沈黙の晩餐 〜正妃は混乱する〜
銀色の繭はその部屋の中央にあった。
立ちすくむエリリーテの背後に立ったトシェンが、そっと背中を押すようにエリリーテを寝台に近づける。
白いシーツに包まれて、その胸の上に手を組み、美しい金の髪がその寝顔を縁取るように流れている。
銀色の糸で編まれた繭のような寝台。そこに眠っている人こそ、側妃ダリューシェン、その人だった。
「これ・・・は・・?」
あまりに異質なその様子に、エリリーテは息を飲んだ。
「ダリューシェンだ」
そう、呟くようにトシェンが答える。
「眠って・・・おられるのですか?」
「ああ。そうだ」
振り向くと、エリリーテの後ろにいたトシェンは、じっと寝台に眠るダリューシェンを見つめていた。
「ダリュー、エリリーテだ。私の正妃だよ」
眠ったままのダリューシェンに、トシェンが声を掛ける。
エリリーテは、言葉も無く、じっと繭の中を見つめた。
血の気の無い頬。引き結ばれたままの唇。青ざめた閉じられたままの瞼。それでも、なお、美しいと感じる女性がそこに居た。
「この繭の中は、我々の持つ魔力で満たされています」
近づいてきたカンファレアが固まっているエリリーテに声をかける。
「魔力?」
「はい。眠ったままでずっと放置されていると、食事も取れず、身体は力を失い、どんどん衰えていきます。ですが、この力を満たした繭の中に居れば、それを防ぐことが出来ます」
「眠ったまま・・・なんですか・・・」
エリリーテは目の前の光景を見つめながら、そう聞いた。
「ああ。もう、二年以上このままだ」
「えっ!!」
二年前といえば、トシェンがダリューシェンを王太子妃に向かえたのが二年前だったはずだ。
「場所を移そう」
そうトシェンに促されて、エリリーテはその部屋を離れた。
長い階段を上がり、表に出たときにはすでに辺りは夕闇に包まれていた。
エリリーテも、その手を取ってエスコートしてくれるトシェンも終始無言のままだった。
かがり火の照らす橋を渡ると、小姓のエルラインが出迎えてくれた。その手にエリリーテが預けた外套がある。
「夜は冷えますから」
そう手渡してくれた外套を、エリリーテの手から取って、トシェンが肩に掛けてくれる。
「驚かせて済まなかった。今夜・・・全てを話そうと思う」
そう言うトシェンの瞳には、もう、あの部屋に行く前に見せた迷いのようなものは無かった。
「トシェン様・・・」
見てきた、あまりに不思議なあの光景を思い出しながら、エリリーテはギュッと外套の前を握りしめる。
通されたのは離宮のダイニングだった。
「お食事の用意ができております」
そう言われても、エリリーテは食欲が無かった。
ダイニングにはすでにクリアージュとエルーシアンが二人を待っていた。
エリリーテの外套を脱がせて、小姓の手に渡しながら、エルーシアンがそっと気遣ってくれる。
「何だか、顔色が悪いようですが・・・大丈夫?」
「ええ・・・」
エリリーテは動揺を隠せないままだ。
「エリリーテ様こちらへ」
クリアージュが椅子を引いてくれる。
その夜の四人での晩餐はひどく静かだった。
エリリーテはほとんど食事が喉を通らず、ずっと、一つのことを考えていた。
トシェンはいつも通りに食事をしているようだったが、いつもより酒杯が進んでいるように見えた。
クリアージュはずっと思い詰めたような表情のままで、エルーシアンはそんな三人の様子を訝しみながら、黙って食事を続けていた。
二年も眠ったままだというダリューシェン。
あの魔力が満ちているという繭に包まれて、ずっと・・・。
では、トシェン様は、毎朝、眠るダリューシェン様に会いにいらっしゃっていたんだ。
眠ったままのダリューシェン様に会いに・・・。
それほどまでに、トシェンのダリューシェンに寄せる愛は深いのかと、エリリーテはため息を零した。
やはり、私などではその深い愛情に入り込む余地は無い。でも・・・一体何故、こんな事態になっているのだろうと、エリリーテの心の中は、知り得た事実に寄せる疑問が犇めいているのだった。
食事の最後のお茶が運ばれて来た時に、クリアージュがエリリーテに話しかけた。
「エリリーテ様、すでにおわかりのことと思いますが、あなたを騙したことを深くお詫びします」
そう言うとクリアージュは、跪いて剣を抜き、己の喉に刃先を突きつけて、エリリーテの方にその柄を差し出す。
それは、騎士の最大限の謝罪。このまま殺されても文句は有りませんという謝罪だった。
エリリーテは驚いたが、その柄をそっと握ると、自分の方へ剣を引き寄せ、それをクリアージュの左の肩へ当てると、その剣をクリアージュに返す。それは許しの儀式。知識として学んではいたが、実際に自分が使うことになるとは思ってもみなかったが・・・。
エルーシアンはその一部始終を黙って見ていたが、クリアージュが謝罪したのは、エリリーテが疑っていたことが事実だったからだと思い至った。
たぶんさっき、ダリューシェン様に会ったはずのエリリーテが、何故、こんなに動揺しているのか。また、ちゃんと聞いて、吐き出させてあげないと、この姫君は一人で何でも抱え込んでしまうからと、エルーシアンもため息を零す。
クリアージュ、あなたは、その役割も背負ってくれますか?私がお守りしているのは、この姫君の身体だけではなく、心もなのですよ。自分が去る身であることを知るエルーシアンは、エリリーテとクリアージュ、そして、黙したままそんな二人を見つめるトシェンを見つめた。
その後、エリリーテは寝室へと案内された。
湯浴みをさせてもらい、真新しい夜着に着替えたエリリーテが寝室に入ると、そこにはこちらも夜着に着替えたトシェンが待っていた。
火を入れた暖炉の側の椅子に座って、静かに葡萄酒の杯を傾けているトシェン。
「あの・・・」
そう、やや緊張したままで、エリリーテが声をかける。
「ああ・・・こちらへ。今宵は少し冷えるので、暖炉に火を入れさせたから」
そう言うと、トシェンはエリリーテを差し招き、暖炉の前のソファーに座らせてくれる。
「これを羽織るといい」
そう言って、軽いが暖かい肩掛けを手渡してくれる。
「少し、長い話しになるから」
そう前置きして、トシェンが手ずから香草茶を入れてくれて、エリリーテに手渡してくれた。
「どこから話そうか・・・」
暖炉の火を見ながら、トシェンはそう切り出す。
「まずは謝らなければな・・・。晩餐会の時に、クリアージュにダリューシェンのふりをさせたのは、悪意あっての事では無い」
エリリーテはそっと息を吸うと、答える。
「はい・・あれは、私へのお気遣いなのではないかと思っておりました・・・」
トシェンは一瞬驚いた顔をして、エリリーテを見て、眩しそうに微笑んだ。
「やはり・・・そなたは聡いな・・・」
そう言うとトシェンはそっと手元の杯に葡萄酒をつぎ足した。
「そなたの夢を壊すようで悪いが・・・そなたが好きな「薔薇の騎士の物語」の真実は、そんなに甘い話しでは無いのだ・・・」
そう言うトシェンは辛そうに見えて、エリリーテは胸が締め付けられるように感じた。
「私と兄がダリューシェンに会ったのは、18歳の時だった。兄は21歳、ダリューはまだ14歳だった」
なんとか連投(笑)
読んで下さってありがとうございます!!
次こそは核心を!と、思いつつも、なかなか進まないのは、雨生の計画性の無さでしょうか・・・。
次回、「薔薇の騎士の物語」の真実に迫りたいと思います。
応援、よろしくおねがいします!
雨生




