17.緊急事態
僕とナゾシンは玄関ホールをくまなく探して回った。
壁面を辿ったり、置物を手にとってみたり、それらしいものは全て調べたつもりだったが。結局、何も発見できずにいた。
「これもただの飾りか。あの肖像画なんて怪しいと思ったんだけどな」
僕は手にしていた花瓶を窓辺に戻すと、階上の肖像画に目をやった。
初代暗殺ギルドの長。切れ長の目をした初老の男性が、正面を真っ直ぐに見据えている。
僕らは肖像画にも近付いていろいろと調べてみたのだが、林と墓地であったようなメッセージは見当たらなかった。
「ふむ。玄関ホールはこの辺にして、次に行こうか」
階段下の台座に置かれている壷を調べていたナゾシンが、僕に声をかけた。
「そうですね、ここには何もないみたいだし……」
僕はポケットから携帯(二つ折り)を取り出し、開いた。
――午後、一時四十分。
部屋を出たのが一時頃だから……。僕らは玄関ホールを調べるだけに、四十分も時間をかけてしまったのか。
「どうします? このまま砦を調べ続けると、島を探索する時間が減ってしまいそうですけど」
ここ『ディグルスの地下砦』は、夜になってからでも調べられる。なら、日が出ているうちに外を探索したほうが良いのではないか?
ナゾシンは自分の腕時計に視線を落としてから、僕を見て言った。
「そうだな。なら、先に外を見て回ろうか」
「そうですね。――ん?」
ふと、僕は窓の外に目を向けた。
「どうかしたか?」
「いや、なんだろう……今、『誰か』って声が聴こえたような……」
「……?」
かすかに、だがはっきりと――女性の悲鳴らしき声が、聴こえた。
僕は窓の外に注目しながら、聞き耳を立てる。
……何も聴こえない。
「気のせいかな……」
「ふむ。二日酔いか?」
いつの間にか、ナゾシンは僕のすぐ隣に接近していた。
「違いますって! 今、確かに聴こえたんですから」
僕が言うと、
「そうか」
と、ナゾシンは窓の外を見た。
「誰もいないな」
そう呟いて、彼は窓の外から僕に視線を移した。
「気のせいでは?」
「そうかな……。まあ、そうだといいんだけど……」
煮え切らない感じもするが、トラブルはないに越したことはない。
「気になるなら、行ってみるか?」
「……そうですね。どちらにせよ、外に出るつもりだったし」
僕はナゾシンの提案に乗ることにした。何もなかったのなら、それでいい。
「あれ? お二人さん、宝探しはどうしたの?」
と、ふいに女性の声が――大食堂から姿を現したメノウが、不思議そうな目で窓辺に立つ僕らを見ていた。
「どうしたもなにも、今、その宝探しをしているところだよ」
「え?」
僕の返答に、メノウは眉を吊り上げた。
「『ディグルスの地下砦』を探索中だ」
「おお、なるほど!」
ナゾシンの言葉に、ようやく意味を理解したメノウ。彼女にも“砦内を探索する"という発想はなかったのだろう。
しかしそんなことより、僕は彼女に訊いておきたいことがあった。
「それより、メノ姉さん、フェイスさんはまだ帰ってないの?」
「ああ、だからフェイスは大丈夫だお」
「大丈夫って言われても……。昨日からずっと帰ってきてないんだから、心配するよ」
僕が言うと、メノウは困ったような表情を浮かべる。何か言えない理由でもあるのか?
「万が一ってこともあるし、大丈夫って言い張るんなら、その理由を教えてくれてもいいんじゃない? メノ姉さん、何か知ってるんでしょ?」
僕はさらに問い詰めた。
すると、彼女は少し考えたあと、
「まぁ……そだね」
と、小さく呟いて、続けた。
「フェイスはたぶん、なにかワケあって別行動しているんだと思いまつ」
「……どういうこと?」
フェイスは別行動をしている? 一体何のために?
「じゃあ、フェイスさんは今どこにいるの?」
「むぅ。それはなんとも……」
「なんともって」
それじゃ答えになってない。僕はさらに問い詰めようと口を開きかけたが、
「ふむ。とにかく、フェイスさんの無事はメノウさんが約束すると?」
と言う、ナゾシンの声によってふさがれた。
「ごめんよ。心配させるつもりはなかったんだ。ただ、フェイスの無事は私が保証しまつ」
「……まあ、そういうことならいいけど」
これ以上問いただしても無駄だと思ったので、僕は引くことにした。
メノウはフェイスについて、やはり何かを隠している。しかし、事故でないなら心配する必要はないだろう。
――と、その時だ。
突如玄関ホール入口の両扉が勢いよく開け放たれ、白夜が飛び込むように玄関ホールに駆け込んできた。
彼女の切迫した表情にただならぬものを感じた僕らは、何事かと一斉に彼女に目を向ける。
白夜は立ち止まって、息を荒くしたまま、人を捜すように視線を左に右に――僕らを見止めた途端、彼女は堰を切ったようにぶわっと涙を溢れさせた。彼女はこちらに駆けて来ると、そのまま勢いよくメノウの胸元に顔を埋めた。
「ど、どうしたの?」
メノウは動揺しながらも、胸元ですすり泣く白夜に訊いた。
「クキさんが……クキさんがぁぁ……」
必死に何かを訴えようとしているが、泣いている白夜は上手く声に出せない。
「え? クキたんがどうしたの?」
「クキさんが……クキさんが……」
白夜は唾を飲み込んで――
「クキさんが……死んでた…………死んでたの……っ!」
「……え?」
僕らはその言葉の意味をすぐには理解できず、唖然としてその場に立ち尽くしていた。
「ど……どこで?」
メノウははっと我に返って、
「どこで見たの!」
白夜の肩を強く揺すった。
「……墓地……墓地で…………それで……血が……いっぱい出てて……――」
嗚咽交じりに涙を流し、途切れ途切れになりながらも必死に伝えようとする白夜。よく見てみれば、メノウの胸元に置かれた彼女の右手は、血でべっとりと濡れていた。
クキが死んだ? そんな馬鹿な!
「と、とにかく! 行ってみよう!」
叫ぶ僕の声は震えていた。
「急げばまだ間に合うかも!」
クキが死んだなんて信じられない。僕は白夜の早とちりであることを願った。
「おねがい! 私はこの子についてるから!」
メノウはもう“でつまつ口調”で話している余裕などない。
一刻を争う事態に僕とナゾシンは目を合わせると、玄関ホールから勢いよく外に飛び出した。