29.フェイスとノリナ
大食堂は、静かだった。
カチカチと、時計の秒針が時を刻む音だけが、規則正しく鳴っていた。
時計の針は、丁度、九時三十分を指している。
シエルの遺体をナゾシンと協力し、『ディグルスの地下砦』まで運び入れたのが六時十五分頃。
林まで走れば五分と掛からない。しかし遺体を運ぶとなれば話は別だ。二人がかりでも、二十分掛かってしまった。もちろん、道中で休憩を挟んだこともあったが。それを差し引いても十五分といったところか。
シエルがいくら痩せ型の女性だったとしても、重労働には違いない。『ディグルスの地下砦』に辿り着いた僕とナゾシンは、玄関ホールの床にどかりと腰を下ろして、暫く動こうともしなかった。
それから。
紅蓮も加えて、シエルの遺体を部屋に移し終えた僕らは、先に食事を済ませることにした。
正直、とても食事をしようなんて気分にはなれなかったのだが……
『食べなきゃ体が持たないでつよ』
と、メノウの一言に、差し出された皿に手をつけたのだった。
夕食のBBQもどき(肉や魚介を焼いて盛り付けた物。本当は、旅行最後の夜に外で焼くつもりだったのだと、メノウは言っていた)を食べ終えてから、僕はメノウのいれてくれた紅茶を啜っていた。
「さて、ようやく落ち着いたところで、申し訳ないんだが……」
紅蓮が話を切り出す。彼の首には包帯が巻かれていた。夕刻、メノウが手当てしたものだ。
「これからどうするか、そろそろ考えないとね」
「……そうですね」
僕は、ティーカップをソーサーに置いた。
「その前に少し、話したいことがあるんですけど……いいですか?」
「……? 話したいこと? ああ、もしかして、フェイスさんの部屋で見つけたプレートのことかい?」
「はい」
フェイスの部屋で発見した『Scorpion King』のプレートのことは、もう話してある。
僕は少し間を置いてから、紅蓮に尋ねた。
「あの、変なこと訊きますけど……。紅蓮さんは、ノリナって人のこと、知らないんですよね?」
「え? ああ……知らないが……それがどうかしたのかい?」
「……ナゾシンさんも、僕も、そのノリナっていう人に会ったことがない。そうなると、この場でノリナという人物を知っているのは、メノ姉さんただひとりだけってことになる」
意味深なことを言う僕に、ナゾシンが言った。
「動機が復讐なのであれば、数が合わないか」
「うん。そうなんだ」
「……どういうことでつか?」
メノウは、訳がわからない、といった顔でこちらを見ている。
「単純な話だよ。フェイスさんが復讐のために用意したプレートは全部で五つ。なのに、ノリナという人のことを知っている人物は、四人しかいない。殺人の動機が復讐なら、数が合わないでしょ?」
「あー……なるほど。確かに数が合わないでつね」
「合わないでつねって……。能天気に言ってる場合じゃないよ。次に狙われるのはメノ姉さんだって意味も含めて言ってるんだから」
「あ、そうなんだ? じゃあ、気を付けないとダメでつね」
そう言いながら、メノウはニコニコと、笑みを浮かべていた。
「いや、だから……」
笑っている場合じゃないから。――そう、僕が半ば呆れ気味に言いかけた時。
「まあまあ。心配してくれるのは嬉しいけど、それで焦ってもしょうがないでしょ? 女は度胸! いざと言う時はどーんと構えてなきゃ」
メノウは堂々とした態度で、自信たっぷりに答えた。
「は、はぁ……」
次に自分が狙われると知って、どうしてそんなに落ち着いていられるのか。……まったく、潔いというか、なんというか……。不思議な女性だ。
「ははっ! メノウさんらしくていいじゃないか」
と、紅蓮。彼はひとしきり笑い終えたあと、真面目な表情に戻して、言った。
「ああ、そうだ。そのプレートの件でなんだが……。オレなりに思うところがあってね」
「思うところ……ですか?」
僕は紅蓮に聞き返す。彼は頷いて、答えた。
「さっき、ノリナという子を知っている人物は、四人と言っていたね」
「ええ、そうですけど……」
「もうひとり、いるんじゃないかな? この殺人を犯した張本人の、フェイスさんが」
それはそうだ。しかし、それが一体どうしたというのだ?
メンバーが互の顔を見合わせるなか。紅蓮は話を続けた。
「シャドー君とナゾシン君の話だと、あと二人が殺されるはずだったね。そして、そのうちのひとりは、メノウさんで間違いないと……?」
紅蓮の問いかけるような眼差しに、僕は首を縦に振った。
「オレが思うに……。最後の犠牲者となるのは、フェイスさん自身じゃないのかな?」
「え?」「?」「……」
紅蓮の言葉に、メンバーはそれぞれの反応をみせた。
それから、説明を求める視線を彼に向ける。
「そもそも、よく考えてみてくれ。明日には船が迎えにやってくるんだ。そうなれば本島とも連絡がつく。警察が動き出せば、捕まるのは時間の問題だと思わないか?」
言われてみれば、その通りだ。
警察の捜査がはじまれば、フェイスの個人情報などあっという間に特定されるだろう。現代は科学捜査技術も発展している。警察の捜査網から、逃れられる術などない。
「どう足掻いても警察に捕まるのは明らかだ。……これだけのことをやったんだからね。それをわかっていての犯行なら、復讐のあとに自殺を考えるのも不思議じゃない」
「――身勝手だな」
ナゾシンが言った。
「ああ、オレもそう思うね。それと、これは……あくまでオレの想像に過ぎないんだが……」
と、紅蓮は少し間を置いて、続けた。
「以前、彼から一度だけ聞いたことがあったんだ。……その、実は、彼には妹がいたらしい」
僕はそれを聞いて、首を傾げた。それがどうかしたのだろうか? そう思ったあとだった。妙な違和感が込み上げてきたのは。
――妹が……いた?
「彼の妹は、自殺して亡くなったらしい」
紅蓮から聞かされた事実に、メンバーは一瞬、言葉を失った。
「じ、自殺? そんな、どうして?」
メノウの動揺は明らかだった。残るメンバーのうち、唯一、ノリナを知る彼女だ。このタイミングでそれを聞かされて、驚かないわけがない。
「いや、さすがにオレもそれ以上は追求しなかったよ。他所様の家庭事情に首を突っ込むなんて、野暮なことはしたくないからね。ただ、この殺人の一連の流れから察するに、ノリナという子は、フェイスの妹だったんじゃないかと思うんだ」
紅蓮の話には、説得力があった。それは、普段からフェイスと仲の良かった彼の話だからかもしれない。
「そんなことがあったんですね……。でも、それなら、フェイスさんの動機もはっきりしてくる」
「これはあくまで、オレの想像に過ぎないけどね」
紅蓮は大きく息を吐き出して、肩をすくめる。
「いや……それだと、全部納得がいくような気がするんです。フェイスさんは妹であるノリナさんの復讐のために、今回の計画を思いついた。そして、最後は自分自身が犠牲者となることで、この復讐を終わらせる」
僕は口元に手を当て、自分自身に言い聞かせるような口調で、呟いた。
「シャドー君。結論を出すのはまだ早いと思うが?」
ナゾシンが言った。
「自分で言っておいてなんだが、オレもナゾシン君と同意見だ。さすがに出来すぎた話だと思う」
紅蓮は姿勢を崩すと、食卓のコーヒーカップに手を伸ばした。
出来すぎた話……か……。僕は考える。
しかし、動機になりそうなことが他にない。でなければ、『ノリナは死んだ』などと、わざわざメッセージを残す必要もないはずだ。
犯人はフェイス。そして、動機は自殺した妹の復讐。
この二つに間違いはない。
だけど、どうしてだ……? 何か引っかかるような、妙な違和感がある。
「フェイスは、はじめからそのつもりでギルドに近づいたのかな」
ぽつりと、メノウが漏らした。
「でも、ノリナは自分からギルドを脱退した。私は……ギルドの皆は、それを受け入れただけで、彼女に恨まれるようなことをした覚えはないのに……」
「わからないさ。オレ達には……」
紅蓮はそう言って、コーヒーカップを口に運んだ。
結局、フェイスから直接話を聞く以外、真実はわからないということか……
「とにかく、これ以上、このことについて話し合っても意味がないと思う。それよりも、これからどうするかだ」
紅蓮はコーヒーカップをソーサーに置くと、話題を変えた。
それについては、僕も考えていた。
「次に狙われるのは、まずメノ姉さんと考えて間違いないはずだ。問題は、どうやってメノ姉さんを守るかだけど……。ひとつは、フェイスさんの部屋に近づかないこと。それからもうひとつ、常に誰かと一緒に行動すること。このふたつは、絶対かな」
「では、このまま四人で朝までやり過ごすか?」
と、ナゾシン。
「それもいいが、凶器を持って踏み込まれたらどうする? たしかにこちらのほうが人数は多い。けど、追いこまれた人間は何をするかわからないからね。安全とは言い切れないな」
紅蓮が反対意見を述べた。彼の言うことにも一理ある。
「だったら……姉さんには、部屋にいてもらったほうがいいのかな」
僕は言って、メノウを横目にした。彼女の意見も聞いておこうと思ったからだ。
「むぅ……。そうしてくれると、私は嬉しいでつけど……」
それから彼女は、ぼそっと「寝れるし……」と呟いた。
「うん、聞いて損したよ」
僕は彼女に笑みを投げかける。
「……む!」
心外な! といった目で僕を見るメノウ。そんな彼女を他所に、僕は話を続けた。
「とにかく、フェイスさんは、メノ姉さんを狙ってくるはずだ。だから、メノ姉さんには自室で待機してもらって、僕らは姉さんの部屋を警護するっていうのは、どうかな? それなら、フェイスさんの部屋も監視できるし」
「男三人で徹夜か。……しかし、人命が掛かっているのなら仕方ない」
「決まりだね」
ナゾシン、紅蓮、二人の賛同を決め手に、僕らは行動を開始した。
「それじゃ、準備をしてくるから、オレは一旦部屋に戻るよ。それと、悪いんだけど……一時間ほど仮眠を取ってもいいかな?」
「構わないですよ。僕はまだここにいますし」
「そうか、悪いね」
紅蓮は申し訳なさそうに告げると、大食堂から出て行った。
「さて、シャドーはまだここにいるんでそ? 紅茶、いれなおそうか?」
「…………」
「……む? どうしたんでつか?」
「…………あのさ、ちょっといいかな……」