30.『Thousand Dragon』
――上陸四日目。
午前 零時十八分。
僕はメノウの部屋を背に、二階通路の手すりに肘をついていた。
一階玄関ホールに人気はない。いまのところは、異常なし、と……
「シャドー君は、どう思う?」
紅蓮の声に、僕は振り返った。彼の隣にはナゾシンもいる。
「どう思うって……フェイスさんが現れるかどうか……ってことですか?」
「そうだ。……ま、これだけ準備しておいて言う台詞じゃないけどね」
紅蓮は軽く鼻を鳴らして言った。
彼の足元にはリュックサックがひとつ、メノウの部屋を夜通し警護するために、飲食物を詰めたものが置いてある。それから、武器になりそうなレンチやバール、モップなんてものも用意してあった。
「そうですね」
僕は苦笑した。モップはともかく、レンチやバールはどう考えても自衛の範囲を超えている。
「このまま、諦めてくれるといいんだけど……」
言葉通り、僕はフェイスが諦めてくれるのを期待していた。
現在、メノウは自室のベッドで休んでいる。白夜が毒殺されてから、飲料には気を使っているので、毒殺の心配はない。
それに、全ての客室は二階に位置している。
フェイスの体躯では、外壁をよじ登り、窓を割って直接部屋に侵入――なんて芸当、到底できるとは思えなかった。
よって、現在のこの状況でフェイスがメノウに接近する方法はただひとつ。
僕ら三人を退けて、この部屋の扉を開くことだけだ。そして、それはフェイスにとってリスクの高い選択だと言える。
「それに越したことはない」
ナゾシンは壁に背を預け、腕組みしたまま瞼を閉じていた。夜明けは遠い。疲れないよう、できるだけ力を抜いているのだろう。
「…………。このまま朝までか……辛いな……」
紅蓮が腕時計に視線を落とす。
「何言ってるんですか。人命がかかってるんですよ」
「わかっているさ。けど、このまま黙っているのもね……」
そう言いながら、彼は大あくびすると、
「ああ、そうだ」
突然、なにか思いついたように声を上げて、彼は僕に言った。
「なにか楽しい話でもしようか」
「楽しい話……ですか? ……えっと……例えばどんな?」
困惑する僕に、紅蓮はうーんと唸ってから、
「そうだな…………。シャドー君は、この旅行から帰ったら、まずなにをしたい?」
「……はぁ」
僕はぽかんと口を開けたまま、首を傾げる。
紅蓮はそんな僕の困り顔が面白かったのか、ぷっと吹き出して言った。
「そんな顔しなくてもいいじゃないか。時間潰しに何か話そうってだけなんだから。適当に返してくれたらいい」
「そうですか……。うーん……そうですね。とりあえず、家に帰って寝て、ゲームでもしながら録画したアニメと特撮を消化して……」
「器用だな。感心する」
と、目を瞑ったままのナゾシンが言った。
「いやいや、それ絶対ほめてないですよね?」
「そんなことはない。感心しているぞ。まるで聖徳太子のようだ。素晴らしい」
目を瞑ったままうんうんと頷くナゾシン。
「いやそれ絶対ほめてないでしょっ!」
「はははっ! たしかに器用だけど、褒められたものじゃないね」
僕らのやりとりに、紅蓮が声を上げて笑い出す。
「そんなことわかってますよ! 大体、自分の家で僕がなにをしようと、僕の勝手じゃないですか!」
玄関ホールに響き渡りそうなほどの大声で、僕は弁解した。
紅蓮にはそれが余計に可笑しく見えたらしい。
「いや、すまない。……しかし聖徳太子とはね……ナゾシン君のセンスもなかなか……」
必死に笑いをこらえようとする紅蓮だが。彼の頬は緩みきっていた。
「じゃあ、紅蓮さんは、帰ったらなにをするんです?」
僕は不機嫌そうに、紅蓮に尋ねた。
「ん? オレかい? オレはー……んー……そうだな――」
と、彼が言いかけた、その時。
「あ! ちょっと待って下さい!」
僕は突然声を上げる。それから、手すりに上体を乗せると、階下に耳をすませた。
「どうかしたのかい?」
一体何事かと、紅蓮が僕に尋ねた。
「なにか、聞こえませんか?」
「……?」
階下に耳を澄ませる僕につられて、紅蓮も手すりにのしかかった。
…………。
僅かにだが、ジリリリ……と、一階のほうから、音が聞こえてくる。
「なにかのアラームが鳴ってるのかな……。でもどうして……?」
僕は小さく呟いた。
「誰かがセットして、消し忘れたのかもしれないね」
と、紅蓮。彼の視線は階下に向けられたままだ。
「こんな時間にか? 誰が、一体何のために?」
ナゾシンの声に、僕と紅蓮は振り返った。彼も異常を察知したらしく、その目は開かれていた。
「なんのためにって……。わからないよ。けど、この音を鳴らしてるのが僕らじゃないってことは……。もしかして、フェイスさんが?」
僕の声は、震えていた。
「どうかな? メノウさんが消し忘れただけかもしれない」
それに対して、紅蓮の口調はかなり落ち着いたものだった。
「それはない。メノウさんとは大食堂でずっと一緒だったからな」
ナゾシンが断言する。
「うん。それは間違いない」
僕も大食堂にいたから知っている。
「この音を鳴らしているのは……間違いなく、フェイスさんだ……!」
「しかし……一階の出入り口と窓には鍵をかけてあるんだろう? 外から入るには、窓を割って入る意外に方法はない。だけど、そんな音はしなかった」
紅蓮は、僕とナゾシンの勘違いではないかと言う。
「それは……そうですけど……。フェイスさんはこの島の設計者ですよ? なにか別の方法で侵入したのかもしれない」
「そんなまさか」
などと僕らが口論している間に、アラーム音は次第に大きくなっていく。どうやら、時間が過ぎると音が大きくなるタイプのようだ。
このままでは埒があかない。
僕は、息を飲んで言った。
「――なら、確かめよう!」
「本気かい?」
紅蓮が驚いて目を丸くする。
ナゾシンは黙ったまま、じっと僕を見据えていた。
「大丈夫、こっちだって武器を持って行けば!」
僕はレンチとバールを手にして、
「紅蓮さんは、こっちを!」
紅蓮にレンチを押し付けた。
「ナゾシンさんは、ここをお願いします! 行きましょう!」
僕は早口に告げると、返事も待たずに、早歩きで階段へと向かう。
「あ、おい!」
紅蓮は、階段を下りようとする僕とナゾシンを交互に見合ってから、
「ああ、くそっ……! わかったよ!」
小声で悪態をつきつつも、僕のあとを追ってきた。
玄関ホール一階に下りた僕は、音の出処を探るため、耳を澄ませる。
……アラーム音が聞こえてくるのは、大食堂とは反対の扉。大浴場のほうからだ。
「こっちです!」
僕は紅蓮に声を掛けると、真っ直ぐに大浴場の扉に向かった。
「あ、おい、待ってくれ」
紅蓮が僕の肩を叩く。振り返ると、彼は真剣な眼差しで、僕に言った。
「ひとりで先に進むのは危険だ。一緒に」
「……あ、はい」
僕は素直に応じると、彼と歩調を合わせて歩みだした。
大浴場の扉を開ける。
アラーム音がはっきりと聞こえるくらい、大きくなった。そして音の出処は……
「――女湯のほうからですね」
僕は小声で、紅蓮に言った。いつフェイスが飛び出してくるかわからない。そんな緊張感から、自然と声が小さくなる。
紅蓮は頷き、少し間を置いてから、言った。
「行こうか」
僕らは慎重に、周囲を警戒しながら、女湯へと向かう。バールを握る手にも力が入る。
「誰も……いないようですね……」
女子更衣室に人気はなく、ロッカーも空っぽ。使用された痕跡はない。
透明なガラスドアの向こうには、西洋風の大浴場が見えるが。こちらも同じく、人の気配はない。
「どうやら、音の出処は浴室らしいですね」
僕は紅蓮を見やる。彼は、腕時計に視線を落としていた。
「……? 紅蓮さん?」
「ああ、すまない」
紅蓮は腕時計から僕に視線を移す。
「そうみたいだね」
「……とりあえず、この音をなんとかしましょう。……耳が痛い」
「同感だ」
僕らは浴室のドアを開けた。なかの造りは男湯とさほど変わりない。ただ、湯には入浴剤が入れられているようで、浴室には薔薇の香りが漂っていた。
「――あれだ!」
僕は声を上げて、洗い場のほうを指差した。
シャワーが備え付けられている洗い場の台の上に、大きな目覚まし時計があった。それにしても、うるさい目覚まし時計だ。耳が壊れそうなる。
僕はすぐに目覚まし時計のスイッチを押す。
音が鳴り止むと、浴室はしんと静まり返った。
不愉快な音が消えて、僕らはひとまずほっとする。
「目覚ましか。それにしても酷い音だった……」
紅蓮は目覚まし時計を手にとって、いろんな角度から観察する。
「これ、家電屋で同じようなのを見たことがあるよ。大音量タイプのだね。……しかし、どうして女湯にこんなものが……」
「そんなの、僕にもわからないですよ」
僕は不機嫌に答える。大きな音を長く聞いていたせいか、頭が痛い。まだ頭の中で鳴っているようだった。
「とにかく、もう用は済んだ。早く戻ろう」
「そうですね」
僕は紅蓮に返事をして、浴室を出ようとする。
「あっ」
浴室の扉を抜ける直前、僕は急に立ち止まった。
「もしかして、フェイスさんは僕らをバラバラに行動させるのが目的だったのかもしれない……」
「なんだって?」
紅蓮が険しい顔つきで僕を見る。
「いまメノ姉さんの部屋を守ってるのは、ナゾシンさんだけだ。もしかすると、フェイスさんは僕らがバラバラになるこのときを狙っていたのかもしれない!」
僕は早口にまくし立てると、駆け出した。
紅蓮も僕の後を追ってくる。
僕らは女子更衣室から来た道を逆走し、玄関ホールに出た。
「ナゾシンさん!」
僕が大声で彼の名を呼ぶと――
「どうした?」
ナゾシンが二階通路から顔を覗かせ、いつもの口調で返事をした。
「……あれ?」
僕は間抜けた声を上げる。彼は……無事だった。特に変わった様子はない。
「……どうやら……勘違いだったようだね…………」
紅蓮が僕に言った。
「と、とにかく……無事でよかったです……」
僕は誤魔化すように、ぎこちない笑みを浮かべた。僕はてっきり、フェイスが仕掛けた罠にはまってしまったのかと思ったが……。なんだか拍子抜けしてしまった。
「間違いは誰にでもあるものさ」
ポンッと、紅蓮が僕の肩を叩く。
「まったく、いい迷惑だよ……」
それから、彼は中央階段を上がった。
僕もそれに続いて階段を登ろうとした瞬間――
バァンッ!
メノウの部屋から、爆発音が聞こえた。
…………え?
突然の出来事に、僕らは彼女の部屋を凝視しながらも、その場を動けずにいた。
……爆発? メノウの部屋から……?
「……ぁ…………そんな……」
……嘘だろ?
「姉さんッ!」
僕は階段を一気に駆け上がって、メノウの部屋に入ろうとする。――が、彼女の部屋には鍵が掛かっていた。
「シャドー君! マスターキーを使う、どいてくれ」
ドアノブをガチャガチャと回す僕に、ナゾシンが言った。
僕が場所を譲ると、ナゾシンはマスターキーを差し込んで、扉を開けた。その間に紅蓮もやってくる。僕ら三人は、なだれ込むようにして、メノウの部屋に突入した。
「――うっ!」
僕は、室内に充満する火薬の臭いに、口元を覆った。立ち上る白煙に混じって、羽毛が宙を舞っている。部屋の中心には、爆発で飛散したベッドの破片だけが残されていた。
「まさか、ベッドの下に爆弾が仕掛けられていたとはな」
何故かナゾシンの声は、落ち着いていた。
そしてその理由は、すぐにわかった。
「ちょっとちょっと! 凄い音がしたけど、なにがあったの!」
慌てた様子で部屋に飛び込んできたのは、メノウだった。
「メ、メノウさん……? 一体どうして?」
彼女の姿を見て、紅蓮が驚きの声を上げる。
「すまない。もしものことを考えて、メノウさんには先ほど別の部屋に移動して貰ったのだ」
「……移動?」
ナゾシンの言葉に、紅蓮はますます意味がわからないといった顔をする。
「あのままひとりで警護するのは危険だと判断した。だから、二人が大浴場のほうへ向かっている間、メノウさんには別の部屋に移動して貰った。まさか、部屋に爆弾が仕掛けられているとは思わなかったがな」
ナゾシンは淡々と告げた。なにはともあれ、彼の機転のおかげで、メノウは助かったのだ。
「はは……はははは……」
そう思った途端、なんだか力が抜けてしまって、妙な笑い声が出てしまった。
「よかった…………本当に……」
「…………そうだね……」
「む?」
ふと、ナゾシンが飛散したベッドに目を向ける。まだ白煙の立ち込める室内。僕には何も見えなかったが。彼はそこに何かを見つけたようだった。
ナゾシンはその何かを拾い上げて、言った。
「プレートだ。……『Thousand Dragon』……」
『Thousand Dragon』。千年竜。上空からの火炎弾でプレーヤーを苦しめる、ドラゴンのボスモンスターだ。
「『Thousand Dragon』だから、爆発というわけでつね」
メノウは呑気な口調で、ひとり納得したようにうんうんと頷いている。
「何呑気なこと言ってるんだよ姉さん。一歩間違えてたら、死ぬとこだったんだよ!」
「うん。でも、私は生きてまつ。えっへん!」
何故か誇らしげに胸を張るメノウ。
「はぁ……なんていうか…………ほんと、姉さんは強いね……変な意味で……」
僕は褒めているつもりなど一切ないのだが、彼女はふっふーんと鼻を鳴らしてご機嫌な様子だった。
「ともかく、これで全てのプレートは揃った」
と、ナゾシンの一声に、メンバーは真剣な表情を取り戻す。
「姉さんを守ることもできたしね。……ただ、『Scorpion King』のプレートが気になるけど……。でもこれでやっと、『深淵の入り口』に入ることができる」
「そうだね。……もう、終わりにしよう。こんなことは」
「うん。紅蓮の言う通りでつ」
「僕が思うに、フェイスさんはこの爆発でメノ姉さんが死ぬと想定していたはずだ。だから、もう大丈夫だと思う。『深淵の入り口』に行くのは、夜が明けてからにしよう」
「ふむ。そうだな」
――翌朝。
無事に夜明けを迎えることができた僕らは、いよいよ『深淵の入り口』へと向かう――




