0.『User of Elements』
いつもの時間に帰宅すると、部屋の電気も入れずに真っ先にパソコンの電源スイッチを押す。パソコンの起動音と電磁波を浴びながら、脱いだスーツの上着をばさりとソファーに投げ捨てた。
デスクの椅子に腰を落ち着けると、煙草に火を点ける。真っ暗な部屋の中、モニタの照明が少々目に痛いが、なにいつものことだ。すぐになれる。
ゆっくりと、吸い込んだ煙を吐き出した。
いつからだろう。この瞬間が一番落ち着くようになったのは。
慣れた手つきでマウスを操作し、デスクトップのショートカットからダブルクリックでゲームを立ち上げる。
アップデートは無し。メインメニューからスタートを選択。それからキャラクターを選択。データをロード中……
現実を離れ、もうひとつの世界に舞い降りた。
モニタに広がるのは中世をイメージした城塞都市。
俗に『MMORPG』と呼ばれている剣と魔法のオンラインゲームで、タイトルは『User of Elements』。元素を扱う者という意味を持つ、造語だ。
アテもなく、ふらふらと城下町を散歩するのが好きだった。灰色のレンガで組み上げられた建造物に、透き通った美しい湖――
コンクリートで塗り固められた現実世界とはまるで違う、極端に言えば理想郷のような世界を眺め歩くのだ。
現実でもこのような景色が無いわけではない。しかし、秘境を見るために支払う大金と時間を考えれば、それこそ現実離れしている。
――これでいい。
ボタンひとつで理想の世界に連れて行ってくれるのだ。
そこであてもなく散歩をして、時折立ち止まっては他人の会話をぼんやりと眺める。それで十分だ。
暫く町の景色を眺め歩いてから、妙な違和感にふと立ち止まる。
……ヤケに静かだ。
城下町の中心広場に来てもプレイヤーは数える程度で、放置されっぱなしの露店商も何故か今日に限って見かけない。たまに人がやってきたと思えば、NPCに話しかけて買い物をすませると、すぐにまたどこかへ行ってしまう。
これはこれで平和でいいのだが、何もないのもつまらないものだ。
……そろそろモンスターでも狩りに行こうか。
そんなことを考えていた時だった。
効果音と同時に一通のメッセージが届いた。
すぐに煙草を灰皿に押し潰し、ダブルクリック、メッセージを確認する。
Menou
やっほー! いよいよ3日後だね。私は一足先に旅立ちまつ。
げふぅ、準備が大変だじぇ!
三日後……
メッセージに目を通してから、大きく息を吸い込み、それからゆっくりと吐き出した。
こんな程度でこの胸に疼く不安の塊を取り除けるはずもないが。大丈夫だ。
計画は驚くほど順調に進んでいる。目当ての人物は全員参加することになった。
だが、この自分に殺人などできるのか?
……馬鹿な。なにをいまさら。
やらなければいけない。そう決めたのだ。
これは復讐なのだ。彼らに何ら覚えがなくとも、ひとかけらの罪悪感がなくとも、だ。だからこそ許せないとも言える。
大丈夫だ。やる。やれる……
目を閉じ、何度もいい聞かせる。それから、再び煙草に火を点けた。
ギルドチャットを開き、メンバーにパーティーの募集をかける。
気を紛らわすために、その日は仲間と共に狩りをすることにした。