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第十三話

「魔人の山 8」



「そこのお前さん。ちょっと、お待ちな」

 グリモア卿がイルムの街を出る寸前、建物の陰からしわがれた声が投げ掛けられた。

「その声。ブエル老か?」

 声のした方を見たが、その姿は確認出来なかった。建物の中からかと思ったが、それにしてははっきりと聞き取れる声にグリモア卿は首を捻った。

「見えるもの、聞こえるものが現実とは限らないと前に教えなかったかい? ヒッヒッ。あらゆるものを認めて、自らの中で消化してこそ、本来の世界が見えてくるもんさね」

 傍らにある小鳥の止まり木に、一羽のホトトギスが首を傾げている。驚くことにブエルの声は、そこからしているのだった。

「面妖な術を使えるようになったものだ。あなたに対しての敬意は変わらんが、こうして人間離れしたところを見せられると、今回の件も亜人の起こしたものだと信じたくなる」

 マントを掻き抱くように合わせて、頭までも隠すように声を潜めた。いささか遠いとはいえ、街の住人は未だ慌ただしく行き来している。迂闊なことを大声で口走るようなグリモア卿ではない。

「愚かなことを言いでないよ。今更、誰が原因かなんて問題じゃないのさね。大きく世界は動き出したんさ。それによって流される血も命も膨大さ。お前さんが幾ら躍起になって動いたとしても、消え行く命を減らすことなどできん話しさね」

 ホトトギスが嘴を小刻みに動かしてブエルの声で喋るのは、異様な光景に他ならない。また、それに話しかけるグリモア卿も、傍から見れば常人の精神状態ではあるまい。

「…知っているような口振りに聞こえるが、わたしの気の所為か?」

 マントの中でグリモア卿の眉間に皺が寄る。小さな鈴鳴りは、剣の柄に手が掛かった音かもしれない。

「馬鹿だね。早まるもんじゃないよ。お前さんが考えてるほど事態は甘くないし、時間もそれほど残されていないさね。お前さんの計画も半分は成功するだろうけど、半分、いや、それ以上は失敗することになるよ」

 ホトトギスが、止まり木を降りてグリモア卿の肩に止まった。耳打ちするような言葉をグリモア卿は首を傾げて聞いた。

「聞いておられたか。わたしも急ぐ身だ。ブエル老とこうして語らうは貴重な事だが、今は先を急ぐ。瑣末な心配は、結果が出てからでも遅くあるまい」

 ホトトギスを肩に乗せたまま、街を後にするグリモア卿は、ホトトギスが口にする次の言葉に足を止めた。

「結果なんて決まってるさね。お前さんが考える最悪の結末を倍にしてみりゃいい。それが、今、確実に迫ってる結果さね。皮肉なもんじゃないか。最善を尽くす人間、亜人が、最悪な結果を産み落として行くんだ。ヒッヒ」

「…ブエル老。知っていることを全て話せ。どうやら、そなた、今回の事に関与しているのであろう? 聡明なブエル老が浅墓な計略を支持したとも思えんが、人間側に大義名分を与えたことは他ならない。このままでは、亜人は粛清されてしまうぞ」

「……このまま街を出な。歩きながら話そうじゃないか」

 ホトトギスは、一端飛び立ち上空を数回廻ると、歩き出したグリモア卿の肩に再び戻った。

「この辺りには、まだ近づいてないようだね」

「何がだ?」

「化けモンさね。……足を止めるんじゃないよ。急いでるんだろ? 早いとこここを離れるんさね」

 化けモン。そう聞いてグリモア卿の足は自然と止まってしまった。それを叱咤するようにホトトギスはマントの上から顔を突付いた。再び歩き出したグリモア卿ではあったが、ただ足を動かすだけで、目的地を決めた歩行ではなかった。

「化け物とは、どういうことだ?」

「いいかい? これからのことは、既に眼に見えない速度で始まってるんさね。それに対応するには、こちらも眼に見えないほどのスピードが必要なんさね。けど、あたしらは、そんな速さに対応するには、あまりにも遅い。そして、何より真相を知る者が、あまりに少な過ぎる。力の有る者が知れば事が大きくなり、身動きすら出来なくなるだろうし、力無い者が知ったところで絶望するだけで力にもなりゃしない。知恵と力と冷静な判断と迅速な行動を兼ね備えた者だけが、この事態に向き合えるんさ」

「それをわたしに求めるか?」

「あたしゃ、そんなこと言ってないよ。ただ、お前さんの行く場所を指し示すことくらいなら出来るかも知れないねぇ」

「便利な言い回しだな。わたしとて人間側の立場だ。事の真相が亜人であれば、憂いを持って亜人に刃を向けることになるやもしれんぞ」

 マントの中で、またも鈴鳴りがした。今度は明らかに剣の柄から鞘が解かれる音だった。

「…鳥一羽切ったところで、あたしゃどうと言うことも無いがね。お前さんが担う役割は、きっと人間側にとっても大事なことさね。今、教えなくとも、そのうちにお前さんは辿り着くだろうが、その時に守るべき物すら無くなっていたとしたら、お前さんは後悔しないかねぇ?」

「相変わらず嫌な言い回ししかしないな。素直になってみたらどうだ? 少しは憎まれずに世を渡れるかもしれんぞ?」

「今更、素直になったところで気持ち悪く思われるだけさね。それに、それほど永く生きるつもりも無いんでね」

「そこまで生きておいて、よくも言うものだ。そなたが死ねば流浪の民のバランスも崩れる。人間も亜人も交流を失くし、衰退の一途を辿ることとなろう」

「老いぼれを持ち上げたところで、世界を変えることなどできやしないよ。それより急ぎな。静かに素早く事態は変化してるんさね」

「わたしがブエル老の指し示す道を辿れば、事は好転するとでも言うのか?」

「さぁね。全ては役割を持つ者達が選ぶ道に左右されていくもんさね。お前さんがすべき事をするか否かによっても変化するかも分からない。ただ、何もしなければ、何も知らずに死んで行けるかも知れないがね。ヒッヒ」

 グリモア卿は、その言葉の後、暫くは何も口にせず歩き続けた。ホトトギスも言葉を発することなくコロコロと喉を鳴らすだけで肩から動こうとはしなかった。

 やっとグリモア卿が話し出したのは、向いていた進行方向をやや斜め左に変えた時だった。

「良いだろう。ブエル老の意思に乗ろうではないか。言ってみるが良い。わたしが進むべき道は、何処にあって、何処に続いている?」

「お前さんが聡明な人間だってことは、亜人の中でも有名な話さね。だからこそ、役割の一端を担うだけの資格もあるんだってことを忘れるでないよ。お前さんがこれから行くべきは、万年雪の降り積もる山。ザハト山さね。そこに、この事態の根源があったはずさね」

「あったと言ったな。今は無いと同義か?」

「そこまでは分からないね。今も何かの力がそこにあることは間違いないだろうがね。それを見つけることが可能かどうかは、お前さんの努力次第だろうよ」

 少し考えるように俯くグリモア卿を尻目にホトトギスは肩を飛び立ち、大きくグリモア卿の頭上に輪を描いた。

「ブエル老。そなたが悪魔の使者か天使の使いかは分からんが、このまま現状を何も知らず右往左往していても始まらん。やれることはやるべきだ。ザハト山にいってみよう。が、ブエル老、そなたはこれから、どうする?」

 ピーと一声鳴いてホトトギスは降りてきたが、グリモア卿の肩には止まらず身体の周りを飛ぶばかりだった。

「あたしらの身体の半身が消え失せた。そいつは、今、何処に有るのかねぇ? 今のままじゃ、半分死んでるのと変わらないんさね。取り戻せなきゃ死んでも魂は還れないかもしれないよ」

「なるほど。それを探すか。わたしと同様、そなたも世界を憂う同類というわけかもな」

「そんないいもんじゃないさね。世界はあるがままを受け入れなくちゃ見えてこないもんさね。が、どんなに眼を凝らしても見えないものもあるもんさ。全てを知ることより難しいのは、否定し続けることを飲み込むことさね。お前さんが辿り着く場所では、きっとそれが邪魔をするよ。あるべきことを受け入れられない時、お前さんはどうすのかねぇ? ヒッヒ」

 忌むべき笑いを残してホトトギスは高い空へと舞い上がって行った。

 最後の言葉を反復しながらグリモア卿はマントを剥いだ。

 数百メートル先に牛車が鎮座している。御者台にツノエが手綱を持って視線を投げ掛けてきている。

 グリモア卿は、駆け足で牛車に近づくとそのまま御者台に飛び乗った。

「次の街まで急ぐ。そこで馬を調達し、我等はザハト山へ向かう。休憩は無しだ。強行軍で最短時間で到着せねばならん。ピエタ。最短ルートを探せ。他の者は、荷物を最小限に纏め、個人で持てる程度に厳選しておけ。想像していたよりも過酷な旅になりそうだ」

 牛車を走らせると同時に出された命令に、顔すら見えない部下達は鋭く短い返事を返してきた。

 誰も疑問を口にすることは無い。それだけグリモア卿を信頼している現われである。

 が、当のグリモア卿には、暗雲とした気持ちが抜けずにいた。ブエルが投げ掛けた最後の言葉が漆喰の壁に突き刺さった杭のようにひび割れて行くような気がしてならなかった。

“全てを知るより難しいのは、否定し続けることを飲み込むこと”

 分かるようで分からない。

 考える思考を、とりあえず停止した。今はザハト山に辿り着き、ブエルの言った力を確かめる他あるまい。そこで、初めて考えるべきことであろう。

 地平線の彼方。雲海の果てにあるであろうザハト山を思い、グリモア卿は眉間に皺を刻んで見据えた。





                    つづく



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