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第六話

「魔人の山」(1)



 一瞬なのか、つかの間なのか。表現は様々だろうが、実際に起きた現象は一部に留まらず、世界を陵駕したのだった。

 亜人の街に留まらず、人間の都市にも及んでいた。人々はうろたえ「ディエル」の街の亜人同様、白色の光に怯えひれ伏した。

 光が消え、亜人同様に半身を奪い去られたかのような感覚に苛まれ、心が痩せた思いで自分を抱きしめ暖かいはずの寝床へと潜り込んだが、芯から沸き起こる小刻みな震えに邪魔され、一睡も出来ぬままに夜を明かすことになった。

 だが、そんな中で威厳を失ってはいけない男が、抜け殻になった半身を奮い立たせるように城の大聖堂で叫んでいた。

「良く聞け。今宵の異変は重大なる我々、人間への挑戦である。薄汚き呪われた亜人共の宣戦布告の狼煙である。これを捨て置けば、必ずや我々を脅かす事態になるであろう」

 威風堂々と大聖堂の壇上で、ホールにひしめき合う人々に拳を振り上げて力説する男は、煌びやかな衣装に大仰なマントを羽織り、高貴な雰囲気を醸し出している。

「この期を逃さず、悪しき民族を根絶やしにするためにも、ここで先手を打たねばならん。あの禍々しき光の正体はわからんが、我々の身に何かしらの異変を起こしたことは間違いない。その効力が我々に影響を及ぼす前に、元凶となる者共を排除するのだ。躊躇は自らの命を絶つ行為と知れ。今こそ大清浄の時だ。我らの世界に悪しき者はいらん。亜人根絶のために進軍する!」

 一瞬のどよめきがホール全体に広がったが、一画から雄叫びが挙がると、こぼれた水が広がるように全員が声の限りに叫び声を挙げた。大聖堂の壁がビリビリと小刻みに震えるほどの雄叫びは、壇上に立つ男が両手を高く差し上げると一層の高まりを見せ、怒号の勢いになって大聖堂を照らし出す松明の炎を大きく揺らした。


「グリモア卿。王からの勅命が下りました。進軍です」

 暖炉の前で毛布に包まり、汗が噴出す額を拭いながらも震えが止まらない。寒いわけではないことは解っている。だが、身体の芯から湧き出す震えは、違う意味に捉えると自らの精神までも侵食する何かに変わってしまいそうだ。寒いからだと言い聞かせていれば、今の均衡は正常に保っていられた。

「そ、そうか。勅命が下りたか。ぐ、軍の用意は?」

「はっ。既に準備を開始しており、明朝には出立可能であります。これより軍の振り分けが告げられると思いますが、我々は軍の任を離れ、辺境部隊の統制と偵察のため速やかにザハト山に向かうことが決定しております」

 毛布を頭から被り、堅く眼を閉じて、下された任務を口の中で繰り返す。数回繰り返すと、すっと汗が引いていく感覚が訪れた。最後に「勅命である」と言葉にして毛布を跳ね除けた。既に震えは収まっている。

「グリモア卿、大丈夫ですか?」

「気にすることは無い。直ちに任務に就く。精鋭十名と牛車を二台。甲冑や武器は装備せず、荷物で持たせろ。食料を十日分積み込め」

「馬ではなく、牛車ですか?」

「強行軍で不眠不休でザハト山に向かう。馬では途中で乗り換えねばならんし、早く着いたとしても人間が使い物になるまい。適度に無駄なく早急にが目的だ。直ぐに準備しろ。食事を摂り次第出発する。人選も任せるが…」

「何か?」

「いや、いい。すぐに準備だ」

「わかりました」

 従者が下がるとグリモア卿は、寝酒にと用意してあった酒のビンを手に取り、栓を引き抜きそのまま口を付けて飲んだ。焼けるような感覚が喉元を過ぎて行く。

 その場で服を全て脱ぎ捨てる。暖炉の明かりに照らされるその身体は、鋼のように鍛え上げられていた。先刻までの汗のためか光沢のように光る裸体は、まるでブロンズの像にも見える。

 そのまま窓を乗り越え、庭に掘られた池に飛び込む。派手な水飛沫が宙に舞う。立ち上がってみると腰まで水に浸かる。しばし眼を閉じた。屋敷の塀の向こうで慌ただしい足音や奇声が聞き取れる。王の勅命が下り、進軍の為の準備が行われているのだろう。

 グリモア卿は池を出ると、今一度部屋に戻り

「服を持て。食事の用意だ」

と告げて、先程の酒を煽ると、残りを暖炉に投げ込んだ。アルコールに引火した炎は紅蓮の色と化し、暖炉の壁を黒い煤色に変えた。


「偵察だと? どういうことだ」

 同じ頃、グリモア卿邸宅から三軒ほど隣の邸宅で、グリモア卿より倍はあろうかという筋骨隆々の男が、従者の前で大剣を振り回していた。従者の言葉に振り上げた大剣を床に突き刺したが、その大きさが従者の身の丈ほどあるといえば、この男の筋力も想像できよう。

「グリモア卿に命ぜられました。ザハト山に向かうようです」

 従者が大剣に恐れたか、少し後ずさる。

「王は何をお考えだ。我らが軍を進めれば、一月もせずして大陸は制圧できよう。偵察など無意味だ」

 ブンと力任せに大剣を引き抜き、横槍に薙ぐと壁に吊るされた鞘へと収まった。その動作に緩慢さはみられない。この男の体つきからは予想もできない細やかさと正確さが伺える。

「ひ〜」

と鼻を押さえて従者は蹲った。どうやら大剣の切っ先が鼻をかすめたらしい。

「大袈裟な奴だ。死にはすまい。で、グリモアはどうした?」

 ポタポタと押さえた指の隙間から鮮血を滴れせながらも、従者は立ち上がって背を伸ばした。

「は、はい。既に準備を整え、少数精鋭で出立するとのことです。インジヒ卿には、亜人討伐の任を命ぜられました。只今、軍勢を隊分化し、出立の準備を行っていますが、急な進軍でありますし、先程の現象に皆、浮き足立っておりまして、明朝の出立は無理かと思われます」

「けっ。弱腰共では話にならんな」

 言ってインジヒ卿は傍らのベッドに身体を投げ出した。勢いがあったのと身体の大きさが標準の倍もあるインジヒ卿にベッドが大きく軋んで文句を言った。

「いいだろう。だが、明日の昼までには出発する。朝一番にムオーデルとバーナを呼んでおけ。進軍のルートを決める」

 そう言ってインジヒ卿は高いびきで寝入ってしまった。

 従者は一礼して部屋を出て行ったが、自分があの光の現象に心まで凍てつき、今でさえ身体の芯から小刻みに震えているのに比べ、インジヒ卿は豪胆にも高いびき。自らを恥じると共に、インジヒ卿の精神の強さに改めて敬服するのだった。


「どうだ? 司祭。何かわかったか?」

 既に閑散とした大聖堂に、三人の司祭服を着た老人が輪を作り、森羅万象を司るという羅針盤を睨んでいた。顔面は三人とも蒼白で額に汗が滴り落ちる。急激な精神統一のためか両目は血走り、ゼイゼイと肩で息をしている者すらいる。純白でふわりと纏うだけの司祭服は、今や濡れねずみのように肌に張り付き、痩せこけた司祭達の身体を浮き上がらせていた。

「ソカリス王…。すみませぬ。未だ先が見えませぬ。こんなことはあり得ないのですが…」

 司祭達を見上げるように立つ男こそ、人間の王ソカリスであった。先程、壇上で意気を上げ、亜人の掃討を命じた王である。

 両手と首に金の飾りを付け、心臓を守るため黒の胸当てをしている。その身体を覆う真紅のマンとは大仰ではあるが、見ている者への威圧感はある。髪は栗色の短髪、精悍な顔付きは威厳を現すのか風格さえ漂う。マントに包まれた身体は見えないが、腕や足の筋肉を見る限り、引き締まった身体であろうことは伺える。

 しかし、これが王とするならば、あまりにも若すぎはしないだろうか。ソカリス王は、どう見ても二十代前半の若者に見える。先代が早没したならば、年若い王となったのかも知れないが、先代王の葬儀は、ここしばらく行われていない。

「よい。解ったことだけ告げよ。今は、どんな小さな情報も必要なのだ」

 ドカッとその場に座り込む王を、司祭が眼をしかめて見つめるが、王は意に介さず答えを待った。

「はい。いまのところ、あの光の正体までは掴めませんが、あれの発現はザハト山であることは確かです。そこで子供の影が二つ見えました」

 右手の司祭が言う。

「ですが、その子供もあの発現の後、一人は見えるのですが、もう一人が見えませぬ。そこに居ることは確かなのですが、子供ではありませぬ」

 中央の司祭が言う。

「そこから先の未来を、なんとか見ようと試みておりますが、黒い渦にでも飲まれるように、一切の光が見えませぬ。これは悪しき前触れなのではないかと」

 左の司祭が言う。

「それでは解らぬと一緒だな。まぁ、良い。亜人共の仕業には違いなかろう。先だってのゴーラの街を滅ぼした復讐でもあったのかも知れん。いずれにせよ、亜人を滅ぼせば憂いも消えよう。ご苦労だったな。先見を疎かにしてもらっては困るが、今夜はもう良い。休んで明日に備えろ」

 マントを翻して去る王を、司祭達は深い溜め息で見送った。疲れていたのもあるが、若き王のいう亜人の仕業とは思えぬからだが、例えそれを進言しても取り上げてはもらえまい。血の気の多い王は、ここ一月で二桁の亜人の街を全滅させていた。


 


 

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