人したのですから、もう、いつお嫁に行ってもおかしくないのですね。あなたが、今、知りたいと思っていることを話しましょう」
聞きたい。でも、聞きたくない。
真実を知りたい。でも・・・知ることによってどうなってしまうのか、エリリーテは不安で押しつぶされそうだった。
エメリリアはそっと微笑むと、エリリーテの手をとったまま話し始めた。
「安心しなさい。私とあなたは、ちゃんと血が繋がっていますよ。もちろん、神王でいらっしゃるお父様の娘です。これは嘘ではないわ」
「・・・本当?」
「ええ。女神ルルーシェに誓って」
エリリーテの胸に安堵の気持ちが広がったが、疑問は残った。
「私は・・・お母様の娘ですよね?」
「エリリーテ・・・」
そう、言って欲しかった。娘だと、言って欲しかった。
エメリリアはぎゅっとエリリーテの手を強く握りしめて、答えた。
「あなたは・・・私の姪なの・・・」
「・・姪・・?」
姪って・・・何だった?娘じゃなくて、姪?エリリーテは目眩を覚えて目を閉じる。
「あなたを産んだのは、私の妹なのです」
目の前に突きつけられた真実から逃れるように、エリリーテは意識を失った。
読んで下さってありがとうございます。
本編にはあまり関係の無い話しかもしれませんが、健気なエリリーテの生い立ちに少し触れようかと思って、書きました。
次話、それほどお待たせせずにUPできると思います。
体調ご心配頂いて、ありがとうございます。
すっかり元気になりましたので、ご安心を〜!
回想終わったら、いよいよこの物語も後半突入です。
頑張って書きますので応援よろしくお願いします!
雨生




