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第五話

永らくお待たせしました。再開です。


第二章 名も無き戦争(3)

 

 仔山羊二人は、その夜のうちに身支度も早々に、軽登山の装備と小さな武器を手にして旅立った。それと時を同じくしてブエルも街を去って行った。街の住人との約束を果たすためという名目だが、その実態はわからない。


 一週間が過ぎた頃、ブエルは約束通りに亜人の子供を三人連れて街を訪れた。誰もが期待を半分ほどしか持っていなかっただけに、この反響は大きかった。

 何より、ブエルが約束を守ることが証明された。

 授けられた子供は、近く子供を失くした夫婦に優先され、街の悲しみも幾ばくか軽減されたようにも感じられた。

 誰もが、幼い身体に鞭打って、遠い旅路に挑んで行った二人の存在を感じながらも、新しい命に心を奪われ当初のような重苦しい空気は無くなっていたと言って良い。ただ一人、この約定に首を縦に振った本人、虎頭以外は…。



 結果、ブエルは、一ヶ月の間に三回、十三人の子供を街へと届けた。そして、六人の子供を街から連れ去り、何処かの人間の街へと届けたはずである。

 ブエルの訪れは、僅かな間に街の住人の希望になり、悲しみを背負った母親の影も少なくなった頃に、それは起こった。


 遥か彼方の山々の中でも、一層存在感を見せる巨大な山の中腹付近で、変化は始まった。

 ブエルが三度目に街を訪問した時、以前なら一晩ほどで再び旅立って行くはずが、今回に限って三日も滞在していた。

 三日目の晩にブエルは、虎頭と酒を酌み交わしていた。

「ブエル。お前には感謝している。この通りこの街も、以前のような憂いが無くなったといっていい。誰もが幸福な家族を持ち、将来を期待するようになった。いくら礼を言っても足りないくらいだ」

 いい加減酔ったような口調で虎頭はブエルに杯を高々と挙げて見せた。

「約束は約束さね。あたしら流浪の民は、幾千の夜を越えても交わした約束は果たされるまで忘れないし、忘れさせはしないんさね。それが、広い世界を亜人、人間関係無く渡っていける心得なのさ」

 ブエルは虎頭の倍のスピードで杯を煽っているはずなのに、酔った素振りはまるで無い。まるで水でも飲むかのように酒は進むのに、その口調は普段と変わらない。

「いいかい、忘れてもらっては困るよ。お前達にこれまでしてきた事は、二人の仔山羊の犠牲があってのことさね。あの仔達は、あたしらが想像するよりも過酷な旅をしていることだろうよ。その働きに報いなければ、あたしのこれからは地獄の業火に焼かれる日々になるだろうさ。どんな答えがあるにせよ、あの仔達が出す結果がこれからを左右するだろうね」

 何時に無く小馬鹿にしたような雰囲気が無いブエルに虎頭の酔いも醒めてきた。

「ブエル、お前はこれから起こることを、何か知っているのか?」

 その質問を受け、ブエルは持っていた杯を煽って

「知るも不幸、知らぬも不幸さね。ヒッヒ」

と呟いてみせた。

 空になった杯に酒を注ぎながら、虎頭は背後にそびえているであろうザハト山を振り返った。夜の暗闇にかき消されながらも、満天の星に微かにその縁取りだけをみせる巨山は、何も変化がなく静寂な影を見せていた。

 遠き彼の地を幼い二人の山羊が、互いに手を取り険しい山壁を登る姿をちらりと考え、今一度ブエルに向き直った瞬間、それは始まった。

 虎頭の背後から昼の日差しより数倍はあろうかという白光が閃いた。

 何事かと振り向いた虎頭の目には真っ白な世界が広がっていた。あまりの閃光に視界が奪われたと悟ったのは、自然に眼が細まったからだが、数秒過ぎてもそれは止まなかった。深夜に近いはずなのに、眩さゆえ街中の人々が外へと飛び出してきた。しかし、誰の眼にも白光の視界以外を認められず、眼をしかめ、手をかざしてやり過ごすが精一杯だった。

 その光景は奇妙にも見えた。後ろから見ていた虎頭には家から出てきた人々の姿は見える。だが、その影はどこにあるのだろう? 確かにザハト山の方角から光は発せられているはずなのに、光自体が生き物でもあるかのように建物や人々を取り囲み、その影すら飲み込んでいるように影が無い。全てが白色の光りに塗られたようで、そこに浮き出たものは建物と人々の姿だけに見える。

 まぶしさに耐えかねた虎頭が背後に眼を背けたときに、驚愕の光景があった。

 杯を手にしたブエルが、白光の中で眼を細めることも無く光源を見据えていた。年老いた皺だらけの眼元は、その瞳だけに凛とした光があるものの、中心部分は深淵の闇が取り付いたかのように虚無が映し出されているようにも感じられて、虎頭は寒気を覚えた。

「ブエル! 何が起こっている!」

 そう言ったつもりであったが、光は声すら吸い込むのか、口から出たそばから掻き消されてしまった。

「どうなっている! これが答えとでもいうのか!」

 無駄と知りながらも口にしないわけにはいかなかった。虎頭の疑問はそのまま街中のものでもある。不可思議というより不気味なありように誰もが跪いて頭を抱える光景が、虎頭には神に許しを請う罪人にも思えて、冷えた背中が氷の柱が立っているように感じられた。

「ブエル!!」

 叫んだと同時だったか。いや、声が聞こえたということは、その手前だったのかも知れない。

 急激に光が萎んでいく感覚と同時に、その全てが空へと吸い込まれて行った。自分の中の、もう一人の存在があるとすれば、それが光と共に夜空へ上って行ったと言えば表現的には合っているだろうか? 半身を失ったかのような虚脱感は、誰しもが味わっているはずなのに、誰もが口にしない。突然の出来事に心が奪われたために脱力したのだろうと思えたのだ。

 ぱらぱらと立ち上がり、一言の言葉も無くそれぞれの家に戻って行った。

 後には静けさの戻った夜の闇が、虫の音も涼しく広がっているだけであった。

「…ブエル…今のは…何だった…」

 ただただ立ち尽くすだけの虎頭が、やっと搾り出した言葉だった。遠くそびえるであろうザハト山の輪郭だけを見つめながら。

「なんてことだろうねぇ。こんな結末かい」

 聞き取れるかどうかの呟きだったろう。ブエルは一連の出来事が起こる前と変わらない姿勢で、杯を手に佇んでいた。

「ブエル。お前には分かったのか? 今の事が何なのか分かったのか?」

 振り返り様に振り上げた虎頭の腕が、テーブルを叩き割った。憤慨しているわけではない。驚きと理解出来ない出来事に意味深な言葉を吐いたブエルが化け物に見えていたのかもしれない。

 半分に砕けたテーブルは、それでも半身を僅かに残った破片で支えて、ブエルの前だけ原形を留めていた。その上に持っていた杯を音も無く置くと、深い溜め息とともに語り始めた。

「いいかい、良くお聞き。流浪の民の間には、古くから語られていたことがある。それは、すでに口伝を経過ぎて原形すら定かではないくらいさね。この世界は呪われたんさね。事実かどうかなんて知らないよ。でも、今のあたし達が生まれたのが証明だと思ってもいいだろうねぇ。太古の昔からあたしらみたいなものは生まれているが、これほど時代の一角を担うのは異常だと思わないかね? 人間であるはずなのに、人間では無く、かといって繁栄出来るほどの数を生み出せないのは矛盾してるだろう。では、何故にあたしらみたいな者が生み出されたのか? 簡単さね。人間との諍いの種があたしらさ。口伝は伝えているよ。人間と亜人の終焉さえもねぇ。それには条件があるんさね。対の仔山羊と亜人と人間の諍い、辺境の苦悩、世界の荒廃。あんたらは知らないだろうが、ここ以外の土地では、既に人間達の粛清と銘打って亜人の街の討伐が行われてるさね。静かに戦争は始まっているんさ。でもね、止める術はあるはずだったんだ。対の仔山羊がその鍵になるはずだったんさね。口伝は変幻自在でね。伝える者の言葉や、受け取る者の解釈でも自在に変わる。それら全てを極力排除して、ある程度意味が合うものに組み立てると、仔山羊達の行動が一つの分かれ目になるとわかるんさ。けど、無駄だったかねぇ」

 ブエルは深々と頭を垂れてしまった。ブエルのこんな姿を見たことがあるだろうか? 人を小馬鹿にしたり威風堂々とした威厳はどこへいったのか。今のブエルはまるで老婆のようである。人生の最後を悟り、世捨て人にでもなったかのようだ。

「ブエル、あの仔達は、どうなった? あの仔達が、この世界の犠牲になったなどと言うのだはあるまいな? 我々は、つかの間の幸福を、あの仔達の上に胡坐をかいて味わっていたというのではあるまいな?」

「今、お前さんは半身を取られたかのような錯覚を感じなかったかい? あれは、錯覚なんかじゃないよ。本当に半身を奪われたんさね。それは世界の全ての生きる者にいえるんだがね。これから起こるのは、本当の生き残りの戦争さね。半身を奪われたあたし達に、どれだけの勝算があるかは判らないがねぇ」

 頭を垂れたままのブエルは、まるで呪詛のように語り続ける。低い声は地獄の亡者の呟きのようだが、その言葉は虎頭には澄み切った空気に反響してはっきりと聞き取れた。

「未来は、天秤の片方に傾いたんさ。これを変えるのは、奇跡と幸運と見えざる手の力を借りても無理だろうねぇ」

「ブエル。これから、どうすればいい?」

 虎頭の率直で最大、最後の疑問であった。何かか始まった。恐らくは仔山羊達の身に何かあったのだろう。だが、それは同時に世界全てを変える引き金になったのであろう。自分の身体に起きた変化もそれを真実と語っている。ならば、どうすればいい?

「なるようになるだけさね」

 吐き捨てるブエルは、その存在さえ薄くなったのではないだろうか。

「希望があるとするならだがねぇ。対の仔山羊のどちらかが、この村に戻ってきたら、何かの足しになるやもしれないねぇ」

 ブエルの様子から事態は最悪に受け取れる。虎頭にもそれは理解できるが、何の変化も今は無い。理解不能の事態は確かに起こった。しかし、これからの世界に何かが起こる保証も無い。

 ただ、ブエルは嘘はつかない。それだけが虎頭の心に深く刻まれた事実だ。

 これからの世界。

 


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