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第七話

魔人の山(2)


人間の首都「カルンテス」が亜人討伐の軍勢を進軍させたことは、当日のうちに流浪の民の手によって各地に飛散した。翌日には近隣の町はいうまでもなく、あらゆる手段を使ってほぼ大陸の大半にまで行き渡ることになった。

 狼煙、早馬は勿論、鳥の足に手紙を付ける等、早い手段は何でも試みられた成果であったが、それにより亜人は統率を余儀なくされ、小さい街を捨て大きな街へ集結し始める。人間達の小さな町は、進軍を開始した軍に合流するべく行動を開始した。

 世界が大きく二分し動き始めた日といってもいいだろう。


 グリモア卿は、その世界の蠕動が始まる前に「カルンテス」を出立していた。

 まだ夜明けには数時間の余裕があり、目立たぬように五頭立ての牛車二台に精鋭十人と乗り込んでいた。五人づつ分かれて、手綱を持つ者には目立たぬような農夫の格好をさせている。

 恐らく既に派兵の噂は流れ始めている。ザハト山の最短ルートを取れば、否が応でも亜人の街をかすめなくてはならない。無駄な争いを避けるためにも避難民か流浪の民を装う方が賢明と考えたからではあるが、山賊や無差別な無法者にまでは通用はすまい。ある程度の覚悟をしなくてはならないだろうとグリモア卿は深い溜め息を漏らした。

「グリモア卿。御気分でも?」

 整備もされていない地面を不規則に揺れる牛車で走るのは、乗っているだけの人間にもかなりの負担になる。もしや乗り物酔いでもしたのかと兵士の一人が気を回したらしい。

「いや、なんでもない」

 ふっと軽い笑いがグリモア卿の口元に浮かんだ。荒馬を操り、戦場狭しと駆け回る自分が牛車如きで酔ったと思われたのが滑稽で仕方なかった。

「しかし、グリモア卿。グリモア卿ほどのつわものを、戦地ではなく辺境の士気や偵察に当てるなど、王の考えはわたし達には理解できませぬ」

 牛車の奥で黙って眼を閉じていた兵士が、会話の口火が切られるのを待っていたかのように身を起こした。

「なんだ、寝ていたんじゃないのか? それに不躾だろう。王を否定するはグリモア卿を愚弄することだぞ」

 先程、グリモア卿を心配した兵士がたしなめた。

「よい。ドーンが言うのも仕方はあるまい。この際だ、わたしの本心を皆に話しておくのも悪くはあるまい。ピエタ、カエナラ、ウェッジ、それにツエノもそこで聞いておけ」

「はっ」という声が牛車の御者台から帰ってきた。手綱を握っているのがツエノであろう。そして、グリモア卿に意見したのがドーン。ドーンをたしなめたのがピエタのようだ。カエナラとウェッジの二人はピエタの両脇に座しているが、身じろぎひとつ、返事ひとつしないので分からない。ただ、黙ってグリモア卿の話を聞こうとしているのだろう。

「ソカリス王のご意志は絶対だ。まず、そのことだけは肝に銘じておけ。ただ、わたしが先の戦いでソカリス王の信頼を欠いたことも確かだ。そのことに言い訳をするつもりは無いが、ソカリス王と先代王では、お考えがかなり違う。まだ亜人に寛容だった先王に比べ、ソカリス王は容赦が無い。女、子供も慈悲無く始末される」

「それが、何か問題で?」

 ドーンが合いの手を入れる形になったが、ピエタが一瞥してそれを嗜めた。グリモア卿はまたもふっと口元を緩めた。どうやらドーンはピエタに頭が上がらないらしい。

「この際だ。本心を言おう。わたしは先王の崇めた神を信じている。この世に生ける物は全て神の意思による。無意味なものなどありはしないという教えは、わたしは間違いでないと信じている。だが、ソカリス王は、自らが神と生ろうとしておられる。その意思に反する者は根絶やしにされるおつもりなのだろう。わたしには、それは我慢ならん」

 グリモア卿は、片膝の上に置いた握り拳に力を入れた。握った拳が白くなるほどの力がこもっている。力説と言うに相応しいかもしれない。

「しかし、先王は既に隠居されています。ソカリス王に反する意見はグリモア卿にとってはこれまでの功績が無駄になるのでは?」

 ピエタの右隣の男が、俯いたまま初めて口を開いた。

「ウェッジ。貴様、グリモア卿へのご恩も忘れて、その上、異見するか!」

 すぐさまピエタが嗜めるが、ドーンと違いウェッジは引き下がるような男ではないようだ。静かながらにも熱い男なのだろう。

「俺は、グリモア卿に拾ってもらったのは確かです。ですが、俺が仕えるのは現王であって、グリモア卿ではない」

「貴様! ならば何故、この任に志願した? インジヒ卿に取り入り、討伐隊に行けば良かったろう。今からでも遅くない。車を降りろ!」

 ピエタがウェッジの胸倉を掴み上げ、ドーンの方へと突き飛ばした。ドーンの背中に牛車の扉があるのだ。突き飛ばされたウェッジをドーンは受け止めるのかと思われたが、すばやく身をかわしてウェッジは扉に激突した。ウェッジも突き飛ばされたとはいえ訓練を受けた精鋭の戦士のはずである。それが無様にも倒れこむなどあり得ない。ウェッジもピエタに一目置いている結果といえよう。

「ウェッジ。お前が言うのも最もだ。だが、わたしにはソカリス王が申されるように、亜人全てが悪であるとは考えられないのだ。先王は、亜人との共存も模索されていた。わたしは、それがこの世に生きる者のあるべき姿ではないかと思う」

 倒れこんだまま動こうとしないウェッジに、グリモア卿は語りかけた。静かだが、決して揺ぎ無い意思が含まれている。

「ウェッジは天邪鬼です。お気になさらずに。この中で、誰よりグリモア卿を心配しているのは、ウェッジでしょう。グリモア卿が現王に相反すれば、冷徹な王のこと、グリモア卿を亡き者にせんと働きかけるやも知れません。それが我慢出来ないのです」

 成り行きを静かに見守っていたピエタの左隣、カエナラが話し出した。

「先の戦いでグリモア卿が、亜人の子供を庇い立てしたのは周知のことです。それが王の逆鱗に触れたのも確かです。しかし、グリモア卿には、それを差し引いても余りある功績があることも確かです。いかな王といえでも、そんなグリモア卿を死罪にしては民衆や兵士達が納得しますまい。故に、此度のような辺境に追いやり、機会あれば亡き者にせんと画策している。そんな風に思い込んでいるのでしょう」

 ふふっと笑うカエナラは、痩せぎすの頼りない男に見える。長髪を後ろで束ね、細面の顔が体型までも物語っている。

「カエナラ! 余計なことを口にするな!」

 全てが語られた後で飛び起きても遅い気がするが、ウェッジはピエタを飛び越えてカエナラに掴みかかる。が、ピエタに抱きとめられジタバタと手足をばたまかせるだけであった。

 ウェッジはカナエラとは違い筋肉質な体型で、衣服の上からもその盛り上がりが見て取れる。髪も短髪で角ばった顔。精悍とは言いにくい厳つい印象がある。

「この隊に志願した者の中にグリモア卿を案じていない者などいるものか。ウェッジの心配も然ることながら、これからの道筋、かなりの用心が必要になるでしょう。現王の刺客が用意されていないとも限りますまい」

 ドーンが奥から声を潜めた。誰に聞かれるわけでもないが、王の企みを邪推することは自然と声音が落ちる。ドーンは一見中肉中背の男だが、上着から出ている二の腕は青銅のごとき光沢を見せている。馬鹿力の筋肉ではなく、鍛錬により敏捷性を養った身体であろう。髪は長髪より短いが、右目を隠すようにそこだけが長い。そのため顔の作りは判然としないが、整った顔立ちではないだろうか。

 ドーンの言葉に誰しもが沈黙を余儀なくされた。誰しもが予想してはいたが、言葉にしないことで確かめ合うことはしていなかった。確信に変わることは、グリモア卿の失脚を意味する。そうなれば、自分達の身の振りを考えねばならない。

「…心配を掛けるな。だが、お前達の懸念は徒労だろう」

 重い空気を軽い笑いで受けるように、グリモア卿は一同を見回した。

「現王とて臣下を捨てるようなことはなされない。わたしと現王の間に溝が出来たことは確かかもしれんが、わたしの腕まで疑われているわけではない。少なくとも現王は、今回の戦いで亜人を一掃する御積もりらしい。その大事な作戦の中で、切っ掛けとなった現象は未だ亜人の仕業とは断定されていない。それを確かめると共に、各地の軍の統率も我々の任だ。各地の小隊を導き、本隊に合流させることで亜人討伐を早め、例の現象の根本も探る。これを速やかに遂行するための人選であろう。そこまで先見を辿ることは恐らく祭祀達の采配だろうが、わたしには現王の焦りも感じられる。理解出来ぬ現象に身体の半身を奪われたような感覚に、正直わたしは怯えて身動きひとつ出来なかった。その解明だ。わたしにとっても都合が良いが、現王は我々の答えを待たずして辺境へも軍を進めるであろう。これを止める手段は、今は任務を手早くこなし、あの現象が亜人の向けたものでないことを確かめる他にない」

「グリモア卿は、あれが亜人の攻撃では無いとお思いですか?」

 ピエタが驚きの表情で詰め寄った。他の一同も同じような表情だ。誰しもが亜人の仕業と思い疑わなかった現象。

「ピエタ、それに皆もよく聞け。あれほどのことを亜人がするなど有り得ん。我ら人間ですら出来ぬことを亜人がするなどということは無い。このことに理由付けすると言うならば、近頃跋扈するという魔術師と因果関係を求める方が正当だ。亜人は姿は獣のそれだが、異常な天変地異を起こすことはない。姿以外なら、我々と同等の能力しか無いのだ。見た目が違うことで差別は安易に引き起こされる。全ての悪行もそれが理由付けされてしまう。しかし、色眼鏡を取り除けば、皆、同じ同胞だ。命に理由付けなど愚問というものだ。今回のことに原因があるとするなら、それは魔術師のような異質な力を得た者達だろう」

 一同は誰一人として口を開かなかった。魔術師の噂は広まっていた。流浪の民の中には、それだけの知識を得た者も少なくないとされる。しかし、それが何処で生み出されたものか、それをどう駆使するのかも知られていない。司祭達が使う先見もそのひとつだが、これもその原理は使う本人ですら理解していないのが現実であった。

「グリモア卿。もうすぐロデオの街をかすめます。如何いたします?」

 グリモア卿の背中から声がした。御者台に座ったツノエであった。

 どうやら手近な街の傍を通過するらしい。

「ロデオには既に通達されていよう。通過してイルムの街に寄る」

「な・なんですと?」

「イルムって…」

「馬鹿な!」

 誰もが不信感の声を上げた。

 それも無理はない。イルムという街。それは、小さいながらも人間の街に一番近い生き残りの亜人の街。



                つづく



 

 


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