第三話 依頼
カンザスの街はもうすぐ正午を迎えようとしていた。空を見上げれば清々しい青空が世界を包み込んでいる。
穏やかな空の下、レンガ造りのアパートの一室から、「えぇっ?」と少し間抜けな声が聞こえた。
「これからエルマーが来るぅ〜?」
シンプルな部屋で、食パンを食べながらシルヴィが言った。まだ寝起きなのか、未だパジャマに身を包んでいる。
シルヴィの問いに、セドリックはドアに寄り掛かりながら頷いた。煙草をくわえて。
「でもなんでエルマーが?」
そう質問したのはフィルだった。手にはブラシを持ち、寝癖のついたシルヴィの髪を梳かしている。 自身の髪もセミロングだからか、なかなか慣れた手つきである。
「……はい、これで少しは良くなったよ」
「ありがとー。でも私は別に気にしないのに」
「いや気にしなよ……。一応女の子だろ?」
「一応じゃなくても女の子ですぅ」
「はいはい」
シルヴィの言葉を軽く流すと、フィルは質問の答えを求めるようにセドリックに目を向けた。
「なんでもお前らに仕事を頼みたいんだとさ」
「仕事? ――って、私達はなんでも屋か!」
シルヴィが不満そうに言うと、食パンの最後の一欠けらを口に放り投げた。
それを見て思わず苦笑いを漏らしたフィルは、
「それはエルマー個人じゃなくて、クレリスターから、なのかな」
「さぁな。あいつらの考えてることは分かんねぇよ」
「なーにいってんの」
「え?」
「クレリスターが考えてることなんて簡単じゃない」
シルヴィが当たり前、といわんばかりの声色で言った。それを聞いたフィルとセドリックは、シルヴィを見て首を傾げた。
そんな二人を見てシルヴィは呆れたように溜息を吐くと、
「世界からブランカーをどうやったら消せるか、でしょ」
やけに冷たい声だった。
シルヴィの呆れにも悲しみにも、はたまた怒りにも似た呟きに、フィルは複雑そうな表情を浮かべた。
「……まぁ、反魔術をうたう教団だからな」
この世界では、異質な者を恐れる人間が沢山いる。
それで作られたのが反魔術教団だ。
クレリスターは魔力所持者であるブランカーの監視、及び魔術犯罪者の裁判、刑の執行などを行い、ブランカーの自由を奪っている組織である。
勿論、それは魔力所持者であるシルヴィたちも同様だった。
「……好き好んで持った能力じゃないのにね」
フィルがシルヴィの隣で俯き気味に言った。シルヴィはそんなフィルを横目で見ると、「ま、」と口を開いた。
「持って生まれた以上仕方ないっ! 問題はこの力をどう使うか、よ」
「シルヴィ……」
「その通りだにゃー」
いきなり声が増え、シルヴィたちは揃って肩を揺らした。
セドリックが慌てて振り向くと、そこには赤いチャイナ服に身を纏い、ピンク色の髪をお団子にした女性の姿が。頭には猫耳のカチューシャをつけている。
彼女は突然の訪問者に驚いているシルヴィ達を見ると、満足げに切れ長の目をさらに細めてみせた。
「エルマー! あんたいつの間に……」
「ついさっき来たばかりにゃよ?」
「相変わらず猫が好きなんだね……」
「猫は癒しにゃー」
にゃにゃーん、とまるで猫が毛づくろいをするかのように、ピンク色の髪を撫でてみせた。
「……で、私達に仕事を頼みたいんだって?」
「んにゃっ、その通りにゃ!」
「……その語尾どうにかならない?」
「ならないにゃ」
笑顔で即答したエルマーに、シルヴィは呆れた表情を浮かべた。
「実は、シルヴィ達に一つお願いがあるにゃ」
「……なに?」
「今、隣町の港でブランカーが暴走しているにゃ。それを捕まえるのを手伝って欲しいにゃよ」
「手伝うって……クレリスターじゃ手に負えないわけ? 対魔術武器とかいうのあったわよね?」
「暴走して力が異常に増幅しているんにゃ。対魔術武器はあくまで試作品ばかりだから今回は手に負えないにゃ」
「……で、私達に手伝えと?」
「にゃにゃーんっ」
エルマー風のふざけた返事に、シルヴィは口元をひくつかせてみせた。
「おい待て」
賑やかな雰囲気を壊すような声色で、さっきまで黙っていたセドリックが言った。皆がセドリックに視線を移すと、彼は煙草をふかしながら、しかし赤い瞳は確実にエルマーを捕らえていた。
「それは能力を使え、ってことか?」
「最悪の場合は、にゃ」
「……シルヴィ、俺は」
「あ、因みに今回の手伝いでクレリスターから出る謝礼金はこれぐらいにゃ」
「うっそ、こんなに!?」
セドリックの言葉を遮り、シルヴィに電卓を見せ得意げに言ったエルマー。電卓には0がいくつもあった。
(――あぁ、これは)
フィルは電卓を覗いたあと、シルヴィをちらりと見上げた。そこには目を光らせたシルヴィが、嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「その仕事受けるわっ」
「やっぱし……」
ぱし、とエルマーの手を握り言ったシルヴィに、フィルは思わず苦笑いを漏らした。
「お、おいっ」
「なに?」
「俺は反対だぞ」
「だいじょーぶ! どっかの誰かさんの助手してるお陰で、戦闘はまぁまぁ出来るし!」
「そういう問題じゃなくてだな……俺は」
「"能力を使うな"?」
図星だった。セドリックは一瞬言葉をつまらすと、、ゆっくり息を吐いて頷いた。
そんな彼の様子にシルヴィは苦笑したあと、人差し指をぴん、と立てた。
「最悪の時以外は使わなければいいでしょ?」
「……お前最悪の時以外で使わない自信あるか?」
「……まぁ、あははー」
(ごまかしたな……)
フィルとセドリックの心が一つになった瞬間だった。
「大丈夫! なるべく使わないようにするわ。それに、」
一度言葉を切って、シルヴィは一瞬だけ視線をフィルに移した。
「"捜し物"するにもお金が必要でしょ?」
にこり、と可愛らしい笑顔を浮かべ言ったシルヴィに、セドリックは深い溜息を吐き、結局了承してしまったのであった。
****
エルマーに連れられ、やってきたそこは、鮮やかな青が広がっていた。
港の端にいくつかの船が連なっているのが見える。
しかし本来ならこの時間帯賑わいをみせるはずのそこは、一般人の姿は一人も見えなかった。
変わりに黒い服に身を来るんだ男達が、黒い壁の如く立ちはだかっていた。
その中の一人が、エルマーに気付くと敬礼をしながら近づいてきた。その姿はさながら軍人のようだ。
「エルマーさん、ご苦労様です!」
「現状は?」
「只今結界を張り、どうにか食い止めていますが、破られるのも時間の問題だと思われます。……ところで、あのエルマーさん?」
「んにゃ?」
「そちらの方たちは?」
男がエルマーの後ろにいたシルヴィとフィルを見て、少し控え目に言った。
エルマーはそれにさっきから変わらぬ笑顔で「ああ、」と口を開いた。
「紹介するにゃ、ブランカーのシルヴィとフィルにゃ」
ブランカー、という単語が出た瞬間、黒服の男達が目を見開いた。場の雰囲気がさっきよりも重くなる。
「……何故、ブランカーを?」
さっきの男が、声を低くして言った。目はシルヴィ達を睨むかのように細められている。
明らかな敵意に、シルヴィは口を尖らすと目を反らした。その隣のフィルは、ただただ無表情で男を見据えていた。
フィルから感じられる、子供らしからぬ威圧感に、男は息を呑むと視線をエルマーに向けた。
しかしエルマーは依然笑顔を浮かべ、人差し指を顎に添えて、
「ブランカーにはブランカーで、っていうことにゃ」
どこか楽しそうな声で言った。
男は納得出来ない、と表情で表しながらも、それ以上なにも言わなかった。――否、言えなかった。
「それじゃあ、ブランカーがいるところまで案内してくれるかにゃ?」
「はっ」
エルマーの指示に男が返事をすると、黒い壁となっていた男達が数人分通れるほどのスペースをつくった。
それを確認するとエルマーはシルヴィ達を振り向いた。変わらない笑顔の中に、怪しい好奇心が見えかくれしている。
「さ、行くにゃよ。――準備はいいかにゃ?」
「――大丈夫よ」
シルヴィが静かに言った言葉に、フィルも頷く。
そんな二人を見てエルマーは笑みをさらに深めた。
****
「うっわ……」
目の前に広がる光景に、シルヴィが思わず声を漏らした。
そこには港で暴れ回ってる男が、透明な黄色い壁の中を暴れ回っていた。男からは絶えず稲妻が出ている。
「どうやら能力は雷みたいね」
「意識は……駄目だ。完全に力に飲み込まれてる」
男が白目なのを見て、フィルが言う。
シルヴィは腰につけたホルスターから銃を取り出すと、素早く弾倉をセットした。フィルの手には短剣が握られている。
「……全く、まさかクレリスターに手をかすとはね」
「はは……。まぁ受けたのはシルヴィだけどね」
「フィルだったら受けなかったの?」
「んー……どうだろ」
「なにそれ」
くす、と互いに笑う。
「……あ、そうだこれ外しとかなきゃ」
そう呟くと自身の首にあるチョーカーをとる。
「んー、なんか開放感」
「シルヴィはこの前とったばかりだろ?」
「しーっ!」
慌てて人差し指を口にあてたシルヴィに、フィルは苦笑を漏らした。
「それじゃあ二人とも、頼んだにゃ」
ひらひらと笑顔で手を振るエルマーに、呆れ顔をした二人だが、すぐに引き締め、結界の中にいるブランカーを見た。
「ア、アァア、アァァァ!」
「……フィル、相手の能力が雷の以上、多分私のほうが有利だわ。あんたは」
「なーにいってんの? ここまで来たんだ、僕も戦うよ」
「……そういうと思った」
ニッと笑う。そして
「行くわよ!」
「うん!」
戦闘が、開始した。
戦闘は次回に続きます。