王都アスケアエラ 〜姫は城門をくぐる〜
アスケアエラに着いたのは、故国を出発してから半月後だった。
王都アスケアエラはエリリーテが想像していた以上に、にぎやかな都だった。
都を囲う高い塀の向こうには庶民達の活気溢れる市場が立っていて、この世界中のありとあらゆるものが手に入ると聞いていた。
王都アスケアエラはエリリーテの故郷であるトリデアルダの海都スファルスに続く貿易都市で、この大陸の貿易の主要都市でもあるのだ。
その喧噪にエリリーテも侍女たちも目を見張る。街門をくぐった途端、街全体が活気で溢れるのを感じられる。市場の威勢の良い物売りの口上が響き、露天に並べられたテントの下では様々なモノが売られているようだった。「東のスファルス、西のアスケアエラに行けば手に入らないモノは無い!」と世の人々に言われているのもうなずける。
「まぁ、あれは?置物かしら?」
侍女のマーリンが紗幕の隙間から目をまん丸にして見つめているのは、どうやら露天の軒先にある色鮮やかで大きい鳥の飾りのようだった。
「ひっ!姫様!!」
マーリンが次の瞬間にはエリリーテに縋ってくる。置物と思っていた鳥がギロリとこっちを見て、一声鳴いてみせたからだ。
「大丈夫よ、マーリン。たぶん、あれが南のテアニ諸島にいるカンカラ鳥だわ」
エリリーテもその絵姿を見たことはあったが、実物を目にしたのは始めてだった。その姿はエリリーテが想像していたものより遙かに大きかった。
香辛料のような香りが漂ってきたかと思うと、香木を炊いているような臭いに混じって、菓子でも焼いているような甘い香りや、肉をやいているような香ばしい香りが漂ってくる。
大陸の公用語であるパステラード語に混じって、聞いたことの無い不思議な響きを持つ言葉が聞こえてきたりもする。
「まぁ、姫様、あれをご覧下さい!なんて見事な!」
マーリンが指し示すのは美しい布が所狭しと掛けられた露天の一つだった。
「侍女殿、あれは最近交易を始めたばかりの、ミョンゼン国の織物ですよ」
輿のすぐ側を護衛してくれているリアルシャルンの騎士長がそう声をかけてくる。彼の声には自国への誇りが滲んでいるとエリリーテは感じた。
熱気と活気に溢れた明るい街、王都アスケアエラ。溢れる色彩と、香り。
「お祭りのようですね」
と、マーリンや他の者たちも目を輝かせている。
市場に活気が有ることは、その国が平和だということだよと、歴史の先生がおっしゃっていたなぁと、エリリーテはぼんやり思い出していた。
しかし、故国とは違った風情の、白い壁を基調とした明るい異国情緒溢れる町並みも、今のエリリーテの沈んだ心を一瞬浮き立たせてくれたが、長続きはしなかった。
それよりも、とうとうここまで来てしまった。その事がエリリーテを緊張させている。
手のひらがじんわりと汗ばんでくるのを、そっと手に持っていた絹で押さえる。
「姫様、お疲れですか?お顔の色があまり良くありませんが・・・」
マーリンが心配そうにこちらを見ていることに気が付いて
「いいえ、大丈夫よ」
と無理に微笑んで見せた。
エリリーテ達一行が城門をくぐったのは、午後の日が少し傾きかけた頃だった。
城門をくぐるときに、身の回りの世話をしてくれる侍女3人を覗く、すべての付き人が交代した。
「今を持って、姫様ご用の任務を解任する」
とリアルシャルンの国務大臣が宣言し、輿の引き渡し作業が行われた。
ああ、これで本当に故国とはお別れなんだわと、エリリーテは益々気持ちが沈んでしまった。
もちろん、王家の姫として政略結婚で嫁ぐ覚悟はあった。
でも、まだ16歳になったばかり。
故国から付き添ってきてくれた者たちが小声で
「姫様、お健やかに」
「姫様のお幸せをお祈り致しております」
と声をかけて輿から離れていってしまうと、とても心細くなった。
付き従う侍女達もここからは輿から降りて徒歩だ。
輿の中にはエリリーテ一人。
しかも、きっと私は歓迎されてはいない。再び動き出した輿の中で、エリリーテは瞳が潤んでしまうのを止められないでいた。
泣いてはいけない、もうすぐ輿から降りるのだから。
見苦しい振る舞いはするまいと、背筋をピンと伸ばす。
王家の姫として、神族の末裔として、トリデアルダの名を汚すわけにはいかない。
やがて輿が止まった。
「ご到着です」
声がかけられ、輿の幕が引かれる。
エリリーテは薄いベールを頭からすっぽりと被った。トリデアルダでは、高貴な身分の娘は、嫁ぐ相手以外に素顔やその姿を見せることは無いからだ。
ベール越しにエリリーテが見たのは、大きな建物へと続く、緩やかなカーブを描いた豪奢な白い石造りの城の階段。その前に輿は付けられていた。
なんて大きな建物・・・。
その階段の下に、その人は立っていた。