涙と苦悩 〜正妃と王の迷い〜
どういうことなのだろう。
ティカーンはそんな嘘をつくような子ではない。
ティカーンの勘違いだろうか?
だが、あんなにも母を求めている子が、母に抱かれていたあの一時を忘れる訳がない・・・。
エリリーテの頭の中で導き出された結論は・・・やっぱり、あれはクリアージュ様?
しかし、ダリューシェン妃は似ているとはいえ、クリアージュ様より小柄に見えた。
そして、何よりの疑問は「何故、ダリューシェン妃は人前に姿を現さない?」ということと、「ずっと眠ったまま」とは本当にどういうことなのか。
「もしかして・・・ダリューシェン様はもう・・・」
いや、そんなはずは無いと、エリリーテは誰にも打ち明けられずに悩む。これは、もしかすると、トシェンの足下を揺るがす一大事になりかねない話だから、うかつに誰かに相談するわけにもいかない。
「お母様・・・」
そう呟いて目を閉じると、リアルシャルンの正妃であるキリリとした表情の母の面影が過ぎる。そして、もう一人。その顔を知らない女性の歌声がそっと心を掠めた。
トシェンに嘘をつかれているのかもしれない。
そのことがエリリーテの心に影を作る。
好きだから、力になりたいと思った。トシェンの幸せを守るためなら、自分は悪役になっても良いと思った。側にいて、邪魔にならないように、ずっとトシェンの幸せを見守っていきたいと思っていたのに・・・。
この間、エルーシアンに「子供はどうやってできるのか」的な話を聞かされたときに、エルーシアンに言われたことも気になっていた。
「今のままでは、未来永劫、エリリーテは母にはなれないよ。それでもいいの?」
いつかは、必ず母になりたいと思っていた。子供は大好きだから。それが自分の子供となれば、ましてや愛する人との子供なら、どんなに可愛いだろうと楽しみにしていた。
自分に子供が居ない未来なんて、想像してもいなかった・・・。
「それに・・・子供が出来ない正妃が離縁されるなんて話は、実際にあるんだよ」
そう、言いにくそうにエルーシアンが言った。
それは、仕方がないかと思った。そうなれば、トシェンは堂々とエリリーテを離縁出来るのだ。そのことを思うと、心に棘が刺さったみたいにチクチクと痛む。
「エリリーテ?」
いつの間にか、エリリーテが座っていた自室の居間の長椅子の側に、エルーシアンが立っていた。
「どうしたの?明かりも点けずに」
ふと辺りをみれば、もう、夕闇が迫ってきていた。
エルーシアンがそっとエリリーテの頭に手を乗せて、顔を覗き込むように身を屈めた。
「何かあった?そんな泣きそうな顔して・・・」
エリリーテは何も言えずに俯いた。
「あの・・・明かりをお持ちしました」
侍女が入ってきて、部屋の明かりを点していく。
「それが済んだら、暖かいお茶を頼むよ。そうだな・・・ハーブティーがいいかな」
そう、エルーシアンがランプに火を入れて廻る侍女に爽やかに告げる。
「どのハーブがよろしいですか?」
「ん〜〜、そうだね、気分が落ち着くモノと、爽やかなモノを組み合わせてくれる?」
「はい。それでは・・・ファミュの花と、パルフの葉をメインに組み合わせてみますね」
黒髪の侍女は、この国に来てから正妃付きになった侍女だった。確か薬種問屋の娘で、ハーブを扱わせたら一流と評判だったなと、エリリーテはぼんやり考える。
侍女が出て行くと、エルーシアンがそっとエリリーテの手を取り、引き寄せて胸の中に抱きしめた。
「我慢しなくていい。今、ここには私しか居ないから」
エリリーテの瞳から、滴が零れて落ちた。それは、後から後から、溢れてきてエルーシアンの騎士服の胸元を濡らす。
「それで、どうしたの?」
「わっ・・・私が会ったダリューシェン様は・・・偽物かもしれないっ・・・」
「王に・・・騙されていたと?」
言葉にならず嗚咽を漏らすエリリーテを、エルーシアンは抱きしめた。
「嘘をつかれていたことが辛いの?」
「・・・っくっ・・・」
そう問われて気が付くことがある。そうじゃない。確かに嘘をつかれているとしたら傷ついていないといえば嘘になる。でも・・・。
「私だって・・・嘘つきだからっ・・・あなたのこともっ・・・」
エルーシアンはそれ以上何も言わず、ただ、エリリーテの背をそっとさする。
「エリリーテは我慢しすぎだと私は思うよ。もっと、思ったことをそのまま口にしてもいいんだ。少なくとも私の前では・・・」
エリリーテがティカーンの相手をしてくれるようになってから、ティカーンの口数が増えて、明るくなったと乳母から聞き、トシェンは労うつもりで正妃の庭を訪れた。
そこで目にしたのは仲むつまじい二人の姿。本当の母子のように・・・。
しばらくトシェンはその二人を植え込みの影から眺めていた。ティカーンはエリリーテに一心に話しかけているようだった。
こんな風になるとはトシェンには思いもよらなかった。
エリリーテはリアルシャルンの正妃の娘であるだけでなく、特別な「神の末裔」である証の容姿を持って生まれてきた姫だと聞いていた。さぞかし周囲に甘やかされて、大切に育てられてきた娘で、我が儘ではないだろうか。何も出来ない、貴婦人としての教育だけを受けた姫君なのでは?そんな風に思っていたのが恥ずかしくなるくらい、彼女は伸びやかで、慎ましく、トシェンが押しつけた条件も受け入れ、そして義理の息子であるティカーンにも気を配ってくれている。
自分にはもったいないほどの姫だとトシェンは感じる。だが、しかし、自分はダリューシェンに立てた誓いを破るわけにはいかない・・・。しかも、彼女には、思いを寄せる幼なじみの騎士がいる・・・。
そんな考えにふけっていた時だった。
ティカーンの声が耳に入った。
「あれは・・・おじうえだよ」
「えっ?」
「本当は内緒なの。でも、エリーには教えてあげる」
いけないと、トシェンの頭の中で警鐘が鳴り、心臓がドクンと跳ねた。
エリリーテは首をかしげて、手を繋いだティカーンを見つめている。ティカーンは無邪気に言葉を重ねる。
「ドレス着てたけど。へんなのって言ったらないしょって言ってた」
思わず、トシェンは植え込みの影から飛び出して怒鳴っていた。
「ティカーン!!」
悪意があった訳ではなかった。
ただ、彼女のお披露目の場に側妃が現れなかったとなれば、余計な憶測を生みそうで、だからこそ、危険な橋を渡ったのに・・・。
「陛下?どうかされましたか?」
側近の一人である政務補佐官のルイレイから声を掛けられるまで、トシェンは考え込んでいた。
エリリーテは頭の悪い女では無い・・・。きっと今日のティカーンの発言を、その時にうかつにも動揺してしまった自分の振る舞いを、きっと疑問に思っているはずだ。
「いや・・・何でもない」
誤魔化し通すべきなのか、それとも、全てを打ち明けるべきなのか、トシェンはまだ迷っていた。
また、しばらくお待たせしました。
10月から11月にかけて、ちょっと忙しくなっておりまして、なかなかゆっくり更新できません。
しかし、物語はいよいよ大切な部分へと進んで行きますので、時間の許す限り更新をと思っております。
どうか、もう少し、この物語にお付き合い下さいませ。
雨生




