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第九話

魔人の山(4)


 人間の街『カルンテス』が、王ソカリスの命により、部隊を動かし始めた頃、辺境の亜人の街『ディエル』は、夜が明けたというのに静まり返っていた。

 普段であるならば、朝食の用意をする釜戸の煙や、早起きな子供達の遊び声、狩や野良仕事に急ぐ男達の姿が認められるはずだが、一切の物音が消えたかのように人の影さえ見えない。まるで、ゴーストタウンの装いだ。

 風だけが吹き抜ける街道に、人影が見えたのは、もうすぐ太陽が頭上に差し掛かろうかという頃であった。

 大きな鐘の音が、街の頭上を駆け巡り、街中の亜人達を呼び覚ますように鳴り響いた。普段は、災害時や緊急時に鳴らす非常召集のものだが、ここ数年は鳴らされたことが無かったものだ。

 それ故に誰しもが驚胆し、何事かと戸口から顔を出した。

 仰々しい大音響を放つ鐘は、街の中央から、やや東に行った聖堂の横に設けられている。その脇に広場と呼ぶには小さいが、空き地のような場所がある。鐘が鳴らされた時に、街の主要なメンバーのみが速やかに集まり、対策を相談しあうための場所だけに、それほど大きなものを整備する必要がない。

 鐘が打ち鳴らされてから、五分と経たずに数名の男達が集まってきた。

「誰が鳴らした? 大事でなければ鳴らしてはならない掟だぞ」

 一番で走り込んできた黒牛頭が、大鐘の小屋を睨んで叫んだ。

「誰しもが昨夜の事で怯えている。こんな日に、何故、災いの鐘を打ち鳴らした?」

 トカゲ頭が、土煙をあげて走り込んで来た。その後を数人の男が追い駆けるように追従して、広場を埋めた。口々に異種同音、文句を連ねていたが、今一度、大きく鐘が打ち鳴らされると、それに注目した。

 鐘を打ち鳴らしていたのは、虎頭の男であった。渾身の力を込めて打ったものか、虎頭の全身は汗にまみれ、太陽の日差しに光っている。

「おい。何事だ。皆の不安を煽るような真似は、たとえお前であろうと許されんぞ」

「貴様の一存で鳴らせる鐘ではないのだぞ。余程の重要なことでもない限り、処罰は受けねばならん」

 口々に非難の声が挙がる中、虎頭は肩で息をしながら鐘突き堂を降りてきた。そのまま、集まった一同をぐるりと見渡して、大きく一息吐いた。

「…この世界が…大きく動き出してしまった…」

 それだけ吐き捨てると、どっかりとその場に胡坐をかいて座り込んでしまった。それほどに渾身の力を込めて鐘を突いていたのであろうか。

「世界が動いたとは、一体何のことだ?」

「……今朝、早く、ブエルの仲間から早鳥の手紙が着いた。それによれば、人間の首都カルンテスから亜人討伐の軍が出されたそうだ。昨夜のことが、全世界規模で起こったことで、人間達は亜人の根絶やしを決意させたのだろう」

 呟くような虎頭の言葉に、誰しもが唖然とした表情のまま動けずにいた。驚きというよりも、信じるに値しない事柄のように頭が理解しないようにしているといった方が合っているかも知れない。

「そ、そんなことをすれば、世界全体が戦火の炎に巻き込まれるぞ。生き残りを掛けた殺し合いだ。許されるわけがない」

 やっと我を取り戻した犬頭が、虚ろな眼差しで言葉にした。皆がその言葉に犬頭を見たが、誰しもの眼に映っているようには見えない。

「何故だ…何故、そんなことになる? やっと、子供達の行く末をも安泰に成り掛けたばかりではないか。誰しも悲しまずに済むようになった矢先に、何故、より多くの悲しみが降ってこなければならん…」

 黒牛頭が、がっくりと膝を落とした。頭を抱える様は、悲痛な心の叫びに耐えかねたからかもしれない。

「ブエルは? ブエルは、どうした? 知恵を借りよう。ここまでを導いたのはブエルだ」

「そうだ、ブエルには、知恵がある。きっと何かしらの解決策もあるはずだ!」

「ブエルは、どこだ?」

 誰もが辺りを見渡して、ブエルを探したが、老獪な鶏頭の姿は、その場所には無かった。

「……もう、ここにはいない。知らせを受け、今朝、この街を後にした」

 虎頭が、ゆっくりとした動作で頭を上げて言った。

「それを許したのか? 遠からずここも戦火になる。その前に、何らかの手立てを打たなければ、こんな小さな街が生き残れるものか」

 トカゲ頭が詰め寄ったが、虎頭は力なく首を振っただけで答えた。

 深い溜め息が一同を包んだ。

「情けないことを言うでない」

 そんな雰囲気の中、静かだが威厳のあるしわがれた声が、一同に掛けられた。振り向いてみれば、大きな二本の角を頭に蓄えた、白い鹿頭の老人が歩いて来るところであった。

「……長老…」

 一人が老人の正体を口にした。滅多なことでは人前にさえ出てこない白鹿の老人は、一同が見守る中、片手を腰に当てて、僅かに曲がった腰を支えてゆっくりと進んで来た。

「ブエルとて、この世界の理のひとつ。自らの役目に戻ったに過ぎん。事の発端は何であれ、始まってしまったものを嘆いていても仕方あるまい。自分達が執るべき道を選び、それを信じて進むしかあるまいよ」

「しかし、長老。事は世界を変える事態ですぞ。戦争になれば、今までの生活はできますまい。止める手立てがあるのならば、流浪の民の力とて借りねば、生き残ることも難しい」

 河馬頭が大きな口を長老に向けて泣き言を吐いたが、誰しもそれに異を唱えないのは、少なからずブエルを当てにしていたのであろう。

「ブエルとて、悲しき性の住人。じゃが、後ろで嘆く者を捨てて行く者ではない。何かしら残して行ったはず。誰か、その言葉を聞いてはおらぬか?」

 一同の眼は、未だ座り込んでうな垂れている虎頭に注がれた。今朝までブエルと一緒に居たのは、虎頭であったはずである。

「ブエルは、何と言い残した? 何をせよと言っておった?」

「……わたしの読みが間違っていたと……ザハト山に行った二人の子供を見つけよと…」

 蚊の鳴くような声で虎頭は話した。耳を澄まさねば聞き取れないほどの囁きを、長老は耳を立てて聞き取った。

「それだけかの?」

「……見つけ出し……二人とも……殺せと…」

「な、なんじゃと!」

 驚愕の空気が流れた。

 自らが世界の調和を求め、誰もが疑いながらも信じ込み、自分達の手で送り出した白山羊と黒山羊の仔。大人でも想像できぬような旅路の果てに、やっとの思いで辿り着いたであろうザハト山で、一体どんな運命が待ち構えていたのか。その安否さえ分からぬままに、その仔等を殺せという。

 たとえブエルの言葉であったとしても、頷くことなどできはしないことであった。

「子供達を殺せだと? 昨夜の出来事はザハト山で起こったことは確かだ。そこにあの仔等がいた可能性も高いが、あの仔等が原因だとは限るまい。ましてや、無事かどうかも定かでないのに…」

「その通りだ。それに、ブエルが言い出したことではないか。その原因を作っておいて、間違っていたからその仔等を殺せとは、暴戻も甚だしい」

「仮にその仔等を殺したとしても、動き出してしまった人間達を止める手段にはならんだろ。馬鹿馬鹿しい。大体、そもそもの原因があの仔達であるという確証も無いではないか」

 それぞれがブエルの残したという言葉に異を唱えた。ただ一人、虎頭だけが、うな垂れたまま動かず、皆の言葉に聞き入るわけでもなく、虚ろな眼を空に向けたままであった。

 深いため息を吐いたのは長老であったろうか。

「わしは、今まで若い者たちがすることに口出しすることは、避けてきた。時代を作っていくのは、若い血肉であると信じていたからじゃが、若い故に間違いもある。それも経験として積み重ねていくことで、次の世代への教訓として生きることとなる。年老いた者は、助言だけを常とし、自らが辿った愚かな道に、若者が踏み込まぬように配慮することだと信じておった」

 長老は、ここで言葉を切って、虎頭の傍まで行くと、大柄な腕を取って立たせた。

「じゃが、世界は最悪の選択をしてしまった。その原因は定かではないが、一端を担ったのは、幼い仔であろうことは確かじゃろう」

 虎頭を皆の方に突き飛ばし、長老は続けた。

「よいか? ブエルは、恐らく結果を残していったのだと、わしは思う。探し出すのじゃ。二人を探し出し、その真意を確かめ、真実の中から判断し、それでも尚、あの仔等が悪であるなら、その命を断つことをも選択せなばならんということじゃろ。まずは、二人を探すのじゃ」

「…まだ、手遅れでは無いと、そう思いますか?」

 虎頭が、搾り出すように聞いた。掠れた涙声のようにも聞こえる。

「遅い早いは、最後の結果が出るまではわからん。しかし、事を起こさぬことは、それだけで遅すぎることじゃ。何を成し、何を感じ判断することに、遅いということはない」

「ならば…ならば、まだあの仔等を救うことも、可能と言えますか?」

「救える手立ても、そうでない手立ても、どちらも有り得るじゃろう。行くか?」

 虎頭は、長老にすがり付く様に跪いた。その両目から大粒の涙を流しながら、慈悲を請う罪人のようだ。だが、その心の中に、ブエルが出した条件を飲み、他の子供を救いながらも、二人の仔山羊を犠牲にしたという罪悪感が消せないでいた虎頭の本心なのかも知れなかった。

「行きますとも。行かせて下さい。この身と引き換えにしても、必ずや救い出してきてみせますとも」

 堅い決意に立ち上がる虎頭を、長老はにこやかに頷きながら見上げた。廻りを囲む男達も同じかと思いきや、その反応はマチマチナものであった。

 頷く者もいれば、あからさまに嫌な顔をする者もいる。当然といえば当然かもしれない。昨夜の異変により街の住人たちは、かなりの不安を抱いている。家族を持っている者達には、今の状況で、より悪い知らせが入った現在、家族を置き去りにしたまま街を離れる行為は、許されざる背徳に感じても無理はない。

「皆が、皆、同じように感じる必要などない。わたしは、行ってみる。その結末がどうあれ、自分の納得のいくものであれば、それだけでいい」

 黒牛頭が賛同した。後、数名が頷いているが、同行しようとまでは口にしなかった。

「行ける者だけでいい。すぐに出発しよう。あの仔達が待っている」

 決意のためか、以前のような威厳を湛えた表情を虎頭は見せた。



 その頃、イルムの街を目指したグリモア卿は、遠くに見えてきた街並みを、牛車の窓から覗き見て

「お前達は、街の外で待て。要らぬ諍いは避けたい」

 と言った。一同が頷く中、グリモア卿は、始まってしまった戦火の行く末を、不安という霧の中で感じ取っていた。





                  つづく





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