離宮へ 〜正妃は辿り着く〜
離宮にたどり着く頃には、すでに午後の日は傾き始め、木々の陰影は濃く、森の中の細道は薄暗かった。
馬上のエリリーテは、駆ける馬の揺れに慣れず、途中から、
「もう少し早く駆けさせたいから、私の身体に腕を回して、しがみついていなさい」
と、トシェンから言われて、抱きつくようにその身に頬を寄せてしがみついていた。
夕刻の風は冷たかったが、寄せ合った身体は暖かかった。
森を抜けるとすぐに、灰色の重厚な造りの石壁が見えてきた。どうやらこの道は離宮の裏手に出る道らしい。
古びた、しかししっかりとした石壁の小さな門を二人の衛兵が守っていた。二人は突然現れたトシェンの姿に驚くことはなく、静かに臣下の礼を取ると、開門した。
壁の向こうには、灰色の離宮があった。夕空を背景に尖塔を幾つか頂いたその姿は美しく荘厳だった。
門をくぐってから、トシェンは馬をゆっくりと歩かせた。
「大丈夫か?」
自分の身体にしがみついたままのエリリーテの顔色を確かめるように、そっと外套のフードを外してくれる。
「はい・・・」
エリリーテは慌てて、トシェンを抱きしめるようにしていた腕を外そうとすると、馬上で身体が傾いだ。
「危ないから、そのままで」
そういうとトシェンは、右手で手綱を操りながら、左手でエリリーテの身体を抱き寄せるようにして、体勢を直してくれる。
今更ながら、密着したこの状況に、エリリーテの胸は早鐘を打つように騒いだ。しかし、そっと見上げたトシェンの瞳は、真っ直ぐに離宮に向けられてはいたが、何かに迷うように揺れているように思えた。
「ここが・・・離宮なのですね」
「ああ。離宮と言っても、我が祖父の代の途中まではここが王宮だった」
「そうなのですね」
歴史の授業で学んだ知識と照らし合わせながら、エリリーテは頷く。
昔、この国は幾つかの小さな国に別れていた。
それを統一したのがトシェンの祖先だった。
平和の内に統一できた国と、そうではなく、争いの果てに統一した国もあった。だから、この城は敵からの侵入を阻みやすいように、森の中にあるのだということだった。
トシェンが騎乗のままで城を回り込むように進むと、正面の入り口にたどり着いた。
入り口は二階部分にあって、左右に分かれている、美しいカーブを描いた石段があった。この美しいデザインの造りも、もし、敵に攻め入られても、わずかでも時間を稼げるようにとの工夫なのだと建築学の教師が言っていたのをエリリーテは思い出した。
現れた厩の者たちに馬を預けたクリアージュとエルーシアンが、エリリーテを馬上から降ろしてくれる。
トシェンも馬から下りると、エリリーテの手を取って、入り口に向かう階段へと導こうと手を引いた。
「お待ち下さい。我々もやはりお供を」
そう、エルーシアンが声をかける。
「いや、その方達は騎士の控えの間で待っていろ。クリアージュ、案内を」
「わかりました」
クリアージュがそう頷く。
「トシェン様!」
エリリーテの手を引いて階段を上がり始めたトシェンに、クリアージュが呼びかける。
「本当に、よろしいんですね」
エリリーテは振り返る。クリアージュのその深い緑の瞳は、何かを思い詰めたように見えた。トシェンは振り向かないままで答える。
「ああ。もう、決めたんだ」
そう答えたトシェンの横顔は、何だか辛そうに見えた。
離宮の入り口には、小姓の制服姿の少年と、白いエファーを纏った壮年の男が立っていた。白髪交じりの灰色の髪に、灰色の瞳。不思議な色合いだとエリリーテは思う。
「正妃様にはお初にお目にかかります」
そう言うと男は肩膝を折り跪くと、エリリーテに敬意を払うためにその右手を取り、甲に口づけを落とした。
男が立ち上がるとトシェンが男を紹介してくれた。
「こちらは我が国がテレリーアから招いた医術師のカンファレアだ」
「テレリーア!!」
それは、伝説になるくらいの謎の独立都市の名前。
このパステ・ロード大陸の北の果て、パステラード山脈の向こうには凍土と呼ばれる広大な土地がある。文字通り永遠に雪と氷に閉ざされて凍り付いている土地、凍土。
その更に北の果て、流氷に閉ざされた海、トロロス海に面した場所に、伝説の都市テレリーアがあると聞いている。
その土地は雪と氷に閉ざされているが、そこには独自の文化を持つ人々が住んでいるということだった。特に技術面では優れた者を多く輩出しているとのことで、テレリーアの技術者は、どこの国でも歓迎されて珍重されていたが、彼等がテレリーアを出ることは稀である。何故、そのような辺境の厳しい土地に暮らしているのか、彼等がどこから来たのか、とにかく、謎に包まれたままなのは、そこに行き着くことが非常に困難であるということも手伝ってのことだった。それが独立都市がテレリーアだった。
「どちらに案内いたしましょうか?」
側に控えていた小姓がそうトシェンに聞いた。
「ああ、エルライン。今日はこのまま中庭の病室へ向かう」
そう、トシェンが告げると、愛らしい鳶色の瞳を瞬かせてから、エルラインと呼ばれた小姓の少年は頷くときびすを返し歩き出す。
「ご容態は相変わらずでございます」
トシェンと肩を並べて歩き出すカンファレアがそうトシェンに告げた。
「ああ、そうか」
トシェンは短く答えた。
エリリーテは二人の背中を見ながら、その後に続く。病状について話し合っている様子の二人を邪魔してはと思ったからだ。
いよいよなのだ。病気療養中のダリューシェンに会う。
あの、晩餐会の時にダリューシェンとして現れたのはたぶん、本人では無かった。
どういう化け方をしたのかはわからないが、あれはクリアージュ様だったのだと、そう言ったティカーンの言葉は嘘ではないと思ったし、それを聞いて慌てたトシェンの態度を見てエリリーテは確信を持っていたのだった。
中庭と呼ばれる場所には、大きな池というか、湖と呼べそうな規模の池があった。
その真ん中に島があり、そこに向かって白い橋が架かっていた。夕闇が迫る時間ということもあってか、橋にはかがり火が点されていた。
「ここを渡る」
そう言うと、トシェンはエリリーテの手を取り歩き出した。
橋を渡り終えると、そこには小さな白い建物があるだけだった。
「ここから下る」
そういうと、トシェンはエリリーテを建物の中に導く。
その先にあったのは、長い長い下りの階段だった。
降りた先の部屋は、地下だというのに、明るい光に満ちた白い部屋だった。
カンファレアと同じ白いエファーを身につけた者たちが、数人、忙しげに作業をしているようだった。
その部屋の中央に、それはあった。
銀色で鈍く光りを放つ繭のような物。
トシェンはその側にエリリーテを導く。
その編まれた銀の糸の隙間から、中が見える。
その中に、その女性は居た。
お読み頂きまして、ありがとうございます。
お待たせしました。
何とか予告通り、22日にUPです。
ここから、サクサクと進めていければと思います。
もう少し続くこの物語に、お付き合い下さると嬉しいです。
応援、よろしくお願いします!
雨生




