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第十二話

「魔人の山 7」



 舐めて掛かった訳ではない。ただ、タイミングは最悪立ったかも知れないというだけだ。斥候も出し、十分な下調べも出来ていた。幾分のバリケードや伏兵も予想できていたのだ。

 なのに、小さな街を陥落させることが、これほどに困難な作業になることなど、ムオーデルでさえ予測できていなかった。

 夕暮れの闇に紛れ、斥候を出して情報を集めた。

 さすがに亜人の街に人間は入れない。隠れながら遠巻きに街の四方を見て廻るくらいだったが、街の入り口にバリケードがあることもなく、多少の松明が街角のあちこちに掲げられているくらいで、これといった変化も見受けられなかった。

 だが、油断はできないのは、今までの戦闘からも明らかだ。亜人の中には、人間など子供のように扱ってしまう怪物も稀にいる。この街にも居ることは予想されるのだ。十分な注意はしておくに限る。

 翌朝、部隊を半分に分け、左右から攻め込んだ。

 街に入り、そのまま部隊は波状に広がり、左右から押しつぶすように挟み打つ。小さな街を攻めるムオーデルの得意な戦法でもあったし、自信もあった。

 が、それが、一日の夕刻になっても、たかが三千数百の街は陥落することなく、僅かな抵抗を見せながら建物を大きなバリケードに仕立てて生き残っていた。

 建物を壊しに入れば、窓、屋上など、あらゆる隙間から矢を放ち、兵士達の行動を遮った。こちらも矢を放つと身を隠し、息を潜めてしまう。

 そんなやり取りが一進一退に繰り返され、虚しくも陽光が陰り始めてしまっているのだ。

 焦りは生まれるが、ここで多くの兵士を失うことは許されない。既に数百単位の負傷兵が出ている。さすがに死人までは出ていないものの、それは相手も同じことで、怪我人は出していても死人までは出ていないだろう。

 何故にそうなったのか? 作戦は万全であったはずだし、兵士の士気も落ちていることはなかった。斥候の情報が少なかったとはいえ、大した問題ではなかった。所詮は少数の街でしかなかったのだ。街の構造と規模さえ把握できれば、速やかに陥落するはずだったのだ。

 間違いがあったとすれば、街の中央付近に石垣のようなバリケードが築かれ、それらが建物を巻き込んで大きな城壁にも匹敵するような規模になっていたことだ。それが強固なうえに、まるで城塞のごとく計算されたように矢窓が開けられている。

 出陣の情報が既に周辺の街に知らされていたことは想像に容易い。だが、この規模のバリケードを数時間で築き上げることは不可能だ。と、するならば、恐らくゴーラの街を攻め滅ぼした時から、近隣の街は身の危険を感じ、来る日の為に用意していたとしか考えられなかった。

 もうすぐ、夜の帳が東の空から舞い降りて来る。そうなれば、動物的な夜目を持つ亜人達には人間が敵うわけがない。夜に行動を起こすことは、単に自殺行為にしかならないのだ。

 ムオーデルは、歯噛みしたい気持ちを抑えつつ、隊を一つにまとめ、街の入り口付近まで後退して、夜を明かすための陣を確保する決意をした。

『……インジヒ卿、すいません。わたくしの力不足のために遅延するかもしれません。しかし、この命に代えましてもゲアナは落としてみせます。……バーナ…お前ほどの男が苦労しているとは考え難いが、わたしのようになってはいまいな?』

 東の地平線に幾つか輝き出した星を見上げ、ムオーデルは戦友の小男を思い浮かべていた。


 進退窮まるとは、こんな状況なのかもしれないとバーナは実感していた。

 押すに押せず、引くにも引けない。想像にすら思い描いたことも無い状況に陥ることほど、適格な判断は失われ、窮地はより一層深まって行く。

 ドロンの街は、人口にすれば二千を切るような小さな集落に近い。建造物にしても石造りのものが多く、レンガなど見当たらないほどに遅れた文化といえよう。

 だが、その街がバーナの計画した戦略を、ことごとく跳ね返し、見事なまでに袋小路へと導いてしまうなど有り得ないことであった。

 バーナは知的戦略家である。そのことは周知の事実であるし、バーナ自信にも自負がある。とはいえ、城塞や大都市を攻めるような時ならともかく、二千にも満たない集落とさえ言える街に、綿密な策略など必要無いと判断できた。

 迅速に打ち込み、奇襲の如く攻めたて、後に火を放てば終わるような、戦とも呼べぬ一方的な蹂躙になるはずだったのだ。

 それがどうであろう。

 四方から討ち入った街は、建物全てに人影は無く。そのまま進軍し、街の中心へと足を踏み入れた時、その変化は沸き起こった。

 街の中心には、大きな建物があり、一見して教会であることが窺えた。そこに住民達が集結していることは明らかで、火矢を打ち込みさえすれば、逃げ惑う者達を出口で始末すれば良い。

 全軍を教会周囲に集め取り囲んだ。

 いざ、火矢をと構えた瞬間、頭上から大量の水が浴びせられた。火矢は尽く消され、再び構えるには幾ばくかの時間を要する。だが、降り注がれる水は途切れることなく続き、遂には足元がおぼつかない程にぬかるんできてしまった。

 こうなれば仕方なし。多少の犠牲を覚悟して教会に強行するしかあるまいと指示を出した矢先に、軍勢の三分の一が消え失せた。

 地響きが轟き、多くの叫びとうめきが入り混じる。後方で指揮を取っていたバーナには、何が起こったのかも把握出来ていなかった。

 突然の出来事に右往左往する兵士達を押し退け、前線に出て愕然とする。

 地面が大きく口を開け、兵士達を奈落の底へと落とし込んでいたのだった。それは教会を中心に円を描き、幅十メートル以上のもので、深さも五メートルでは及ばないかもしれない。

 落とし穴と言ってしまえば子供の悪戯のように思えるが、これほどの規模になってしまうとそんな可愛らしさなど微塵も無い。落ち込んだ兵士達は、誰もが身動き出来ずにのたうちまわっているのがその証拠とも言える。

 こんな状況で矢でも射られたらひとたまりもあるまい。

 だが、そんなものなど飛んで来ず、他に何かを仕掛けてくる様子も無い。先程まで浴びせられた水も、今は夕焼けの茜空を静かに見せるだけだ。

 バーナは、落ちた兵士達を引き上げるよう指示し、数十人を別に呼び、夜営の準備をするために街の外に準備させた。

『恐らくは、随分と前から用意されていたのだろう。事が起こった暁には、全員が教会に篭城し、その周囲を人が一人歩くくらいなら落ちない厚さに地下を掘り、敵前で水を落とし重みをかけて崩し進路を断つ。そこに我々が駆け込んだために罠の役割までしてしまったというところだろう。事を急ぎすぎたツケか? ゴーラの街の殲滅がこんな形で我々を阻む。皮肉だな。ムオーデル…わたしの失態を笑うか? 貴様は既にゲアナを落とし、インジヒ卿の元へと向かったのであろうな。暫し待て! わたしも必ず参じてみせる』

 バーナは、奥歯を噛み締めて拳を握った。手の平に爪が刺さり真紅の血が数滴、滴り落ちた。


 インジヒ卿は、ゾームの街の中心で天蓋の中に座って報告を待っていた。

 丸太のような両腕を組んで、深く眼を閉じて瞑想しているようにも見える。両脇に数人の兵士が辺りを警戒しているが、土埃が舞う意外に人影も無かった。

 そこに数人の兵士が走りこんでくる。

「報告いたします!」

 重い甲冑を上下に装着して走ってきたわりに、兵士達の呼吸が乱れているようなことは無かった。相当の訓練を積み重ね、力とスタミナを身に付けた者にしか成し得ないことであろう。

 インジヒ卿がやっと眼を開いた。眉間に深く刻まれた皺に、愉快な気分では到底有り得ないことが読み取れる。

「…申しあげます…」

 そこまで言って兵士は言い澱んだ。インジヒ卿の瞳が、僅かに細まったからだ。こんな表情をするインジヒ卿は、あまり良い気分の時は無い。下手に気分を害した時など、命までは取られないものの、骨の一本二本は覚悟しなくてはならない。

「どうした? 報告だろう?」

 待っても口を開かない兵士に痺れを切らしたものか、インジヒ卿は尚も眼を細めた。

「す、すいません! 報告いたします! ゾームの街をくまなく捜索いたしましたが、亜人の一人として姿無く、家財などは残されておりますゆえ、逃亡したとも思えません! 馬車、牛車、家畜等も捨て置かれておりまして、残された道は徒歩での避難となりますが、街の出口周辺に多くの人の足跡は見受けられませんでした!」

 冷や汗をかきながら跪き、知り得た情報を口にする兵士の声は、どことなく怯えているようにも聞こえる。

「…そのことが本当であるのなら、ここの住民は、忽然と姿を消したか、それとも、元からここが廃墟だったかってことになるが…貴様はどちらだと思う?」

 インジヒ卿は、上体を傾け兵士の方に迫るように問うた。

「わ、わたしの答えるべき事柄では無いかと。御判断を願います」

 兵士は顔も上げられず、額から流れ落ちる汗を見ながら答えた。

「ふん! 貴様にも分からん事を俺に判断しろと言う。貴様の無責任さは、底が知れんのか? 今の報告で分かったことはひとつだけだ。…このゾームは、今や廃墟だ。いや、その手前か。亜人達だけがいないのだからな」

 ふんぞり返るように身体を投げ出し、インジヒ卿は深い溜め息を吐いた。

 兵士を減らす戦が無かっただけマシなはなしではあるものの、不気味な雰囲気は拭い去れない。一体、住民達は何処へ消えたというのだろうか?

「命令を伝える! 今夜はここに留まり、明朝にもう一度街中を探索! 住民の痕跡が発見されない現状と同じならば、装備を整え次第、イアナ渓谷に出立する。全員、注意を怠らず鋭気を養え!」

 引っくり返ったままで、天蓋の天井を睨みながらの言葉であった。

 言いようの無い暗い陰が心の中に広がっていることなど兵士に気取られるわけにはいかない。

 インジヒ卿は、もう一度、今度は静かにゆっくりと息を吐いた。




            つづく


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