前編
目が覚めると、一面が灰色の奇妙な世界にいた。
しかも老いた肉体が若返っている。
この感じからして二十代――およそ五十年前の姿だった。
衣服は紺色のシャツに黒いズボン。
スニーカーは愛用していたスポーツメーカーのものだった。
気に入っていた野球帽もしっかりと被っている。
若い頃の普段着がすべて揃っていた。
「……夢か?」
「いいえ、現実ですよ」
振り返ると白い衣服を纏う金髪の美女が佇んでいた。
海のように澄み切った碧眼はしかし、僕を咎めるように鋭い。
僕は冷静に話しかける。
「あなたは?」
「私は裁きの女神……老衰したあなたの魂を修羅へ送るために呼びました」
「修羅?」
「極悪人の魂だけが集められる閉じた世界――互いに殺し合って魂を磨り潰すための地獄です。死んでも他の世界に抜け出せず、生前の罪を悔いながら消滅していただきます」
「ほう……それは物騒だ」
どうやら僕が老衰で死んだらしい。
さらに死後の魂がよく分からない世界へ飛ばされるのだという。
荒唐無稽な話は普段なら信じる気にもなれないが、自称女神から嘘は感じられない。
これがとてつもなく精巧な夢でもない限り、いずれも真実と見なすべきだろう。
僕は記憶を遡り、この状況に適した表現を思い出す。
「いわゆる異世界転生ってやつだね」
「知っているのですね」
「老いぼれでも多少は流行を把握しているものさ」
僕が微笑んでみせると、女神は眉間に皺を寄せる。
彼女は嫌悪感を隠すことなく言った。
「そうして余裕ぶっていられるのも今のうちです」
「賭けてみるかい」
「……何ですって?」
「僕が修羅とやらで情けなく野垂れ死ぬか、賭けてみないかと言ってるんだ」
次の瞬間、女神の顔に激しい怒りと憎悪が差した。
彼女は私に向かってサムズアップし、その上下を反転させる。
そして僕の提案に答えることなく宣告してきた。
「――あなたの悲惨な末路を楽しみにしています」
「それはどうも」
視界が闇に染まり、落下しているような感覚に襲われる。
どうやら説明は終わりらしい。
僕は修羅へ落とされたようだった。
(極悪人だけの世界……面白そうだな。殺し放題なんて、地獄ではなく天国じゃないか)
期待に胸を膨らませること暫し。
暗闇に染まった視界が切り替わり、僕は大地に着地した。




