15.見ちゃいけない気がするんだ
――上陸二日目。
午前 九時五十二分。
僕は起床すると、洗面台で顔を洗った。それから歯磨きをして、電気シェーバーで髭を剃る。
深夜にまで及んだ宴会の終わり、僕はさりげなくメノウから手渡された胃腸薬を飲んで眠った。頭痛は酷かったものの、おかげで二日酔いはぜず、むしろ気分が良いくらいだった。さすがメノウ、準備が良い。
髭剃りを終えた僕は、次に髪型を整えようとして――
「はぁ……」
呆れ顔で鏡の自分を見た。クセ毛が暴れ放題だ。
どうしようか?
いつもはヘアスプレーか、髪を濡らしてストレートにしてしまうのだが……。そういえば、昨日はお風呂に入らないまま眠ってしまったな。
よし、せっかくだ。大浴場に行ってみよう。
僕は据え置きのタオルとバスタオル、それから持参のシャンプー&リンスと着替えを手さげ鞄に入れて、部屋を出た。
玄関ホール一階、左手の扉をぬけると、通路は左右二つに分かれていた。
左側に『Men』、右側に『Woman』の標記。
当然、僕は左側に曲がって歩を進める。
「おいおい、ここにきてそれはないだろう」
僕の肩に手を置いて呼び止めたのは、紅蓮だ。
彼も僕と同じ考えだったらしく、ここに来る途中で、ばったりと出くわしたのだった。
「なに言ってるんですか、行くならひとりで行ってくださいよ」
僕はしらけた口調で、肩に置かれた手を払った。
「つれないなぁ、君は見たくないのかい?」
「見たくないです」
「またまた、嘘ばっかり」
ニタニタと笑みを浮かべる紅蓮。僕はそれを無視して、脱衣所に向かう。
「ごめんごめん、冗談だって」
と、彼は僕に駆け寄ってくる。
僕はからかわれたのが面白くなかったので、脱衣所まで無言でふてくされていた。
「ところで」
脱衣所のロッカーに脱いだ服を投げ入れながら、紅蓮が言う。
「誰の裸を想像した?」
「はいぃぃっ?」
僕はふいを突かれて奇声を上げた。
だ、誰のって? 僕はそんなことこれっぽっちも考えていない!
だ、第一、シエルはスタイル良いけどつるぺただし、クキは男受けしそうなちょうど良い肉付きをしているけど僕的にはあまり好みではないし、メノウは人妻だし子持ちだし、びゃ、白夜は色白で柔らかそうで……と、とにかく! 見ちゃいけない気がするんだ!
「あっははははは! なにも、そこまで動揺しなくても!」
紅蓮は可笑しそうに声を上げて笑う。
「し、してません!」
「いや、いいんだ。君がちゃんと男の子でオレは安心したよ。ははっ!」
「悪かったですね、僕だって一応、男なんですから!」
言いながら、僕らは服を脱いで腰にタオルを巻くと、大浴場の扉を開けた。
「おお、これはなかなか」
紅蓮の声が大浴場に響いた。
広々とした空間に、大理石の風呂。獅子を模った彫像の口から、ちょろちょろとお湯が吐き出されている。
さしずめ、『西洋貴族風の風呂』といったところか。
「露天じゃないのが残念かな」
僕がひとりごちると、
「やっぱり見たかったんだ?」
と、紅蓮がまたニタニタと。
「違います! 景色がいいからです!」
「ははっ。わかってるよ」
完全にからかわれているな。そう思いながら、僕はかけ湯をして、大理石の風呂に肩まで浸かった。
「昨日はなんだかんだで入れなかったね。こんな良い物があるのにさ」
「そうですね」
紅蓮は少し遅れて、風呂の湯に身を沈めた。
「ああそうだ。この温泉、ちゃんと効能があるんだよ」
そう言って、紅蓮はばしゃばしゃと顔を洗った。
「へえ……どんな?」
「ずばり、痔だ!」
キリッとした表情で紅蓮が僕を見た。
「それなら、やっぱりアイツを連れて来るべきだった」
僕が鼻で笑うと、
「確かにそうだ」
紅蓮も笑みを浮かべて、天井を仰いだ。「はぁぁ……」と、緊張のほぐれた吐息が彼の口から漏れる。
「そういえば」
と、僕はふと疑問に思ったことを口にする。
「フェイスさん、まだ戻ってきてないんですか?」
「そうみたいだね」
彼はリラックスした体勢のまま、答えた。
フェイスはまだ戻っていない……。嫌な予感に僕は胸が締め付けられる思いがした。
のん気に温泉なんか浸かっていていいのだろうか?
「大丈夫なのかな」
僕は声のトーンを低くして言った。
「さあ……。メノウさんは大丈夫だと言い切ってるし……何か根拠でもあるのかな」
紅蓮も僕と同じことを考えていたようだ。やっぱり、昨夜のメノウはどこか変だった気がする。
「あとで訊いてみようかな」
「あぁ、それがいいと思う」
紅蓮は天井を仰いだまま、脱力しきった声で言った。