王子の引っ越し 〜正妃は眠る〜
その日は朝から良く晴れていた。
エリリーテはいつものように自分の居室でエルーシアンと供に朝食をとって、食後のお茶を楽しんでいた。
「今日のドレスも、その髪型も良く似合っているよ」
エルーシアンがそう言ってくれる。
今日のドレスは若草色で、胸元からウエストまでは細かく草木の模様が刺繍されている。スカートの部分は薄い織物を幾枚か重ねて、ふんわりと膨らませてある。
「でも、シルエットが少し子供っぽくないかしら?」
エリリーテは膨らんだスカートの部分を気にしている。
今日の髪型は、サイドの髪だけを頭上に結って、残った髪は結わずに背に流してある。リアルシャルンでは既婚者の女性は髪を結うのが当たり前なのだが、
「せっかく綺麗な御髪なんですから、全て結い上げてしまうのはもったいないですわ!」
「そうです、それにサイドの髪は上げて結っているのですから、結っていないってことにはならないと思います」
そう、侍女達に言われて、なんとなく好きなようにさせているエリリーテだった。
「そろそろ経済学の講義の時間だね、図書室へ行くかい?」
エルーシアンがそう声を掛けてきた時だった。
部屋の表の廊下が少し騒がしくなったように思えて、エリリーテもエルーシアンもふとそちらに目をやる。
エリリーテの部屋に誰かが来たようで、取り次ぎの間から応対していると思われる侍女の声が聞こえている。
「お客様かしら?」
「こんな朝早くに?ちょっと私が様子を見てくるよ」
エルーシアンが立ち上がったその時、居間の扉が勢いよく開かれ、エルーシアンは思わず腰の剣に手をやる。
だが、そこに立っていたのはトシェンだった。
「王、おはようございます」
エルーシアンは一瞬驚いたが、その場で臣下の礼の姿勢を取る。
「トシェン様、おはようございます」
エリリーテも慌てて立ち上がって、朝の挨拶をするが、
「いや、よい。そのままで」
と、トシェンに制されてしまう。
そのトシェンの後ろから、ティカーン王子を抱いたクリアージュが現れた。
「おはようございます、エリリーテ様、エルーシアン様」
エリリーテは一瞬ドキッとする。クリアージュがダリューシェンに見えてしまったからだ。二人は本当によく似ている。
「おはようございます。 クリアージュ様。それに、よくおいでになりました、ティカーン王子」
そう言ってエリリーテが微笑むと、知らない場所に連れてこられたせいか、ちょっと緊張していた様子のティカーンが、ほっとしたような顔つきになって、エリリーテに手を差し伸べてきた。
エリリーテは、三人に近づくとその両腕にティカーンを引き取った。
「奥宮のこの先の部屋に、ティカーンを移すことになったので、奥宮の主であるそなたに挨拶に連れて来たのだよ」
そうトシェンが切り出した。
「まぁ、そうでしたの」
腕の中で、おとなしくしているティカーンに微笑みかけながら、エリリーテは何か言いたそうにこちらを見ているクリアージュを見つめた。
クリアージュはエリリーテに見つめられると、ハッとしたように顔を赤らめて、少し慌てたように話し出す。
「母はもう少し大きくなるまで我が家でお預かりしてもいいと申しておりましたが、王子という身分柄、そろそろ色々な教育も始まるとのことで、奥宮に移って頂くことになりました。なるべくエリリーテ様のお手を煩わせることが無いよう、お世話をする者たちは伯爵家の方で厳選した者たちを付けておりますが、幼い子ゆえ何かとご迷惑がかかるやもしれません」
そう言うと、クリアージュは申し訳なさそうに目を伏せる。
エリリーテの腕の中のティカーンは、ちょっと眠そうで、親指を口に持って行き吸うような仕草を見せた。
「だめだよ、ティカーン王子。指はダメだとおばあさまにも言われてきただろう?」
そう、クリアージュに窘められると、ティカーンは眠いのもあってむずかりそうになる。
「ティカーン、こっちへおいで」
そう、トシェンが腕を差し出すが、ティカーンはエリリーテにしがみつくように、胸に顔を埋めてしまう。
「朝早かったのでしょう?眠いのかもしれませんね」
エリリーテはそのまま、そっとティカーンの背を撫でて揺する。そうすると、すぐにティカーンは目を閉じ、スヤスヤと寝息を立て始めた。
「これは・・・いつも眠る前はむずかって大変なお子なのですが・・・」
クリアージュが目を丸くして驚いた。
「このままお部屋までお連れしますわ」
そうエリリーテが言うと、
「いや、私が」
と、トシェンがエリリーテから抱き取ろうとしたが、ティカーンはエリリーテのドレスの胸元をしっかり握ったままだった。エリリーテは微笑んだままため息をつくと、
「エルーシアン、ギヨーム先生に今日の経済学の授業を次回にしてもらえるようにと伝えてきてもらえないかしら?」
と、エルーシアンを振り返る。
「仕方ありませんね。あなたも言い出したら聞かないから」
肩をすくめてそう言うと、エルーシアンは部屋を出て行く。
「きっと慣れない場所に連れてこられて不安なのですわ。本当はお母様のお近くでお育ちになるのが一番だと思いますけど、離宮の方では無理なのですか?」
エリリーテの言葉を聞いて、トシェンもクリアージュも困ったような、苦虫をかみつぶしたような表情になった。
「離宮の暮らしは・・・王子の教育には向かないと思う」
そう、トシェンがぽつりと答えた。
「エリリーテ様、ティカーン様はこれから王の跡取りとしてしっかりとした帝王学を学ばなければなりませんから・・・」
取りなすようにクリアージュがそう言う。
「そうですか・・・では、ティカーン様がなるべく寂しい思いをしないように、私もお手伝いをさせて頂きますわ」
エリリーテの腕の中で眠る幼子は、リアルシャルンの王族の特徴であるという、日に透けると紺色に見える黒髪を持っている。
史実からすれば、この子は前王太子エヴァンスと、ダリューシェン妃の子で、トシェンにとっては甥ということになる。トシェンはダリューシェンを王太子妃にむかえた時に、ティカーンを自分の子として養子縁組しているのだ。
巷ではこの子が前王太子エヴァンスの子なのか、反逆者エルンストルの子なのか、そんなウワサも流れているようだったが、トシェンには迷いは無いようだと、エリリーテは感じる。
それにしてもと、エリリーテは疑問に思ったことを聞いてみる。
「あの、ダリューシェン様はそんなにお身体の具合がお悪いのですか?」
腕の中にある温もり、こんなに愛おしい存在ならば、母として側に居たいはずなのに。
「そうだな・・・ダリューの病については、いつか話そう。それより、ティカーンの部屋へ案内しよう」
トシェンはそう言うと話は終わりだと言うように、エリリーテに背を向けて、歩き出す。
気に障ってしまったのかしらと、エリリーテは少し気落ちしながら、トシェンの後をついて行く。その後ろから、表情を暗くしたクリアージュも着いていくのだった。
エリリーテの居室からそれほど離れていない所に、ティカーン王子の部屋はあった。
エリリーテはベッドにティカーンを寝かせようとしたが、ティカーンは離れてくれず、仕方なく、居間のソファーにティカーンを抱いたまま座ることになった。
ティカーンの部屋からは、芝生の美しい広い庭が見えた。大きな窓からは、暖かい日差しが降り注いでいる。
部屋付きの侍女や、ティカーンの乳母は王がティカーン王子だけでなく、正妃であるエリリーテを伴って現れたことに驚いていた。トシェンは乳母に新しい部屋に足りない物はないか?など、ティカーンに対する細やかな気遣いを見せていた。
腕の中で眠る幼子は暖かく、日差しも穏やかで暖かい。
エリリーテはいつのまにかウトウトと眠りの縁にさらわれていた。
「まぁ・・・本当にお美しい」
「本当に、女神ルルーシェ様のようですね」
そんな侍女達のささやきに気が付いて、トシェンが振り返ると、腕にティカーン王子を抱いたまま、ソファーの背もたれにもたれて眠るエリリーテの姿があった。あどけない寝顔。だが、腕にはしっかりと幼子を守るように抱いて、陽光にその銀の髪が虹色に煌めいている。その光景にトシェンは息を飲む。本当になんて神々しい、そんなことを考えていると、
「まるで、教会の『聖母子像』のようですね」
そう、クリアージュが眠る二人を気遣って小声で告げる。
「ああ・・・そうだな・・・」
「それにしても、なんともお可愛らしい・・・」
クスッと笑ってエリリーテ達を見つめるクリアージュ。
ザワリと己の胸の内に蠢いた気持ちにトシェンは戸惑っているのだった。
またまた、お待たせいたしました。
読んで下さって、本当にありがとうございます。
気が付けば、いつの間にかお気に入り登録が1000件を越えて、本当にびっくりしています。
書き始めた当初は目標100件!でも、まぁ50件越えたらすごいよねなどと思っていたのですが、本当に沢山の人に読んで頂けて嬉しいです。
まだまだ未熟な書き手ですが、頑張って進めますので、応援よろしくお願い致します。
雨生




