14.疑心
「カレーライスか……」
僕はテーブルに置かれた皿を前に、呟いた。
大きな鍋をメノウがかき混ぜていた時点で、なんとなく予想はしていたのだが……
たまねぎ、にんじん、じゃがいもに牛肉の細切れ。いかにも“家庭料理”ですといったそれに、僕はがっくりと肩を落とした。
「ちょ、アンタ! 姉さんのカレーライスが食べられるなんて幸せだと思え!」
シエルは美味しそうにカレーライスを頬張っている。が、どう見てもルーよりもワインのほうを多く喉に流し込んでいるように見える。
「それ、昼も聞いたよ。……まあ、美味しいんだけど」
僕は素直に感想を述べると、もう一口、スプーンを口に運んだ。
美味しい。普通に美味しい。故に納得がいかない。船旅で贅沢しすぎたのが原因か? 家政婦や料理人がいないのが、今になって悔やまれた。
「ジェノベーゼが食べたい……」
僕の呟きに反応するものは誰もいない。もはや、ただのひとり言でしかなかった。
「あのさ、さっきから気になってたんだけど。紅蓮さんよ、フェイスさんはどうしたの?」
クキはもう食べ終わって水を飲んでいる。言われてみれば、フェイスの姿だけ見当たらない。
現在、大食堂には彼を除く全員が席に着いて、夕食を取っている。ようやく参加メンバー全員が集まった夕食会なのに、どうしてだ?
「うぅん、どうしたと言われても。途中ではぐれてから会ってないんだ」
紅蓮は歯切れ悪く言った。
「はぐれたってことはないでしょ、いい大人がさ。――あ、姉さんもう一本!」
シエルが空になったグラスを掲げると、
「あいよ!」
と、メノウがテンポ良く返事をして、ダイニングキッチンから新たにもう一本、ワインを取ってくる。
紅蓮はそれに苦笑しつつ、続けた。
「それもそうなんだけどさ、『個人的に行ってみたい場所があるから』って言われてね。それで暫く待ってたんだ。けど、行ったきり帰ってこなくてね。だからオレは、てっきりここに帰ってきてるものかと思って」
「ふむ。だとすると、彼はまだ外に?」
ナゾシンが言った。
「だろうね。そのうち帰ってくるとは思うけど」
「けど……もう暗いですし、危なくないですか?」
白夜は心配そうな顔で、窓の外に視線をやっている。
街灯のある都心と違って、無人島の夜は想像以上に真っ暗闇だ。万が一、足を踏み外して崖から――ということも、ないとは言い切れない。
「フェイスなら、大丈夫でつ」
と、楽観的なメノウの声。それに、メンバー全員が彼女に注目する。
確信めいた言い方をする彼女にどこか違和感を感じたメンバーは、皆一様に疑問の念を彼女に向けていた。
しかしメノウはそれ以上何も言わず、にこやかな表情のまま沈黙していた。それが余計に奇妙で、僕は“もしかして彼女は何か隠しているんじゃないか”と、疑心を抱いてしまった。
「……まあ、それもそうか」
沈黙を払うように、紅蓮が、大きく息を吐き出した。
「懐中電灯は持ってるだろうし、彼も大人だ。危ない真似はしないだろう」
それを聞いたメンバーは、ひとまず納得した。
「ま、大丈夫っしょ。腹が減ったら帰ってくるさ」
子供じゃないんだから。僕はシエルにそう言いかけたが、フェイスの体型を考えると、そうとも言い切れない部分があった。
「で、でも、一応捜したほうがよくないですか? もしかしたら、どこかで怪我をして動けないってこともありえますし……」
ネガティブな発想だが、僕も白夜の意見に賛成だ。万が一ということもある。……探しに行くのは面倒だが。
「いあいあ、大丈夫でつ。そのうち戻ってきまつよ」
メノウは依然として柔らかな笑みをたたえ、フェイスの無事を主張している。
どうしてそこまで断言できるのだろうか。やっぱりなにか変だ……
「そうかな? 遅くなるなら一言あってもいいんじゃない? 念のために捜したほうがいいと僕は思うけど」
「まーまー。シャドー、アンタはいちいち細かいことを気にしすぎだ。ほら、とりあえず酒でも飲んでテンション上げなさい」
「嫌だよっ!」
僕が拒絶すると、シエルは「ちっ、つまんねー」と、ふてくされてグラスのワイン(今度は白)を空にした。ふぅ……一安心。
「あ、そうそう」
と、メノウは別の話題を切り出した。
「部屋でネットができるようにしてあるから、必要なら倉庫から有線ケーブル持ってくるお」
「ネットもできるのか? それは凄いな」
ナゾシンと同じく、それには僕も驚いた。しかし――
「けど、パソコンなんか持ってきてないよ」
ネットができても肝心のパソコンがなければ意味がないのだ。
「そうだと思って、倉庫にノートも数台用意してまつ。低スペックでつけど」
「ふむ。準備がいいな。さすがメノウさんだ」
感心するナゾシンに、「低スペックだけどね」と、僕は付け足した。
「それなら、一台借りていいかな?」
「紅蓮さん、パソコンでなにするんです? 低スペックですよ」
僕が問いかけると、紅蓮は苦笑して、
「低スペックでも、採取か、チャットくらいはできるさ」
「え? アンタまさかここにきてまだ『UoE』やるつもり?」
シエルは驚き半分、呆れた様子で紅蓮に言った。
「あの……私も一台借りていいですか? 島の感想とか、他のメンバーと話したいので」
「あいあい、白夜たんもだね。――他に必要な人は?」
メノウの言葉に、残りのメンバーは首を横に振った。
そもそも、クキとシエルはノートパソコン持参なので借りる必要はない。
「僕はいいや。それより、甘い物とコーヒーか紅茶」
「だと思った。バウムクーヘンなら倉庫にありまつよ」
「ふむ。準備がいいな。さすがメノウさんだ」
「ナゾシンくん、それさっきも聞いた」
絶妙な間で、クキが会話に割って入る。メンバーの笑い声。そして、初日の夕食はお開きとなった。
夕食後。
紅蓮は『UoE』をするため、さっそく部屋に戻って行った。
残りのメンバーは、そのまま大食堂に留まる。
メノウはせっせと食事の後片付けを、白夜がそれを手伝った。
クキとシエルは、ナゾシンを巻き添えにひたすら飲み続けた。――僕はその隣で、バウムクーヘンをぱくつきながら、ティーパックでいれた紅茶を啜る。
優雅な食後のティータイム。……なんて、つかの間。
僕が紅茶のカップを空にしたのと同時に、姉御二人がどぼどぼと赤い液体を僕のカップに注ぎ入れたのだった。
「だからおかしいって! どこの世界にティーカップでワイン飲む人間がいるんだよっ!」
「気にするな。味は変わらん」
と、シエル。
「どうかな? そもそも味がわからんのでは?」
クキはニタニタといやらしい笑みを顔に貼り付けている。
「シャドー君。逝くときは一緒だ」
グラスに並々と注がれたワインを片手に、ナゾシン。
「ぐ……」
姉御二人ならまだしも、ナゾシンまであちら側についているこの状況。
無理だ……逃げられない……。僕は諦めて、
「ああもう、わかったよ! 飲めばいいんでしょ! 飲めば!」
開き直った。
カップに注がれたワインをごくごくと一気飲みすると、大きく息を吐き出して、カチャリとカップをソーサーに置いた。
「ふぅ……これでいいで――」
言いかけた僕の眼前で、どぼどぼと再び赤い液体が。
「なにしてんのっ!」
「なにってアンタ、まだ吐いてないでしょ」
シエルは平然と言ってのける。
「だからその基準おかしいって!」
「賑やかでつね。あとで私もまぜとくれよ」
ダイニングキッチンから、メノウの声。
「私も、少しだけなら……」
「白夜たんは無理しなくていいよ。シャドーがその分飲んであげるって言ってるから」
「言ってないから! クキ姉さん、あなた鬼ですか」
「そりゃ、名前に鬼ってついてるからなぁ」
「ふむ。今のはギャグのつもりだったのか」
「冷静に言わないで下さい……」
結局、僕は姉御達に付き合わされてしまった。途中、メノウと白夜も参加したが、白夜のほうはすぐに部屋に戻って行った。
上陸初日の宴会は深夜にまで及び、僕らはくだらない話から『UoE』のこと、それから互いのプライベートのことを話し合ったりと、楽しい時間を過ごしたのだった。
――そして。
僕はどうにか吐く寸前で飲むのを止めることができたが、その晩は酷い頭痛に悩まされたのだった。