第16話・アトラクション
――あの夜サカイに呼び出されてから、10日ほど過ぎた。
店の空気は、変わらない。
あの男は、あれから数回、店に顔を出した。
礼儀正しく、身なりも地味な張り付いた笑顔。
毎回カウンターの同じ席に座り、質問を繰り返す声。
ヤヨイを追う視線。
俺は、頭の中から出ていかないその姿を思い出していた。
開店して1時間ほど過ぎた店内。
まだ夜は、始まったばかりだ。——客は、まだ少ない。
カウンターではザキとシンが、ヒロミをからかって笑っている。
仕込みが続くキッチンには、包丁がまな板を叩く音、
換気扇の低い唸り、時折混ざる笑い声が聞こえる。
――いつも通りだ。
俺は、無意識に確認していた。
「今日、ヒマそー」
モモがレジの前で、スマホを伏せ、ため息をつく。
「そう言う日に限って、後から忙しくなるんだよな」
ザキがカウンターに肘をついて笑った。
「ザキさん、やめてよ」
モモが口を尖らせる。
俺はそのやり取りを背中で聞きながら、ショウケースの中を確認した。
「いらっしゃいませー」
開店して1時間ほど過ぎた頃、
暖簾が割れて、男が入ってきた。
「あ、また...…」
モモが小さく声を出す。
「おひとりですか?」
ヤヨイが、いつも通りの声で聞く。
「ええ。ここ、落ち着くんで」
男はそう言って、カウンターの端に座った。
視線が、ヤヨイに留まる。
ほんの一瞬だが、俺は見逃さなかった。
「生でいいですか?」
「お願いします」
コウがビールを注ぎながら、ちらりと男を見る。
ザキが、男に話しかけた。
...…コイツは、誰にでもよく絡む。
「よくお会いしますね、お近くなんですか?」
「まあ、その辺です」
曖昧な答えと、張り付いた笑顔。そんなことザキは気にせず続ける。
「お仕事帰りですか?」
「まあ、そうですね」
気付けば俺はその会話を追っていた。
小さく頭を振り、焼き台に目を落とす。
男は、その会話の合間にも、ヤヨイをチラチラ見ていた。
やがて、男は話題を変える。
「ご出身、この辺で?」
視線の先には、ザキではなく、——刺し場に立つヤヨイ。
俺は、思わず焼き台から顔を上げ、男の顔を見つめる。
「え、いえ......」
「そうなんですか。いや、この店、とても街に馴染んでるんで、
――地元の方なのかと」
「ごめんなさい、7年目です」
「僕、この街来たばっかなんで、色々教えていただきたいと思いまして」
「はあ」
ヤヨイは、困ったような微笑みを浮かべる。
シンが、笑いながら口をはさんだ。
「止めといた方が良いですよ?
ヤヨイさんには、怖い人、付いてますから。...…ね、店長?」
シンは、ニャつきながら、俺を見上げる。
俺は、少しイラつきながら、言う。
「怖くねえし、そんなんでもねえ。適当なこと言うなよ」
「だって、店長、元刑事じゃないすか」
空気が止まる。
ザキが息をのみ、
ヒロミが固まり、
モモが目を瞬かせる。
男の眉が、ほんの少し動いた。
「へえ……刑事」
男は興味深そうに繰り返す。
「昔の話だ」
俺は、男にそう返すと、シンの顔を少し睨み、低い声で言う。
「シン、余計なこと言うなよ」
シンは、俺の顔を見て黙り、目を泳がせる。
ザキが、シンの頭を軽く叩く。
そして、俺に向かって手を合わせた。シンが、軽く頭を下げる。
男は黙ってグラスを傾け、またヤヨイを見る。
「...…奥さんですか?」
「違います」
ヤヨイが即答した。
「店の人です」
「あ、失礼」
男は軽く頭を下げたが、目は笑っていなかった。
時折、スマホを手に取り、何やら打ち込む。
俺は、視界の端でそれを見ていた。
その後も店は普通に回った。常連が2組、初めての客が1人。
笑い声もある。——いつもの風景だ。
だが、モモは何度も男の方を見ていたし、
ヒロミはホールを歩く速度が少し早い。
「ちょっと外、出てくる」
俺はそう言って、暖簾をくぐった。
一服する、ほんの数分。
戻ったとき、空気が少し変わっていた。
「……あの人」
ヤヨイが俺に駆け寄り、小さく言う。
「今さっき、遊園地の話してきた」
「遊園地?」
「あの街の。昔、あったでしょう?」
俺は、息を呑んだ。
ヤヨイがちょっと笑って、続ける。
「デートしないかって...…断ったけど」
カウンターの端を見ると、男はもう居なかった。
「……そうか」
それだけ言って、俺は焼き台の前に戻る。
ザキが近づいてきて、低い声で言った。
「店長、さっきはすまなかったな、シンのやつが」
「ああ、もういいさ」
「...…気持ち悪い奴だったな、気をつけろよ、彼女」
ザキは顎をしゃくり、ヤヨイを見る。
「モモも、ヒロミも気づいてる」
「......ああ」
俺はザキを真っ直ぐ見返すと、頷いた。
カウンターでは相変わらず、シンとヒロミが、
仲良さげに笑いあう。
キッチンではヤヨイが賄いを作り出し、
コウがグラスを洗いながらそれを眺める。
テーブルではモモが、常連の相手をする。
カズネは、いつもの場所に座り、
しっぽをゆっくりと上下に振りながら、俺を見上げた。
そのまま夜は、深くなっていった。
―――
――閉店近く、見慣れた顔が暖簾を上げる。
「おう、コンドウ」
サカイだった。
「……どうした」
俺はサカイを見て、思わずそう言った。
サカイは俺の顔を1度しっかり見た後、周りを見渡し、ザキに目を止める。
「ザキさん、ご無沙汰」
「おお、サカイさん」
隣に座る。
「どうした、この所見なかったな」
「いや、ちょっと忙しくてな」
「大変だな、現役は」
「はは、まあな」
サカイは、キッチンにヤヨイの姿を確認した後、
コウを見て、コウ君、生1つ、と言った。
コウが作ったビールを手に、ヤヨイが、サカイに近づく。
「サカイさん、いらっしゃい」
「ああ、ヤヨイさん、ありがとう」
「お忙しそうですね」
「ああ、まあ、そうですね」
サカイとヤヨイは、いつもと同じ笑顔を交わす。
サカイは、ビールを半分ほど飲んだ頃、
ヤヨイに言った。
「そうだ、ヤヨイさん、——終わったらコンドウを少し
お借りしても良いですか?」
「え?」
俺は、少し驚くと、サカイに言う。
「どうした」
「いや、単に仕事の愚痴、聞いてもらおうと思ってな、
――お前ぐらいにしか話せん。良いだろ?」
「......ああ」
ヤヨイの顔が緩む。サカイがヤヨイに笑顔を向ける。
「そういうわけで、ヤヨイさん」
「はい、分かりました」
ヤヨイも笑顔を返した。
俺とサカイはチラッと視線を交わす。
―――
やがて、店に静けさが戻った。
ヒロミが暖簾をしまい、
俺は提灯の明かりを落とす。
コウが、シャッターを下ろした。
俺は、いつも通りヤヨイと店を出て、
忘れ物をしたと言い訳をし、ヤヨイと並んで部屋に戻る。
ヤヨイを送り届けると、
ちょっと行ってくる、と言って、部屋を出て、鍵をかけた。
外に出て、少し振り返り、空を仰いで、ふーっと息を吐いた。
初めて入る居酒屋のカウンターで、サカイが手を上げる。
俺は隣に座ると、ビールを注文した。
ポケットから煙草を取り出し、火を付ける。
「やめたんじゃなかったのか?」
サカイが、俺の手元を指差し、聞く。
「いや、そうなんだが、...…最近、手放せなくてな」
俺は、苦笑いを返す。
サカイは、そうか、と言った後、
しばらく置いて、話し出す。
「もう、...…店に来てるんだろう?」
「...…ああ、今日も、来てた」
「そうか、...…どんな奴だ」
「その前に...…本当に、”アイツ”なのか?」
「——ああ」
俺は、それを聞くと、少し考えて、話し出す。
「...…年齢は、30歳前後、瘦せ型で、一見どっかの商社の営業みたいな奴だ。
何回か店に来て、毎回ヤヨイをじろじろ見ながら色々聞いてくる」
「...…そうか」
「今日、あの街の遊園地に、——ヤヨイを誘ってきた」
「......」
「断ったが......また来るだろうな」
俺は、そこまで一気に話すと、タバコを灰皿に押し付ける。
ビールを一口飲み、サカイの言葉を待つ。
やがて、サカイが話し出す。
「コンドウ、お前、早まるなよ」
サカイが、俺の目を見る。
「これは、お前の仕事じゃない。俺に任せるんだ。キレんなよ」
「...…ああ、分かってるさ」
「とにかく、何かあったら連絡してくれ。俺もそうする。彼女には何も言うな。
...…ひとりに、するなよ」
「ああ...…頼んだ」
そこまで話すと、サカイはふっと笑って、
俺のグラスに、自分のを重ねた。
―――
サカイと別れ、帰り道を急ぐ。
部屋の明かりは消えていた。
俺は、ヤヨイの寝室の前に立ち、中の気配を探る。
かすかに寝息が聞こえた。
俺は自室に入り、ベッドに横たわる。
目を閉じた。
――カズネが、
暗い店内にぼうっと浮かび上がる。
俺は、その姿をじっと見つめる。
声が、響く。
「逃げた街は、忘れたふりしても、覚えてる」
真っ直ぐ見て、しっぽを揺らす。
「思い出したなら、もう一度、ちゃんと見な」
そのまま、その姿がす-っと遠ざかる。
目が覚めたとき、
胸の奥がヒリついていた。
つづく




