第八話
魔人の山(3)
「よいか! 決戦の時は来た。亜人の殲滅である。これは王の勅命である。臆する者はここで去れ。そして自らを罰しよ。神の御手に愛されるべき我らが、悪しき亜人を排除するは天命であると知れ。誰一人臆してはならん。この任を誇りに思え。貴様達の名は永遠に語られる!」
壇上の演説というには、あまりにも粗末な石台の上で、インジヒ卿は鋭気を発した。眼前には、幾重にも人並みが整列している。その誰もが腰に帯剣し、手に槍や弓を携え、屈強な身体には甲冑を纏っている。
亜人討伐の出立式である。
当初、日の出と共に前進するはずであった隊は、昨夜の異常現象に浮き足立った兵士を落ち着かせ、戦場に赴くまでの戦意を取り戻す儀式が必要になった。頑強なインジヒ卿が、兵士達の前で怒声を発することで兵士達の高揚を引き出し、城門広場に地響きのように血気の声が木霊するまで、半日の時間が費やされた。
本来であるなら、王ソカリスが壇上に立つべきではあるが、昨夜から今朝まで王室の奥で人払いをして、何やらしていたらしく、昼の出立式になっても姿を見せなかった。
しかし、インジヒ卿は、兵士の者達には信頼が厚かった。前回の亜人討伐戦において、インジヒ卿の活躍はめざましく、負傷した兵士を二人も抱えて勇猛に戦ったのだった。その姿に誰しもが頼もしく思い、同時に畏怖もした。ただ、信頼出来得る先陣を得た部隊は、猛然と立ち塞がる亜人の部隊を、難なく陥落させたのだった。
実際のところ、戦場の最後尾で采配を振るうソカリス王よりは、先陣で勇猛果敢に戦うインジヒ卿に兵士達の信頼が置かれることは、当然といえよう。
「ムオーデルの言うこともわかるが、それでは戦略的に取りこぼしが出来る。少数とはいえ、後ろからの奇襲にも備えねばならん。戦力を割く余裕は、今の段階で得策ではない」
「そうは言うが、バーナ。小さい集落まで対応して行くのは、それこそ時間の浪費であろう。数百の村を数万の部隊で蹴散らしたところで、微細な人員のロスが、先々の戦況に影響しないとは言えん」
インジヒ卿が演説を終え屋敷に戻ると、早朝に呼び寄せた二人の指揮官が、未だ答えの出ない討論を展開させていた。
知的な顔立ちを双方しているが、体付きは正反対といえる。片方は、背丈が大きく筋骨太い大男だが、もう一人は、痩せぎすの小男に見える。
「まだ決まって無かったのか。直ぐに出立するぞ。取り敢えずの指針くらい決めてもらわねば、数万の部隊が路頭に迷う」
二人を一瞥し、インジヒ卿は巨体を椅子に投げ出した。戦場で剣を振るうことは、苦も無くこなすが、大衆の前で演説するようなインテリ肌では無いのだ。精神的に疲れている。
「ですがインジヒ卿。バーナの言う通りでは、悪戯に時間を浪費するばかりで、最終的な亜人の首都まで到達するには、数ヶ月も掛ります。この際、部隊の消耗を防ぐ為にも、大きな都市を潰して行くのが最良かと」
大柄な男が大仰に両手を広げて、インジヒ卿に主張する。この男がムオーデルであろう。
「インジヒ卿。憂いは絶って行かねばなりません。ましてや勅命は、亜人の殲滅であります。小さい集落を無視して行けば、必ずそれらが集結し、大きな部隊へと変貌しましょう。それが首都攻撃の折、後方から攻めて来れば、挟み撃ちに遭うは必定。ここは、曲げられません」
小男がムオーデルを押しのけるように前に出た。バーナであろう。
インジヒ卿は、二人の言い分に、ふふんと鼻を鳴らして視線を空に投げた。やれやれといった感じであろうか。その後に二、三度頭を掻いた。
「貴様らは、何年、参謀として過ごしてきたんだ。いいか、戦場も戦況も生き物だ。ちょっとしたことで好転もすれば最悪な状況にもなり得る」
「ですから、最悪な展開になる要因は、極力排除するべきなんです。まずは、憂いを断ち、その後の展開を優位に保つことが先決です」
水を向けられたと思ったか、バーナが前に進み出た。
「いいえ。それならば、迅速な対応を行うべきです。足元の小さき事に囚われず、最短ルートで首都に向かい、陥落させた後、首都を拠点として各地の制圧を目指すべきかと」
勢いで進むバーナの襟首を掴んで引き戻し、机の上に置かれた地図を指差しムオーデルが力説する。
「とんでもない。首都陥落の前に後方から攻められれば、如何な無敗の我軍とはいえ、辛酸を舐めることにならぬとも限りません。出来うる限りの手段は講じて進むべきです」
「笑止。我らが亜人の挟み撃ちくらいで、惨敗するとでもいうのか。インジヒ卿、バーナは臆病風に吹かれたと見える。尾を隠した猟犬に、最早、正しき道は指し示せまい」
「な、何を言うか! わたしは、臆病などではない。ただ、兵士達の動揺は、昨夜のことだけでも相当なものだ。それに、亜人がもたらしたこととはいえ、その正体も判らずに、盲目的な進軍は、必ずや誤りを引き起こす」
「それが臆病だという。亜人の下らん目くらましに騙され、進軍を遅らせるなど愚の骨頂といえよう」
「愚の骨頂だと!」
「もう、よい。いい加減にしておけ」
今にもムオーデルに掴みかかろうかというバーナであったが、インジヒ卿がそれを制した。というよりも、答えの出ない言い合いに辟易したというべきだろうか。フラフラと右手を振って、二人の間の熱気を振り払っているようにも見える。
「それで、二人が最初に攻めるべき街すらも、意見が違うというのか?」
椅子から立ち上がり、インジヒ卿は地図の前に進み出た。その上に右手を置く。
地図は、大まかな世界地図のようなものであったが、亜人、人間の街は、細かに書き込まれている。渓谷や山岳、森林や河川なども書き込まれてはいるが、大半は大雑把で存在していることは判断できるが、その規模までは窺うことは出来そうもなかった。亜人と人間の住む街のみを重点に置かれ、細部の地形などはいい加減なものだ。そのかわりに街の規模や人口、街から街への距離などは、明確に書き込まれている。
「いえ、ここからですから、最初の攻略地の違いはありません」
ムオーデルが、地図のある一点を示してバーナを見た。バーナも異存は無いのか、軽く頷いて見せると、そのままインジヒ卿に視線を向けた。
ムオーデルとバーナが示したのは、先だって滅ぼしたゴーラの街から南へ三十キロほど行ったところの比較的大きな街、ゾームの街であった。
地図上には、人口五千。規模は、成長過程とある。
「この地図は、何処まで信用できる? ゴーラの時の地図は、情報としては半端な完成度だった。人口も三割は違った。戦力の三割は、大きな違いを生む結果となり、最終的には、四日の遅れと兵士二百人を失う結果になった」
インジヒ卿は、地図の中の数字に目をやり、ムオーデルとバーナを交互に睨んだ。
「地図自体は、流浪の民の主観で描かれるものが大半です。先の地図は、流れ者の流浪の民が描いたものでした。こちらも確かめる術が無かったんですが、今度の地図は、流浪の民の中でも信用の置ける者から入手いたしました。地図を生業としておりますれば、さほどの誤差があっては成り立ちはしますまい」
バーナが地図の上部にあるサインをインジヒ卿に示した。サインは『ラウム』と読める。
「‥‥これは、人間のものか?」
サインを見てインジヒ卿は、地図から目を離さずに聞いた。
「それは、申し上げかねます、としか言えません。察してもらうほかありません」
「昨日以前に入手いたしましたし、これの保証はグリモア卿が請け負っておられます。それで十分ではないかと」
はっきりと答えない二人に、インジヒ卿は苦笑いで答えた。
流浪の民は、大半が亜人である。定住地を持たない彼らは、人間、亜人の街を問わず訪れる。長年の流浪生活により、大半の街での信用度は高いが、首都に近づくようなことはしない。珍しい物や大陸の地図、宝石の原石や未開の土地の情報など、街から街へと売り歩いて生活している者が大半だ。それ故、情報は確実なものでなければ売れない。もし、偽物や曖昧な情報であれば、次は無いばかりか、他の流浪の民に情報が流れ、他の街でも信用度が無くなり生活そのものが成り立たなくなるのだ。
「グリモアが保証したのだな」
「はい。間違いなくと」
「名と剣に賭けてと」
それを聞いて深い溜め息を漏らしたインジヒ卿は、グリモア卿の顔を思い浮かべていた。
“奴め。まだ、亜人との接触をしていたか。しかし、今となっては、それも仇となろう。今頃、どこの空の下やら”
「命令を下す。貴様らの進言通り、最初の進軍はゴーラの先、ゾームとする。それと同時に部隊を三体に分け、ドロン、ゲアナの街も同時に攻める。ドロンはバーナ、ゲアナはムオーデルが指揮せよ。わたしは、ゾームに赴く。それぞれ五日の期日で殲滅。七日後の朝、イアナ渓谷で合流し、亜人の軍事拠点と思われるデアブロに攻め込む。貴様らの腕の見せ所だ。期日までに落とせない場合は‥‥言わずとも判るな」
インジヒ卿の言葉に二人は青くなった。
作戦は発令された。自分達の案とは、かなり違ったものになったが、異存は無かった。部隊を分け、殲滅でき得る街を落として行く。両者のスピードと残党を残さない最良の案ではあるものの、反面、自分達の肩にも重い責任が課せられた。先の先までを睨んでの作戦故、敗退すらも許されない。討ち死にしても成功させるのが、最低条件となったといえる。
「すぐさま部隊を分け、一時間の後、出立する。行け!」
最後の怒号を聞く前に、二人は走り出していた。一時間の間に部隊を編成しなくてはならない。腕の良い兵士には限りがある。早いもの勝ちとは言えないが、少なからず強い兵士を自分の隊に入れなければ、作戦の成功率に違いがでる。
一時間後。
三つに分けられた部隊は、それぞれの指揮官を先頭に首都を出発した。
新たなる戦火を派生させる部隊は、早馬と馬車を伴って、三方の道を一万数千の塊となって荒廃した台地を疾走していった。
つづく