10.『Gigas』
林の中はひんやりと涼しい風が吹いていた。
木漏れ日の下、野鳥のピィ、ピィ、と鳴く声に、枯葉を踏み鳴らす音。
僕とナゾシンは『太古の森』と書かれた立て看板を通り過ぎ、林の中を眺め歩いていた。
ゲーム中を意識しているのか、それとも面倒だったのか。
林には舗装された道などなく、ほとんど自然のまま放置されている。
三百六十度、どこを見ても、木、木――
今この瞬間に、目を瞑って十回転でもしてみれば、もうやって来た道などわからなくなってしまうだろう。
「ん? あれはなんだ?」
ナゾシンが前方を指差す。そこには巨大な人工物があった。
「なんだろ、もしかしてフェイスさんの言ってた『面白い物』ってアレかな」
僕らはその人工物目指して、真っ直ぐに歩を進めた。
その巨大な人工物は、穏やかな林のなかに存在するが故に、妙な違和感を放っていた。
全長四メートルはあろうか。薄い緑の肌に、筋肉質のゴツゴツした身体。顔はひとつ目で、その瞳は怒りに満ち満ちている。――まるで鬼だ。
「これって、『Gigas』……?」
僕は彫像を見上げて、言った。
彫像の『Gigas』は、左足を上げ、右手のこん棒を振り上げた姿勢のまま、硬直している。
こんなのにぶん殴られたら、ひとたまりもないだろうな。
よく考えたら、ゲームキャラクターって超人すぎる。僕はいまさらそんなことに気付いた。
「凄いな……」
ナゾシンも僕の隣に並んで、彫像に見入っていた。
「あ、ここ……。なにか書いてある」
僕は屈んで、彫像の土台を見た。『Gigas』と刻まれた文字に続けて、なにか書いてある。
「えーっと、強大な敵にも恐れずして立ち向かえ。決して背をむけるな」
「どういう意味だ?」
「さあ……そのままの意味じゃないのかな?」
僕には、なんとなく雰囲気を出すためのフレーバーテキストのようにも思えた。
「しかし、これほど凝った造りをしているのだから、意味がないとは思えない」
「ですよねえ」
僕は大きく息を吐き出すと、屈んだ上体を起こして、背筋を正した。
「なにかあるとは思うのだが」
そう言って、ナゾシンは彫刻の周りを調べはじめた。
「とりあえず、ここで背を向けてみます?」
僕が冗談半分に言うと、
「ぜひ、お願いする」
力強い視線が返ってきた。
「やっぱ嫌です」
「どうして?」
「なんか、その、もし動いたらって想像したらちょっと」
「…………」
「え、いやいや、冗談ですよ。そんな無言で見つめないで下さいっ」
「…………ありえる」
「ありえませんっ!」
「よし、なら確かめてみよう。後ろを向いてみてくれ」
「…………うっ」
僕は頬を引きつらせるが、仕方ないと諦めて、『Gigas』に背を向けた。
今、僕の後ろで『ギガース』がこん棒を振りかざしている。あぁ、想像すると恐くなってきた。
「なにも起こらないな」
「……はあ」
僕はがっくりとうなだれて、彫像に向き直った。大丈夫、さっきと同じポーズだ。
わかっていても、確認してしまう。我ながら情けない。
「これでなにも起こらないのなら、もうひとつのワードがキーになっているのか?」
ナゾシンは、『ギガース』のふくらはぎをペチペチと叩きながら言った。
「恐れずして立ち向かえ、ですか? ってことは――」
「壊すか」
「それは駄目でしょっ! しかもどうやってこんなの壊せって言うんですかっ!」
僕は早口にまくしたてる。
ナゾシンは顎に手を当て、少し考えたあと、小さな声で呟いた。
「……そうだな」
「当たり前です!」
それから僕は少し間を置いて、落ち着いた声で言った。
「それじゃ、ここはあとにして別の場所を探してみますか?」
僕らは林のなかを探検し続ける。
枯葉を蹴り上げながら、真っ直ぐ突っ切ると、突然、視界が開けた。
海だ!
林を抜けた途端、そこは崖となっていた。
「おっと! ここは危ないな」
ナゾシンと僕は急停止する。あと四、五歩前に出たら、崖下に真っ逆さまだ。
この島は、船着場のある砂浜を除いて、周囲は全て高い崖に囲まれている。
高さ十メートルの崖から落ちれば、崖下の岩にぶつかって即死だ。
うぅ……。もし落ちてたら? を想像したら、足がすくんでしまった。
僕はその場に座り込み、海を眺める。
「そうですね。でも、景色はいい」
穏やかな波音、どこまでも続く青い海。うーん、眺めているだけで心が洗われる。
そうだ、そもそもの目的は観光だったはずだ。であれば、景色を楽しみ、こうして息抜きをすることこそ、本来の楽しみかたではないのだろうか!
……なんて言い訳を、自分自身に言い聞かせる。
「そういえば、ナゾシンさんはどう思います?」
隣に座るナゾシンに、僕は何気なく問いかけた。
「なにを?」
「えーと、メンバーの印象、とか」
「ふむ……」
ナゾシンはそのまま仰向けに寝転がってから、一言。
「そのままだったな」
「は、はぁ……」
たしかにメンバーの印象はそのままだった。
だけど白夜は? 彼女はゲーム中は男性キャラクターだったのだ。
「僕は、白夜さんには驚いたかな。まさか女の子だったなんて」
「それは、そうだな。うむ……」
「そういえば、クキ姉さんと白夜さん見かけないな。なにしてるんだろ」
「……うむ……」
「クキ姉さんはいいとして、白夜さんは一人だとちょっと心配かな――って、あれ? ナゾシンさん聞いてます?」
僕は隣で寝転んでいるナゾシンの顔を見た。案の定、彼は目を瞑り、すーすーと気持ちよさそうに寝息を立てている。
「何寝てるんですかっ!」
僕は彼の肩を鷲掴みにして揺さ振った。
「まだ行ってないところもあるんですから! 起きて!」
「……ん? ……ああ、すまない……寝ていたみたいだ」
「……わかってます」
ナゾシンはまだ重たそうな瞼こすりながら、大きな欠伸をする。よほど気持ちよく眠っていたのだろう。
僕は立ち上がり、尻についた土をはたき落とす。
「ほら、行きますよ」
「…………」
「二度寝しないで下さい!」