初恋 〜姫は王太子に出会う〜
エリリーテの到着を迎えるために、主立った重臣たちや騎士達が居並ぶ中、その中央にその人は立っていた。
意志の強そうな藍色の瞳に黒く艶やかな髪、口元には優しい微笑み。この国の正装であるエファーと呼ばれるガウンを羽織っている。
ドキッと、エリリーテの胸が高鳴った。
その人が静かに、輿の中のエリリーテの方へ近づいてくる。良く見ればその濃紺のエファーも、細かい紋章が織り込まれているのが光の加減でわかる。
「ようこそ。我が国へ」
低く、良く通る声が響いた。
輿の紗幕が傍らで控えていた侍女達によって上げられ、エリリーテは手に持っていた扇で思わず口元を覆う。二人の間を隔てているものは、もはやエリリーテの被ったベールとこの扇だけなのがなんとも心細い。
「エリリーテ、私があなたの夫となるトシェンだ」
そう言ってトシェンが晴れやかに笑った。
その瞬間、この人だと、エリリーテは思った。
自分がずっと夢に描いてきたように、吟遊詩人達が語る「薔薇の騎士の物語」の主人公であるトシェンが、いま、自分の目の前にいる。
「さあ、どうぞ」
手を取られて、輿から降りようとしたら、いきなり抱き上げられてしまった。その拍子にベールが落ちてしまう。
エリリーテは驚きのあまり声も上げられず真っ赤になり、扇で顔を隠すと目を伏せてしまった。
あまりに激しく胸が高鳴っているのを、聞きとがめられたりしてはいないだろうか?
トシェンは軽々とエリリーテを抱えたまま、階段を上がる。
エリリーテの美しい銀の長い髪がふわりと翻り、見守る人々の感嘆のため息を誘う。日の光を浴びて虹色に煌めくその髪は、トリデアルダの神族の末裔に連なる証だった。
「本当にトリデアルダの人々は美しい。神々のように美しい姫だ」
そう囁かれて思わず目を開けると、至近距離から瞳を覗き込まれて、もう、エリリーテは茹で上がったかのように真っ赤になっていた。
本当はちゃんと挨拶の言葉も練習してきたのに、口から出てこない。
「疲れておられるならこのまま部屋までお連れするが、ご自分で歩いていかれますか?」
そう訪われて、慌ててうなずく。
そうして王はエリリーテを降ろすと、今度は手を引いて歩き出す。
「今着いたのが奥宮の入り口。今日よりあなたがこの奥宮の主だ」
建物の中へ入ると、その周りを巡って長い回廊がある。そして、その回廊の脇には素晴らしい庭園が広がっていた。花々が美しく咲き誇る花壇や、噴水の美しい池や瀟洒な佇まいの東屋も見て取れた。
まるで、神々の庭に迷い込んだようだとエリリーテは思う。
そして、時折庭を説明しながらエリリーテの手を取って進むトシェンは神々か、それともこの庭の番人のよう。
トシェンのサラサラと風になびく短くした黒髪は、日にすけると藍色にも見える。
夢のようだと思いながら、エリリーテはその後ろ姿を眺めていた。
その回廊の突き当たりに、エリリーテの部屋があった。
正妃の為の部屋は、公務を行う書斎、広くて居心地の良い居間、天蓋付きの大きなベットを備えた寝室、ちょっとしたパーティーが出来そうな大きな客間、客間に入る前の取り次ぎの間、親しい人とお茶を飲むためのティールーム、ずらりと衣装がならんだ衣装部屋、アクセサリーや小物類がしまえる小物部屋、3人の侍女達のそれぞれの部屋、それに庭に面したテラスが広く取られており、庭には東屋も見える。
その庭がエリリーテの故郷の庭を模して作られており、低めの庭木が迷路のように刈り込まれている。
「まぁ・・・」
思わず漏らした感嘆の溜息にトシェンが笑顔で答える。
「はるばる祖国からこのような辺境の地に来てもらうのだからと、故国の迷宮庭園を模してみたが気にいったかな?」
「ええ!とても!」
夢のようだとエリリーテはうなずいた。招かれざる客だと思っていたのに、このように暖かく迎えてもらえようとは思ってもみなかったからだ。
「今宵はそなたを迎えての祝宴なのだが、疲れてはいないか?」
「ええ、大丈夫です」
エリリーテは答えてからしまった!と思った。さっきから取り次ぎの侍女を通して会話することすら忘れていたのだ。慌ててうつむく。
それを察したのかトシェンは笑顔で言った。
「我々は夫婦になるのだから、取り次ぎはいらない」
「はい」
取り次ぎ無しで話したことなどなかったが、これはこれで良いものだとエリリーテは好ましく思った。
「では、また今宵」
そう告げると、トシェンはエリリーテの指先にすっと自然な仕草で唇を付けると、そのままきびすを返して出て行く。エリリーテはその場にクタクタと崩れ落ちそうになるが、侍女達の手前、そんな醜態は見せられない。
トシェンの唇が触れていった指先が熱い。
父と兄の他に、私に触れた初めての殿方。
トシェンの唇が触れた指先をそっと握りしめる。
胸が苦しい。
ほんの一瞬で、心を持って行かれてしまったことなど、奥手のエリリーテでも気がついていた。
これが・・・恋というものかしら・・・。