第十一話
永らくのご無沙汰でございました。
一年以上の放置。情けなく思っております。
ただ、この作品。
思い付きで書き出して、プロットさえ建てないという我侭ぶりです。
混迷、停滞を余儀なくされるでしょうが、もし、お付き合いして下さる方がいるのでしたら、遅々ながら進んでいきたい所存です。
ルビも振りませんが、ご愛読いただけるだけ本望です。
お許しくださいませ。
「魔人の山6」
「変だとは思わんか? 街を出て早や十日も経とうというのに、獣はおろか鳥一羽とて見掛けんとは、一体どういうことだ?」
辺境の街『ディエル』を出発したのは、虎頭を筆頭に黒牛頭と街で愚鈍と名高い犀頭の総勢三名だけだった。
再三の呼びかけにも関わらず、子供を手にした家族は、今日にも人間の軍が攻めて来るかもしれないと知ると、家族を守ることに心を囚われ、誰一人として追随しようとは言い出さなかった。
怪現象の渦中に居るであろう仔山羊達の親でさえ、後に手に入れた子供達を掻き抱いたまま、涙ながらに首を横に振るきりだった。
そんな悲愴の想いが充満する中、無言のまま手を挙げて進み出た者が、何をするにも疎まれがちな犀頭だった。力だけはあるものの、天性の鈍間が祟って重宝されることは無く、内向的な性格から自ら前に出るような事も無く、結局は無口で暗い鈍間と蔑まれ、街でも打ち解ける事の無い孤立無縁の存在になってしまっていた。
そんな彼が、虎頭の呼び掛けに答えようとは、呼び掛けた虎頭でさえ予想していなかったことだろう。しかしながら、数少ない立候補者を無下に断ることは出来ない。如何に愚鈍の疎遠者であろうと、怪力であることには変わりない。有事の際に、その力が必要になる可能性は否定できなかった。
最初から同行の意を示した黒牛頭に妻は無い。数年前の流行病で、子供と共にこの世を去ってしまっていた。その為に家族への想いは、街の誰よりも強いと言っても過言ではない。本来、虎頭の子供を救いたい一心からの計画も、仔山羊二人の犠牲の上に成り立っている。このことに一番、腹を立てていたのも黒牛頭だった。
虎頭は、自らが提案した計画の末路の責任感から。黒牛頭は、犠牲になりつつあるであろう仔山羊を救いたいが一心のため。犀頭に至っては、街を出てから一言も語らない故に、その心情までは計り知れないが、この十日余り、ほとんど不休で進んできたにも関わらず、不平も言わず遅れることもなく付いて来ているのを考えれば、この男の中にも何かしらの強い決意があるのかも知れない。
「この辺りは、砂漠に近い荒野だ。元来、生き物など住めん。後、三日も進めば蛇の巣だ。オアシスもある。そこまでは、生き物に出会うなど滅多に無い」
黒牛頭が虎頭の疑問に答えた形だが、黒牛頭にも異変は明らかだったに違いない。
いくら不毛の土地とはいえ、ハゲワシ一羽いないわけはない。現にこの場に獲物が三匹もいるのである。
ハイエナやハゲワシが、三人の成れの果てを期待してうろついていない方が不思議なことなのだ。
動けない植物は別としても、ネズミ一匹、否、蚊の一匹すら見当たらない。格好の獲物を見逃すほど、辺境の生き物達が寛容なわけはないのだ。
「おい! あれは、何だ?」
黒牛頭が、前方を指差していた。
照り付ける太陽と乾いた風を避けるために、足元ばかりを見ていた虎頭は、言われて初めて視線を上げて見た。
距離までは定かではないが、地面が小波のように逆立っている。それほど大きな変化ではないように思えるが、範囲が異常なほどに広がっている。まだ、はっきりと確認できるわけではないが、広範囲に渡っているようだ。
「…迂回した方が良くないか?」
足を止めずに黒牛頭は言ったものの、そのスピードは先刻よりもかなり遅い。不信な物を目の当たりにすれば、当然のことと言えようが、ここで迂回を選択することは、膨大な時間の浪費を伴う。
「子供等を助けることが最優先だ。それに、人知も及ばん現象が起きた今、どんな些細な変化もこの眼で確かめて進まねば、これから待ち受ける運命に対抗しきれんかもしれん」
虎頭が押し退けるように前に出た。犀頭が小走りにそれに続く。従順な従者のようだが、その真意までは定かではないのが、一抹の不安を虎頭の背中に残していた。
「こ、これは……」
虎頭が足を止めたのは、地表の変化が著しい場所から、まだ数十メートルほどの地点だった。
しかし、虎頭の足元では、既に変化が現われていた。どういった地殻変化があったものか、地表には緩やかな撓みの後が残されている。水の波紋と例えれば想像に楽かもしれない。それが途中で固まり、大きな輪を描くように、幾重もの上下を地表に浮き上がらせ続いている。
恐る恐る足を踏み出して感触を確かめてみたが、紋様は異常な様を現しているものの、今まで歩いてきた荒野の地面と何ら変わらない反応が返ってくるばかりだった。
一行は、波紋のような瘤を避けて歩きながら、もっと異常な姿を曝す場所へと急いだ。否、急いだわけではないが、急かされるような気持ちに身体が自然と速まったのだろう。
三人の足は、自然と同時に止まった。そして、その誰もが口を大きく開いたまま、言葉も無く立ち尽くした。
遠くから見て取れた小波のようなものの正体が、今、眼の前に広がっていた。
数メートルという穴が地面に口を開けている。大きさは、それほどではない。精々が三メートル程だろう。深さも上から下が見えるところを見ると、五メートルもあれば良い方だろう。だが、その数はどれほどだろう? 見渡す限りに穴が開けられ、両翼ですら地平線に消えそうなほどだ。前方ですら遥か彼方の陽炎まで続いている。
「これは……何だ?」
黒牛頭が、やっとの思いでヒリつく喉から言葉を出した。しかし、返事は無い。
それはそうであろう。誰しもが思っている疑問を口にしたところで、答えを持たない者達ばかりでは、会話にすら成りようも無いのだ。
「……どうすれば……こうなる?」
虎頭と黒牛頭が同時に顔を見合わせた。今まで聴いたことも無い声がしたからだ。急いで脇を振り返る。
そこには、足元の穴を指差す犀頭が居た。
「……人の手で……出来る事じゃ…ない」
掠れたような野太い声が、二人を見ることも無く地面の穴へと吸い込まれていく。
改めて二人が荒野に広がる穴を見渡した。言われるまで気付けないとは、仰天の極みにいたとしか思えなかった。
犀頭の指摘通りに、それらの穴は不自然の産物であった。どれもが重なるほどの至近距離に接していながら、どれも穴を崩していない。それどころか、まるで同時に穴を掘り、掘り上げた土を互いの穴に入れないように積み上げたように、どれもこれもが穴の縁を盛り上げているのだ。
どのような僥倖を行えば、このような不可思議なものが作り上げられるだろうか。答えは、三人が何も口にしないことだろう。
ある種の禁忌的思考に立ち入らなければ、この現象の説明は付かない。三者三様の想像がまかり通るような、幾多の道などありはしないのだ。
この穴を開けたものは、恐らくは地面の中にいたのだろう。そして、ある日、ある時刻、ある瞬間に同じタイミングで、寸分の時間差も無く地表へと躍り出たのだ。その数たるや、視界を埋めるほどの数であったことだろう。
その地面を突き破る衝撃は、辺りの地表を歪め、まるで水面を走る波紋の如く撓んだ紋様を刻み付けたのだ。
だが、そのもの達は、何処へ消えた? 否、地表に降り立った足跡すら見当たらない。だとするならば、空を飛んで飛び去ったのか?
「そ、そんな筈はなかろう。馬鹿の考えだ」
「そうだ、そんなわけはない。きっと、地中のガスが放出したんだろう。自然は、奇跡にも近い現象を時折起こすからな」
虎頭と黒牛頭が、何とか理由付けをしようと必死に考えた結果だった。だが、それは虚しい空元気のように荒野の風に溶けた。
「…悪魔が…眠っていた」
犀頭が、まるで地中から響くかのような低い声で呟いた。
「悪魔だと!? 何を馬鹿な世迷言を! 神も仏も無いこの世の中に、悪魔だけが存在するとでも言うつもりか? 悪魔は人間だけで十分だ! 外見の違いだけで忌み嫌い、我々、亜人を人とも思わん! 悪魔と称するなら、あ奴等がそのものだ!」
自分の納得しようとした理由が『悪魔』の一言で粉砕されたことに黒牛頭が怒ったわけではない。無理やりにでも作った理由が、この現象の根本を掴みきれていないことなど明白なことなのだ。
犀頭が言ったことを信じてしまえる自分自身を否定していることに、黒牛頭は気付かぬフリをしているだけに過ぎない。
黙って指差す犀頭の視線は、深く抉られた穴の深部であった。そこに言葉の意味する証拠が残されている。
「……あれを、何と見る?」
虎頭が震える声を必死に抑えながら、それでも言葉にようやくした。
指差す勇気すら奪われたのか、顎で示す地下の刻印は、人知の果てを超えて、因果の果てにでも出会うものであったのかもしれない。ただ、その姿は無く、ただ、残された抜け殻があるのみであった。
「これが本物であるならば、それらが示す未来は、今までに予想されたものより遥かに過酷なものになるのではないか?」
黒牛頭が語るのも当然だろう。
それに答える者がいないのも、その言葉の意味するものが現実の意図として存在するからに他ならないからであろう。
穴の奥。抉られた後は、今にも動き出しそうな人型であった。
だが、それは本当に人なのか?
良く見れば、足の関節は人間のそれとは逆に曲がっていないか? 腕の長さが倍はないだろうか? 背中に不自然に窪んだ部分があるのは、翼で無いと言い切れるのか?
そして、最大の疑問は、この主は何処に消えた。背の翼で空を飛び去ったのだろうか。
三者三様に薄ら寒いような景色の中。知りようも無い異変が、確かに動き出しているのが、不気味な序章の鐘のように鳴り響いていた。
つづく